第三話:天災という男

「おおっ! こいつは旨ぇな!」


 眼前に並べられた料理の数々を次々と口に運び入れる芭蕉は、たまらずえびす顔を浮かべた。

 

「会試会場の門を破壊しておきながら、よくもまぁそんな食欲旺盛でいられるもんだ」


 その横に座る義忠は呆れたような、それでいてどこか尊敬とも言えるような視線を芭蕉へと向ける。

 

「だって仕方ねぇだろ。門を自分で開けろって言われても俺にそんな馬鹿力は無ぇんだから」

「だからって爆破はないだろ。試験官の方々が頭を抱えていたじゃないか」

「だったらどうしろっつーんだよ! 破壊されたくないのならもっと頑丈な門を用意しとけっつーんだ」


 重さ数十トン、厚さ一メートル越えの鉄門よりもっと丈夫なものを用意しろとは全くもって無茶ぶりもいいところである。

 が、実際に鉄門は破壊されてしまったのだから、芭蕉の主張ももっともであった。

 

「ったく。こんなことになるのならあの時にお前も中へ入れてやればよかった」

「そうだぞ、義忠。全部てめぇの器が小せぇのが悪い。そんなことでは民を思いやったまつりごとなんて出来ねぇぞ」

「それを言われると弱いな」

「よし、俺が未熟なお前にいい言葉を教えてやる。『情けは人の為ならず』。『人にかけた情けは巡り巡って自分の為になる。だから人には親切にしなさい』って言葉だ」

「ほう。それはいい言葉だな」

「だろ? 俺の国に伝わる『曽我物語』の言葉だ」

「ん? 『曽我物語』って確かお前の国で鎌倉に幕府があった頃の話ではなかったか?」

「お、よく知ってるな。その通りだ」

「ちょっと待て、あんな何かといちゃもんを付けては命を奪い合う時代にそんないい言葉が生まれたと言うのか? 実は意味が逆で『人に情けをかけても何の役にも立たない。だから殺してしまえ』の間違いじゃないのか?」

「うーん、言われたらそうかもしれん」


 ま、それは置いといてだ、と芭蕉は一度箸を置いて義忠と向かい合った。

 

「とにかく、いくら科挙が激烈を極めると言ってもだ、人として助け合う心を忘れちゃいけねぇぞ、義忠」

「……ああ。約束しよう、芭蕉」


 そう言ってふたりは杯をかちりと合わせる(芭蕉は未成年の為、中身は水です)。


 あの後、義忠は門を破壊して近づいてくる芭蕉に非を詫びた。

 芭蕉の力に恐れおののいたわけではない。

 芭蕉を非力な者として見下した非礼を詫びたのだ。

 それを瞬時に理解した芭蕉は、快く義忠の詫びを受け入れた。

 芭蕉もまた義忠が容易に力へ靡く卑しい者ではなく、物事の道理を理解する賢き者だと悟ったのだ。

 かくしてふたりは友となり、こうして夕餉を共にしているわけである。

 

「ところでよ義忠、受験生ってこれっぽっちしかいねぇのか?」


 古い砦の中にある大食堂は、軽く数百人が食事を摂れるだけの空間を有している。

 しかし今、この場で飯を食べているのは芭蕉たちを除くと二人しかいなかった。

 

「いや、おそらくはみんな、それぞれ与えられた部屋で食べているのだろう」

「は? あんな寝ること以外何も出来ないような小っちえ部屋でか?」

「ああ。そこで各々が用意してきた飯を食べているのさ」

「ええっ!? 全部タダなのになんでそんなことを!?」


 入砦方法に些か問題があったとはいえ、それでも無事会試への参加が認められた芭蕉を大いに喜ばせたのが、試験中は全ての食事が無料で、しかもメニューにあるものならばなんでも望むがままに与えられるということであった。

 

 超一流の天才俳人ではあるが、基本的に芭蕉は年がら年中旅をしている無職の素寒貧。時には気前のいい人が奢ってくれることもあるが、大抵はそこらの草とかを食べて空腹を胡麻化している。

 仙人にでもなれば霞だけで生きていけるのだろうが、育ち盛りの18歳とあってはやはりカロリーに飢えてしまうわけで、この無料食べ放題はまさに食い溜めをする絶好の機会であった。

 

 それなのに何故、他の受験生たちはこの天から降って下りた好機を無駄にしてしまうのだろうか。

 

「料理に毒を入れられるのを警戒しているのさ、みんな」

「毒!? 料理人が毒を入れるのか!?」

「ああ。中には他の受験生に買収されて入れる奴もいるだろう。まぁ、そんなことをしなくても偶然を装って料理に毒を入れることも出来るだろうな」

「ええっ!?」


 たちまち芭蕉の顔から血の気が引いて土色になる。

 食べた。食べまくった。何も考えず、空腹に任せて大いに食べてしまった。毒もそろそろ効いてくるころだろう。


「あ、ここにあるのは問題なさそうだ。俺も食べたが毒は感じられない」

「それを先に言ってくれ!」


 たちまち芭蕉の顔に血の気が戻ってくる。

 その様子に義忠は今度こそ完璧に呆れかえった。

 

「と言うか、お前も毒見しながら食べていたのではないのか?」

「んな器用なこと出来ねぇよ、俺は!」

「なんと! やたらと豪快に食べまくるからそれでも毒見しているのか、あるいは毒自体が効かない体なのかと驚いていたのだが」


 それがまさかの無警戒だったとは。改めて驚く義忠。ただし今度はその底なしのバカさ加減に対して。

 

「今度からは気を付けろよ。ここはもう普通とは違う、なんでもありの世界だ」

「とんでもねぇな、科挙って奴は。てことはアレか、個室で食べてる連中はともかくとして、あそこにいるふたりは俺と同じ能天気野郎ってことか?」


 そう言って芭蕉はそれぞれ離れた所で食事をするふたりを顎で指してみせる。


 ひとりは奇妙な刺繍の施されたボロ布を頭からすっぽりと被った、小柄な人物だった。

 もしここが会試会場の食堂ではなかったら物乞いだろうなと思う装いだ。膳には米と汁物のみという粗食もまた、実にそれらしい。


 一方、もうひとりは対照的な、色々と目立つ男であった。

 歳は義忠よりも少し下であろうか。男なのにうっすらと化粧を乗せ、身に纏う服は都風の優雅なもの。指には大小さまざま、色とりどりの宝石の指輪を嵌めている。

 男の前には芭蕉に負けない数のご膳が並べられているが、一品一品を箸で少し摘まんで口に含んでは、それ以上食べることはなかった。

 

「馬鹿! 能天気なのはお前だけだ。あいつらは――」

「ああ、分かってるぜ、義忠。あいつらふたりとも只者じゃねぇな」

「うむ。特にあそこで堂々と食べている男、あいつはおそらく噂に聞く天災てんさいだろう」

「天才?」

「違う。天の災いと書いて天災だ。国子監生筆頭のあいつが科挙を受けると噂には聞いていたが、本当だったとはな」

「なんだ、その国子監生って?」

「この国で官僚になるにはふたつの道がある。ひとつはこの科挙に合格すること。そしてもうひとつは学校の生徒、つまりは生員になって学問を究め、中央大学の学生・国子監生となることだ。ただしいきなり上級官僚になれる科挙とは違い、ほとんどの国子監生は下級から始まる。それでも筆頭ともなれば科挙合格者にも負けないぐらい、名誉ある地位に就けるはずなのだが」

「なのに奴は死ぬかもしれない科挙をわざわざ受けにきたってわけか。へぇ、なかなか根性あるじゃねぇか!」


 説明を受けて芭蕉は感心するが、義忠は変わらず険しい顔のまま話を続ける。

 

「そんな殊勝な心掛けならいいんだがな」

「どういう意味だよ?」

「奴は戯れで人を殺す」

「なにっ!?」

「奴に言わせるならば『自分に殺されるのは運悪く天災に遭ったようなものだと思って諦めてください』らしい。故に名前も自ら天災に改めたそうだ」


 義忠は話しながら、いつでも動けるように姿勢を整えていた。

 血気盛んな芭蕉が天災へ突っかかっていくのを防ぐためだ。

 

 しかし、芭蕉は身じろぎひとつしなかった。

 ただ黙って天災を見つめていたかと思うと「そいつは用心しねぇといけねぇなぁ」と義忠に笑いかけて、再び眼前の料理を猛然と食べ始めるのであった。

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