第5話 探査(一)

 市門を入ってすぐのところには石塀が両脇に並び、二階建ての建物がその向こうに見えた。朝日を受けた煉瓦屋根は鮮やかで、道ゆく者は誰かと軒先から小鳥が首を出す。

 この一角は市門を管理する役所兼担当役人の宿舎が占めるのだと、プラエフェットは説明した。そのため周囲は店も何もなく殺風景であるが、中心部へはすぐだという。

 その言葉通り、人気がないと思ったのはほんの一時で、数区画もいかないうちに朝の仕事に繰り出す人々と行き交うようになる。田舎の街によくある市街設計で、行政や商業の中心はごく狭い範囲に集められているのだ。

 馬を二頭も連れて人の目を引きはしないかとロスは案じていたが、すぐに杞憂だと分かった。

「あまり目立たずに済みそうですね。いちいち呼び止められたら、と思いましたが」

「宿場町だから旅装の馬連れなど珍しくもないのだろう」

 国境に位置するこの街はテハイザ方面へ抜ける主要道の一つに繋がる。旅人が多いのは道々に立つ宿屋の数からも容易に理解できた。ただしロスが最も危ういと思ったのは馬や服装よりカエルムのその容姿だったのだが。恐らく女性たちが足を止めないのは、こちらの顔が馬の影に隠れたおかげだろう。

「ああ、そっちじゃなくてこちらですよ」

 旅館街とおぼしき方面へ向かおうとした二人をプラエフェットが止め、落葉樹が並ぶ脇道を示す。左右に建つのは大小様々な家々で、見るからに住宅街の趣きである。

 プラエフェットの後につき、二区画進んだところで細道に入る。すると、曲がり角からややもせず足が止まった。

「旅宿だとお忍びで動きにくいでしょうから。ここは司祭領役人の持ち家でして、業務で来た時に私も使わせてもらっている。侍従の夫婦を殿下のお世話によこしてくれていますよ」

 門をくぐりながらプラエフェットが挙げた持ち主の名を聞けば、信頼に足る名家の一つだった。扉についた鈴を鳴らすと、侍従らしき初老の男女が来訪者を迎え、男の方が慣れた様子で馬を預かった。

 居室に通されると、カエルムはプラエフェットに深々と頭を下げる。

「何から何までお気遣いをありがとうございます。事を終えたら卿の御宅に寄りますので、どうぞ領政庁の方へお戻りください」

「これくらいは御安い御用です。それより王妃様の命ということで、今回は殿下の采配にお任せしますが、くれぐれもお気をつけください」

 市中の詳細な地図を渡し、プラエフェットは地図上のいくつかの箇所を指し示した。行政機関の類である。

「仰せの通り、緊急の際にはすぐに対処できるよう、私が信頼する役人に絞って殿下のことは伝えてあります。自警団に私の名前を出して頂ければ仔細言わずとも彼らが動くようにしておきました」

「あんたいつの間にそんなやり取りしてたんですか」

 思わず口を挟んだロスの背中を、プラエフェットが間髪入れずに思いきり叩いた。

「それよりこの放蕩息子ですが、どうか愛想つかさず殿下のその礼儀正しさを叩き込んでやってください」

 痛みに耐えている甥と心配の声をかけるカエルムには構わず辞を述べると、プラエフェットは上機嫌で部屋を出て行った。


 *


「どうりで領政庁で叔父を見ないわけですよ。まさかこっちにいたとはね」

 羽織りを脱いで荷物を簡単に整理すると、ロスは卓の横にあった木椅子を乱暴に引いた。

「プラエフェット卿がこちらにいて助かった。依頼をしたら二つ返事で御快諾下さって。ロスが来るなら喜んで、だそうだぞ、甥御殿」

 部屋奥の寝台に自分の荷を置いたカエルムは、シャツのボタンを外しながらどこか楽しそうに言う。だが叔父にそう言われても素直に喜べない。

 ぶすっとしたまま、ロスは主人を睨みつけた。

「どうして、こうまで周到な準備を黙ってましたかねぇ?」

「そう怒るな」

 新しい上着に袖を通すと、カエルムは卓を挟んでロスの前に座る。

「と言っても無理か……まずは反対するだろうなと思って」

「当たり前でしょうが! 一国の王子が厳重な護衛無しでよくわからない問題解決に来るとか、テハイザの脅威がある状況ですよ?!」

 思わず声を荒げると、カエルムは「そこだ」と穏やかだった目を鋭くする。

「テハイザとの国境という位置と鋼。隣国の関与は容易に想像できるし、それは妹や母上も同意見だ。ただ、まだ確定的ではない」

 円卓に置いた手を組み、どこを見るでもなく視線を落とした。

「ただ、この微妙な関係についてシレア城内の一部は過敏だ。テハイザの可能性を大っぴらに言うのは危うい」

「老害どもですか」

 シレアが長らく平和中立を保っているにも拘らず、隣国テハイザが昨今、穏やかでない態度をちらつかせているのに過剰な憤りを見せる老中はいる。

 頭の硬い連中の顔を思い出してロスが吐き捨てると、「はっきり言うな」と苦笑いしつつカエルムも否定はしない。

「城の方を穏便に済ませたいのも理由の一つだ。もう一つは、万が一にテハイザが絡んでいた場合、公にすると向こうにも気づかれて逃げられる可能性が高い」

「少人数で勘付かれないよう捕える、と? ならばわざわざ殿下でなくても代わりの者が」

「それはしたくない」

 またも「はぁ?」とロスは聞き返しそうになったが、苦痛を滲ませたカエルムの顔に言葉を引っ込める。その様子を見れば、考えていることは分かった。

「テハイザが仕掛けるなら恐らくそれなりの手練れ、しかもある程度の数。潜入捜査には最悪命の危険が伴う。シレアの民を王族たる自分の代わりにそんな目に合わせるわけにはいかない」

 続きを言わない主人に対し、責めるでもなく、懸念を見せるでもなく、淡々と述べる。

「ですか」

「シレアの者が傷つけられるのは嫌なんだ」

 ロスの直視を受けても、カエルムは卓上に合わせた手を見たままである。

 ロスにしてみれば、甘い、とは思う。国の上に立つ者がいなくなった時の混乱を考えても、国防団の一人が欠けるのと為政者が崩御するのとはわけが違う。人の命を秤にかけたくはないが、事実としてそうだ。その重圧に耐えられなくてはならない、とも。

 だが、これがシレアの王族の気質である。そしてこの気質こそ、城の者たちや国防団、城下をはじめ民から愛される最たる理由の一つである。

「それで、側近の自分だけ連れて来た、と」

 俯きがちで口を閉じていたカエルムは、そこで初めて面を上げた。

「私独りで対処するのは不可能だ。そこまで自惚れられるほどの実力は私にはないだろう。最悪の事態が起きる可能性を最小限にとどめてことに当たれる者が必要だった」

 従者を見つめる蘇芳の双眸が宿す力は強い。

「私だけでなくロスの身を危険に晒すのは分かっている。事前に全てを話しておかなかったのは悪かった。それは謝る。ただ」

 道行くときに見せていた朗らかさはない。混じり気なく真剣な中に、普段あまり見せることのない、思い詰めた感情が浮かんでいる。

「それだけの実力者で頼める者が他にはない。というより、ロスならば可能だろう、と思える」

 わずかの迷いもなくそこまで述べると、カエルムは「危険に巻き込むのは本当にすまないと思うが」と謝罪を重ねた。

 これだから、困る。

「何を言ってんですか、いまさら」

 敢えて軽い調子を作って、ロスはずっと顔に貼り付けていた不服の相をようやく崩す。

「危険な事態にこそ殿下と共にあるのが側近自分の仕事でしょう——お供しますよ、どこへだろうと」

 こういうところが、この王族のであり、だからこそ自分も仕えると決めたのだ。

 それに——そう悪戯を叱られたような素直な顔で言われると、悔しいが弱い。こういうところも、妹王女そっくりで、この王族のである。





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