幸せの尾長鳥

ヤン

第1話 幸せの尾長鳥

大矢おおやさん。この雑誌に、面白い記事がありますよ」


 午後三時。お茶を飲みながら、ゆったりと時間を過ごしていた。ここでの生活は、まるで夢のように穏やかだ。


 ソファの隣に座っている大矢さんが、僕に少し体を寄せて、「どれ?」と雑誌を覗いてくる。


「これです」


 指差しながら、記事の見出しを読み上げる。


「『幸せの尾長鳥おながどり』。この鳥の長い尾を撫でると、誰でも幸せになれます? ですって。本当でしょうか」

「嘘だろう。そんなことで、簡単に幸せになれるとは思えない」


 雑誌から目を離して、大矢さんはお茶を飲み始めた。


「『クロスロード』っていう名前の喫茶店に置いてあるらしいですよ。木彫りの鳥らしいです」


 何故だか気になって、記事を読み進める。今まで、その鳥の尾に触った人の体験談すら、興味深く読んだ。


 僕があまりに真剣な様子でその記事を読んでいたからか、大矢さんは大きな溜息をついた後、


「行ってみたいのか?」


 やや面倒くさそうに、言った。僕は、大きく頷き、


「行ってみたいです」


 今までになく、はっきりと自分の意思を口にした。大矢さんは、僕の頭を撫でると、


「で? どこだ?」


 僕は、嬉しさのあまりに、大矢さんに抱きついて、その店の住所を伝えた。そして、それから十分後、僕たちは、その『クロスロード』というお店を目指して、家をあとにした。


 大矢さんの家から、二十分ほどでそこに着いた。正にクロスロード。交差点の角の所にある、そう大きくもない喫茶店『クロスロード』。大矢さんが先に立ち、ドアを開けた。ベルが鳴ると、店員に、「いらっしゃいませ」と声を掛けられる。入ってすぐ右側にあるレジの横に、その鳥は存在していた。


 僕がその鳥をじっと見ていると、店長らしき人が笑顔で、


「最近、ちょっと有名なんですよ、は」

「『幸せの尾長鳥』でしたっけ? 本当に幸せになれるんですかね」


 大矢さんの問いに、店長らしき人は首を傾げる。


「そう言って下さる方もいます。でもね、私が言い始めたわけではないので」

「じゃあ、やっぱり、いい加減な噂ですか?」

「それが、そうとも言えなくて。この子の尾に触れた人が、急に結婚が決まったとか、宝くじで高額当選したとか、そんな話があって。まあ、正直な所、よくわかりません」

「店長さん。オレは、この子に幸せになってもらいたいんです。だから、ここに来たんです」


 この子、と言う時、大矢さんは僕に目を向けた。やや、必死な感じだった。


「店長。この子はね……」

「え。大矢さん。こんな所で、やめて下さい」


 僕の訴えに、大矢さんは目を覚ましたように、「あ」と言った後、「ごめん」と言った。


「大矢さん。その鳥はともかく、せっかくですからお茶を飲みましょう」

「ああ」


 店長自ら席に案内してくれた。椅子に腰を下ろすと、大矢さんはもう一度、「ごめん」と言った。僕は、聞こえない振りをして、何も言わなかった。


 大矢さんに出会ったのは、十日前。大矢さんの家のそばにある、公園で、だった。僕は、実家にいることも学校に行くことも嫌になって、家を飛び出した。そして、辿り着いたのが、そこだった。


 実家は、ここ東京よりも温度が低く、夏でも長袖のシャツを着ることがある。正に、その日がそうだった。大矢さんに拾われて、シャワーを使わせてもらった後、着替えたのは、ここの気候にあった半袖シャツだった。そして、今まで隠されていた傷だらけの両腕を見て、大矢さんが唖然とした。


 何があったか説明しようとしたけれど、「いや。いい」と断られた。その傷にまつわる辛いことを、僕に話させるのが、大矢さんは苦痛だったのだろうと思う。僕も、話さなくていいならその方がいいと思って、何も話していない。が、大矢さんは、僕に何があったか、何となくわかっているだろう。だから、今日、この『幸せの尾長鳥』に会いに来させてくれたのだと思う。


 注文を済ませた後、大矢さんは僕を見つめて、


「オレはさ、おまえに幸せになってもらいたいんだ」


 低い声で言った。大矢さんの、その優しい言葉に胸が震えて来て、涙が出そうになっていた。


「何があったかは訊かない。だけど、やっぱりまともじゃないよな。だから、オレは……」

「ありがとうございます」


 大矢さんの言葉を遮るように、言った。


「僕、運試しのつもりで、後であの鳥の尾を撫でてきます」


 笑顔で伝えると、大矢さんは俯いて、「わかった」と言った。ちょうどその時注文した物が来たので、お互い何も話さず、お茶を飲んだ。


 一時間近くゆっくりとした後、席を立った。大矢さんが会計をしてくれている間中、ずっと、鳥の尾を撫でていた。


(幸せにしてね。じゃないと、大矢さんが苦しむから)


 出会った時から優しく包み込んでくれるような大矢さんを、すぐに好きになった。彼が望んでくれるなら、僕は幸せにならなければいけない。


 ドアを開けて出て行く前、「また来るね」と言って、鳥に手を振った。  (完)

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