第7話
金剛寺さんがバイトしているスナックで打ち上げだったが、新入生メンバーは全員帰ってしまったので、予約を埋めるために社科研の五人が入った。おかげでギターサークルの打ち上げのはずが、出席者はすべて社科研メンバーになっていた。
「いらっしゃいませ、ゆっくりしてってね」
分厚い化粧のママさんが、ボトルとグラスを運んできた。テレビドラマのセットのようなこの店は、とても学生が入るようなところではなく、僕らはテーブルひとつ取って飲んでいたが、みんな緊張してしばらく会話がなかった。
「おお、金ちゃん、どうしたんや? 友達か」
やがて、ぞくぞくと常連客のオヤジたちが入ってきた。人が来るたびに、金ちゃん、金ちゃんと呼ぶ声がして、金剛寺さんは毎度毎度、頭を下げている。
「いいねえ、若者は」
カウンターに並ぶオヤジたちは、そろってこちらを見ていた。
「おお、金ちゃん、今日はぷらいべえとかい」
今度は、見るからにヤクザさんの中年男が入ってきて、躊躇なく僕たちのテーブルに割り込んできた。
「たまにぁ、若い人と飲ませてもらいまひょかの。君ら、金ちゃんの友人一同やろ。ちゅうことは社会思想研究会の面々やな。世の中よくしようと頑張ってはるんやろ。ほんまに頭が下がりますわ」
言葉の上ではかしこまっているが、ヤクザさんはけっこう狭いソファーに大股で座っていた。その後も一人で話を進めてくれた。
「ワイはよ、この青年に説教されてな。四十過ぎて改心したで。マジメってのが、恋しくなったんや」
ヤクザさんは金剛寺さんの肩を抱きながらグラスをあおった。
「金剛寺さん、この男を説教したんですか」
僕はヤクザさんに聞こえないように尋ねた。金剛寺さんは目でうなずいた。
「わいはな、学生諸君、この男のためなら、いつでも匕首もって飛んでくよってな。金ちゃんはわいにこう言ったんや。僕はダメな男だけど、だけど、どんなくだらない人間にも人生はあるですって、やっぱ、マジメ、マジメが一番やな、ううっ」
ヤクザさんは話し初めてからアッという間に涙ぐんでいたが、
「ほんまに大事にしてくれなはれ、金ちゃんをよ」
と言い捨てると、カラオケの順番がきたらしく、「あっ、わいや」とテーブルを離れて、ママさんと『ロンリーチャップリン』を熱唱した。
「金剛寺さん、大変そうですね。ここのバイト」
「わかってくれてうれしいよ」
その後、金剛寺さんは常連客に呼ばれて、向こうのテーブルに行ってしまった。
「相変わらず単純なお人好ね。金ちゃんは」
「というより、親しみのあるおバカやろ」
「でも、どうなの? 金ちゃんはギターサークルじゃあ、部長さんでしょ。部員をまとめて、うまく面倒みてるのかな。中村くん、そのへんはどう?」
「ええ、金剛寺さんには、いつもお世話になってます」
「えっ、そんなはずないでしょ」
霧子さんは笑いながら首をかしげた。
「はい、いつもお世話してます」
「そうでしょ、そうでしょ」
先輩たちはそろってうなずいた。
「あの、金剛寺さんについて、ひとつ聞きたいことがあるんですけど」
このチャンスを逃してはならない。金剛寺さんをめぐる様々な疑問を解くには、先輩たちに聞くのが一番だった。
「なになに?」
「それがですね、金剛寺さんと食事にいくと、あの人、自分がお金持ってない時でも俺がおごる絶対おごるってきかないんですよ。いつもなんです。あの、どうして、あんなに見境なくおごりたがるんでしょうか?」
石下さんが返答するには、一秒もかからなかった。
「他に威厳を示す方法がないからやで。後輩に」
「なるほど」
思わず膝をポンと打つほど絶妙な解答だった。
ところで僕にはもう一つ、この物語を完結させるためにどうしても解いておかねばければならぬ疑問があった。いままで聞こう聞こうとしてきたけれどなかなか本人には聞けなかったことである。僕はまた先輩たちに尋ねた。
「あの、どうして金剛寺さんは、フォークを始めたんですか? ロックでもポップスでもなくて」
この現代、何を信じたらフォークソングなどできるのか、これは僕の長年の疑問だった。
「そうねえ」
と一同考えていたが、結局答えらしきものは出ることなく、しばらくして、金剛寺さんは常連のオヤジたちから解放されて戻ってきた。
僕は思い切って本人に長年の疑問をぶつけてみた。
「あの、どうして金剛寺さんはフォークを始めたんですか? ロックでもポップスでもなくて」
金剛寺さんは、酔っ払っていながらも真面目に答えた。
「たしかにフォークなんて流行らない、そんなことくらい僕もわかってるよ。でもね、時を越えて、どんなに時代が変わっても変わらないものを歌にするには、フォークしかないと思うね。売れるような曲がポンポン出ても、たくさん売れてもすぐ消えてゴミになる。けどね、中村くん、僕はゴミにはならないよ。いまはゴミかもしれないけど、最終的にはゴミにならない」
と、いうことだったが、僕が納得できる答えは、じつに金剛寺さんの財布の中にあったのである。
二次会は金剛寺さんの部屋ですることになり、金剛寺さんは先に帰って掃除しておくというので、僕は買い出しを任された。
「じゃあこれ、頼むね。酒とつまみ、五千円弱くらいで」
そのために金剛寺さんの財布を預かったのだが、金剛寺さんの財布の中には、写真が一枚入っていたのである。父親と母親と妹さんと金剛寺さんが寄り添って笑っているスナップだった。家族の写真を財布に入れて持ち歩いている大学生は、日本中を探してもそんなにはいないだろう。やっぱりこんな人だからこそ、愛と夢と心がいっぱい詰まったフォークソングが歌えるのである。
どうして僕が、これほどまでに金剛寺さんに魅力を感じたのかよくわかる。こんな時代に、まともに夢を語り、まじめに友との絆を訴え、愛を説く。金剛寺さんは当たり前のことを何にもヒネらずに伝えようとしている。この通り流行にも外見にも何にも囚われていないから、金剛寺さんは自分の個性を百パーセント使い切ることができるのだ。そんな人には、もう、お手上げである。
その日の夜も、酒を飲んでみんな必死で暴れた。
リーダーは悪酔いして、「金剛寺、お前はヘタだ、この下手クソ、こんなもん捨てちゃえ!」と窓からギターを投げようとして、金剛寺さんは暴れるリーダーを懸命に止めていた。紙野さんは便器と間違えてずっとゴミ箱に尻を入れて唸っていた。霧子さんと石下さんは朝までマリファナ解禁について討論していた。僕は、そんな先輩たちの様子をいつまでも飽きずに眺めていた。
翌日の午前九時、目を覚ますと、僕の腹の上に石下さんの後頭部があって、僕はリーダーの太腿を枕にしていた。六人が折り重なるようにして眠るこの部屋は、なんだか集団自殺の現場のようで、ちょっと気持ち悪かった。
さて、その後のギターサークルは悲惨だった。トントン拍子で部員が減って、半年も経たぬうちに自然消滅してしまった。だから、五月祭のコンサートはギターサークルにとって最初で最後のコンサートになり、金剛寺さんにとってもたった一度の晴れ舞台になったのだった。
※ ※
金剛寺さんたちのことをざっと思い出して書いてみたのだが、書きたいことは、まだまだたくさんあって、思い出せないほどある。これからもきっと、どれだけか時が経てば、ふとした拍子に書き残したことを思い出して、また書き始めることだろう。
何年か経って、僕が今と生活も考え方も違う大人になった時には、当時は何でもなかったことが大切な思い出となって蘇ってくると思う。あるいは十年、二十年たって、不意にすっかり忘れていたことを鮮明に思い出したりすると思う。僕がそんなことをこの先ずっと繰り返すと思って止まないのは、想い出というものがほとんど無限にあるような気がするからだ。ひょっとして、人は誰でも、最も輝かしい青春の一時期には、物理的法則に関係なく、永遠の時間の中で生きているのかもしれない。
社科研の先輩たちは全員無事に卒業したが、まだ誰も就職していない。もともとOLやサラリーマンになれない人たちだから、僕も本人たちも心配していない。
現在、石下さんは政治結社をつくるために、日夜バイトに励んでお金を溜めている。
霧子さんはまたインドに旅立って、もう半年も連絡がない。
リーダーは大学院に入るために勉強中ということだ。
紙野さんは現在、消息不明である。どなたかご存じなら教えてほしい。
そして、もうすぐ大学を卒業する僕は、ライターを目指して東京に出る決心をした。
引っ越しのために部屋を整理していたら、懐かしいビラがでてきた。それはギターサークルコンサートのビラなのだが、『GUITER CURCLE CONCERT』と無理して使った横文字で書いてあり、『GUITER』のスペルの間違いは、哀しくも笑えた。この時、何故か突然に、金剛寺さんの顔を思い出したのがきっかけで、僕はこの物語を書き始めたのである。
さて、その金剛寺さんだが、親父さんが倒れられたそうで、卒業を待たずに実家へ帰ってしまった。僕はそれきりあの人と会っていない。今年の年賀状には『実家の飲み屋を継いで、真面目に働いているよ』とだけ書いてあった。きっと、店でも常連客のオヤジに慕われて、頼まれもしないのにギターを弾いたりしているだろう。
金剛寺さんとは電話一本でつながるのだが、学生時代のバカバカしくも輝かしい想い出を語り合うには、まだまだ早い気がするので、いまのところは音信不通にしている。だから金剛寺さんは、僕がこんな話を書いていることも、知らないはずだ。
それでも僕には歌いたい歌がある(んだよ) シゲゾーン・シゲキ @shigezone
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます