五月雨前線


 ビッグバンが毎日のように発生するようになってから、宇宙は混沌を極めた。命が溢れていた星が突然爆発し、かと思えば荒廃していた星に生命が誕生する。億千の星が誕生し、破壊され、また誕生するといったサイクルを繰り返す。

 そして無限に広がる空間を、あらゆる種類の生命体が移動している。人間に似た生命体もいれば、想像すらできないほど異様な生命体もいる。寿命が短い生命体もいれば、そもそ寿命という概念すらない生命体もいる。移動し、星を見つけては定住し、また移住する。その行動パターンが、混沌とする宇宙内の唯一の原則といえた。 


 その星では、常に雪が降り続けていた。その星の「一年」は、地球の暦に換算すると二千百五十五日。湿った雪が降る日もあれば、乾いた雪が降ることもある。積雪量が一週間で十センチの時もあれば、一日で五十センチ降り積もる日もある。

 その星は内部が二重構造になっている。外側の層には雪が降り積もり、幾重にも重なっている。積雪の正確な深さを知る者は誰もいない。深さを調べようにも雪が深すぎるのだ。

 そして内部には超巨大な空洞になっており、その空間にこの星の生命体が住んでいる。生命体、といっても地球に住む人間のそれとはまるで違う。切っても切っても再生するプラナリアのような外見で、大きさは全長三十センチ程。目と口のみが存在し、鼻はない。というか嗅覚自体が存在しない。雪に包まれたこの星で、嗅覚は必要ないのだ。

 その生命体の体は光を放っており、自由自在に空間を飛び回れる。その生命体は言語を持たず、テレパシーで会話の全てを補っている。生命体は内部の空間を自在に飛び回り、外部の空間でも雪をかき分けながら進む。

 そして今、星と太陽が最も近づく場所で、二つの生命体が交錯する。


 「ジヴァル、太陽の輝きが変だわ」

 片方の生命体が放つ光が波打つ。その光は淡いピンク色をしている。

 「デレゼンザータ、前にも言っただろう? 太陽だって生きてるんだ。輝きが多少変化したところで問題はない」

 「そうじゃないの。今の太陽は、輝きが強すぎる。見て、プロミネンスやフレアがあんなにはきりと見える。こんなこと今まで初めてだわ」

 デレゼンザータのテレパシーを受け、ジヴァルは押し黙った。ジヴァルの発する緑色の光が、降り積もった雪を照らす。

 「ジヴァル?」

 「ちょっと待ってくれ。今思考を整理している」

 「私を傷つけたくない、事実を知らせたくない、と思ってるならそれは大間違いよ。私はもう分かってる。この星の雪が全て溶けてしまうことも、私達が死ぬことも」

 ジヴァルの発する光が点滅する。その光の輝きから、デレゼンザータはジヴァルの動揺を汲み取っていた。

 「私達がこんな姿になってから、この星に住む全ての生命体の思考が結合したでしょ? 殆どの生命体は他人の思考領域に入れないけど、私は違った。いとも簡単に思考の世界を飛び回れた。他の生命体の思考領域に侵入することができた。勿論、貴方の思考にもね」

 「デレゼンザータ……」

 「私は、この星の全ての生命体の思考に侵入した。思考、っていっても物凄く複雑なんだよ。何て言えばいいのかな……、一つ一つの思考が、それぞれ異なる独立した異世界になってる、って感じ? 生命体によって思考領域の大きさは様々で、私達の体より小さな領域もあれば、複数の銀河系を繋ぎ合わせたかのように大きな領域もある。とにかく私は長い時間をかけて、全ての思考領域を旅した。いつの間にか私は、この星の歴史や宿命についても知識を得ていた。まぁ、私達の最期を知ったのは昨日のことなんだけどね」

 「僕達は、どうなるんだ?」

 「太陽の熱で焼き殺されるわ。全ての生命体が死ぬ。そしてこの星の雪も全て溶け去る。数億年かけて降り積もった雪が消失するのよ」

 そこで会話が途切れた。二つの生命体は重なり合いながら光を発している。極小の点のように見えていた太陽が、徐々に近づいてくるのが分かる。

 「……どうしてこんなことに」

 ジヴァルのその言葉には、深い深い悲しみが滲んでいた。これから太陽に焼き殺されること、だけではないとデレゼンザータは確信していた。ジヴァルの悲しみの目は、遥か昔に向けられている。

 「僕達は、大規模移住計画の一員としてこの星に来たはずだ。そうだろう?」

 「ええ。母なる地球に次ぐ第二の居住地を探すためにね」

 「ああ、ああ。閉ざされていた記憶が蘇っていく。そうだ、僕達はニンゲンだったんだ」

 ニンゲン、ニンゲン、とジヴァルは繰り返す。

 「ニンゲン、そう、人間だ。こんな気持ちの悪い生命体じゃなかった。手があり、足があり、鼻があり、心臓があり、肺があった。二足歩行の哺乳類だったんだ」

 ジヴァルの言葉はそこで止まった。そこから先がどうしても思い出せないのだ。

 「後は私が補うわ。貴方の言う通り、私達は計画の一員としてこの星に降り立った。あらゆる箇所が地球と酷似していて、ここなら移住できると私も貴方も確信した。でもそれはこの星の一側面に過ぎなかった。その時はまだ雪が降っていなかったの。雪が降り出し、私達の希望はあっけなく砕け散った。この星は雪の世界。とても人間が生きていける環境じゃなかった。そしてその事実に気付いた時には、既に手遅れになっていた。私達は雪の中に閉じ込められた」

 デレゼンザータの発する光が弱まっていく。

 「私達は皆凍死するはずだった。しかし肉体が朽ち果てても、意識が消えることはなかった。悠久の時を経て私達は、新たな生命体に進化したのよ」

 「どういう原理で?」

 「さぁ。でも、これが意図された進化であることだけは事実よ。私達の進化も、あの計画の一部だった。地球の科学者は私達を実験台にしたのよ。雪に包まれた死の世界に取り残された場合、人間はどうなるのか。壮大すぎる実験ね」

 弱まっていたはずのデレゼンザータの光が、急激に輝き始めた。光は禍々しい程の赤色に光っている。

 「科学者どもめ。全員八つ裂きにしてやる」

 「叶わぬ願いね。私達がこの星に来てからどれ程の時間が過ぎたと思ってるの? 約四億年よ。貴方の憎む科学者の百代先の子供でさえ全員息絶えてるわ」

 再びデレゼンザータが沈黙した。

 星の表面が、徐々に熱を帯びていく。太陽の発する炎がうねりを上げながら、数千キロ上空へ登っていくのが見える。やがてこの星は太陽の発する炎で焼き尽くされる。

 「星園陽子」

 デレゼンザータが呟いた。ジヴァルの体がぴくっと震える。

 「僕も君も人間だったんだ。人間には皆名前がある。君の名前は星園陽子だ。ジヴァルなんかじゃない」

 ジヴァルの体の震えが激しさを増し、放たれる赤い光も輝きを増していく。

 「悠太」

 ジヴァルがぽつりと呟いた。テレパシーではなく、実際に声が出ていた。口もなく、生態も無いはずなのに、陽子は声を発している。

 「月元悠太。それが貴方の名前。……ああ、こんな大事なこと、どうして忘れていたのかなぁ……。全て思い出したよ。貴方の名前も、住所も、性格も。そして、私が貴方を愛していたことも」

 陽子の全身から透明な液体が噴き出す。液体は悠太の体に触れ、浸透する。その液体は塩辛かった。陽子が泣いてるのだと気付き、悠太は無性に悲しくなった。やがて悠太も泣いた。忘れかけていた過去の思い出に浸りながら、二人はひたすらに泣き続けた。


 「生まれ変わったら、必ず君を見つけ出す。どんな星に生まれようと、どんな姿だろうと、どんな生き物だろうと、必ず見つけ出す。そして今度は、君とずっと一緒にいる。もう二度と辛い目には遭わせない。来世では、必ず君を幸せにしてみせる」

 陽子は泣きじゃくりながら、何度も何度も頷いた。そして悠太に抱きつき、二度と離すまいと強く抱きしめる。今の二人は人間ではない。しかし二人の精神の力は、固く結び合っていた。二つの光が交わる。そして太陽が星の近くを通り、プロミネンスの炎が星の表面を焼き尽くす。プロミネンスの炎が近づいたのは僅か三分間。しかしそれは、星の全ての雪を溶かし尽くすには十分過ぎるほどの時間だった。そして、星の内部の部分だけが残された。

***

 「移住する星が見えてきたぞ」

 宇宙船の乗組員の一人が呟いた。呟きは周囲の人間に伝播し、やがて希望を孕んだざわめきに変わっていく。船長が着陸の合図を出した。船内に歓喜の声が響き渡る。

 表面の雪が燃やし尽くされてから一万年後。新たな星から、新たな生命体がやってくる。彼らは歓喜し、その星に移動する。やがて雪が積もり、彼らは雪に、そして星に囚われる。そして彼らは悠久の時を経て別の生命体に生まれ変わり、再び太陽が接近し、雪ごと燃やし尽くされる。

 そして歴史は再び繰り返される。何度も、何度も。この宇宙が存在する限り。

***

 その惑星には水があり、緑がある。

 その惑星の名は、地球。

 ユーラシア大陸に位置する国、日本。西暦二千二十二年、世界中で疫病が猛威を振るう中、一人の男が一人の女と出会う。男は笑顔を浮かべ、女は感動のあまりただ泣き続ける。二人は前世の記憶を共有し、現世での永遠の愛を誓う。


 混沌とする宇宙には、もう一つだけ原則がある。

 輪廻転生。

 紡がれた命は決して途絶えることなく、どこかの星で生まれ変わる。

 無限の命を常に抱きながら、今日も宇宙は脈動を続けている。

         

                                 完

 

 

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五月雨前線 @am3160

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