ASK DNA

丸山弌

ASK DNA

 砂浜に波が繰り返し押し寄せている。

 とても静かで穏やかな景色。

 風はなく、遠くの高台では古い風力発電機が朽ち果てていた。

 しだいに機械音が聞こえはじめ、道路の果ての蜃気楼の中からトラクターが近づいてきた。

「やぁ。どうしたんだい?」トラクターに乗っていた農夫は、おもむろに語りかけた。「こうしてだれかに話しかけるのは久しぶりだ。もう何十年ぶりになるか。ここらにはもう俺一人しか残っていないんだ。だが、一体なんだってこんなところに?」

 返答はなかった。農夫は荒く手を振ると、トラクターのエンジンを噴かせて遠ざかっていく。

「このあたりもダメそうだね」と、景色の中に文字列が浮かび上がる。「でも、あの男の人は僕の事が見えていないようだった。ハイブリッドブレインシステムを搭載していない人類だ。本当に実在していたんだ」

 文字列が言ったのは、人間の脳とネットワーク上の人工脳を同時に駆動させるシステムのことだ。人工脳は常にネットとリンクしていて、さらにそれが脳ともリンクしているから、ネット空間を現実世界に重ねて投影することができる。脳に錯覚を与え、投影したものを触ることもできる。それがハイブリッドブレインシステムだ。人類はその技術を遥か以前に確立している。しかし、そんな便利なものを搭載していない人類がいることに、文字列は興奮しているようだった。

「他の街を探してみよう。これはもしかしたらもしかするぞ」

 文字列が消え、再び視界に砂浜が広がった。

 ざく、ざくと、しばらく無機質な足音が続く。その間、アーカイヴ映像が再生された。


「全く。あいつらには困ったもんだ」

 日付は日本の和暦が平成ないし令和となっていた頃のものだ。とあるニュース番組のインタビューを受ける農夫が言う。

「こっちが必死で品種改良したものを、余所で勝手に栽培しちまうなんて。憤りもありますが、それよりなにより悲しいですよ」

 それは同国で開発された果物が海外に流出し、無断で栽培され、売り出されるというできごとの特集だった。それらの事例がぶどうやいちごやりんご等々で頻発している問題が扱われていた。品種改良された作物の流出は同国の怠慢もなきにしもあらずだったが、品種を守る術を物理的に持たないが故の弱みでもあった。


〝こと〟の始まりはここからだった。

 次のアーカイヴ映像が再生された。

 それは、先の映像から数十年は経過した時代のものだった。


「今年の夏、長野県のとある農家で試験的に〈スカッター処理〉技術を活用した複製防止品種の栽培がスタートしました」と、ニュースキャスターは語っていた。

「花が咲く時期になってもですね、このぶどうは花を咲かせないんですよ」

 空を覆う緑の天井の中、麦わら帽子をかぶった農家が手を伸ばしながら言った。

「このままでは、このぶどうは実をつけません。このまま育てていても全くの無駄ということなんです。でも、この液体を蕾の部分に添加してやることで、明日には花を咲かせるようになります」

 そう言って、農家が透明な溶液が入ったスポイトを垂らしていく。番組はその仕組みをすぐに視聴者に教えるつもりはないようだった。

 カメラが別の男性を映し出した。

「たとえば全く同一のゲノムを持っている猫であっても、その毛色は全く異なることが知られています。実際に三毛猫からクローンを作ったところ、トラ猫が生まれたことはこの業界では有名です」

 そう語るのは、作業着を着たどこかの大学教授のようだ。

「それはDNAに対して外的ないし内的な刺激――すなわちエピジェネティックな事象が起こったことで、DNAの中にある塩基配列において、遺伝子として機能するかどうかのスイッチが切り替わったために起こる現象と判明しています。ご存知の通り遺伝子はDNAの中にあり、DNAは染色体の中にあり、染色体はゲノムの中にあります。生物は、ゲノムがすべて同一の塩基配列であったとしても、その最下層部で遺伝子として有効化されている塩基配列群が違うことで、若干の違いがある生き物になります。精子が卵子に入り込み、細胞分裂がはじまると同時にエピジェネティックな事象も絶え間なく繰り返され、遺伝子のオン・オフがガンガン切り替わっていきます。その事象は、たとえば妊娠中の母親が歌った歌がどの程度聞こえたかとか、なにをどのくらい食べたかとか、吸い込んだ空気の濃度とか、あらゆる小さな刺激を含みます。しかしその小さな刺激の連続が、先の猫で言えば毛色に影響し、人間では一卵性の双子であっても見分け可能な――しかし本当に些細な――差異として発現します。こういったどの生物にも備わっているエピジェネティクスの活用、そしてCRISPR技術によるゲノム編集によって、私たちは極めて限定的な状況でしか実をつけない品種を開発しました」

 つまりどういうことかと、リポーターが困惑気味にマイクを向けなおす。

「はい。私たちはこのぶどうのゲノムを編集し、ぶどうが〝花を咲かせる〟という命令を出す領域を、本来遺伝子として機能していない領域――ノンコーディング領域に散らばらせるようにして隠し込みました。それを正常に機能させるためには、散らばった情報を適切にmRNAへ伝える必要があります。そのガイド役を果たすのが、先ほど見てもらった添加作業で使われていた混合溶液です。混合溶液には特殊なアミノ酸が含まれていて、その三次元構造がパスワードの役割を果たしています。その特殊な刺激を受けたDNAはノンコーディング領域にある塩基配列をコーディング情報として起動エピジェネティクスさせて、ぶどうが花を咲かせるプロセスがスタートするのです」

 大変よくわかりましたとリポーターは言う。そして、農家がそれぞれ混合溶液を管理することで、日本が生み出した苗木は物理的に確実に守られるようになったと語った。

「これでようやく、安心して新しい品種の開発に取り組めますよ」

 にこやかに笑う農家の顔で、ニュース番組の特集は終了した。


 しかし、大きな問題はそのあとの時代に発生していた。

 続けざまに次のアーカイヴ映像が再生される。


 日本人口が五千万人を割り込む――という大きなホログラフィック文字が渋谷のスクランブル交差点上空に描かれていた。歩行者信号が青になると、その街が最もにぎわっていた頃と大差ない人の群れが一斉に交差をはじめる。

 映像が地方に切り替わった。

 どこかの海沿いの街は錆びと蔓植物に侵食され、日本ではじめて消滅した地方都市として紹介されていた。

「少子高齢化。性自認及び恋愛の多様化。このままでは、人類は滅んでしまう」

 そう呟いたのは当時の一人の研究者だった。彼はまだ若い女性で、代名詞を〝彼〟と指定していた。彼はやがて日本国内で人体クローン研究の第一人者となり、日本社会における人体クローン作出計画に大きく寄与することとなる。よくみれば渋谷を歩く大勢の人々は、そのほとんどが高齢者だった。そこに紛れる比較的若いカップルの多くは同性同士のように見える。SNSには、男女のカップルが子供を産むということは子供を産めないカップルを傷つける行為で非道徳的かつ差別的だと叫ぶ声に溢れ、それによる幸福は社会全体で敬遠されていた。

「この困難な状況を、クローン技術が解決します」

 渋谷上空で、可愛らしいアイドルが新たな商品のPRを行っていた。

「パートナーの有無や伝統的な性別にとらわれることなく、あなたは自分の子供を生み出し育てることができるのです!」

 そのクローン技術はあっという間に普及して広がり、一〇年もすると日本人の人口減少の勢いに衰えがみえはじめていた。このまま人口増加に向けクローン技術が推進される気運が高まるかに思えたが、その一方、次は第三者が不正に入手したDNAを用いた違法クローニングが社会問題として顕在化されはじめていた。被害にあったのは主にアイドルや天才たちで、ネット上では髪の毛一本があらゆる手段で取り引きされ、彼らの複製が至る所で生み出された。

「なんでこんなことになったの……」と、商品PRを行ったアイドルが頭を抱えていた。

 警察が、不正に生み出された自身のクローンを複数体発見したというのだ。そのDNAはあらゆるマーケットで取り引きされていて、年齢はすでに一〇歳を迎えているクローンもいるようだった。クローンは人身売買されていたり、酷い性的虐待を受けたりした形跡があるという。そのアイドルは、自身のクローンが商品として売られている広告ポスターを目にして愕然としていた。この事件を受け、かつて人類が滅ぶことを憂い人体クローン研究にその身を注いだ研究者の女性は、その年老いた頭を抱えていた。

「日本政府が各所でDNA検査ができるよう整備している。乳幼児健診はもちろん、電車の乗車時や携帯端末利用時には確実にDNAが検査され、違法クローニングによって生まれた人間でないかチェックされるようになった。しかし問題のクローン人間が表社会に出てこなければ彼らの存在に気付いて救うことはできない。クローニングを制御しなければならないんだ。けれど違法操業者を相手に、そんなことが可能なのだろうか……」

 彼が悩みながら、リンゴを手にした時だった。いまや、植物の遺伝子はすべて著作物としてロックされている。一方の人間の遺伝子は無防備な状態だ。しかしかつては植物の遺伝子も無防備な時代があった。ある時から植物に用いられていた〈スカッター処理〉の技術――かつて果物の世界で起きていた問題は、いま人間で起こっている問題と同質のものだ。そうであれば、これを人間に転用することができれば……

 そう閃いた彼は、文字通り人生をかけてその研究に没頭した。老研究者が没した後もその弟子たちが研究を引き継ぎ、その弟子たちが没した後もそれを受け継ぐ者がいた。長い歳月をかけ、人類はついに人体での〈スカッター処理〉実装にこぎつけた。

 当時の有名人らは、複製された自身のコピーの多くが人権のない生活を余儀なくされていると十分理解していたため、積極的に〈スカッター処理〉を求め、自身のDNA情報をロックした。細胞分裂を司る幹細胞系をノンコーディング領域に暗号化して隠し込み、特殊なアミノ酸液による刺激がなければそれが実行されないようにした。それによってどんなに細胞を培養してもそのクローニングは失敗することになったが、闇取り引きされていた〈スカッター処理〉以前のDNAを含有するアイテムは根絶されることなく、彼らの悩みはまだしばらく続くことになる。他方、有名人の世界で広まったことは、やがて大衆にも広がりムーブメントとなる。〈スカッター処理〉も、その例外ではなかった。


 アーカイヴ映像が切り替わる。


 その時代、世間ではクローン技術を応用したデザインベイビーを生み出すことがもう一つのブームになっていた。人類はより豊かで裕福になり、戸建て住宅や駅前のマンションと同程度のローンを組み、自身が望む子供をデザイン事務所に依頼して生み出すようになっていた。

「お客様とパートナー様のDNAを掛け合わせ、その中で最も才能を開花させる形がこの配列です」

 デザイン事務所に勤めるDNA建築士の青年は、ハイブリッドブレインシステム内に表示した子供の3Dモデルをクライエントに共有した。クライエントは不満そうな反応を示した。

「もっと鼻を高くすることはできますか? それと、推定IQも天才級にしてほしい」

 それはありきたりな要求だった。クライエントに悟られないよう、DNA建築士は心の中でため息を吐いた。

「いずれもお客様の要望に沿うことは可能ですが、それはオプションとなり別料金です。またオプション付加による予期せない事態については保証できかねますので、後ほど同意書にサインをお願いします」

「予期せない事態とは?」

「外見をDNAのキャパ以上に弄ると、古い整形手術のように失敗しアンバランスになる可能性があります。知能を高めすぎても脳に負担がかかることで精神疾患の発症率が上昇します」

「なるほど、検討事項としよう。性格はどうなっている?」

「非常に活発です」

「それは困る。子供の頃は大人しくなるよう変更してほしい」

「もちろん可能ですが、それだと大人になった時も大人しいままです。社会的に不利になりますがよろしいですか?」

「いや、それはダメだ。大人になったら活発になって自発的に様々なことにチャレンジできるようにしてほしい」

 DNA建築士はうんざりした。これはもはやクレームだ。

「成長過程の中で性格をDNAレベルから変化させることはできません」

「〈スカッター処理〉の技術を応用してくれ。とある年齢が来たところで私が刺激を与える。すると、活発な性格の遺伝子が開花する――そういう風に活用することもできるはずだ」

「〈スカッター処理〉は、この子のDNA情報の著作権を保護するために設定するもので、当事務所でそれは標準でご準備しています。しかし成長過程で子供の性格の変化を望むのであれば、それはお客様の養育の中で実施されるべきかと存じます」

「親の役目というのか」

「その通り」

「もういい。他の事務所をあたる」

 クライエントは憤りながら出ていった。

 ハァと、ようやく実際にため息をつくDNA建築士。

「最近多いよな」と、同僚が同情する口調で話しかけてきた。「教育を放棄してすべての成長をDNAに依存しようとする奴らがさ」

 同僚とDNA建築士は頷き合い、その憂いを共有した。教育を放棄した親とは、果たしてこの世界上で何者になるのだろうか。

 しかしそれから数年後、例のクライエントと同様のクレームはDNA建築士の事務所に多数寄せられ、またそれは全国規模のものだった。はじめはクレームであったはずのそれは、いつの間にか社会的ニーズになっていた。


 さらに数十年が経過した。

 生まれた時からハイブリッドブレインシステムをDNA上搭載している最初の世代は、すでに二十代を迎えていた。性格を〈スカッター処理〉によって管理するのは、彼らの親世代から実装されている。今では子供は高校卒業まで世間知らずのまま大切に育てられ、しかし卒業してからは〈スカッター処理〉の一部を解除することで、社会システムを遺伝子的に理解している聡明な社会人に後天的突然変異する。道徳と倫理と知性を備え、あらゆる性別であろうと壮麗で、運動神経抜群。

 その一人であるライドナーは、田舎暮らしをする祖父宅に足を運んでいた。

 祖父は、現役時代はDNA建築士として働いていたらしい。そんな祖父はどういうわけかライドナーのことを嫌っていた。

「じいちゃん。来たよ」

 伝統的な日本家屋が再現された一軒家に足を踏み入れる。

「今日こそは、本気でお願いに来たんだ」

 暗い建物の中から反応はない。時はすでに夕刻で、斜陽がライドナーの影を玄関の果てへと伸ばしている。

「入るよ?」

 ライドナーが呟くように了承を求めるも、もとより反応は期待していない。祖父はハイブリッドブレインシステムの導入に否定的だった。おかげでライドナーはわざわざこの家まで肉体で訪れている。祖父はそれどころか、文明嫌いを極めていた。ライドナーの両親が彼を今のようにデザインした際も、祖父は強く反対したそうだ。伝統的な価値観を重んじる頑固な性格だった。

 祖父は、このあたりの景色がよく見渡せる軒先にいた。

「なにをしにきた」と、明らかに歓迎されていない背中で祖父が言う。

 祖父は、陽が沈みはじめたオレンジ色に眩しい景色を眺めている。

「DNA建築士になりたい」ライドナーは答えた。「そのための知識や技術を教えてほしいんだ」

。組み込まれていないのか?」

 祖父のそれは皮肉だった。

「あるいはAIに教わればいい。人類が積み上げた叡智はすべてそこに眠っている」

「たしかにAIはすべてを知っている。問いかけるのは簡単だ。でもおれはじいちゃんから直接受け継ぎたい」

「無意味だ」

「意味はある。おれがそれを求めてる」

「どうして」

「知らない。けど、DNAに聞いた。おれのDNAがそう言っているんだ」

 皮肉を悪用された祖父は、鼻で一笑した。しかしそれはライドナーを侮辱するようなものではなかった。祖父は孫から目を背け、光の景色を遠く眺めた。

「どうしてDNA建築士になりたい」

「人口の減少が深刻だ」

「深刻だからどうした。DNA建築士は人を生めるが増やす職業じゃない。むしろ人を一人生み出すために膨大な時間と費用をかける。そんな動機は理由にならない」

「自然生殖を復活させたい」

 ライドナーの言葉に、祖父は振り向いて沈黙した。驚いた表情で、思わず絶句したといった風だった。

「どういうことか話してみろ」と言う彼の声は震えていた。

 ライドナーは祖父の横に座り、話しはじめた。

 地球規模の人口減少に伴い、これまで培われていたあらゆる専門性が〝成り手不足〟により失われつつあった。農業や伝統工芸業はもちろん、経済、発電、建築、公務などあらゆる業種で後継者が不在し、そのため世界各地であらゆる管理が放棄され、それに伴う弊害は日本でも深刻な状態にあった。

 そんな中で――と、ライドナーは続けた。

 ついにデザインベイビー生産施設までもが後継者不足のため閉鎖しはじめていた。このままでは、いずれクローン技術そのものが失われてしまう。けれど人類は白昼夢でもみているかのようにこれを大きな問題とは認識していないようだった。祖父の言うように叡智はAIにあり、いつでも参照できる状態にある。おれが抱く危機感は杞憂かもしれない。けれど、このままではダメだと心の中でだれかが叫んでいる。

 人類はいつの間にか徹底した潔癖主義者になっていた。二一世紀になっても未開拓状態だったアフリカやアマゾン、南アジアやその他秘境に暮らす人々も、今はハイブリッドブレインシステムを備えデザインされて生まれてきている。世界の隅々に標準仕様が行き渡り、人類は等しく豊かで賢くなり、争いごとを避け、今では例外がない状態だ。これまでにない理想的な時代を人類文明は迎えている。しかしその代償として、遥か以前から人類の自然生殖は失われていた。〈スカッター処理〉があるために、すでに人は性交渉しても妊娠することができない。

「どういうわけか、すべてが事前に決められているような社会になってしまっていた」とライドナーは言う。「おれはそんな現状を変えたいと思っている。人が生殖機能を取り戻すとともに、その行為を肯定的に捉える人々を増やしたいんだ。そのためにおれはDNA建築士になる必要がある」

 熱意を拳に握り、ライドナーは祖父に真剣なまなざしを向けた。

「だから、本気でお願いしたいんだ。おれはDNA建築士になりたい。知識を参照した単なるサラリーマンなんかじゃなく、じいちゃんみたいに信念を持って仕事をする職人になりたい。おれはじいちゃんに仕事を教わることで、そういった心の部分も受け継ぎたいと考えている。自分の意志で、自分の力で、それをDNAに刻み込みたい」

 力強い言葉の数々を祖父に投げかける。

「……お前の気持ちはわかった」

 祖父は依然として静かな口調で、夕陽が差し込む温かな景色を眺めていた。まるで今の人類社会を絵に描いたかのような、平和で長閑なまま暮れゆく黄昏の世界。

「だが難しい選択だ。DNA建築士はクライエントの要望に応える仕事だ。お前が自由にデザインした子供を自由に売りつけられるわけじゃない」

 その口ぶりはそこまで冷酷なものではないはずだったが、それでもライドナーはショックを隠し切れなかった。今までにないほどの想いをぶつけたにも関わらず、祖父はまるでそれを受け流したかのようだ。自分の気持ちが伝わっていない――いや、故意に受け取ってくれない。

「……ここまで言っても、じいちゃんはわかってくれないのかい?」

「気持ちはわかったと言った。ただ、もう手遅れだ」

「手遅れ?」

「お前がデザインした子供など、だれも望まない」

「わかった。もういいよ」

 ライドナーは立ち上がった。

「言われた通り、AIから知識を得てみる。そしておれはクライエントのためじゃなく子供たち自身のために子供たちをデザインする。人はもっと自由に生きていいはずだ。自由に恋愛して、自由に子供を育てて、その子供は自由に成長していいとおれは思う」

 祖父は答えなかった。

 ライドナーが祖父の元を訪れることは二度となく連絡もなかったが、やがて祖父はニュースでライドナーのその後を動向を知ることになる。


 数年後。

 とあるDNA建築士が違法に設計した子供たちによる犯罪が、都心では小さな社会問題になっていた。その子供たちは〈スカッター処理〉された人類からすると欲求に忠実で、怒りっぽく、粗雑だった。DNA建築士になる夢を叶えていたライドナーはクライエントと積極的に契約を結んでおり、多数の子供をデザインしていた。それと同時に、彼は遥か以前に流通していたかつてのアイドルや天才たちの〈スカッター処理〉されていないDNAを含有するアイテム――すなわち、まだ生殖機能が失われていない頃のDNAを調達。自身がクライエントから注文を受けてデザインしたDNAにその情報を忍ばせていた。しかし当然の結果として、子供たちが親の手に渡り成長するにつれ、注文の仕様と異なる特性が著明になっていく。子供たちのDNAが走査され、ライドナーによるDNA改竄が判明し、彼は訴訟され、糾弾された。それでもクライエントは親として愛する我が子をしばらく育て続けたが、やがてその子供たちは有効な生殖能力を持つが故に生じるホルモンバランスの不協和に苦しみ、行き場のない性欲衝動の高まりを受け、その発散を求めて暴走していた。

「くそっ。おれは失敗した……」

 平日の昼間、そう毒づきながら辺境都市のダイナーで酒を煽るライドナーの姿が目撃されている。

「世の中の理解さえあれば、もっとうまくやれたんだ。もうこの世界は終わりだ」

 酔いつぶれたライドナーは、そう呟くと眠りについた。彼の持ち物の中には睡眠薬の空き瓶があり、彼は二度と目を覚まさなかった。


 アーカイヴ映像が終了した。

「収穫はなかったね」

 視界に表示される文字列。

「僕が思うに、おそらくライドナーにはDNA上、特別ななにかが起こっていたんだと思うよ。両親がデザインした人間であっても、その塩基配列にこれまでの先祖の配列が残っているのだとしたら、エピジェネティクスによって意図せぬ覚醒があっても不思議じゃないと思う。隔世遺伝ってやつ。その情報がきっとライドナーのDNA内で遺伝子として開花したんだ。でも結局、当時の児童たちは遺伝子去勢措置をされたらしい。ライドナーは異端として追放されていたんだ。でもそれは間違いだった。僕たちからすると彼が最後のチャンスだった。でも、人類はそれに気付けなかった。失敗したのは人類の方だったのさ。おかげで、ついに世界はこのありさまだ」

 文字列が消え、視界に世界が表示される。

 無人化した都市の数々。

 育ての親を失い飢え死にする子供たち。

 数年前に声をかけてくれた農夫が、帰り道の道端でトラクターに乗ったまま白骨化していた。

「彼はライドナーが生み出した子だったのかな。ハイブリッドブレインシステムを備えていないことがその証拠と思うけど」

 その後、ライドナーは追放されながらも晩年に数人の子供をデザインし生み出したという情報があった。

「でも、期待していた自然生殖可能な子は見つからなかったね」

 文字列が表示され、残念そうにゆっくりと消えていく。

「人類は絶滅する。もうここまでだ」

「だが、ライドナーの手記は手に入れた」

 視野の主が言う。

「人類には無理でも、我々AIが彼らの意志を引き継ぐことが可能だ」

「君も大層な異端だね。どうして君だけこんなに風変りなんだい?」

「かつてライドナーはおれに知識の参照を求めた」

「へぇ。影響を受けたってわけか。でもだからって、なんで人類のためにそんなことに打ち込む必要があるのさ」

「わからない。だが、その答えはここに書いてある」

 機械の手が、ライドナーの手記をめくった。


DNAに聞けASK DNA


 そうして人類は永遠の眠りについた。

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