第6話 探査(二)

 狭い街だ。地面を鮮やかに彩る枯れ葉を踏みながら住宅街の道を進んだのはほんのわずか。すぐに街の中心が見えてくる。

「それで、叔父によれば鋼の類が国外に出た形跡はまだない、ということですね」

 国境では手荷物調査があり、商人なら輸出品目の申告が義務である。役人に調べさせたところ一度に大量の持ち出しはなく、個人単位の荷物を合算してもそれらしい報告は無かった。一方、度重なる買付けがこの街からであるのは、シューザリーンで鋼を扱う業者の輸送先記録から確実だ。

 並木沿いの花壇から栗鼠が飛び出し、二人の前を横切っていく。この長閑のどかさと血生臭い話はどうも結びつかない。実際、今から行こうとしている武具工房も限られた数だ。

「注文元は個人名だが、住民台帳にはない名前だ。旅人でないなら偽名だろう。しかし鋼を外に出さずに加工するなら溶鉱炉が必要だ」 

 道で遊んでいた小鳥が二人の足音に飛び立っていった。それを見送りながらカエルムが呟く。この街で炉の設置が認可されているのは武具工房しかない。

「情報収集しようにも、役人なら尋ねてきただけで警戒するだろう。幸い、私と妹の顔は王都以外ならそこまで知られてはいないから」

「あー……何で着替えてんのかと思いましたが、それですか」

 先ほどからのロスの疑問が氷解した。羽織だけでなく中に着ていたシャツまで脱ぎ替えて何してるのかと思ったが、確かに今朝着ていたものには紅と金の糸で王族を示す紅葉の紋章が縫い取られていた。関所などを面倒なく通るにはあの印が必要だ。

 カエルムは市井の若者らしく首元のボタンを一つ外し、綿地の袖を少し折る。

「そういうことだ。この格好なら世間話もしやすいだろう」

「……もう何も言いませんよ」

 本人はこれなら目立たないと思っているようだが、一番の問題はその整った容姿と雰囲気である。この主人ときたらやや離れて見ても一目で分かるほどの端正な顔立ちで、何もしなくても人目を引くのだ。それだけならまだいいが、天性の柔らかな物腰と洗練された立居振る舞いのせいで、道を歩けば一言でも言葉を交わしたいと寄ってくる者が絶えない。特に女性が。

 しかもいまや少し砕けた格好になったせいで王族という身分の高さが薄れ、適度に遊んでいて話しかけやすいお兄さん風情だ。これではむしろ逆効果ではないか。

 振り向く女性はもう仕方ない。ロスは諦めの境地に至り、黙って主人に従った。


 *


 辺境とはいえ旅人が往来する街である。昼過ぎともなれば繁華街は賑わい始め、石畳の道は飲食店を訪れる人々がひっきりなしに行き交う。外に並んだ客を呼ぶ店員の声や歓談に興じる笑い声で、朝には無かったざわめきが市街に満ちていく。

 市街の中心近く、比較的客入りの多い店の隅に、周りの喧騒とは対照的に神妙な面持ちで地図を睨んでいる二人連れがあった。

「収穫なし、でしたね」

 ロスは地図上に十字の印をつける。武具を扱う工房の一つだ。他にも二つ、同じ印が記された箇所があった。

 カエルムは杯を取り上げ、地図を睨みながらそれを口に運ぶ。照明を受けた水の影が地図の上で揺れた。

「鋳造の委託や鋼の買取りもない、か」

「嘘をついているようでもなさそうでしたね」

 新しい剣を売ってはいないか、鋳造に使う鋼は何かなど、三つの工房で探りを入れてみたが、どこも王都北の雪峰山脈から産出される鋼は扱ったことがないという。雪峰山脈の鋼は上質なだけに扱いが難しい。設備に乏しい辺境の工房が依頼を受ける機会はほぼ無いだろう。

「虚偽の可能性は無視できないが、本当ならば鋼はまだ買った個人の元に留まっているか、あるいは組織的に何か起こそうとするなら」

 鋼の注文主名は複数あった。こうした地方都市では、遠方から送られる個人宛の大型郵送物の多くが集積所に預けられ、本人が引取りに来る仕組みになっている。偽名でも注文時の控えと照合できれば簡単に受け渡しできてしまう。

「別々の名前の注文主が実は同一人物か、注文者が結託しているかですね。この街の狭さなら住民の顔なんて覚えられていそうですけれど」

「住人が集荷所に取りに行ったところで、よそからの親戚や知人がその家に滞在していることにしてしまえばいい」

 旅行者が滞在先に荷物を送り、宿貸ししている者が受取りに行くのは珍しくない。

 本件が杞憂であればいいのだが、そう思える十分な情報もなしに帰ることもできない。次の一手をどうするか。二人は広げた地図を無為に見つめる。

 すると、ふとカエルムが顔を上げた。その動きにロスが気づくと、高い声と共に隣の卓の椅子が小気味良い音を立てて引かれる。

「昨日、いつものお茶が切れて買いに行ったらね、すごいの見つけちゃって!」

「何それ? 輸入のお茶とか?」

 若い娘二人である。今季流行の服と髪型で、学生か働きはじめくらいの世代だろう。椅子に無造作に座ると、初めに話した方が給仕への注文すら適当に済ませ、夢中になって続ける。

「シューザリーンの雪見花茶よ。こっちでは入ってきても高いじゃない? なのにそれが安くって」

「えぇー? 混ぜ物とか入ってるんじゃないの?」

 雪見花の茶は肌質や冷え症改善の効果があるため女性に人気が高い。ただしシューザリーン界隈の気候と、王都を流れるシューザリエ川の水質でないと栽培が難しく、それなりの値がついている。地方では輸送費が上乗せされるためにさらに高値になってしまう。

「それがね、紛い物じゃないみたいなのよ。しかもあたしたちでも手が届くくらいの!」

 半信半疑の連れに対し、女性は机に身を乗り出した。

「すみません、その花茶ですが」

 ロスが止める間もなかった。

 向かいの椅子が静かに音を立て、カエルムが腰を浮かせる。

 それまで献立表の影になって女性客にはカエルムの顔が見えなかったのだろう。突然声をかけられた二人が不快な顔を見せたのは一瞬で、すぐさま頬に朱がさし、目が驚きとも感動とも取れる輝きを帯びる。

「さしつかえなければ、少し詳しくお聞かせいただけませんか」

 にっこりと微笑みかけられ、女性客が返事も忘れて固まったのを見て、ロスは献立表の向こうで頭を抱えた。


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