緩んだネジを元の風に
梅雨日和
緩んだネジを元の風に
「おかしいなぁ」
人間でいる頃よりも、人形になった方が何倍も楽で生きた心地がしたのに、最近はそうでもない気がする。人形であることがイヤになったとかそういう話ではないんやけど、何かが足りない。パズルのピースが無くなってもどかしいのと同じ気持ち。
「おかしいね」
「はっ?!天音ちゃん、かぁ……。びっくりするやん」
「うーん、ごめんごめん」
本当に謝る気持ちがあるのか分からないような棒読みで言われた。
「なぁ、天音ちゃん。俺っておかしい?」
「そりゃあ、おかしいよ」
「やんな……。でもな、俺、どこがおかしいんか分からへんのよ。やからまた天音ちゃんに直してもらわななぁ……。最近メンテナンスしてもらうことが多くなったやん? でも、天音ちゃんももうすぐ卒業やし」
「そっかぁ……。メンテナンスしなきゃだね」
何も知らない、感じない。そうすることで守ってきた自分と、周りの人々。誰も傷ついてほしくなかった。だから自分のせいにして、都合のいい自分になった。
その時はな、それでよかったんよ。でも、最近分かってきたことがある。
「俺はおかしい」って。
「俺は、なにも悪くなかったんや」、ってわかったから。
相手の都合に合わせて頭のネジを緩めては捨てて、絞めすぎては潰れて――――
そうやって俺の感情はできていた。他人の知能を下回ることで、なにか許されようとしてた。何も感じないことで、自分に言い聞かせていた。「こんなんだから仕方ない」って。
「そうじゃないんよなぁ」
天音ちゃんと出会って、学校の仲間と出会って、「俺」でいいんやって思えたんよ。偽らなくても良い。誰もひどいことを言ったりしたりしない。
初めは不思議やった。「なんで?」って。でも、どうしても心をシャットダウンする癖が抜けきれんかった。また同じことが起こるのが怖かった。だから最初から関わらないでおこうと、無意識なのか本能的になのか分からんけど、思ったんやろうなと思う。
頭のネジは緊張や不安で全開になって、ゆるっゆるになった。信用できない相手には威嚇して、良く知る人にだけ懐く、野生動物のようになった。人間の皮をかぶった(人間以外の)動物だった。
「俺ってな、本当はもっとずる賢い子やったんよ?ちゃんと人間の子供やった」
「昔話みたいな言い方するんだね」
「だって俺は、まだ俺を取り戻せてないから。変やなぁ……。俺はもしかしたら、途中からオオカミにでも育てられたんかもしれへん。天音ちゃんと出会う前の生活がはっきりと思い出せへんねん」
全てに無関心で、全てを「無」で感じていたからなのか、なんも覚えてないんや。俺の中には何もないんや。ただただ、無理して自ら動物になろうとしていたことだけは覚えていた。そのことしか考えていなかったから。
「ずっと続けてきたことって、最初は無理やりなのにな……。長年やると元の形が分からんくなるんや。怖いなぁ。俺って元々どんな子やったんやろか?」
「そんなもんだよ、だって、ずっと一緒の人なんていないんだもん。ずっと変化していくの。悪くも、良くも、人は自分で変えられるの。そして、どれも間違いなく貴方なんだよ」
「今の俺は、変な子や。一人じゃ何もできひん動物や。少しマシになった今でも、やっと人の形をした中身のない人形や。やのにな、なんでこんなにも、力ずくで、血だらけなんやろうな」
「どこが?どこも血は出てないよ」
「頭のネジんとこ。俺の心んとこ。俺の芯の芯のところ」
とんとんっと、自分の右手で左胸を叩くと、その振動で涙がこぼれた。俺のネジの中の芯の冷たい部分は、まだちゃんと俺だったのかもしれない。
「なにも感じないと思い込んで、何も知らないふりをして、悲しみも痛みも苦しみも、無いことにしてきたんやけど、同時に嬉しさ、喜び、笑いもなくなってたんよ? でも、その良い感情を天音ちゃんや皆が思い出させてくれた。そしたらな、すっごく痛いんや。今までの傷が全部全部痛くて仕方なくて、胸のあたりがジンジンして、目の周りが熱くてしかたないや」
どこもかしこも痛くてしかたない。なんでこんなにも、ボロボロの自分を、自分が
「それはね、傷口に消毒するのと同じなの。ばい菌と闘ってる証。きっと痛くなくなるころに、かさぶたになるころに、貴方は貴方の言う君になれるんだよ」
「俺はまだ、壊れてないよなぁ?」
「全然。私が丁寧に時間をかけてお手入れした人形よ?壊れているはずがないでしょ」
「そうやね・・・」
「もう、自分でネジを絞めていけるよね」
「うん。天音ちゃんみたいに上手くはできひんし、時間もかかるけど……。一人でできるよ」
「自分に対して優しくできるなら、もうあなたは人間だよ」
俺は今からでも人間になれるんかな。天音ちゃんが居なくても大丈夫なんかな。また、昔のように自分で自分を見捨ててしまわないか――――それが不安だった。
自分で自分を傷つけないか、他人に自分を売ってしまわないか。たぶんこの時の俺は認めてほしかった。「君なら大丈夫だ」と言ってほしかった。だってまだ自信がないから。
「ひなたくん」
急に天音ちゃんが名前を呼んで、何も言わずに俺を力いっぱい抱きしめた。
「おかえり、ひなたくん」
「た、ただいま・・・」
このおかえりは、きっと、ひなたという人間に言ってくれているんだと、俺は解釈した。もう、二度と俺だけは「ひなた」を見放さないから。
緩んだネジを元の風に 梅雨日和 @tsuyuhiyori
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