第8話 密話(一)

 話に聞いた茶屋は飲食店街から一本向こうの通りである。食堂から出てくる人々を躱しながら早足で進み、地図を確かめて右へ折れた。

 狭い横道なら人の目もない。角を曲がり切って小走りになろうとした時、前を歩いていたロスが「あれ」と足を止めた。

「グラカリスィタ嬢」

 通りの向こうから来るのは、丈の長い茜色の巫女服を着た女性だった。灰青色の長い髪を部分的に結い上げ、後れ毛も組紐で簡単にまとめている。

「まさかここで会うとは。奇遇というか」

 ロスの後ろから顔を出したカエルムの声音にも驚きが表れる。司祭領中心都市の精霊殿仕えの巫女が辺境にいるとは思わなかったらしい。

 しかし二人とは逆に、巫女は穏やかに微笑んだだけである。

「そういえばプラエフェット卿から内々に、お二人がこちらへ視察と伺いましたね」

「ああ、借りてる家はグラカリスィタ家のでしたっけ」

「その件では御当主にも御礼を。だが、そちらはなぜ辺境に?」

「あら」

 先の娘たちとは対照的に、王族を前にしても巫女の態度は落ち着き払ったものだ。即答はせず、翡翠の目を細めて微笑すら浮かべる。

「話したら何かしてくださるのかしら?」

「そちらの情報によっては」

 ロスが巫女を嗜めるより前にカエルムも微笑み返す。普通なら臆してしまいそうな雰囲気だが、巫女はつまらないわね、と試すようなそぶりをあっさり解いた。

「ちょっとくらいたじろいだら面白いのに。こちらは月華草の調達に」

「鎮痛剤の?」

 巫女が頷く。司祭領の巫女は薬学を身につけた医療従事者であり、精霊殿の仕事の他は療養院や病院で治療にも当たっている。

 月華草は広く使われる抗生鎮痛剤だが、なぜ巫女自らこんな街へ、とロスが問うと、巫女は持っていた布袋を示してみせた。

「司祭領地で月華草が栽培できるのはこの辺りだけなの。鎮痛効果には生花がいるからたまに買い付けに」

「ああ、確かに巫女か医師でないと手に入らないな」

 二人の会話を聞いてもロスにはいまいち解らなかったが、薬の中には確かに医療従事者の許可無しに売買できない類があった。その辺りだろう。

「でも風邪でも流行してるのか、少量しか買えなかったのよね——役に立つ情報になりますかしら?」

「今は何とも言えないが……もしかしたら」

「それじゃあ」

 少し紅を差した唇が控えめに弧を作る。

「一つ、貸しですわね」

 野花を思わせる笑顔でくすりと笑うとその直後、巫女の瞳がすぅ、と細くなった。

「それで、本当のところお二人の用向きは?」

 どう返答すべきか。ロスが口をつぐみ、カエルムを窺う。

「——視察のほか、特には」

 蘇芳の目が視線を揺らした気がした。だが問いかける間もなく、すぐに常のカエルムに戻る。見間違いか。

「それより精霊殿まで気をつけて。距離があるからもう出た方がいいのでは」

「御心遣い恐れ入ります。それでは失礼致しますわ」

 巫女は礼と共に辞を述べると、カエルムに道を譲られ、会釈をして進み出る。

「——ロス」

 そのまま向こうに抜けると思われた巫女は、すれ違いざま意味深に囁いた。突然名を呼ばれてロスが不覚にも身を固くしたのを面白そうに見やり、

「くれぐれも、殿下が無茶をなさらないように」

 と美しく微笑んでひと言、足音少なく二人の側を離れていく。

 巫女の姿が見えなくなったところで、ロスは脱力した。

「薬草ですか。殿下はあまり関係ないですかね」

「万が一に多少の薬は持ち歩いているが」

 自分で尋ねておきながら、ロスはカエルムの返答をうわの空で聞いていた。

「あの人、何でしょうね」

 王子相手にとは、高位巫女は流石というべきなのか。いや、それとは別に、どうも伏せ事をして話しているように見える、とカエルムに訴える。

「なんか腹に一物抱えていそうな……」

「それは面白いな」

 そう言って破顔すると、カエルムは爽快に笑いながら道の先に踏み出す。笑う話かと喉まで出かけた突っ込みを抑え、ロスは黙って主の後を追った。


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