第6話

 コンサート当日。開始時間はとうに過ぎたが、観客席には社科研の知った顔ばかりで、いまのところ客のより出演者の方が多い。予想通りの展開である。

 石下さんや紙野さんは文庫本を小脇に挟んでおり、長丁場に耐える用意は万全だった。霧子さんなどウォークマン持参である。リーダーは通路を封鎖して『ガンバレ! ジョニー金』という垂れ幕を書いていたが、酔っているせいでだんだん字が傾いていた。

 客席はきれいなほど空いていたが、お客が来ないわりに出演者が来た。ビラに『飛び入り参加、大歓迎』と書いたからである。

「お笑い研究会の者ですが、ここで漫才させてくれませんか」

 という二人組がやって来たが、金剛寺さんは片手で追い払った。

 その日、金剛寺さんは朝から無言でいた。緊張しているのか、思ったよりお客が集まらなくて落胆しているのかどうなのか、能面のような顔でずっとステージを睨んでいた。

 さて、開始時間から四五分遅れてコンサートは始まったのだが、出演する人たちはみんなただのアマチュアだから、聴いて楽しむというよりも、小学生の草野球を見ているような親心で見るしかない。だから、出演者とは全然関係ない人にとっては、気持ち悪いほどに惨めなコンサートだったと思う。たしかにこの僕たちのコンサートは、これ以上ないというくらい惨めで最低なコンサートだったけれどしかし、最低は最低なりに良いところがあったのだ。僕はこのコンサートが好きだ。もう鼻血が出るほどに好きだ。その訳を、これからうまく伝えられたらと思う。

 まずはシングアウトといって出演メンバーが全員でステージに並んで一曲歌うプログラムが用意されていたが、後輩たちはそろって会場から逃げていたので、金剛寺さんと僕だけで『ささやかなこの人生』を歌った。ぜんぜんそろっていない手拍子と、まばらな拍手が僕たちに贈られた。

 それからギターサークルの面々が順番に出演した。

 トップバッターの遠藤さんは、どこからか現れてステージに上がるなり前置きもなく歌い始めて、一曲終わると逃げるように去っていった。見事な歌い逃げだった。

 ギターを習い始めてニ五日目の佐竹くんは、コード三つを駆使して『翼をください』を根性で歌い切った。ちなみに僕は、彼が歌い終わってから初めて、彼が『翼をください』を歌っていたことを知った。

 恥ずかしいから出演しないと言っていたが最後には折れてステージに立った田中くんは、オリジナル曲を演奏するというので期待していたのだが、歌い始めた曲というのは、なんと下ネタソングだった。その曲は『アソコの毛』というタイトルで、ちょっとだけ歌詞を紹介するが恥ずかしいので全てカタカナにする。


  アソコノ~ケ オトナノ~ケ

  ル~ル ルルルルル ルゥ~

  アソコノ~ケ オトナノ~ケ

  チヂレタ~ケ

  ソコノケソコノケ アソコノケ

  ル~ル ル ルルルル

  パンツカラハミデテルゼ 

  チャックニハサマッタゼ

  ヘイ!


 ギタサークルの後輩たちが歌い終わってから、金剛寺さんの友人のフォーク仲間が順番に出演したのだが、格好だけ長淵剛とか、ワンピースにパンプスにギターを担いで反戦歌を奏でるオバさん三人組とか、七十年代に取り残されたような珍しい人がぞくぞくと登場した。

 その中で僕が唯一記憶に残っているのは、朝比奈安摩子さんという中島みゆきを意識したような三十過ぎの女性で、たった一曲しか歌わなかったが、この場に強烈な印象を残していった。それは地獄のような歌だった。朝比奈安摩子さんは、小学生の頃、ロバというアダナでいじめられた体験を歌にしたという。

 

  朝 目が覚めると 

  私はロバになっていた

  歯を磨き 顔洗い 鏡を見ても

  やっぱり私はロバだった

  ラララ ラララ ラ~ララ ラララ

  ロバ ロバ ロバロバロバロバ

  それが私の日曜日 ラララ ラララ……


 歌い終わると、朝比奈安摩子さんは足音もなく去っていった。数少ない観客たちは、いま見たのは何だったのかと呆気に取られて拍手を忘れた者が多かった。

 やはり、このコンサートは身内で聴き合っている分にはよかったが、公の場で不特定多数に聴かせるとなると、非常に申し訳ないものばかりだったと思う。社科研の先輩たちが辛抱強く席にとどまってくれたのが救いだった。会場の前を通り過ぎる人はけっこういたのだが、たまたま立ち止まって会場をのぞいても、すぐに何か気持ち悪いものでも見たような顔で出ていく人ばかりだった。金剛寺さんの苦労を知っている僕には、それが辛かった。金剛寺さんが頑張ってきたことを通行人にわかってもらおうとは思わないが、何か自分が悪いことをしているような気がして、情けなくて、僕は泣きたくなっていた。

 そして、ズルズルと時間が経って、とうとうプログラム最後の金剛寺さんの番になってしまった。

 金剛寺さんは緊張しながらステージにあがり、震えた声でMCを始めた。

「僕が部長の金剛寺です。じゃなくてジョニー金です。今日はオリジナルを歌います。『雑草』という曲です。僕が浪人している頃に作った曲です」


  僕らは小さな雑草さ

  あんまり目立ちはしないけど

  強く優しく生きるんだ

  誰かに踏まれても

  誰かに蹴られても 

  小さいながらに頑張るさ

  僕らは小さな――


 どうしたことか、金剛寺さんは演奏を途中でやめてしまった。直立したままうつむいて、黙り込んだ。いったいどうしたというのか、やがて金剛寺さんはそっと顔をあげてから、こんな不思議なことを言った。

「あの……、さっきからずっと思ってたんですけど……、いやあ、もう、こういうコンサートって、いいですね」

 ついに頭がおかしくなったのかと思ったが、金剛寺さんは真剣だった。

「ポロポロと人がいて、カップルとかいろんな人がいて、こんなところでやるのが一番です。フォークっていうのは、ブームになるもんじゃないですからね。地味に、いつでも、どこでも、生活みたいもんですからね」

 金剛寺さんが再び顔をあげた時には、あの能面顔が満面の笑みで埋まっていた。僕ですら情けなくて泣きたくなっていたのだから金剛寺さんはどれだけ落ち込んでいるのだろうかと心配していたのだが、この通り全く正反対で、ニタニタ笑っていたのである。なんだかわからないが、僕までうれしくなって胸がつまってきたのはこの時だった。

 たとえどんな結果になっても、金剛寺さんにとっては自分たちのコンサートを初めて開いたこの日は、一生忘れない一日になるに違いなかった。どんなボロコンサートでも、金剛寺さんには何よりのものだった。だから、金剛寺さんはいまを楽しんでいた。

 そして、金剛寺さんはドンヨリしていた空気の流れを一人で変えた。金剛寺さんの笑みが、会場に伝染するにはそんなに時間はかからなかった。

「ジョニー金ちゃん、ステキ!」

 日頃はお淑やかな霧子さんが、声を張り上げて叫んだ。また薬でもやっているのだろう。

「ジョニー金タマ、部屋掃除せぇ!」

 石下さんも負けじと叫んだ。会場がドッと笑いで包まれた。

「どうも。それじゃあ、ニ曲目いきます」

 今度はバラードを歌うとかで、金剛寺さんはハーモニカホルダーをつけた。

「次の曲は『夏』です。季節はずれですいません。歌います」


  夏といえばセミの声

  かかせませんよね 

  夏を もっと暑くさせる声

  いろんなものが 

  季節が変わるとやってくる

  今年の夏は

  いや今年の夏こそは 

  彼女と海に行くんです


 今度は万事うまく歌い終わった。拍手と歓声が沸き起こった。ただし、せっかくつけたハーモニカは使われなかった。たぶん、サビを飛ばしてしまったのだろう。

「えっと、最後に歌う曲は、『おばあちゃん、おめでとう』という曲で、七十歳の誕生日に、お金がなくて、なんにもプレゼントが買えなかったから、歌を作ってテープに入れて送ったんです。皆さんに演奏する曲ではないんですけど、どうか聴いてください。わたくし金剛寺、喉から血が出るまで歌います!」

 金剛寺さんは勢いよく歌い始めた。


  今日はお父さんのお母さん

  おばあちゃんの誕生日

  僕は大きくなったけど

  おばあちゃんは小さくなったね

  僕は二十歳になったけど

  おばあちゃんは七十歳……


 歌い終わると同時に拍手である。嵐のような拍手だ。

「いいぞ、金!」

 再び会場に大きな拍手が沸き起こった。この時、観客は十人足らずだったが、拍手の音はとても十人とは思えないほど怒涛のようなうねりとなって会場を揺らしていた。

 金剛寺さんは深く頭をさげたままだった。うつむく顔を覗けば、微笑みながら目を赤くして泣いていた。

 最後に金剛寺さんを囲んで長淵剛の『乾杯』を歌った。僕も歌っていたし、社科研の先輩たちも一緒に歌っていた。この時が一番楽しかった。僕は調子に乗って飛んだり跳ねたりした。歌い終わってから、金剛寺さんを胴上げしようということになったが、

「胴上げって、いったいどう上げるんだい?」

 と金剛寺さんが笑えないダジャレを言ったのが原因で、一同やめにした。

 だけれど、このときの金剛寺さんは無条件にカッコ良かったと思う。金剛寺さんは年に三回ほどカッコ良くなる人なのである。ただし、カッコ良さが十秒以上続かない人である。

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