最終話

 フォンユーは師匠であったシャォウーの願いを受け、《虹の谷》へ行った。

 かつてシャォウーが助けた少女がそこに暮らしているはずであった。

 少女の名はチュンタオ――今は滅んだ東黄六河派の生き残りだ。

 滅ぼしたのは梗楼派という一派。

 その梗楼派にチュンタオが見つけられてしまったというのだ。

 梗楼派は王都軍を味方につけて谷を総攻撃していた。

 シャォウーの願いはチュンタオを助け出すこと――。

 幼い時に仙術を指導し、蘭光ラングゥァンと光矢弓の術を授けてくれたシャォウーは、フォンユーが独り立ちしても幼子のように扱っていた。

 そんな彼女が、フォンユーに頼みごとをしてきたのだ。

 断れはしない。

 フォンユーは攻撃を掻い潜り、チュンタオを発見した。

 それが大人のリーチィであった。

 助けようとしたが、自暴自棄になっていた彼女は逃げようとしなかった。

「どこへ行っても一人。命も狙われる。生きる意味を失った――」

 と座り込んでしまった。

 フォンユーは見捨てられず、彼女を肩に担いで、攻撃の手薄な所から強引に連れ出した。

 シャォウーへの義理ではない。

 別に理由があった。

 その時既に、彼女を庇護すべき妹のように接していた気がする。

 同じくらいの年齢で、背も高く、大人っぽい彼女を、どうして『妹』としたのかは、今でも分からない。

 ――そういえば、その時彼女と約束したな。

 チュンタオはフォンユーの手を振り払った。

 芯が強そうな顔つきなのに、涙も枯れて、ただ失望だけが浮かんでいた。

「一人でいることはもうイヤ! 一人でいるくらいなら死んだ方がマシだ!」

「だったら俺がいてやる!」

「口ではなんとでも言える。あいつらに狙われる度、襲われる度、きっと嫌になってあたしを捨てる! そうなったら、温かみを知った分、もう一人になんてなれない――。そうなる前に、弱い自分が嫌いになる前に、死んでしまいたいの!」

「簡単に死ぬなんて言うなよ」

「会ったばかりのあなたに止める権利なんてない!」

「どのくらい一緒にいれば言っていいんだ?」

「え――」

 初めてチュンタオの顔に生者の色が掠めた。

 自棄になって表情を失ったままの彼女が、初めて表した感情だ。

「死なないでくれと言っていい仲になるまで、俺が傍にいてやる」

 チュンタオは大きな目を潤わせ、じ――とフォンユーを見ていた。

 ない交ぜの感情には疑念や動揺、躊躇など負の要素が多そうだが、それに負けない言葉をフォンユーは探した。

 そして言った。

「それまで俺が君を守ってやる」

 思い出して、フォンユーは恥ずかしさに身を捩じらせた。

 ――次、次。……で、どうしたっけ?

 その後、すぐに追っ手が来た。

 ――そうだ。追っ手と戦って――……、俺は……深手を負った。

 何とか追っ手を光矢弓で倒して、そのまま気を失った。

 ――俺は致命傷だったはず。

 そこからが記憶になかった。


 飛んで来た光の玉が俺の肩へ吸い込まれる――に繋がるのだが、これはツージーの記憶だ。

 分からなかった。

 なんでチュンタオがリーチィに――?

 その時は俺と同じ歳くらいだったのに何で十二歳に――?

「このままではやばいぞ――」

 不意の言葉がフォンユーを現実へ引き戻した。

 ツージーだ。

 ゆっくりと近付いてくる。

 腹を押さえているのは、さっきチュンジュンに蹴られた所だろう。

「何がやばいんだ?」

「妹の攻撃力は高いが、敵の回避力の方が勝っている」

「当たらなければ倒せないってことだな」

「あいつの体力は無尽蔵だが――」

「チュンタオには限界がある」

「――おぬし、記憶が?」

 フォンユーはゆっくりと立ち上がった。

 近くまで寄っていたマントの襟元を掴んだ。

「俺が死にかけている間に何があったんだ?」

「あの時か――」

 顔の窪みの円がフォンユーを見ている。

 せわしなく動いていた緑色の煙が、ゆらりゆらりとたなびくようになった。

 ツージーは意を決したようだ。

「倒れたおぬしに、妹は泣き叫びながら駆け寄った。おぬしはもう助かりそうになかった」

 ――本人を前によく言う……。

 しかしフォンユーがここにいるのだから、助かったのは確かなのだ。

「妹は東黄六河派の蘇生術を使い始めた。普通は使えない技だが、霊験豊かな仙具がそこにあった。それを媒体として術を発動させたのだ」

「仙具――? そうか、蘭光か」

「元々仙力の少ない妹が、蘇生術など成功させられるはずがないと思っていた。しかし仙具が融合し、更に自らの生体力を仙力の代わりとし始めたのだ」

 それが《蘭光》をリーチィが持っていた理由だ。

 生体力とは年齢と同義なのだろう。

 ――取られたヨウフィは歳を取り、与えたリーチィは幼くなっていった……ということか。

「妹はどんどんと幼くなっていくのに、おぬしは覚醒する様子がなかった。拙者はそれを止めさせる事にした。その時だ――」

「飛んで来た仙石がお前にぶつかった」

 ツージーは頷いた。

 場所は標高の高い山だったと、フォンユーは記憶していた。

 仙石が飛んでいた位置にいたのだ。

「気付いたらおぬしに取り込まれていた。仙石を内包した拙者が、おぬしの生命の代わりを果たしたのだ」

「ついでにお前の記憶が入り込んで、俺の記憶が壊れたわけか」

「贅沢を言うな。生き返れただけ感謝しろ」

 リーチィの過去の記憶は全てツージーのものだったのだ。

 彼女が八歳の時からしか覚えてないこと、誕生日をやけに遠くで見ていたことに合点がいった。

 フォンユーの記憶とツージーの記憶が混じり合っていたのだ。

 壊れていたとしか言いようがない。

「目が覚めて俺はチュンタオを妹と認識したのもお前のせいか――。じゃあ名前は――?」

「名前を変えれば梗楼派の追撃をかわせるのにとずっと思っていた――からだろうな」

「なるほど――」

 チュンタオの名前をリーチィとし、妹と認識したのは、ツージーの潜在意識の現われだったのだ。

 改めて思い返すと三ヶ月前――。

 リーチィの反応がおかしかったのは衝撃を受けたせいだと思っていたが、壊れたフォンユーの記憶に彼女が必死に合わせようとしていたのだ。

 ――めちゃくちゃ恥ずかしい。

 体力が残っていたら走って逃げ出したいくらいであった。

 軍に調子に乗って東黄六河派の名前を出してしまったこともついでに思い出した。

 ――これは怒られそうだからツージーには内緒にしておこう。

 フォンユーは考えた。

 がっ――鈍い音が響いた。

 見るとリーチィが地面で片膝をついている。

 痛手はなさそうだが、肩で息をしている。

 対してチュンジュンは余裕で飛び回っている。

 リーチィがまた立ち上がった。

「チュンタオを――。いや、リーチィを助けるぞ。手を貸せ」

「どうするつもりだ?」

「チュンジュンを倒すんだよ」

 リーチィがまた跳んだ。先ほどの切れはなくなっている。

「お前、でかい大砲になってたよな」

「チュンタオの技だ。おぬしが使う気か?」

「それしかないだろ」

「おぬしの今の仙力では死ぬかも知れんぞ――」

「俺は死なないし、リーチィも助ける」

 こんなフラフラで言っても空元気にしか見えないと承知しつつ、フォンユーは続けた。

「つべこべ言わずにさっさとしろ」

「軟弱者のくせに言うじゃないか。――分かった」

 ツージーは意外と素直に死霊散丸砲に変化した。

 纏っていた布が解け、金属の骨格部分が形を変える。どろりと溶けて別の部品になっては固まるを繰り返し、長細くなっていく。

 現れたのは巨大な大筒であった。

 ツージーらしさは先端に顔だった部分が残っているのみだ。窪みの部分が発射口になっているようだ。

 握りが後ろと真ん中に有り、抱え上げるように持つのだ。

 気のせいか、リーチィが使ってた時の記憶より、でかい気がする。

 フォンユーはツージーを持ち上げて構えた。

 ずしっとした重みに倒れ掛かる。

 結局フォンユーは片膝をついて構えた。

『軟弱者が撃てるのは一回切りだ。心して撃てよ』

「分かってるよ」

『では仙力充填――』

 肩から抜けてる仙力は元々フォンユーのものではない。だから実感はないに等しい。

 だが、この仙術に使われるのは自分の仙力だ。

 巨砲の筒に五つある窓が一つ灯るにつれ、フォンユーの背骨に薄ら寒さが増していく。《生》が抜け落ちていく感覚だ。

 ツージーは一発とは言わず、一回切りと表現した。

 なるほど、一回の射撃弾数は五発なのだ。充填にもたっぷりと仙力を使うはずだ。

 空中戦をしているリーチィとチュンジュンはフォンユーに気付いている。

 チュンジュンの余裕そうな笑顔と、リーチィの凛々しい顔――これは心配している表情だ。フォンユーには分かる。

 ツージーが紫色に染まっていく。同時に霧のようなものが筒から漏れだす。

 現実世界では見ることのない、おどろおどろしい黒の入り交じった赤紫だ。

 充填し切った証拠か。

 溢れた仙力が光っているのかもしれない。

 おかげでフォンユーの仙力は限界である。

『倒れるなよ。せっかく溜めた仙力が散るぞ』

「俺は軟弱者だが……、そこまで貧弱じゃあない」

『それにしても最後の一発――……これは――』

 ツージーが絶句している。だが、これが希望の一撃なのだ。

「大丈夫――リーチィなら分かってくれる――」

 フォンユーは四尺ほどの大筒を持ち上げる。

 体力も底をついたフォンユーには苦行に近い。

 発射口を空へ向けた。

 木々を渡るように跳び回るリーチィと風に舞う紙人形のようなチュンジュン――二人の影像が、木立の隙間の青空に浮かび上がっている。

『もう少し上だ』

 持ち上げるだけがやっとのフォンユーは歯を食いしばった。

 チュンジュンの口の端がにやりと歪む。大技などかわせるという自信の現れだろう。

 それがフォンユーの付け入る隙であり、唯一の勝機だ。

『今だ!』

 ツージーの合図が頭に響く。

「リーチィ、どけ!」

 リーチィが一瞬間、フォンユーを見た――

 すぐにチュンジュンへ蹴りを入れる。

 チュンジュンは腕を交差して腕を蹴りを防御した。

 蹴るというより、押し離すようにリーチィは距離を空けた。

 フォンユーはリーチィが蹴りを入れた時点で引き金を引いていた。

 蹴りを受けたチュンジュンへ、紫色の炎が尾を引きながら屹立していく。

 当たるとは思っていない。

 続けざまに狙いを変えて撃っていく。

 一番近かったのは初めの一発だけだ。

 二発目、三発目と、チュンジュンは余裕を増していく。

 火力はでかいが小回りは利かない――これはフォンユーの仙力の影響下にあるせいだ。

 リーチィが使っていた時はもっと攻撃に鋭さがあった。

 四発目もかわされ、最後の一発が撃ち出された。

 炎を纏わず、鋭く撃ち出された終局の一撃は、標的を大きく外れた。

 チュンジュンの顔に邪な笑みが浮かんだ。

 不発弾のような光だけが空へ飛んでいく――。

 はしっ――と音がした。

 地上のフォンユーにも届いたのだ。チュンジュンにも聞こえたはず。

 振り向いたチュンジュンの顔は、今度は驚愕に歪んでいるであろう。

 そこにリーチィがいた。

 音を立てて右手に掴んだ『光の矢』と、右手には蘭光を構え――。

 長年修行してきたフォンユーでさえ美しいと感じられる動きで、リーチィが矢を番えた。

 今更ながらにチュンジュンは逃げようとした――が、リーチィの方が速い。

 放たれた矢はチュンジュンの頭部を直撃した。

 抗えない力を受けて、チュンジュンの身体は大地へ叩き付けられた。

 光の矢はチュンジュンの額から後頭部へ抜け、下の土へと突き刺さった。

 頭部を縫い付けられ、身体のみが跳ね返って、再び地面へ打ち下ろされた。

 リーチィが着地し、フォンユーはツージーを手放した。

 元の人型に戻ったツージーが横に並ぶ。

「うむ――まあまあだな」

 ツージーが渋々言った。

 どうしても及第点は上げたくないらしい。

 そのツージーの姿が薄くなっていく。

「もう限界のようだ。後はよろしく頼むぞ」

 フォンユーが頷くより先にツージーは消えた。

 肩の仙力の流出は止まっていた。

 地面に刺さっている筆架叉を抜くと、フォンユーは倒れているチュンジュンに近付いていった。

 反対側からリーチィも歩いてきている。

 落ちていた剣を拾う。《蘭光》を出すのに邪魔で放り投げたのだろう。

 剣を構え、警戒しながら向かってきている。

 フォンユーはそんな気力はもう残っていない。歩けているだけでも奇跡だ。

 大の字に倒れているチュンジュンの様子が視認できる位置に来た。

 リーチィと横並びでチュンジュンを見下ろす。

 まだ光の矢は刺さっている。

 焦点を失った目が虚空に向き、驚愕の表情が張り付いたままだ。

「死んだ?」

「仙石の化身だから《死》という概念は無い気がするけどね」

「仙石――の化身?」

「あの時、俺の肩に入ってきた奴だって」

 リーチィが大きな目で見上げた。

「記憶が戻った?」

「まだ混乱はしてるけどね――」

「――あたしとの約束は?」

 遠慮気味にいうリーチィの頬が桃色に染まる。

「思い出したよ――」

 フォンユーも恥ずかしさを抑えて、やっと絞り出した。

「約束は守るよ」

 リーチィの頭がこくんと頷く。

 フォンユーは心が浮ついて、足下から声がするまでその存在を忘れていた。

「はん、嫌なものを見せられるとはねぇ」

 げっ――とフォンユーは思わず口をついて出た。

 矢が突き刺さったままのチュンジュンが睨めつけていた。

「やられたよぉ。こっちは弱っちいから、そっちだけを気にすればいいかと思ったのにぃ」

 目で指した所によると、《こっち》はフォンユーで、《そっち》はリーチィのことらしい。

「残念だったな。俺の勝ちだ」

 横からリーチィに肘で突つかれた。

 で結局、

「俺たちの勝ちだ」

 と言い直した。

 それを聞いてチュンジュンが笑い出す。

「あちきには《死》なんてものは存在しなぃ。あんたの身体に戻るだけぇ」

「戻ってくるんだ――」

「あちきが声をかけた仙人、元仙人はもっといるよぉ」

 《千人》くらいか――とフォンユーは冗談めかして言いかけたが、リーチィに怒られそうだったので止めておいたた。

「お前はどこに行っても狙われるぅ。仙力の均衡が崩れれば、またあちきは出てくるのだぁ。いつまでもあちきの影に脅えるといぃ!」

「お前を消滅させる方法はないのか?」

 リーチィが本人に聞くには忍びないことをあっさりと訊いた。

「ないねぇ。仙石はこいつの命を繋ぎ止めている。無くなったら、こいつが死ぬだけだぁ」

「問題ないさ。チュンジュンの存在はもう分かった」

 ぽん――と、憮然とした表情のリーチィの頭に、フォンユーは手を置いた。

「次――なんてないよ」

 動揺一つしないフォンユーにチュンジュンは言葉を失ったようだ。

 ため息と共にやっと口を開いた。

「――そろそろ、時間だぁ」

「何の?」

「あちきの中の仙力が仙石に戻る為に、一度破壊されるんだぁ」

 フォンユーは息を呑んだ。

 リーチィも眉間に皺が寄る。

 チュンジュンが光り出した。

「リーチィ!」

 フォンユーはリーチィを抱きかかえると、走り出した。

 背後で大きな爆発が起こる。

 炎はないが、溢れる光が爆風を生んだ。

 フォンユーは身体が浮かび上がるのを感じた。リーチィの細い身体を強く抱きしめた。重なり合ったまま宙へ舞い上がる。

 おおおおお――フォンユーの口から声が漏れる。

 梢を鳴らして、二人は飛び出した。

 午後の高い青い空が出迎えた。

 巻き上がる風の掌に腰を下ろしたような姿勢のまま、森を越えていく。

 遠くに三日月岩と、更に奥に亀甲山も見える。目視するのは初めてだ。

 話に聞いてた通り、月が落ちたような巨大岩と、亀の甲羅そのものの山であった。

 胸の中でリーチィが薄く目を開けた。

 空を飛んでいることに驚き、そしてフォンユーを見た。

 微笑んだ。

 緩い弧を描き、身体は下降へ向かっている。

 チュンタオ――いや、リーチィは、それほど楽しい子供時代を過ごしていない。

 そのせいか表情が薄い。

 そんな彼女が微笑んでいるのは貴重なことなのだ。

 その笑顔を一回でも多く引き出すこと――それが役目だ。

 フォンユーはそう想い至った。

 視線を戻すと、笑顔のリーチィが遮る物のない広がりを背負っている。

「いつまでも側にいて――」

 風の向こうでリーチィが言う。

 頷くフォンユーの目に、空は染み渡るほど青い。

 これだけは世界が改変されても変わることがない。

 フォンユーの大好きな青だ。


 とりあえず着地のことは考えないことにした。


(了)

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