俺の幼馴染やばすぎ

雷之電

第1話

 帰りのホームルームが終わった。運動部の男子が各々着替えを始める。みな部室に向かう中を一人歩いて帰路につく。

 二年に上がるとき文学部をやめた。自分が書きたいものと高校生に求められるものが大きくかけ離れていたためだ。顧問の先生はそれをよくわかっていて、惜しみながらもその後を応援してくださっている。

 この夏始め、放課後にすぐ帰る生徒はほとんどいない。不登校か病弱か、途中でやめた者だ。一年のときに一度はどこかに入部しなければならなかった。

「ちょっと祐介。そっちだめだよ」

 いつもの調子で近道の私道に足を踏み入れたときだった。

「えっああ、うん」

 幼馴染の川田真希だ。中学までよく話し遊んでいたが、高校に入ってからクラスも重ならず、それぞれ新しい友達を作っていて、同学内なのに疎遠になっていた。

「そんなの気にするタイプじゃなかったでしょ」

 道は歩くためにあるというのに、ここを学生が歩くのを許さない頓珍漢が、学校にクレームを入れているそうだ。

「いや。なんて声かけたらいいかわかんなくって」

 私道を諦めて二人並ぶ。

「変なこと聞いていい?」

「えなに、スリーサイズはやめてよ」

「惜しい。真希痩せた?」

 この春に彼女は母を亡くしていた。それから学校で見かけたときにその細さを感じたのだ。

「それと変に落ち着いたっていうか」

 痩せたのも雰囲気が変わったのも母の死が関係していることは間違いない。それはわかっている。ただこれを聞けるのは付き合いの長い自分くらいのもので、また彼女に手を貸してやれるのも自分だけだと思っての質問だった。

 家からの出棺を学校の帰りに見かけた。参列者は真希とその父の他にいなかった。

「んんまあ…… 前みたいにバッタの首引っこ抜いて胴体ぴくぴくさせたりはしてないね」

「そりゃ俺がいなきゃそんなはしゃぎ方しないでしょ」

「もうしないってば」

「久々だし今日遊ばない?うち来てよ」

「ん、お父さん大丈夫?」

 彼女の父は家にいる間ずっと焼酎を片手に持っていて、だいたいいつも機嫌が悪く、彼の八つ当たりに母がすべて対応していた。父のせいで誰も彼女の家に入ることは叶わなかった。その母がいなくなった今、真希は家でどう過ごしているのか。

「大丈夫」

 彼女の言い口の、その固い調子から、何がどうなって大丈夫なのか少しもうかがい知れない。


「お邪魔しま……」

 家の中は荒れているのかと思った。恐ろしいほどなにもない。玄関には一足も靴が置かれていない。彼女が持っているのは、今履いている白のスニーカーだけのようだ。

 収納の上にも小物の類は一切置かれていない。本当に家族という単位で人が生活しているのか怪しいくらいに、なにもない。

 廊下の左側に部屋が一つと水場、突き当りに簡易キッチン付きの居間。誘導されるまま居間に入り、小さなテーブルに向かい合って座る。プラスチックのジョッキに麦茶を突っ込んで出された。

「嬉しい。裕介が他の人に気を取られて、私なんか忘れてると思ってた」

 酒瓶がない。真希が麦茶を取り出すときに冷蔵庫の中を少し覗いたが缶の一つも入っていなかった。

「俺も。友達を忘れるなんてことありえないのにね、なんか寂しくなるよね。環境が変わると話しかけるきっかけがつかみにくくなるのかな」

「別に何もなくても来ていいのにって、たぶん裕介も思ってたでしょ」

 突然それぞれが互いの知らない世界へ歩き出して、こっちのことなんか気にもかけていないような素振りを見せた。しかし同じことをお互い感じていた。

「まあね。……ねえ最近ちゃんと食べてる?」

「えっと、……そう、だね。お弁当持ってってないや。購買も、なんか注文しづらくって」

 五キロの米の袋が一つ、コンロの下についている棚の前に置かれている。

「お母さんに頼んで弁当作ってもらおうって思ってるんだけど。一人分増えたって変わんないだろうから」

 昼休みに弁当を開けているところを最近見ていなかった。極端な減量を意識しているのかと思っていたが、この家の中を見てそうではないことを確信した。

「えっそんな、悪いよ。……別に同じのが嫌ってわけじゃないんだけど、」

「いいのいいの。なんか婆さんみたいなこと言うけど、ほんとに、最近の真希は見てらんなくって」

「……そっか。ありがと。ねえ」

 真希が立ち上がりこちらの後ろにある寝室へ向かうところで不意に肩に手を置かれた。微妙な力が入っていて、掴んでいるのか乗せているのかわからないような具合だ。

 いざなわれているような気がして、無意識に同じ方へ歩きだしていた。

 襖の間から漏れる、恐ろしいほど暗い闇に飛び込むと、平衡感覚も聞かないようなその中で、床に敷かれているらしい布団に向かって押し倒された。とっさについた手からの感覚によると、敷いてあるは一人分らしい。知らない匂いがする。父のだろうか。

 彼女の腕が、こちらのベルトをいじることもままならないほど異様な震え方をしてさえいなければ、この状況を、その脈絡のなさに疑いすら持たず、誘いにほいほい乗っていたことだろう。

「何やってんだよ、ちょっ離れろって」

「何って、そ、そりゃ。ね。する、んでしょ」

「しないってば。どっ、どうしちゃったんだよ」

 胸の上あたりでこちらを見つめてくるその頭を片手で押さえて離れる。畳の上にごちゃごちゃと小物が置かれていて足元がおぼつかない。

「ちょ一回落ち着いて」

「待って違う。行かないで、違うんだってば」

「何が違うんだよ」

 リビングから差す光に照る真希の顔にはほんの数十秒前の彼女から少しも想像できないような悲壮感が浮かんでいて、真っ直ぐこちらの目を見たままどたどたと近づいてきて裾にすがりついた。

「ごめん、行かないで」

 涙を裾で拭くくらい顔をくっつけて、掠れた声を絞り出して懇願する。

 気圧されて座り込むのに合わせて彼女も膝を崩す。

 ズボンが生暖かい。涙だけの水量じゃないことはなんとなくわかる。

 意味がわからない。わからないなりに、少なくとも今は落ち着きを取り戻すべく服に鼻水をねっつけられているこの状況は、ついさっきと比べれば悪くはなさそうだとは感じた。

「っん、ぉえ」

と思ったら今度は部屋の外へ飛び出して、盛大にゲーゲーいいながら吐いている。慌てて見に行くと便器に顔を突っ込んでいた。

「ごめん、なさい、お父さん」

 確かにそう聞こえた。抱えた洋式便器の中に向かう形で、そう言った。


 逃げるように彼女の家から出てきてしまった。玄関から追ってくる気配はない。

 何だったんだ。真希の行動の随所が支離滅裂で、長年見せてきた川田真希の振る舞いではなかった。到底一人で抱えられるような事案ではないように思えてならないが、誰かに打ち明けたとしてあの頓狂は誰も処置のしようがないように思えてならず、また真希の尊厳をこれ以上どうこうしたくなかった。

 こういうとき自分なりに何か考察しようとしても、大抵情報不足などで無駄に終わる。考えずただ明日が来るのを待つのが最善手であろうが、邪推は自ら止められない。

 家に帰ってまず鼻水まみれのズボンを洗い、空気清浄機の排気口の風が当たるように干した。

 母に真希の分の弁当も作ってもらうよう頼んだ。今日あったことは話さなかった。あんなザマを、たとえ家族であっても、知らせたくない。

 何もかもが今までにない経験で、自分の頭は、これを整理してなにか考えるにはあまりに幼かった。


翌日、真希は登校しなかった。弁当箱を余分に持って違うクラスの教室へ赴き、肩を落として帰ってくるのはたまらなく恥ずかしい。別に誰が見ているわけでもないのに。

 そしてクラスに帰ってきたら、自分の席は節操のない女子に占拠されていた。

 こいつらはさも当たり前のことをしているかのように振る舞うだけで、自らのどんな行いもその場の雰囲気によって正当らしく見せかけることができてしまう。堀井祐介はこの「雰囲気至上主義」が嫌いだった。一対多で、いつも自分の主張が踏みにじられるからだ。

 さらにこれを受けて最近、どうもこの年代はまだようやく自分以外のことを鑑みて動ける者とそうでない者が混在し始めたばかりらしいということを知った。恐ろしいことに、自分がどちらであるかは自分ではわからないということも。

 ここで彼女らの談義に水を差すようでは本当にただのつまんない奴だ。もしかしたら自分がいるときは集まった人数に対して席が足りていなかったのかもしれない。どうせ祐介一人がどこで食事をしようと、その影響で上下する彼女らの幸福度には到底、自分の幸福度の振幅は及ばないだろう。

 ということで、今日くらいは中庭に出て、ちょっとした特別感を味わうため日の下に出てきたカップルたちにまじって、一人寂しく弁当を食べた。


 そしてまた、真希の家の前で、インターホンを押して、立っている。

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