第四話:会試始まる

 どごーん!

 

 朝日を浴びる砦に大砲の音が鳴り響く。

 会場に無事辿り着いた受験生たちは、基本的に試験が始まるまではなにをして過ごしても構わない。ただし運営が準備する食事などは時間が決まっているので、このように大砲をぶっぱなして知らせるのだ。

 

 どごーん! どごーん!

 

 しかしこの日、砲声は三度続けて大気を震わせた。

 これを聞いて受験生たちが、ある者は与えられた個室から顔を出し、またある者は日課である鍛錬を中止してそれぞれ身支度を始める。


 そう、ついに始まるのだ。

 生か死か、運命を決める科挙試験本選・会試が、とうとう始まる。

 


「ワシは西南将軍・剛毅ごうきである!」


 熊のように大きく、熊のように全身毛むくじゃらな男が、集まった受験生たちを威嚇するかの如く大声を張り上げた。

 場所は砦の東に配された大広場である。かつて砦が本来の役割を果たしていた頃は、兵士たちの訓練場に使われていたのだろう。百余名の受験生たちが集まっても、その後方には大きな空間が広がっていた。

 

「まずは郷試をよくぞ生き延び、ここまで辿り着いたことを誉めてやろう。しかーし!!」


 剛毅の声が一段と大きくなり、列の前方に位置取った者の中には今ので鼓膜が破れた者まで出てくる。

 

「会試はこれまで以上の地獄が待っていると覚悟するがよい、このひよっこどもがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 怒声ここに至ってはついに気絶する者まで出てきて、次々と運び出されていった。

 

「おい、義忠。なんであいつ、あんな馬鹿みたいな大声で話してやがるんだ?」

「おそらくはこれもまた試験のひとつだろう」


 芭蕉は「お前、この前もそんなこと言ってなかったか?」と思ったが、倒れた受験生たちが運ばれるのを見て剛毅が自慢げに顎髭を摩るあたり、どうやら本当にそうであるらしい。

 

「がっはっはっ! あれしきの声で卒倒するとは情けないッ! いいか、お前たち、天子様にお仕えする者は須らく強くなくてはならぬ。しかるに最近の科挙あがりの官僚どもはどいつもこいつも吹けば飛ぶような軟弱者ばかりッ! 実に嘆かわしいッ! であるからワシが会試第一試練の試験官に任命された時、ワシは『真なる強さを持つ者以外は受験の資格なし!』と、この砦に入れぬよう鉄門を拵えた!! にも拘らずどこぞの痴れ者がワシの深謀遠慮に気付くことなく、どんな卑怯な手を使ったのか鉄門を壊してしまいよったッ!!」


 剛毅が髭を震わせて激怒するのも仕方がない。本来ならあの鉄門で相当数の受験生が振るい落されるはずだった。

 なのに芭蕉が壊してしまった。当然だが換えの鉄門なぞ用意しているわけもなく、結果として芭蕉以降に砦へ辿り着いた者たちは難なく入砦することができたのである。


「おい芭蕉、お前のこと言っておられるぞ」

「ンなこと言われても知るかってんだ。壊されたくなかったらもっと頑丈に作っとけってんだよ。それよりもさっき妙なことを言ってなかったか。会試第一試練の試験官とかなんとか。まるで何回も試練があるみたいじゃねぇか」

「なんだ知らなかったのか? 会試は五股分ごこぶんと言ってな、五回試験があるんだ」

「なに!? そんなの聞いてないぞ!」

「一回の試験だけでは人の能力の全てを測れぬだろう? だから五回、特質の違う試験でもって俺たちの能力の全てを測るわけだ。もっとも一回でも落第すれば次には進めんがな。ちなみにこれでも減った方だぞ。昔は八股分だったそうだからな」

「マジかよ、ンなもん、ちょいちょいと受験生を見たら大体分かるだろうによー」

「無茶を言うな。天子様の片腕となってこの国の将来を背負って立つ人物を見定めるんだぞ。慎重に慎重を重ねるのは当たり前だろ?」

「俺はちょっと力試しがしたいだけで、天子の片腕になるつもりなんてこれっぽっちもないんだけどな」

「は? お前、今、なんて……?」


 芭蕉のとんでもない返事に義忠はたまらず絶句した。

 いや、義忠だけではない。周りでなんとはなしにふたりの話を聞いていた連中も揃って言葉を失った。

 そして当初は剛毅に聞こえぬようひそひそ話をしていた二人であったが、てっきり一回の試験で終わるとばかり思っていた芭蕉は予想外な義忠の話についつい声が大きくなっていたようで……。

 

「おい、そこの小僧! 貴様、いまなんと申したァァァァァァァ!!!!!」


 先ほどの怒号よりもさらに大きな声で剛毅が吠えた。

 

「ちょっ! おっさん、声大きすぎ! 耳がツーンとしたぞ」

「おっさんだと! 貴様、将軍であるワシを侮辱……いや、それよりも先のほどの言葉、聞き捨てならんぞッ!」

「さっきの言葉ってなんだよ?」

「この神聖なる科挙を力試しと申したか、貴様ッ!」

「ああ、そうだよ。ってことでなぁ頼むよ、五回も試験をやるなんて面倒なこと言ってねぇで一回で済ましてくんねぇかな? 俺、世界中を見て回る旅の途中でさ。あんまり時間をかけたく無ぇんだけど」


 剛毅の怒りを更なる頂点へと誘うに十分な一撃である。誰しもが固唾を飲み、次に誰彼無しに襲い来るであろう怒声へと身構えた。

 しかし。

 

「……貴様、前ヘ出てこい」


 そう告げる剛毅の声は意外なまでに穏やかなものであった。

 

「おっ。願いを聞き入れてくれんのかな? じゃあ義忠、ちょっと行ってくらぁ」

「お、おい、芭蕉。この馬鹿、今からでも遅くないから謝ってこい!」

「謝ることなんて何にもねぇよ」


 義忠の忠告に手をひらひらして応えると、芭蕉は立ち並ぶ受験生たちの人波を縫うようにして剛毅へと近づいて行く。

 目の前に立つと、かの郷試で対峙した牛男のことを思い出した。

 あれは正真正銘のバケモノだったが、人間にもこんなバカでかいのがいるんだなァとのんきにそんなことを考える芭蕉である。

 

「……名前は?」

「松尾芭蕉」

「やはり貴様か。号軍雑役夫の連中から聞いておる」

「へぇ。やっぱり『あの芭蕉って奴はヤバいッスよ。将軍様が用意した鉄門を軽々と吹き飛ばしたッス。まさに宇宙開闢一の天才ッスよ。あれは試験なんかせず合格にした方がいいッス』ってか?」

「ふん、時代遅れの詩人風情が……。決めたぞ、会試第一試練・武試験、第一試合はお前とクゥの戦いとする!」

「クゥ?」


 聞き慣れぬ名前に「はてそのような名のバケモノはいただろうか?」と頭を捻る芭蕉をよそに、剛毅は高らかに武試験の内容を宣言した。

 

「武試験では受験生同士、一対一で戦ってもらう。勝敗は相手に『まいった』と言わせるか、あるいはどちらかが死ぬか。各々、己の武をここで天へ指し示せぇぇぇぇいいい!!!」

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