第11話 浄化(一)

 部屋に入ったのは三人、それぞれ剣や棍棒などが手にある。そして間口から見える限り廊下に数人。獰猛な目つきをした者たちは、警戒と怒りを露わに、二人を囲むように陣取った。

 双方相手の出方を窺ったまま固まり、呼吸すら聞こえない。

 そのまま数十秒はあったか。不意に衣擦れの音が空気を揺らし、カエルムの前にいた男が踏み込んだ。

「遅い」

 襲い掛かった男の視界からカエルムが消え、予想外の影が目の前に現れる。男がそれに気を取られた一瞬の隙に、手にしていた棍棒が打たれて持ち主の顔面を叩いた。

「今のは私が相手をしても良かったが」

「やらせてばかりとはいきませんよ。姫様や大臣じーさんに殺されるのは御免です」

 この緊迫した場には似合わない軽口であるが、それは卒倒した仲間を見て起こったどよめきにかき消された。

「薬……? だとしても衝撃はかなりのはずだ。なぜそんなに動ける」

「包丁握ったこともない男どもの食事の不味さの方が死ぬかと思うぞ」

 カエルムの盾になるよう姿勢を改めながらロスが真顔で返した。

「そんなに酷いのか、近衛うちの団員」

「まあ新人の一部ですが。料理長を失神させるくらいには」

「遠方巡察は自炊だし、料理教室でも開くか……」

 自分たちをまるで相手にしていない会話に、対峙した輩の中に動揺が生じた。しかし、そのうち痺れを切らした一人が「片付けろ」と怒声を発し、他の者たちの静止が解かれる。倒すならロスより容易と思われたのか、最も近くにいた男が横からカエルムに襲い掛かり、別の一人がそれに倣った。剣と槍の切っ先がカエルムの眼前に迫り、いまにも顔を突く——勝ちを確信して男たちが笑んだ時である。

 軽く床を打つ靴音が一回。男の視界からカエルムが消えた。標的を失い目を見張った刹那、足を掬われ横転する。即座に立ち上がったカエルムは次の相手も横跳びで躱すと、振り向きざまに男の背中に一撃をくらわした。よろけた男がすんでのところで踏みとどまったと思ったのも束の間、脇にロスの蹴りが入ってそのまま一人目に重なって倒れ込む。

 部屋で動ける範囲には限界がある。いくら人数が多かろうと、調度品が邪魔して一度に二人へ攻撃をしかけるのは実質不可能だ。しかも相手方の意気はカエルムとロスほど合ってはいない。連携のない攻撃が続いたところで無効化するのは雑作もない。

「しかしこの部屋では剣が抜けないな。二人だと」

 カエルムとロスが二人同時に至近距離で抜剣しては危険だ。互いに長剣を当てることなく、なおかつ敵方は気絶させるのみとなると、有利どころか動きが制限されてしまう。

「とはいえさすがに長時間は相手したくない、ですしね」

 薬のおかげで体も動くが、妙な頭の冴え方と四肢の違和感は拭えない。ロスは重さを感じ始めた膝で椅子を蹴倒し、近づいていた小男の足を惑わせる。その上体が傾いだところへカエルムが移動し、すぐさま首筋に手刀を入れた。

 五人目が床に臥したところで、カエルムとロスは間口から新たに入った残党を同時に睨んだ。立て続けに仲間が気絶したのを目の当たりにし、残った者たちが息を呑んで立ち竦む。

 どちらも動こうとはせず、無音が空間を支配する。だがややもして、パサリ、と軽い音が静寂を破り、男たちの後ろで人影が動いた。

「ロス」

 カエルムが囁く。

「私がいなくなれば、剣が使えるな?」

 入口付近の床に小さな紙袋をみとめ、カエルムは男たちの間を抜ける道筋を探った。

「まあ、そうですね」

「命は取るな。その前提で、一人なら何分かかる」

 動いた人影にはロスも気づいた。カエルムの意図は説明されずともわかる。

 もう廊下の先に新参者はない。残ったのは五人。調度品が足場を占める状況で、一度に襲ってくる可能性はほぼ無い。だとすれば相手をするのはせいぜい二人ずつ。

「三分、と言いたいところですが、五分欲しいですかね」

十分じゅうぶんだ」

 シレア城下の時計の音は、どんなところにいても確実に耳に届く。事を成すための合図として、自らを導く標として、唯一かつ絶対。それがシレアに平和をもたらす。

 この屋敷に入る前に時計台の鐘が鳴った。体が記憶する感覚からすると、次の時報まで恐らく小半時もない。だが、それだけあれば足りる。確実に制するべきを制し、守りたいものを守るには。

 カエルムの顔に自信に満ちた笑みが浮かぶ。

「ここを片付けたら自警団と役人を連れてきてくれ。ただし、入るな」

「ここを出てって……じゃあ殿下は」

「ロス」

 まださらに大きな問題が奥にあるのは容易に予想できる。当然、この場を片付けたらロスも加勢に行くものだと思ったが、それを一人だけで全て処理しようというのか。

 驚愕のあまり、ロスは敵方からカエルムの方へ顔を回したが、出会ったのは常の穏やかさを露ほども交えない、強い力を湛えた蘇芳色の瞳である。

「命令だ」

 この言葉を主人が発したことは、これまで数えるほどしかない。

 そしてそれを言われたらもう、他に選択肢がない。

「反則じゃないですかそれ……ったく、わかりましたよ」

 渋々の了承に返ってきたのは、今度は爽やかな笑い混じりの声である。

「助かる。それではロス」

 再び正面に向き直り、標的に焦点を定める。

「あとよろしく」

 端正な顔に実に美麗な笑みを浮かべると、一瞬あとにはカエルムが剣を抜いて前に跳んだ。突然の動きに男たちも撃たれたように跳び出し、それぞれ得物を振り上げる。しかしカエルムはそれらが降ろされる前に中央の二人の間をすり抜け、剣を後方へ振って追撃を封じた。男たちは反射的に飛び退すさるが、体勢を立て直して振り返った時にはすでに狙った相手の姿がそこにない。

 代わりに抜き身の剣を手にしたロスがいまの短い間で回り込み、入り口を塞いでいた。

「一人の動きに固執しない方がいい」

 背後で靴音が小さくなっていく。屋敷は存外広いらしい。そんなことを思いながら視界を確認し、ロスは落ちたはずの小袋が消えているのに気がついた。

「兄さん、毒がぶり返すまでそうないぞ。大人しく今逃げた奴を我々に始末させるか、悪あがきして両方とも命を無駄にするか」

「その要求は聞けないな。あの人の無茶は大抵、遂行させないとまずいんで」

 自分の主人の行動には毎回、何かひとこと言いたくなるのは事実である。

 しかしカエルムの無茶には必ず、重要な理由があるのも事実だ。今回この地へ二人だけで来たように。

「ついでに言うと、無茶に見えて無茶じゃなくなってるところが怖いんですけれどねぇ殿下」

 先ほどの申し分ない良い表情を思い出し、つい苦笑まじりに愚痴る。本人がいないところで言っても仕方ないが、本人相手に言っても仕方ないのだから大差あるまい。

 そんな心境が分かるはずもなく、ロスの笑いは自分たちを嗤ったとでも思ったのか、四人の中でも頭ひとつ高い大男がいきりたつ。野蛮な掛け声と共に、正面と右手の二人の剣先がロスの胴へ迫った。その一方を上から叩き、真横に来た相手の後頭部に肘を入れるや、身を返した流れでもう一方の剣を払う。圧に耐えられず手から放れた剣が、後方に控えた大男の肩を掠めて床に刺さった。

「この程度なら五分も要らないか?」

 時計台が鳴るまで入るな、と言った——何となく嫌な予想はつくが、何を思いついたのだか。

 いずれにせよ、薬が切れてきているのも残念ながらもう一つの事実だ。

「狭い部屋で多勢は避けるんだな。一人減れば有利になると思うな」

 残り三人。うち一人にもう剣はない。さっさと済ませたい。

 それに、主の命令は絶対だ。

 男たちが怯んだ刹那、ロスの長身が相手の至近距離に迫った。










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