第9話 密話(二)

 市が開かれる広場に面して、件の茶屋があった。扉には薬草を模した飾りが紐で垂れ下がり、それを引くと頭上で鈴が鳴る。「開いてますよ」という返答を受け、カエルムは古びた銅の取手を回した。

 店内は薄暗く、明るい戸外から入ると明暗の差で瞬間的に視力が奪われる。段々と慣れてきた目で奥を見れば、壁がびっしりと棚で埋まっていた。

「旅の方ですか。何をお求めですか」

 棚の前には中肉中背の男性が立っていた。髪には白いものが混じっている。

「ここは薬茶くすりちゃも扱うのでしょうか」

 カエルムは天井まである棚を見上げる。棚は医療薬の整理用と同じあつらえで、茶屋と薬局を兼ねる店によくある類だ。すると主人は、ははあ、と棚の上段に手をかけた。

「ええ。処方箋か診断書を。無ければ症状をお聞かせください」

「失礼。薬ではなく、ここで雪見花茶を安値で扱っていると聞きましたので」

「ああ、あなた方も」

 同じような客が多いのだろう。主人はまた来たなと満足げな笑みを浮かべ、カエルムとロスを手招きした。

 近づいてみると、棚の前の長机上には大きな飾り箱がある。

「沢山入りましたからね。今なら普通よりお得ですよ。どれほど必要ですか」

 主人は上機嫌で箱を軽く叩いた。

「いえ、申し訳ないが購入ではなく、どこからそんなに大量の雪見花が手に入ったのかと思いまして。シューザリーン界隈でしか栽培が難しいでしょうに」

「随分とお詳しいですね?」

 不信感が主人の顔に現れる。カエルムが口を開きかけたが、即座にロスが割って入った。

「単なる知的好奇心ですよ。無類の茶好きですから。本を読んだくらいですがね」

 そもそもカエルムは目立つ。会話を続けて普通の客以上に印象に残ってはまずい。

「ところでこれはご主人がシューザリーンまで買いに? 他にも普段はない種類とか」

「いいえ。行商からたまたま買っただけですから。そんなに茶に興味がおありなら是非うちの……」

「雪見花を売ったのはあたしですよ」

 背後からの声に振り返ると、戸口に女性が立っていた。中年と言うにはまだ若い。戸に寄りかかったままカエルムとロスを視線で舐めるように検分すると、二人の腰にある剣に目を止める。

「お兄さん方、旅の人ね。茶葉に興味があるならここにない種類も見せてあげるわよ」

 女性はつかつかと二人に詰め寄り、上目遣いに見上げた。瞳の形や声音が猫を思わせる人物だ。

「なんなら雪見花の最上級品もあるよ? 王都からなかなか出ないってさ」

「シューザリーンから?」

 そんなものが果たしてあるのか。カエルムとロスが訝しんだのを見るや、女はにんまりと唇を引く。そして「客を取る気か」と言いたそうな店主に険のある一瞥を与えると、二人を店の外へいざなった。

 異を唱える間もなかった。それにカエルムも、まだ王都と地方の商取引品目について細目まで記憶してはいない。何らかの手がかりになるのか。

 互いに顔を見合わせ、二人は女の後を追った。


 *


 向かったのは市街のはずれにある住宅街だった。シレア西部の村の出だという女は、各地の特産品の行商で身を立てており、この街では知り合いの家に間借りしていると言う。

「お兄さん方、結構なモノ持ってるからちょっと高値でも買えるんじゃない? でも買取量や宣伝してくれるっていうならおまけしちゃうわよ」

 勝手知ったる様子で裏道を行く間、女は二人の衣服や持ち物をじろじろと眺める。どことなく居心地が悪くなるが、二人の携えている剣の質が分かる者なら当然の反応で、特に行商人なら鞘だけ見てもそれなりの品だと知れよう。

 カエルムとロスが極力発言を控えているのとは対照的に、女は商人らしく今季の仕入れの状況や売れ筋の品などについてペラペラとよく喋った。そうこうしているうちに一同は住宅街の奥まった一帯に至り、他の住居からやや離れて立つ一軒家の前で足を止めると、女は居住者を呼びもせず二人を家の中へ入れた。

 通された部屋は広く、布張りの低い椅子と卓を置いてなお間があり、椅子のそばには楓材の上質な上着かけまで立っていた。一般庶民の客間としては豪勢で、この家の格の高さが窺い知れる。

 女は二人を座らせるとすぐに廊下に消え、ややもして甘い芳香をさせる茶器を盆に載せて戻ってきた。

「少し距離があったでしょ。お疲れ様ってことで、どうぞ。貴重種の雪見花茶」

 そう言って二人の前に茶器を置くと、

「ちょっと待ってて。ここじゃまだ売ってない品物持ってくるからさ」

 と再び部屋から出ていった。

 碗から湯気が立ち上り、柑橘系の香りの混ざる茶の芳香が部屋に満ちる。王城に持ち込まれる新茶と比べても遜色ない、最上級の雪見花茶の香だ。

「鋼の情報もありませんでしたし、ここもハズレですかね」

 廊下近くに座ったロスが部屋の中を見回しながら呟いた。別段、変わったものも見当たらず、人の気配もない。

「まだ何とも言えないな。彼女が持ってくるという品で鍵になるものがあるといいが」

「茶器も司祭領の伝統工芸か。癖はありそうですが、商魂逞しそうな普通の商人っぽかったですしね。この茶も城に入ってくる一級品と同じ香りですし」

 まだ熱い持ち手に指をかけ、ロスはしげしげと意匠を眺めながら碗を持ち上げる。精緻な紅葉と秋の花の絵は、飲む者の視覚も楽しませるだろう。

 見事な匠の技ではあるが、カエルムには何か引っかかるところがあった。茶器はまだ触れると熱い。受け皿と共に持ち上げ、揺蕩たゆたう赤褐色の液を見つめる。立ち昇った湯気が鼻先をくすぐった。

 木枯らしが硝子の窓を震わせる。そんな外の寒さを忘れさせる器の熱。

 甘い香りの中に微かに混じる、鼻腔を突くような独特の刺激。

 途端、記憶が鮮明に蘇る。

「口をつけるなっ!」

 そのカエルムの叫びと、ロスの手が茶器ごと卓上に落ちる音が重なった。





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