第10話 密話(三)

「残念。一人残っちゃった」

 言葉と裏腹の愉快そうな声が陶器の落ちた残響に割って入った。

「ま、いっか。話の様子だとお兄さんの方がご主人? 護衛がいなくなっちゃったねぇ」

 戸口に現れた女は、身を崩したロスとカエルムを交互に見てにっと笑う。カエルムがロスに駆け寄ろうとすると、女は瞬時にロスの真後ろに身を寄せ、カエルムをその場に止まらせた。

 何を隠し持っているか分からない。挙動次第ではロスの身が危ない。

「月華草種子の許可なき乾燥及び水溶は不法だが」

「あらお兄さん、薬学にも詳しい? コレ乾かすのってかなり手間ね」

 花茶に混じった刺激臭は月華草、それも乾燥種子のものだ。乾燥種子の粉末が水に溶けると毒性を持ち、体内に入れば意識昏迷や精神異常を起こす。生花なら鎮痛に効くが、この特性があるからこそ扱いに制限がかけられているのだ。

「生花からの製造か」

「勉強家ね。そういう人、うちにも欲しいわ」

「どこで仕入れた」

 低く問われても、女はむしろそれを面白がって手にした袋を揺らしてみせた。

「いいよね欲深いやつは扱いやすくて。雪見花茶を安くやるって言ったらすんなり交換してくれちゃってさぁ。なぁんか工房とか? 聞き回ってるのがいるって、うちのがね」

 その言葉を待っていたのか、体格のいい男が二人、女の背後の廊下から現れると、うち一人が部屋に踏み入り女と位置を変えた。

「どこの誰か知らんが嗅ぎ回られても不都合なんでね。まぁこいつの効果を試すにもちょうどいいし」

「どうせなら見目麗しいお兄さんの苦しむ顔も見たかったなぁ」

 心底悔しいと女が口を尖らせる。

 その時、ロスの頭がわずかに振れた——月華草服毒直後の刺激は強烈だが、昏睡に至る量ではなかったか。

 しかし覚醒には少し時間がいる。ロスさえ解放すれば、調度品を使って多勢に応戦できるだろうが、ここから近づくには卓が邪魔だ。男の手に得物は見えないが、隠し持っている可能性は高い。

 視線だけ動かし目に入るのは、上着掛けと空の椅子、盆を載せた台か。

 もう一人も室内に足を踏み入れ、女と男の間に陣取る。その手に小刀を認め、カエルムの右手が柄に伸びた。

「兄さん、やめとけ」

 ロスの後ろに立った男が威圧的に睨む。控えた相方から小刀を受け取り、「手下がどうなっても?」とロスの方に向けた。

 睨み据える蘇芳の双眸に剣呑な光が走る。だが男はそれに気づかず、優越感に浸って続けた。

「下の者を見捨てようってんじゃなきゃ下手な手を出すなよ。ま、護衛もこの程度だし、兄さんみたいな優男風情に噛みつかれたところでたかが知れてるが」

「……手でなければいいんだろう」

 嘲笑を浮かべていた者たちの顔が、背筋の凍るような声に固まった。だがそれも一呼吸の間ですらなかった。ロスについていた男の大柄な図体が鈍い音と共に倒れたのである。

「私をどう言おうが構わないが、一つ正しておきたい」

 丈の高い上着掛けを蹴り倒したカエルムは、調度品に強打され気を失った男に冷たい一瞥を投げると、軽々と卓を超えてロスの脇についた。

「位階はどうあれ、彼を『護衛』だとも、私より『下の者』とも思ったことはない。友人に対する侮辱は撤回してもらおうか」

 唖然としていたもう一人の男が、カエルムが目の前に来た反応で拳を上げる。しかし振り下ろされた手首は止められ、代わりに鋭い手刀が男の急所を打った。

 カエルムの斜め後ろでロスの吐息が聞こえた。眼前に残る女を見据えたまま、カエルムは懐から小袋を取り出し後ろ手でロスに渡す。

「二粒、噛んで飲み込め」

「これ……は」

「多少の薬は持ち歩いていると言ったろう。即効性はある」

 薬とは耐毒そちらか、とロスはまだ茫とする頭で納得した。袋に入れた指に硬い感触がある。指示通り二つを含み、奥歯で噛んだ。

 燻った種実のような癖のある苦味が口の中に広がり、割れた外皮から液が出る。途端、強烈な甘味が神経を刺激し、鈍っていた感覚が先鋭化する。

「すみません。油断しました」

「詫びはいらない。それに効果は一時的だ」

 恐らくカエルムには先の二人を気絶させる腕などないと思われていたのだろう。ロスが立ち上がるまで僅かの間、対峙した女は短刀を手に微動だにできずにいた。しかし怯えの見えた女の顔に再び余裕が戻る。

「てことは、可及的速やかに片づけると」

「そういうことだ」

 屋敷の広さを考えても三人だけのはずはない。その予想通り、新たな数人が女の背後に並んだ。




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