第11話

 しばらく二人はそのまま歩き続けた。

 感覚的なものだが、森の三分の二くらいは来ただろう。

 妙に息切れがして、フォンユーの歩速が緩まった。

「どうした? 顔色がよくない」

「――少し疲れた」

 言葉にして自覚症状が出たのか、疲労感に押し潰されそうになり、足が止まってしまった。

「休もう」

 リーチィの提案にフォンユーはあっさりと折れた。

 うまく見つけた切り株に腰を下ろす。座っても重さが解消されず、身体全体が沈みそうなになる。

「待ってろ、果実を探してくる」

 大丈夫だ――とリーチィを止めようとしたが、手も挙がらず、声も出なかった。

 リーチィが横道へ逸れて駆けていった。

 フォンユーは一人取り残される。

 ざわざわと鳴る梢の擦過音のみが渦巻いている。

 他に生き物の声がしない。まるでフォンユーだけが異質な空間に閉じ込められたようだ。

 孤独な世界で倒れそうな疲労感と戦っていると、ふいに正面に人影が立っていた。

「ツージーか――」

「相変わらずの軟弱者であるな。――ん? 何があったのか知らんが、仙力がかなり減少しとるではないか」

「昨日から闘いづくしだよ」

 自分で言ってみて気付く。

 獣型の《小愛シァォアイ》、ヂーリンの道化師、それと百安軍――

 体力も仙力も限界で当たり前だろう。

 ――だけど、この感覚は疲労から来てるだけか?

「それでは妹は守れんぞ」

 目の前で威張っている霊体にフォンユーは疑問を投げつけた。

「ツージーは、なぜ俺の中にいる?」

「なに――?」

「ツージーは元々リーチィの固定霊体だったんだろ? それがどうして俺に取り憑いてるんだよ」

「――思い出したわけではないな」

「リーチィから訊いた。あいつの仙術は死霊系だって。死霊系仙術は、身体に霊体を憑かせて、それを媒体に使う術――その固定霊体がいなければ術を使う事は出来ない」

 ツージーはたゆとうている。

「リーチィが仙術を使えないのはお前がいないからだ。ならば、なぜお前は俺の所にいるんだ?」

「おぬしは思い出さなければならないことがたくさんある。何よりも、自分が危険なものを宿しているという自覚をな」

「危険なもの――? 宿している――?」

 その言葉がきっかけを与えてしまったのか――

『やったよ、ついに仙力があちきを下回ったぁ!』

 声が頭に響いた。

「何?」

 ツージーの声と共に、ぱっ――と人影がフォンユーの眼前に現れた。

「チュンジュン――!」

「もう実体化しておったのか――!」

「そんなこと、とっくに出来てたわよぉ」

 チュンジュンは回し蹴りをツージーに食らわせた。

 ツージーが立ち木を掠めるように森奥へと飛ばされた。

「お前――」

 フォンユー立ち上がろうとしたが、足腰に力が入らず、そのまま地面へ片膝を落とした。

 ぐっ――とチュンジュンの右手がフォンユーの首を掴んだ。

 どこにそんな力があるのか、フォンユーの身体が徐々に持ち上がっていく。

 それに反比例するように、フォンユーの力が抜けていった。

「きひっ」

 チュンジュンは奇麗に整った顔を醜く歪めると、地面を蹴り上げた。

 フォンユーの首を掴んだまま、高く跳躍し、覆い茂る枝群を突き抜けた。

 ふっくらとした木の群生を足下に見ながら、滞空している。

 浮遊感いっぱいだが、とても楽しめる雰囲気ではない。

 チュンジュンは力一杯にフォンユーを地面へ投げつけた。

 フォンユーは背中から木々へと突入した。

 動く筋肉と精神力を駆使し、身体を回転させる。細かい枝を吹き飛ばしながらも、太い枝へ着地する。

 枝が大きく撓む――と、チュンジュンも追ってきていた。

 先ほどと同じ箇所を押さえつけられ、フォンユーは地面へ落ちた。

 このままでは叩き付けられる――フォンユーは両足を突き出した。

 チュンジュンの身体が離れる。

 宙で解放されたフォンユーはそのまま背中から落ちた。柔らかい腐葉土の上を滑っていく。

 チュンジュンは少し離れた所へ降り立った。

「しぶといねぇ」

 はぁはぁと荒い息でフォンユーは上半身を起こした。

 肩から白い靄のような光が漏れている。

 薄くたなびき、チュンジュンへと続いてた。

「これは――?」

「苦労したさぁ。あちきのお前の仙力を仙力が勝るまでぇ――」

「ヂーリンや、ヨウフィたちを誘惑したのはこのためだというのか――」

「あいつらはダメぇ。心に深い闇があるのに絶対的好機を見逃すんだものぉ。あの派手な姐さんしか乗ってこなかったぁ」

「ヂーリンはどっちかっていうと大人しい子だ。お前がそういうからリィウィと間違えたじゃないか」

「ん~~? 心の話しよぉ。あの子は心が派手なのよぉ」

 ――分からん話しだ。

 フォンユーは肩を手で抑えてみたが光は止まらない。

 その光の出所がやっと分かった。肩の痣である。

「この痣って――」

「お前の記憶が壊れた原因だねぁ」

「記憶が――壊れてる?」

「あの日、あちきは世界改変の命を受け、一直線に飛んでいたぁ。飛んでいる内に仙力がどんどんと集まり高まっていくのを感じたぁ」

「何の事だ?」

「次々と世界を変えていく中、進行方向に立っているお馬鹿がいたぁ。そいつにぶつかってあちきの人生は終わったぁ」

 チュンジュンは恨みを込めた目でフォンユーを睨み落とした。

「お前の中に囚われたのだぁ!」

「全然分からねえよ!」

「そこであちきは考えたぁ」

 フォンユーの問いは聞き流された。

「あちきの方が仙力は上なんだから、ぶち破ればいいんだとぉ。ところがぁ――飛び出てみればこの身体、仙力も低ぃ。すべてはあのお馬鹿なお化けのせぃ!」

 ――お馬鹿なお化けって、ツージーのことか。

「お前の中から力を全部取り戻すには、お前の仙力よりあちきの仙力が上回る必要があったぁ」

「だから村の人を使って俺と戦わせてたのか?」

「そういうことぉ」

 チュンジュンが嬉しそうに笑った。

「でもお前は仙術を使わなぃ。光の矢と仙具だけだったから、なかなか減らなくて苦労したわぁ。」

「仙術なしで苦労したのは俺の方だ。――仙具?」

 フォンユーは腰に挿してある二本の武器に手を触れた。

「さすがに軍隊相手には仙術を使ったわねぇ。しかも最大限の能力でぇ。殺傷能力を下げ、命中位置をずらした攻撃なんて、仙力を使い切るほどの労力なのよぉ」

「知ってたら抑えてたよ」

「もう遅ぃ。仙石の力を取り戻したら、あちきはまた世界改変の旅に出るのよぉ」

「――仙石と言ったか?」

 光仙会が旧時代の仙術を使って世界を破滅させようとした事件――

 これは仙人大戦のことだ。

 世界へ散った五つの石。その中で一つだけ所在が分かっている――

 チュンジュンが言っていたことだ。

 その所在がリーチィだと思っていた。狙われていたのが彼女だったからだ。

 ――いや、違うか。

 狙いはフォンユーだ――ダイユやヨウフィも言っていた。

 そのためにリーチィを襲うことがチュンジュンの出した条件だと。

 全ては仙力を使わせるための策略だったのだ。

 確かにリーチィが狙われれば戦わざるを得ない。

 つまり――

 チュンジュンは仙石そのもので、飛んでいてぶつかったお化けとはツージーのことだ。

 それらが一緒にフォンユーの肩へ取り込まれたのだ。

 チュンジュンは、フォンユーの記憶が壊れていると言ったが、それは衝撃のせいではない。

 フォンユーは、光が正面の誰かにぶつかった映像を記憶している。

 だからそれはリーチィだと思っていた。

 あれはフォンユーの肩だったのだ。

 ならばこの記憶は――――


 ――ツージーのものだ。


 思い起こすと確かに『ぶつかった』というより『吸い込まれた』といえる。

 そこで記憶が暗転していた。

 ツージーの記憶がフォンユーの記憶と混じっている――

 そう仮定すると、色々合点行く事がある。

 ツージーはリーチィの固定霊体。

 恐らく登録されたのが八歳くらいなのだろう。

 リーチィを妹と見ていたのはツージーだったのだ。本人もリーチィの事を妹と言っている。

 彼女の小さい頃の記憶――八年間は彼のものだったのだ。

 ――じゃあ、俺とリーチィは何なのだ?

 ざりっと地面を鳴らしてチュンジュンが近付いてくる。

「これだけ道筋が出来てれば、もう離れても仙力は流れてくるねぇ」

 チュンジュンはふわりと舞い上がった。

「これでおさらばよぉ」

「まだだ――」

 フォンユーは腰から筆架叉を引き抜くと、肩から出る薄い光に刺した。

 可視状態の仙力に武具が触れられるはずがない。

 だがチュンジュンは言っていた。

 『仙具を使っていた』と。

 造った鍛冶屋も『オレの武器をもっと使いこなせてれば苦労しなかったのに』と伝言で言っていた。

 つまり、この筆架叉は仙具なのだ。

 ――ならば仙力を込めれば!

 ざくっと力強い音を立てて仙力が筆架叉に繋ぎ止められた。

 梢の高さまで飛んでいたチュンジュンががくんと動きを止めた。

「なんですってぇ」

 チュンジュンは振り向いて状況を把握すると、呪詛のような黒い言葉を上から降らせてきた。

 フォンユーはゆっくりと立ち上がると、もう一本の筆架叉の切っ先をチュンジュンへ向けた。

「まだ……。もう少し……付き合ってもらうぞ」

「死に損ないがぁ!」

 チュンジュンが下降してくる。

 フォンユーは筆架叉を突き出す。

 思ったほどの速度は出ない。

 ふわりとチュンジュンは回り込んだ。

 背後から攻撃するつもりだ。

 空いていた手を伸ばす。

 移動途中のチュンジュンの襟元が手に収まった――同時にフォンユーは身体をひねり倒した。

 チュンジュンを地面に叩き付ける。

 ごぅっ――と彼女の見た目に反した野太い声が洩れた。

 だがすぐに、チュンジュンは飛び起きた。

 それに対しフォンユーは片膝の体勢のままだ。

「この餓鬼がぁ!」

 チュンジュンの蹴りが弧を描く。

 フォンユーは両手を交差させて防御したが、蹴りの重みで身体が浮き上がった。

 飛ばされる勢いを利用し、フォンユーは足を振り上げた。

 足の甲が、攻撃を終えて隙が生まれたチュンジュンの顎を直撃した。

 フォンユーは地面に落ちた。

 濃い土の芳香が鼻を衝く。

 ひんやりとした土に寝ていたい衝動を堪え、起き上がった。

 その動きはフォンユーが満足いくものではなく、緩慢としていた。

 チュンジュンは倒れなかったようだが、意外と効いたらしい。顎を抑えて同じ所に立ち、フォンユーを睨む目は血走っている。

「お前なんか仙石をなくせば死んでしまうんだぁ。無理して戦う必要はなぃ」

 チュンジュンは害虫を見るような顔付きで言うと、刺さった筆架叉を抜きに行った。

 それを取られてはチュンジュンを逃がす事になる。

 だが身体は思うように動いてくれなかった。

 はた――と足を止めたのはチュンジュンの方であった。

 視線を追う。

 筆架叉に足をかけて立っているのは――。


 リーチィであった。


 左手には鞘を持ち、右手は柄に掛かっている。

「何か用かぃ?」

 リーチィは答えない。無言でありながらチュンジュンを圧倒している。

 リーチィは筆架叉を深く踏み込んで更に固定すると、一歩前に出た。

 聞いただけで斬れそうな音を立てて剣を抜き放つ。

 鞘を投げすすて、チュンジュンとの距離を詰めながら、近付くに連れて速度を上げた。

「フォンユーはな――あたしといてくれるって言った人だ」

 ひぃっ――とチュンジュンが飛び上がって逃げた。

「その人に手を出したら、あたしが許さない!」

 リーチィが跳ねる。

 飛び回るチュンジュンを、リーチィは木の枝や幹を使って立体的に攻めた。

 空中戦である。

 刃が空気を斬って剣筋を残す。

 体術との併用と速度が増す連撃が、チュンジュンを追い詰める。

「あいつを怒らせるのはよそう――」

 何とかフォンユーは座るところまで起き上がれた。

 リーチィが三日月のような軌跡を剣で描く。

 そこにチュンジュンはいなかった。

 リーチィはそのまま木の中へ入っていった。

 すぐに飛び出てきた。

 やはりチュンジュンに剣はかわされ、地面に着地し、そのまま地面を滑る。

 止まると同時に剣を振って構えた。


 あたしといてくれると言った人――リーチィの言葉が壊れた記憶を繋げた。

 そんなに遠い記憶じゃない。


 ――三ヶ月前だ。

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