第5話
四月、ギタークラブは新たに「ギターサークル」と意味もなく名を変えて始動するのだが、これからは冗談と奇跡が肩を組んでやってきたような出来事が続く。
募集するなり、新入部員が一挙に七人もやってきてなんとか形は整ったのだが、後輩たちはまるでヤル気のない奴らばかりで、僕も金剛寺さんもほとほと困り果てた。
金剛寺さんが目指すサークルはみんなで歌うフォークソングと気持ち悪いほどに暖かいフォーク仲間だったが、こんな時代にフォークを奏でようという若者は、根本から暗い奴らだったのかもしれない。金曜日の放課後、部員たちはそおっと部屋に入ってきて、おのおのが勝手にギターの練習するだけで、さよならも言わずに帰っていく。部員同士で良くしようと努力しない。故意に避けているような気配すらある。クラブの雰囲気は異常に暗く、ここはさながらフォークシンガー収容所といった様子だった。
そして、金剛寺さんの想い描く理想の仲間とはほど遠い状態のまま何ヵ月か活動して、クラブが潰れるのは時間の問題という五月祭の三日前に突然だった。
「みんな集まってくれ、大事な話があるんだ」
金剛寺さんはメンバーに招集をかけた。三分ほどかかって、後輩たちは集まった。
五月祭を目前に、大学内は独特の空気に満ちていた。キャンパスにはイベントの告知看板や制作中のハリボテがうじゃうじゃ並んでいたし、授業をさぼってペンキの缶を持ち歩く学生もよく目にした。泊まり込み用のテントも、寝ぼけ顔で歯を磨く学生も日ごとに増えている。また今年も、限りなく下品なバカ騒ぎに向けて多くの学生が一路邁進しようという頃だった。
「コンサートすることにする」
金剛寺さんは両手をテーブルについてこう言った。
「は?」
最初は何だかさっぱりわからなかった。
「五月祭でコンサートする」
「金剛寺さん、がですか?」
「何いってるの、僕たちさ。ギターサークルコンサートだよ」
「そんなもん、どこでやるんですか」
「どこかの教室を使えばいいだろ。ここでもできなくはない。よし、ここにしよう。決まり」
こんな大学だから、コンサートを開くのもキャンパスを裸で歩き回るのも自由だけれど、サークルがこんな状態でコンサートを開くなど狂気の沙汰である。無謀の一言に尽きるだろう。みんなは呆気に取られている。反論する気があったのは僕だけだった。
「ちょっと待ってください、五月祭まであと三日しかないんですよ」
「大丈夫。できる。簡単。教室使って機材借りてきてセットするだけでいいんだから、準備はそれだけ、ね」
コンサートというイベントを、これだけ気軽に、かつこれだけいいかげんにやろうなんて、やっぱりこの人だから言えるのだろう。他の部員たちは無視を決め込んでいたが、金剛寺さんは負けずに強行突破した。そして、これから素晴らしい独裁力が発揮されるのである。
「反対はないなら、決まり。それじゃ、いつにする? よし、二日の午後一時から三時間、いいね。決まり。よし、出演順を決めよう。まず始めは、え~と誰がいいかな、田中くん、どう?」
「……俺、出ません」
「どうして?」
「……恥ずかしいから」
「そしたら、佐竹くん」
「ダメですよ。俺はまだ三つしかコード押さえられないんですから」
「じゃあ、コード三つでも弾ける曲を教えてあげるよ」
「そんなメチャクチャだ」
「それで、遠藤さんは、どう?」
「その日はバイトで、ちょっと」
「中村くんは、やるよね」
「無理いわないでください、僕はギターできないんですから」
その頃、僕は小説書きに熱中していたので、ギターを始めるどころではなくなっていた。クラブに残ったのも金剛寺さんに惚れ込んでいたから、というのは嘘で、いつか金剛寺さんをネタにして小説を書いてやろうと思ったからである。
「おいおい、これじゃ、できないよ」
「……本当にやるんですか、そもそも」
「やるよ。もう決めたんだから」
でも、出演者がいなくてはできないと思うのだが、そんなことは問題にせず金剛寺さんは話を進めた。
「仕方ないな。じゃ、とれあえずコンサートの打ち上げのこと決めようか。僕がバイトしてるスナックでやろう、どう?」
「スナックって、高いんじゃないですか」
眉毛の濃い石井くんがボソッと言った。
「ママさんに頼んで一人三千円にしてもらうよ。それならいいよね」
「……いいですけど」
まわりの者も小さくうなずいたり、目を合わせたりした。
「よし、決定だよ。三千円ね」
ともかくコンサートするしないよりも、打ち上げの場所は決まったようだった。
「各自、持ち時間は一人二十分で、出るか出ないかは明日までに決めといて。機材は、知り合いから一泊一万円で借りられるんだ。手配は僕がする。ビラと立て看板は明日にでもやろう。いいね、絶対コンサートやるから、大袈裟なもんじゃないから、マイクとスピーカーいじって遊ぶようなものだから」
金剛寺さんはいつになく強気だった。
翌日、五月祭まであと二日。立て看板を作るために何人かの部員が集まった。近所の木材会社から角材を運んできて、さあ作ろうと思ったら道具がなくて、道具を借りに行った者がなかなか戻って来なくて、やっと看板の枠組みが出来上がると日が暮れた。
その日に説得して、三人の新入部員がコンサートに出ることになった。その他の部員は保留ということで当日に出るか出ないかを決めるとした。それから、部員が全員出ても時間がもたないので、金剛寺さんの友人をゲストに呼ぶことにした。こうして、なんとなく僕たちはコンサートを実行する方向に動き出したのだった。
夜の九時、立て看板が出来上がってから、金剛寺さんはまた何事か言い出した。
「明日、昼休みに食堂の前で宣伝しよう。ギターサークル、ファーストコンサート、みんな来てね、なんてさ」
「宣伝というと、やっぱり、その……」
「人通りの多い場所で一曲、歌うんだよ。『太陽がくれた季節』がいいな。根性試しだ。絶対やるよ。絶対だよ。全員集合、みんなに電話まわしとくから、昼休みに食堂前の広場だからね」
翌日、五月祭前日の昼休み。後輩たちは仕方なくギターを持って集まったが、結局その恥ずかしい宣伝活動は行われなかった。金剛寺さんが来なかったからである。その夜に電話したら、
「ゴメン、ゴメン、寝ててね。本当にゴメン」
と笑って言い訳した。思えば金剛寺さんはよく、自分が決めた時間に自分で遅刻する人だった。
五月祭初日。そこらじゅうで学生たちが暴れ回っている中、ギターサークルの面々はコンサート会場の設営に苦労していた。
まずは金剛寺さんがレンタカーで機材を運んできた。
大きなスピーカーが四つ、マイクが六本、あとはうんざりするほどの数のコード類である。
コンサート会場は普通の教室だから、ステージなどなく、いろいろ考えた末、前列の長机をはずしてスペースをつくり、踏み台を並べて舞台にした。
「ミキサーはそこに置いて、レコーダーはその隣」
金剛寺さんは指示を出す。部員たちは言われたことはするが、それ以上のことは意地でもしない。
「誰だ、ここにこのコード入れたの、たくっ」
「金剛寺さんですよ、まちがってますよ」
僕は説明書を見て言った。
「なんですか、それ?」
つぎに、金剛寺さんはトイレ用の電球を五つほど買ってきた。
「これ、スポットライト。中村くんさ、この電球の反光板つくってくれるかな」
「どうやって作るんですか?」
「そこのダンボールにアルミホイルかぶせて、あとは適当にやって」
佐竹くんは、黒板に「五月祭フォークコンサート」と書いている。
金剛寺さんは色画用紙とハサミとガムテープを持ってきて、遠藤さんと田中くんに入口の飾り付けを頼んだ。二人は、色画用紙に「ギターサークル コンサート」の文字を一字ずつ切り抜いて、廊下側の壁に貼り、それから入り口には折り紙で作った輪っかをぶら下げた。見るからに小学校の学芸会のような飾り付けだった。
その後、僕は宣伝ビラをまきに、キャンパスに出た。
金剛寺さんのクセのある字に犬の絵をつけ加えただけの簡素なビラで、僕はこれを配っているところを友人に見られるのがイヤで、キャンパスに出ると、お面屋で買ったアンパンマンをつけて景気良くばらまいた。
戻ってくると、もとは教室だったかと錯覚するほど会場はそれらしい雰囲気になっていた。
「ちょっと、石井くん、ステージに立ってみて」
金剛寺さんは電灯を消してスポットライトを当てた。
「なんか、しゃべってよ」
そしてミキサーのスイッチを入れる。
「あー!」
スピーカーから石井くんのバカでかい声が飛んできた。
「おお! いいね」
金剛寺さんは当たり前のことに感動していた。と言いつつ僕も思わず「おお!」と声をもらした。
「なかなかのステージができましたよね、金剛寺さん」
僕は改めてまわりを見回した。
「そうだね」
「なんとかなりそうですね?」
「まだわからないよ。やるのは、人なんだから」
たしかに、その時の僕たちは見切り発車したが先に線路はなく、たんぼの畔道を暴走しているような状態だった。しかしこの時、金剛寺さんがコンサートを強行した理由がわかったような気がした。早くサークル内に仲間意識をつくるためなのだ。部員同士が仲良くなるためには、みんなで同じ汗を流すしかない。もちろん金剛寺さんの独走で終わる危険も大いにある。だから、賭けである。
「金剛寺さん、お客、入りますかね」
「どうかね、来ないだろうね。来るとしたら、社科研のメンバーくらいだろ。客は入らなくたっていいよ。小さくとも正統派フォークをのんびり聴かせるコンサートにしよう」
「うん、そうですね」
夜中の十二時に全ての準備が完了した。
「部長、あしたは何時、集合ですか?」
金剛寺さんは、この頃から部長と呼ばれるようになっていた。
「そうねえ、十時集合にしようか、遅れないようにね」
「部長、それはあなただ」
「そうですよ。遅れるのはいつも金剛寺さんですよ」
「はは、そうだね」
僕たちはそろって笑った。
明日はいよいよ本番という夜だった。このコンサートに、リハーサルなどない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます