第ニ章 とある家族の事情(ここから始まります色々と)

「ドライ様、起きてください。」

 可愛らしさの中に何処か芯のある声が暗がりに響いた。

「断る。起きる時間は、俺に任せて先に行け。」

 どこかの死亡フラグめいた言葉を吐きながらキッパリと断った。俺は嫌なら嫌としっかり言える日本人だ。などとキッパリ断った事に対して満足感を覚えながら、布団を被る。

「そんな事を言って!自分で起きてきた試しが無いじゃありませんか!あんまり我儘を言っていると強硬手段を取りますよ?」

 優しげな声が少し呆れたような口調に変わる。

 朝のメイドとのいつものやり取りに安心感と心地良さを感じる。この微睡に逆らえる者がいるだろうか。思考が鈍り、瞼が再び重くなる。

 メイドがゆっくりと息をはきだしたのを聞いた。典型的というかなんというか見事なため息だ。

 布団から手のみが引っ張り出され、その手をメイドが優しく握った。

「沈黙は了承したと受け取りますね。全くドライ様はいつもいつも…。」

 何か小言のような事を言っているが、その先は聞き取れなかった。穏やかな気持ちでゆっくり意識が落ちて…

 バチバチッ

「ぐはぁっ!いってぇ!」

 激痛と共に思わず飛び起きる。

 何かが弾けるような音の後に、強力な衝撃が体を駆け巡った。

「おはようございます。自分のタイミングで起きられましたね。」

 メイドの口調は再び優しげなものに戻っていた。俺が(強制的に)自分から(飛び)起きた事を喜んでいるようだった。

「無理やり叩き起こされたんだが?」

 暗く、ろくに見えない視界でメイドの声をする方を見た。ぼんやりと輪郭が見える。

「さあ?何の事でしょう。ぼっちゃまはご自分のおっしゃった通り、ご自身のタイミングで起きられていましたよ?」

 メイドは飄々ひょうひょうと答えた。

 このメイドがぼっちゃまなんて呼び方をする時は大抵ふざけている時だ。

 今度はこちらがため息をつく。

「メリル。暗くてよく見えない。」

 メリルというこのメイドに掌を開き、両手を上に高々とあげ、降参のポーズをとって、一言だけ発する。

 事実、この部屋は真っ暗だ。なるべく光が入らないようにカーテンにも光を遮断する素材が使われている。

 扉からもなるべく隙間から光が入らないように、メリルが魔法で光を遮断している。

 この魔法はうちではメリルしか使えないので他のメイドが当番の時は、扉の枠組みに埋め込まれているフックに布などをかけていた。

「あぁそうでした。ドライ様はいつも起こすのが大変なので、起こした後は気が抜けちゃうんですよね。それでは失礼しますね。」

 メリルがベットの淵に座り、顔にやさしく手を伸ばす。

 その手には、バンダナのように頭部に巻き付ける眼帯が握られていた。

 元々付けていた眼帯を片手で外し、ベットの上に落とした。そして持っていた眼帯で左目を隠し、後頭部の方でぎゅっと結んだ。キツく結びすぎるとおでこやコメカミの部分が痛いのだが、メリルは力加減が完璧だった。急用などで家に居ない時以外は毎日眼帯を付け替えてくれていた。

「もう少し雷魔法の威力弱めでも起きるよ?まだ少し手足が動かしづらいんだけど…」

 眼帯をつけてもらっているだけなので手足が動かしづらくても支障は無いが、日に日に威力が増していく(ような気がしている)雷撃にすこし苦言を呈してみた。

「あれ以上弱いとドライ様は二度寝してしまう可能性が十分にありますし、一回で済む事を何回にも分けてやる必要はないかと。」メリルは、眼帯の結び目に特定のスライムから作った特殊な粘液を塗りながら、それとなく答えた。

「一度で起きなかったら、起きるまで叩き込まれんのかよ。サンドバックみたいだな、俺。」

 ドライは、特に予定も無いのに、毎朝同じ時間に雷魔法をぶつけられる自分の状況に、遠い目をしながらそう答えた。

「サンドバック?というものは存じませんが、必要があらば何度でも起こしますよ。メイドですからっ」

 最後に嬉しそうに語尾が跳ねたのは、メイドである事を誇っているようだった。

「<冷気よ> …ほら終わりましたよ。」

 バンダナの結び目にほんの少しだけ冷気を感じる。

 いつも最後にその魔法の言葉を呟いて、メリルと俺の朝の日課は終わりを迎える。

 カーテンが開かれる。

 眩しい陽光が右目をさした。思わず目を閉じる。少し間をおいて、ゆっくりと目を開けた時、先ほどのような目をつく眩しさは和らいでいた。

「さあドライ様!今日は忙しくなりますよ!」

 俺の取り替えたバンダナや、結び目に塗った粘液の残りを回収しながらメリルは楽しそうに言った。

「今日?何かあったっけ?」

 おかしい。メリルは今日はと言ったが、予定があるのは明日のはずだ。

 まさか一日寝過ごしたとか?

 ドライは寝起きの脳をフル回転させたが、どうにも今日の予定は思い出せなかった。

「ふふっ。何かって明日はドライ様の適職裁定の日じゃありませんか。」

 メリルは、可笑しそうにクスクスと笑いながらもそう言った。頭は混乱していたが、メリルの笑顔を見ると少し落ち着いた。

「適職裁定って準備とかってあるんだっけ?」

 準備が必要とは聞いた事がないが。

「あれ?聞いてませんでしたか?ドライ様の適職裁定は王都の大神殿で行われるんですよ。」

 メリルはようやく俺が本当に何も知らないと理解したようだった。

「王都の大神殿で?なんでまたそんな由緒正しいところで執り行うんだ?」

 意味が分からない。

「私に聞かれましても、旦那様がそちらで手続きをされたからとしか。それに良いじゃありませんか。久しぶりの王都ですよ?家に引きこもっているよりは、美味しい物も沢山食べられますし。」

 メリルはどうにも付いてくる事が確定してるらしい。

 今は国中から集まってくるお菓子や、グルメに思いを馳せているところのようだ。

「それもそうか。」

 引きこもりは事実なので、特に否定はしないが、わざわざ家から距離のある大神殿で手続きをした父親は後でぶん…文句を言ってやろう。あの人には力で勝てる気はしないからな。

 ドライは気だるげな気持ちを押し殺しながら、勢いよくベットから立ち上がった。


 適職裁定とは、神殿に手続きをした後、神によりその素質に応じたクラス(職業)を与えられる儀式だ。

 職と言っても、神が定めた仕事を強制的に個人に強いるものではなく、与えられた職と全く違う事をしてる人も少なく無い。しかしこの世界では、15歳になる年、成人になるタイミングでほぼ全ての人間族は適職裁定を受ける事が普通になっていた。それは、伝統だからという事もあるが、一番大きな理由は、神の恩恵を得られるという事だろう。神の恩恵は、特殊能力のようなもので、メリルが先程使っていた魔法は、まさにその神の恩恵の一つだった。魔法以外にも、一定距離の高速移動を可能にする縮地といった魔力を使わないスキルのようなものもある。

 ちなみに縮地は、所有者こそ少ないが、日常生活、通勤通学、狩りや戦闘、どんな場面でも使い勝手がいい為、恩恵を受けられたら幸運だとされている。

 神の恩恵以外にも、どんな称号を持っているか確認することができる。

 称号は、恩恵と同じく神に与えられるものだが、大きな違いは二つ。

 一つは、取得方法だ。稀に生まれながらに称号持ちの人間(勇者や王族)もいるが、大抵は、行った行為や偉業に対して神から与えられる。例えば、魔王を討伐したものには、魔王殺しの称号が与えられるといった具合である。

 二つ目は、称号には効果があり、称号ごとの効果は称号を持っている人の意思に関わらず、自動的に発動してしまうというものである。例えば、ゴブリンを一定数討伐したものに与えられるゴブリン狩りの称号は、一定範囲のゴブリン属の生き物に対して、本能的な恐怖を感じさせるといった効果である。こんな話がある。ゴブリンを狩って生計を立てていた冒険者が、ゴブリン狩りの称号をを手に入れてしまい、ゴブリンの巣に近づくだけでゴブリンが逃げてしまうようになり、生活費を稼げなくなって転職したという。

 つまり称号は恩恵と違って、あるだけ得という事ではなく、手に入れた称号に振り回されることもあるという話らしい。

 話は戻るが、適職裁定は、神殿であればどこでも受ける事が出来る。よほどの理由や縁がない限りは、最寄りの神殿で済ませるのがこの世界の常識である。

 先程話に出た王都の大神殿は、この王国の全ての神殿の総括をしている。いわば神殿の元締めだ。

 そんな場所をわざわざ使うのは、警備が必要な王族や貴族くらいのものだろう。

 うちも確かに貴族だが、武勲により領地を貰った成り上がり貴族で、大神殿を使うような貴族とは、一線を画しているだろうに。

 おっと、いけない。この世界では、こういった差別意識は快く思われないんだった。

 王族や貴族といっても国の、人族の代表のようなもので良くRPGにある権威を振りかざす王侯貴族は、この世界には少ない。

 その理由は、この世界で最も大きな影響力を持っているのが、全神ゼルニス。調和を司る神だからだ。適職裁定の様に神の権能が、直接影響を与えているこの世界では、神は絶対の存在で、神の意に反する者は、圧倒的な力の差も理解出来ない愚者か悪神の信徒とされている。神が舞い降りたなどという話も、この世界では珍しくもなかった。

 まあ何はともあれ、この世界では神は絶対の存在である為、その中でも最も位の高い全神ゼルニスの司る調和を乱すような差別的発言や対応は好まれないのだった。

 まあもっとも差別的な発言や対応が全く無いわけでないが、そういった言動を指摘されるのは、大司祭や王族など、いわゆる高貴の出の者だけだ。

 一般の市民の間では、冠婚葬祭の場や適職裁定の様な堅苦しい儀式を除いて、友人との話や仕事中に度々、個人の思想が垣間見える瞬間は多々ある。

 そういう意味では、どれだけ神を信仰しているかにもよるが、差別に関する意識は日本より少し厳しい程度かもしれない。


 着替えを済ませて部屋を出た。

 部屋を出ると、メリルが窓辺の花瓶にさしてある花の配置を入れ替えてる最中だった。

 窓から差し込む光、大輪の花を鮮やかに咲かせている青い花瓶そしてその花に手を添える美女。

 とても美しかった。

 この瞬間を絵画にしたら、間違いなく著名な逸品になるだろう。

 もっぱら芸術のことなどは分からないが、とにかく美しいと感じた。

 メリルが振り返る。

「どうかされましたか?」

 ずっと見つめられている事に気づいていたのだろうか。

 彼女は俺が何か用があって見つめていたと思ったらしい。

「いや、用は特にないんだが…綺麗な花だなと思って。」

 メリルは一番仲のいいメイドだが、流石に見惚れてたなんて恥ずかしくて言えない。

 第一に気持ち悪いと思われたら普通に傷つく。

「そうですよね!イリアンナさんが持ってきてくれたんですよ。」

 メリルがかなり食いつき気味に会話を被せてきた。

 彼女はどうにも花が好きらしく、我が家に持ち込まれた花は彼女が水を替えたり手入れをしていた。

「へぇ〜イリアンナが…」

 僕は半目でメリルを見て、疑うような態度を取った。

 イリアンナとは、我が家であるアーク家に仕えている三人のメイドの一人で、ほとんど母親の専属のようなメイドだ。ほとんどというのもアーク家のメイドは、住み込みで働いてはもらっているものの、誰かの専属という概念は無い。

 そもそも決まった職務もないのだが、それぞれの得意不得意やメイドになった経緯等によって大体の役割は決まっていたりする。

 イリアンナは、長身で筋肉質なトラの獣人で、少し暗めな金髪に肉食獣特有の鋭い歯を持っている。元一級冒険者で腕が立つ為、遺跡の調査などを行う母親の護衛が主な仕事となっている。

 大酒飲みで豪快な性格の彼女が、一端の乙女の如く花を持って帰ってくるとは、にわかに信じられなかった。

「たまにはイリアンナさんにお礼でも言ってあげてくださいね。彼女、喜びますよ?」

 メリルが、どんなに疑っても事実は事実だと言わんばかりにイリアンナという名前の部分を強調しながら言った。

 あくびが込み上げてきた。

「ふぁ〜ぁ。はいはい。」

 あくびをした後、適当に返事をした。

 ダイニング、食事をする場所に向けて歩き出す。

 メリルは静かに後をついてきた。

「そういえば、今日はいつ王都に出発する予定なんだ?」

 出発前に、家の敷地内の森で生活しているコロンという名の友達に一日だけ家を空ける事を伝えておきたいなぁ等とぼんやりと考えながら後ろに付き従っているメイドに聞いてみた。

「本日の午後、昼食を取った後、小一時間ほど休憩を挟んだら出発いたします。」

 メリルが淡々と答えた。

 ダイニングが見えてくる。頑張れば十人くらいは座れるであろう横長のダイニングテーブルの上には、パンやサラダなどの食事が並べられているのが見えた。椅子はいつも7つ向かい合うように並べられている。

「午前中は森に行ってくるよ。ヒ・ト・リでね。昼食には帰ってくるから。」

 一人という単語を強調しながらもどこに行くか、いつ帰るかなどはなるべく伝えた。というかそうしなければ、この心配性のメイドは使える恩恵をフル活用して捜索しかねないと思ったからである。

 ダイニングに到着後、いつも座っている椅子に座る。いつも座っている指定席(当然しっかり決まっているわけではないが)は、左右に3つと4つに分けられた椅子のうち、4つ方、その中でも端っこの向かい側に椅子が置いておらず少し一人だけはみ出している所だった。

 俺の生まれたアーク家は、俺と両親と姉、メイドが三人の計七人で構成されている。

 アーク家は一応爵位こそ持っているものの平屋建てで、王都にほど近いとは言え、町はずれの魔獣の生息する森に隣接して建てられている。

 一応使用人用の専用の別邸のようなものがあるが、本邸の部屋にかなり空きがあるためあまり使われていなかった。

 そのような立地だけでなく、持っている爵位も血統によるものではなく父親の功績によるものなので、貴族間の知り合いがおらず、客人はほとんどなかった。

 この家では、メイドは家族のように扱われ、家にいれば一緒に食事をとるため、いつもテーブルに並べられている椅子は7つだった。

「そんなに頻繁に森に行かなくてもよろしいのではないですか?雑魚ばかりといえ、あの森は魔獣の巣窟。遅れをとることはないでしょうが、もし万が一にでもドライ様に何かあったらと思うと心配です。コロンがこの屋敷に来れば、メイドが対応いたしますので。」

 ほぼ毎日のように森に行っているのだが、メリルはいつも森に一人で行くのには反対する。

 コロンは、人見知りが激しく、寂しがり屋なので、メリルと一緒に行くとコロンのストレスになると以前にも伝えたんだが、「ドライ様が一人で行かれると心配で私の方のストレスが溜まってしまいます。」と言われてしまい、返答に困ったことがある。

 メリルは俺にグアコパという柑橘類のジュースが入ったコップを渡し、自分の椅子(ドライの椅子から二つ椅子を空けて三つ目の椅子。4つ席の端)に座った。

 間に二つ、空席を残しているということは、今日は家族が全員家にいるのだろうか。

 普段は、家族が全員いることがあまり無いので、メリルは間を空けずに俺の隣の椅子に座る。

「大丈夫だよ。ほぼ毎日行ってるし、人呼びも持っていくからさ。」

 いくつか種類のあるパンの中から、今日の気分にあったものを選びながら、答えた。

 人呼びとは、人呼びの笛と呼ばれる笛で、少しでも吹けば警笛のように大きなそれでいて高い音が、あたり一帯に響き渡る。いくら大きい音といっても笛なので、森の奥で吹けば普通の人には聞こえないが、メリルは俺が森にいる間は、誰かと話しているときを除いて常に神の恩恵である<聴力強化>を発動し、何かあればすぐに駆け付けることができるようにしている。

 どうしても一人で森に行きたい俺に対して、一人で森に行ってほしくないメリルが提案してきた折衷案である。

 余談ではあるが、メリルは<聴力強化>だけでなく、<視力強化>、<暗視>、<嗅覚強化><筋力上昇>など多くの身体強化に関する恩恵を持っている。

 朝、ドライの部屋で暗闇の中でも問題なく眼帯をつけることができていたのはその為だ。

 どの恩恵一つとっても冒険者であれば、相当に優遇される恩恵のオンパレードである。何故メイドなどしているのか。

 稀に生まれながらに<神の寵児>という、寵愛されている神に沿った恩恵を獲得しやすくなる称号持ちが存在するらしいが、メリルは身体能力の神にでも愛されているんだろうか。そんな神は聞いたことないが。

「いつも言っていますが、慣れて油断しているときほど足元をすくわれやすいものです。くれぐれもお気をつけて。本当に些細なことでも違和感があればすぐに笛を吹いてくださいね。」

 メリルはいつも油断は大敵だと警告してくれている。

 耳にタコができるくらい聞いた文言だが、心配してくれているのは伝わるのでいつもこのセリフを聞くたびに気を付けようと思える。

「ま~たやってるよ。相変わらずテメェは心配しすぎなんだよ。」

 声のする方を見ると、今まさに長身のトラ耳の女性がダイニングに入ってこようとしているところだった。

 先ほど話していたメイドの一人、イリアンナだった。

 到底動くのには向いてなさそうなメイド服を着ているが、声をかけられるまで足音一つ聞こえなかった。

 イリアンナは反対側の席だが、わざわざ俺の後ろに回り込んで、背後から腰を落として肩を組んできた。

「ドラ坊もいつまでも子供じゃねぇよなぁ?何なら明日には酒も飲めるようになんだろ?アタシの晩酌に付き合えよ~」

 肩を組んだまま、俺をグイっと自分の体の方に引き寄せ、胸を押し当ててくる。

 イリアンナの顔を見上げると、いたずらっぽくニヤッと笑っていた。

 本当に楽しみにしているのか、或いはからかっているだけのなのか、その両方か。

「ドラ坊って呼ぶのやめてくれよ。一番子ども扱いしてるじゃんか!」

 イリアンナを押しのけようとする。

「いいじゃねぇか!いい男ってのは細かいことは気にしないもんだぜ?」

 イリアンナはそういって、カッハッハと豪快に口をあけて笑いながら、さらに締め付けをきつくしてきた。

「イリアンナさん。奥様は?起こしに行ったのではなかったのですか?」

 明らかに先ほどよりも声の抑揚が無くなっている。

 ひどく事務的な口調でメリルが聞いた。明らかに機嫌が悪い。

 イリアンナが仕方ないなというような感じで俺を離した。

「起こしたにゃ~起こしたが、先に行ってろってさ。」

 イリアンナはそう答えながら、向かい側の端の席、俺に近い方の椅子に座った。

「そうですか。まあ奥様は、なんでもご自身でこなされますからね。」

 メリルは一人納得したようで、また食事をし始めた。

 イリアンナの朝食は、グルーピ(この世界のイノシシに近い大型の魔物)の燻製など肉を中心に選んでいた。

 俺が物心ついた時から、イリアンナはこの家に仕えていたが、野菜などを口にしているところは見たことがなかった。

 野菜は食べないのか聞いたこともあるが、「野菜を食べてるやつを私が喰う。野菜は美味くない。冒険中に食うものがなかったら仕方なく食べたりはするな。」みたいなことを言っていたのをなんとなく覚えている。曖昧な記憶だが、そんなような事を言っていた。

 皿に取り分けた朝食を再び口に運ぶ。

 イリアンナが、美味しそうにガツガツと肉をほおばっていたため、俺も食いたくなって肉ばかり自分の皿に盛っていたら、メリルに「ちゃんと野菜も食べてください。」と皿を取り上げられ、載せていた肉の倍の量の野菜を皿に載せられた。

 メリルは満足げに皿を返してきた。

「うげぇぇ。」

 それしか言葉が出てこなかった。正直こんなに食べられない。

 そんなメリルと俺の様子をイリアンナが楽しそうに眺めていた。

 話し声が聞こえてきた。先ほどのイリアンナとは違い、二人分の足音が聞こえる。

 一人の足音は甲高く、女性のヒールのような音だった。

 もう一つは、足音などまるで気にせず、ずかずかと歩いているような印象だった。

 おそらく父親であるイデアル・アークと、アーク家のメイド長のフィズだろう。

 話している内容は聞き耳を立てる気にもなれなかった。

 どうせしっかり者のフィズに大雑把な親父が小言を言われているのだろう。

 先ほど、メリルに小言を言われていた自分を思い出し遺伝かぁなんてのんきな事を考えたのも束の間、何故わざわざ王都で適職裁定の申請をしたのか問いたださねばと朝の出来事を思い出し、気持ちを引き締める。

 イデアルは俺の席から最も離れた対角線の位置にある椅子に座った。

 彼はその鍛え上げられた肉体に相応な量の朝食を、メイドのフィズに取り分けてもらっていた。

 親父に対して文句や不平不満を言いはするものの、フィズがメイドとしての職務をおろそかにするところは見たことがなかった。仕事は仕事と割り切っているのだろうか。

 父の世話を終えたフィズは自分の席である、俺の隣に座った。

 父の世話ならイリアンナの席の方が近いが、フィズはメリルが俺の世話を焼きすぎるのを防ぐ役割と、俺と姉の食事中の行儀を見る役割の二つをこなすため自然と俺と姉の間に座るようになった。

「それで?なんで俺の適職裁定が王都の大神殿なんて由緒正しい場所ですることになってるんだ?」

 親父の方に批判的な目を向けながら、話しかける。

 だが、視線を向けられた本人はまるで気にしている様子はなかった。

 親父が食べるのをやめてこちらを向く。

 その顔は至って笑顔だった。

「なんだ?今さらぁ。引きこもりの癖がでていきたくなくなっちまったか?」

 ガッハハなんて表現したくなるような豪快な笑いの後に父がそう言った。

「今日聞いたんだよ!?全くこれっぽちもそんな話聞いたことなかったんだがっ!」

 父の結構前から決まってたけどなと言わんばかりの反応に興奮気味に答えた。

「あとぉっ引きこもりじゃないからっ!」

 少しだけ間があいてしまったが、しっかりと引きこもり発言に関しても言葉を添えた。

 メリルやほかの家族に言われても気にしないが、親父にそう言われるとこれといった訳もなく、引きこもりであることを否定してしまった。

「つっても仕方ねぇだろ?もうとっくにそう決まってんだから。」

 そう言いながら適当にあしらっていた父親からスッと表情が消えた。

 話してる途中に何かに思い至ったようだった。

 親父が真剣な雰囲気のままこちらを向く。

 な、なんだよ…声には出さなかったが、そう言いたくなるほど、気まずい雰囲気を感じた。

「お前、もしかして…女の子と一緒に行く約束でもしたのか!?」

 父親はそう言った途端に破顔し、笑顔になった。

 高く何かが割れたような音が響いた。

「んな訳ねぇだろ!」

 テーブルに手をつき思わず立ち上がり、即座にそんな事は微塵も無いと訂正する。

 立ち上がった反動で食器類がカタカタと音を立てた。

 しかし、訂正した後も親父は愉快そうに笑っている。

「そうかそうかぁ〜。お前もそういう歳だもんなぁ。」

 訂正したにも関わらず、親父は独り合点し、ニヤニヤとしていた。鬱陶しいというかウザい。

 周りのメイド達に助けを求める。

 イリアンナは…駄目だ。親父に同調して実に楽しそうに笑ってる。

 フィズは…ガン無視で食事を続けている。

 目を瞑ってサラダを味わっていた。助けてくれそうにない。

 メリルは…。

「め、メリル?だ、だ、大丈夫?」

 メリルの纏う雰囲気に声がかすかに上擦りながらも何とか言葉にした。

 メリルの視点は食器を見ていた。故に立ち上がった俺からは顔も見えなかったが、殺気のようなものを感じた。

 明らかに様子がおかしい。

 視点は手元の食器をずっと見つめているが、そもそもその食器もメリルが手にしていたナイフによって野菜ごと砕かれていた。

 先ほど立ち上がった際にした何かが割れた音の原因はメリルだったようだ。

 しかしメリルは皿を片付けようともしない。全く微動だにしない。

 かすかに間があってメリルが顔を上げた。

 表情はいつもメリルが浮かべている優しそうな笑みだった。

「あっすいません!お皿割っちゃいましたぁ。いまっ片付けますねっ!」

 メリルは、いけないいけないと呟きながら割れた皿をそばにあったナフキンで包み、片付けに行った。

 雰囲気はすっかりいつものメリルに戻っている。

 さっきの雰囲気との変わりように呆気に取られながらも、ゆっくりと腰を下ろした。

 親父とイリアンナは何事も無かったかのように黙々と食べていた。

 フィズは先程と変わらず、食事を取ってはいるが、やれやれと言った雰囲気で、軽くため息をもらしていた。

 戻ってきたメリルも何事もなかったように食事を再開していた為、俺もそれ以上言及することは無く適職裁定の件はうやむやになってしまった。

 しばらく食事をしていると先にメリル、フィズが食事を終え、空になったものなどを片付け始めた。

 他三人も食事が終わり、俺と親父は食後に黒雨と呼ばれるこの世界のコーヒーを飲んでいた。

 作り方もコーヒーと同じで、かすかに焦げたような肺いっぱいに吸い込みたくなるような炭焼きの香りと苦みの中にかすかな酸味を感じさせるシティローストのような味わいが特徴的だった。前世の記憶の中に残るコーヒーと同じく、くつろぐには最適な飲み物だった。

 そんな朝の優雅なひと時は、騒がしい足音と共に終わりを告げた。

 かなり焦っているようだ。

「弟君まだいる!?」

 そういいながら、ダイニングへ駆けてきたのは姉のマリ・アークだった。

 マリ姉さんは、ハーフエルフである母親、セラフィム・アークに流れるエルフ族の血を色濃く継いだ為、長い耳、膨大な魔力量など生まれ持った特色は、エルフ族のそれである。

 本来であれば、ハーフエルフでさえ、エルフの特徴は部分的にしか遺伝しないのだが、姉はエルフ族といっても疑われないほどエルフの特色を引き継いでいるため、レアケースだった。

 俺も姉と同じくかすかにエルフ族の血が流れているはずなのだが、全くもって遺伝しなかった。

「どうしたの?マリ姉。そんなに慌てて...」

 手に持っていたコーヒーを置き、姉さんの方に顔を向ける。

「ふうぅ。よかったぁ。まだいた~。」

 マリ姉はそう言うと少し呼吸を整えながら近づいてきた。

「ぎゅ~。弟成分補給~。」

 マリ姉が謎の単語を発しながら抱き着いてきた。

 俺の匂いを嗅ぎながら深呼吸している。普段は、ギルド学校での成績もそこそこ優秀で美人で優しく自慢の姉なのだが、所謂ブラコンのため、三日間学校の行事で顔を合せなかっただけでこの有様だ。

「マリ姉、ちょっと苦しいかも?」

 もちろん嘘だ。

「あっごめんね!三日ぶりだからつい。」

 マリ姉はそういうと少し申し訳なさそうに離れた。

「マリ様。その恰好は何ですか?いくら三日ぶりだからといっても、淑女がそんなぼさぼさの髪で家の中を駆けまわっていい理由にはなりませんよ?」

 見かねたフィズが、マリ姉をすっと見つめた。

 フィズの表情は怒っているようなものではなく、無表情に近いものだったが、それがかえって怖かった。

「うげっ。フィズさん居たんだ。お、おはようございます!」

 マリ姉の顔がかすかにひきつった。どうやら周りが見えていなかったらしい。

「おはようございます。うげっなんて言葉遣いはやめていただけると、私として大変ありがたいのですが?」

 フィズがマリ姉を一瞥すると、マリ姉はすぐに目を逸らしてその後目を合わせようともしなかった。

「き、気を付けまぁ~す。」

 マリ姉は視線を明後日の方向に向けながらそう答えた。

 マリ姉はぼさぼさの髪を手櫛で直そうとして諦めたらしい。マリ姉は今来たばかりだったが、髪を整えるため一時的に自室に戻っていった。

 マリ姉がフィズと会話をしている時、明らかな動揺が見て取れた。無理もない。マリ姉も俺もフィズのことは嫌いではないが、昔から俺たちを叱るのは教育係のフィズの役目だった為、本能的に身構えてしまうのだ。フィズが教育係だったのには、いくつか理由がある。アーク家の人達は僕を含めて比較的おおらかというか大雑把な人が多い為、フィズはその中では比較的細かいことにもよく気が付く方で常識があること。さらに母親と同じハーフエルフで、精霊術や魔法にも造詣が深いこと。などの理由から変わり者だらけのアーク家において教育係を任せられるのにこれ以上の適任はいなかった。

「さてと、、」

 そういいながら椅子から立ち上がる。

 マリ姉が戻ってくると小一時間くらい拘束されそうな雰囲気を感じた為、その前に早々に立ち去ろう。

 マリ姉は優しくしてくれるし好きだけど、今はいち早くコロンに会いたい。

「俺は森に行ってくるよ。王都に出かける前には戻るから心配無用ってことで。」

 主にメリルの顔を見ながら言った。

 彼女は人呼びの笛を持っていくことで一応納得してくれたのか、フィズと共に「いってらっしゃいませ」と礼儀的に述べただけだった。

 二人の言葉はきれいに重なっていた。息ぴったりだった。

 こういう時、メイド間の仲も良いのかなと感じる。

「だれが心配なんてするかっての。むしろうちの森にいる程度の魔物にやられたらがっちり鍛えなおしてやる。」

 親父はコーヒーを片手に、フィズが持ってきた書類に目を通していた。

「親父には聞いてない。」

 この父親だったら騎士団の部下にやっているように本気で特訓してくるだろうが、ぜひともお断りしたい。

「何ぃ~。もう行っちゃうの?」

 声をした方を見ると、そこにはマリ姉とそっくりの、しかしマリ姉より落ち着いた雰囲気の大人びた女性が立っていた。

 母親のセラフィム・アークだった。

 一瞬もうマリ姉が戻ってきたのかと思った。

 ハーフエルフである母は、かなり若く見える。知らない者からしたらマリ姉と姉妹と言われても信じてしまうほどだった。

「ドライもマリもせわしないわね。」

 母はここに来るまでに部屋に戻るマリ姉を見たのだろう。

「いってきやす。」

 これ以上足止めされてたまるかという思いで手短に言った。

 母は細かいことは気にしない。本人も思いつきや衝動で突然フィールドワークに行くこともあるので行き先などは気にしないだろう。

「はいはい。いってらっしゃい。」

 母は眠そうにあくびをしながら、手をひらひらとふっていた。

 玄関を出ると、やや強い風が体の周りを吹き抜けた。

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弱虫放浪記 彼岸ノさんか @higan-no-sanka

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