第4話 微震(三)

 かくして、ちょうど西方へ視察の予定もあり、王妃からの要請も受けて辺境へ様子見に足を伸ばすよう二人の旅程を調整したのだった。

 事の次第は確かにロスもあらかじめ説明されている。しかし改めて聞き直すと、やはり一言も二言も言いたい。

「こんな少人数の様子見を頼む王妃様も王妃様ですが」

 この親にしてこの子女あり、とは前から思っていたが。

「大体ですよ、姫様はどこからそんな話を」

「街に出たついでに私がいつもこれの手入れを頼んでいる仕立て屋に寄ったらしく。あそこの主人と取引相手が話しているのを聞いたとか」

 その刀鍛冶屋ならロスの行きつけでもある。カエルムとは昔から仲が良いものの、何で城下の者たちはこの兄妹を叱らないのか。

「また姫様はあの店にまで……そんなことがあの小煩うるさ大臣じーさんにでも知れたら……」

「安心しろ。まだ朝の市街回りなら過去二回とも大臣には露呈していない」

「論点はそこじゃないでしょうが」

 間髪入れずに言ってから、ロスは王女が軽々と市井に繰り出すことについて小言を続けそうになった。しかしすぐさま兄王子の好意的な反応が予想され、馬鹿馬鹿しくなってやめた。

 代わりにカエルムの剣に視線を移すと、柄に至るまで入念な手入れが施されている。どうせ出立前に兄の方も城から抜け出して詳細を聞きに行ったに違いない。こちらも「またか」と呆れを禁じ得ないが、本人は涼しい顔で説明を続ける。

「母上もずいぶん懸念していてな。私もここに来るのは初めてだが、治安がシューザリーンほど良好とは言えないと聞いているし。ロスにもそのあたりのことはこぼしていただろう」

 この場で文句を言ってももう引き返せまいと、ロスも馬上から降りてカエルムの側まで馬を寄せた。まあ当初視察を予定していた都市を出た時点で、文句をどれだけ言おうが無駄というのはわかっていたのだが。ただ、あくまでも理性では、の話である。

「ほかにも懸念材料があることは分かります。しかしですよ殿下。だからこそ我々二人だけで来るっていう点については大臣諸官列席の会議で審議を重ねた上で決裁してくださいませんかね」

「ああ、その点は必要ない」

 ロスの悪あがきの文句をカエルムはさらりと否定した。

「今回、大臣の許可なら降りているから」

「あの大臣ジジィ……」

 余計な許可おろしやがって、とロスは無意識に悪態をつく。

「ロスが大臣に確認しないなんて意外だな。こちら方面への視察は久しぶりだったし、落ち着かなかったか」

 カエルムは楽しそうに笑う。悔しいが事実であり、ぐうの音も出ない。同時に、大臣も了承済みとなると今回もまた一筋縄ではいかない厄介事だという意味でもある。カエルムと馬を並べ、ロスは少し先にある市門を一瞥した。

「この街の地理的状況と一緒に、あそこの管理下だというのも原因ですか」

 これまで聞いた話や政治的事情からロスも薄々察してはいた。大勢で来るとまずい理由があるのだろう。散々文句を言ったものの、意味もなく無鉄砲な行動をとらない点には、主人に対して絶対の信頼がある。

 ロスの推測通り、カエルムは首肯した。

「ここは司祭領管轄下だからな。ただ、勝手に来ているわけではない。もう力添えしてくれる担当官にも繋いである」

「担当官?」

 ロスがおうむ返しに聞いたちょうどその時、市門の向こうからこちらに向かってくる人物が見えた。門に付随する駐屯所から役人が出てきて会釈をすると、役人に向かって「こら、お出迎えしなさい」と叱咤が飛ぶ。

 その声を聞いて、うんざりしていたロスの気分がさらに下がった。今回の視察に随伴するに当たってロスが密かに対面を億劫に感じていた相手である。そのことをカエルムに見破られていたとは思わなかったが。

 カエルムが馬の手綱を引いて門の方へ進み出す。渋々ながらロスもそれに倣うと、二人が近づいて来たのに気づいて、街の方からやって来た人物が謝罪を繰り返す役人からこちらに向き直った。

「よくいらっしゃいました殿下。長旅の後でここまでご足労感謝申し上げます。どうもすみません、いらしたのに気づかず随分と失礼を」

「申し訳ありません。殿下とは露知らずにお待たせをしてしまいました」

 機嫌よく挨拶を述べる中年男性の後ろで、駐屯所の役人が至極慌てて謝罪を繰り返す。

「そう仰らないでください、プラエフェット卿。お忙しいところ諸々のおはからいをお願いしましたのはこちらです。この街への移動もあって卿もお疲れでしょうに、早朝から市門までいらしていただきありがとうございます」

 カエルムは朗らかに両者の礼を受け、役人に気にしないよう言うと、中年男性に丁寧に頭を下げた。

「殿下にそんな頭を下げられては困ります。諸官揃ってお出迎えするべきでしょうが、単独でいらっしゃるとのことで小生だけで失礼致します。しかし可能な限りご協力はさせていただきますから」

「待てこら」

 機嫌よく対応する男性を睨みつけ、ロスが口を挟んだ。

「協力しますじゃなくて、事前に分かってたなら止めろよおっさん」

「おっさんとはそんな口のきき方があるか、この馬鹿息子が!」

「誰が息子だ、っていうかあんたが俺の叔父なのは事実だろうが!」

「殿下の前でなんて態度を取るんだロス、それでも側近か! いや、すみませんねぇ殿下、礼儀のなっていない甥っ子だもんでご迷惑ばかりかけているのではと思いますが」

 カエルムは二人のやり取りを面白そうに眺めていたが、話を向けられると極めてにこやかに返した。

「そんなことはありませんよプラエフェット卿。実に優秀な甥御殿で、常に私が助けられてばかりです」

 そうだろう、とロスに目配せする。カエルムの場合、世辞ではない。いつも恥ずかしげもなく本心からこういうことを言うからロスの方は怒り続けられなくなるのだ。今回も然り。  

 一方のプラエフェット卿は、恐縮しながらも甥に対する評価に頬を緩ませ、改めて礼を述べた。

 ロスの叔父であるプラエフェットはシレア国の中でも司祭長の領地を管理する高官であり、この町は行政区分で言えば司祭領の管轄下にある。この領内では司祭長の権限が働き、それは王族といえど簡単に跳ねのけられるものではない。そうした状況下で動くのであれば、王族だろうとなにかしら行政の上層部に立つ人間が背後についていた方がいい。

 それに止めろと文句は言ったものの、もう王妃も大臣も行けと言っていることなら、プラエフェットがどうこうできる段階は過ぎている。

 太陽が刻々と天空での位置を変えていく。市門の向こうから荷車が石畳を行く音や、郵便馬車の鼓笛が聞こえ始めた。街に朝の活気が広がり始めたらしい。

「ご面倒をおかけしますが、お話していた通りです。あまり人が多くなる前に、馬と荷を預けて身軽になりたいのですが」

「そうだ、下手に人目に触れてはいけませんね。すぐ行きましょう」

 役人にここでのやり取りを伏せるよう注意すると、プラエフェットは街中へ二人を導いた。話していた通りっていつの間に連絡してたんだよ、と内心で不平を並べつつ、ロスも仕方なく自分の黒毛に合図する。

「お前は休めるってさ。俺も休みたいよほんと」

 並んでゆっくり足を動かし始めた愛馬は主人をちらと見ると、そっけなく鼻を鳴らした。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る