第七話
目覚めると俺は、布団の上に横たわっていた。
ここは、ベスパが所有しているセーフハウスのリビングだ。
その住人である嵐山が、ソファに座っていた。
その手にはレモンスクイーザーではなく、グレートギャツビーという題名の文庫本が収まっていた。
俺が目を覚ましたことに気付き、赤ぶち眼鏡の奥にある大きい瞳が、笑みを浮かべた。
「やあ。おはやう」
立ち上がろうと左手で身体を起こそうとして、激痛がミシッと鈍く走った。俺は布団に再び横たわる。
記憶があやふやだった。カイジン相手に戦ったことと、嵐山の乳枕の感触は覚えていたけど、誰と闘ったのか、よく思い出せない。
「痛てえな」
「左肩の脱臼と軽微なヒビで済んでたよ。処置はもう済んである。左腕を狙わせたのは、いい判断だったね」
今度は腹筋の力だけで上半身を起こし、嵐山を見据えた。
「俺はどれだけ寝てたんだ」
「丸一日寝てたよ。学校には『めまい及び頭痛及び吐き気』ってことで病欠の連絡を入れてるから、心配はいらない」
「鰐渕はどうなってる。俺みたいに襲われたんじゃないのか」
「いたっていつも通り、元気だよ。エイリアンにとって、わにぶちは殺す対象ではなく、奪う対象のようだからね」
「そうか。結局俺の遭難も、些細な出来事ってわけね」
嵐山は文庫の背表紙を指でなぞり、首を傾げて聞いてきた。
「ところで。なにか食べるかい?」
「ああ。なんでもいいから食わせてくれ」
嵐山が指を鳴らせた途端、イソイソと南田が、お盆に丼を二つ載せて現れた。準備が良すぎる。湯気を立たせる丼の中身は、卵とじ蕎麦だった。麺は程よく固く、ダシが効いてて味にも奥行きがある……気がする。
南田さんは流石だな。運転以外は。
「みなみたさんズズーッツ、和洋中はズズウズウズー、ふふれふぁ」
嵐山が蕎麦をすすりながらしゃべる。何言ってるかわからん。なんでお前もそば食ってんだよ。
俺は俺で、こいつに何かを伝えないといけない気がする。何だっけ。蕎麦が美味いから思い出せない。
「で、お前は俺の看病してくれたのか」
「看病は南田さんだよ」
「じゃあせめて見舞いの品くれよ」
「ないよそんなの。代わりに、ヒヨリさんからあさばたけへの命令は持ってきた」
「ありがとう。そんな命令、そこらへんの穴にでも埋めといてくれ」
「命令。このセーフハウスに今すぐ引っ越せだって。できれば今日中にね」
俺の意思が全く関係ない所で、話は進む。金ヶ崎はそういう強引な命令が好きらしい。
「分かった。しょうがない」
俺は素直にそれを受け入れた。
「おお? あさばたけは絶対嫌がると思ってたよ」
目を点にして、嵐山は驚いた。俺のひん曲がった性格を把握してくれて助かるね。
「このセーフハウスのセキュリティは、カイジンが侵入できないほど良いんだろ? だったらそれに頼ることとするさ。北倉に夜中襲われたのは、正直恐ろしかったんでね。それに、金ヶ崎に逆らってもいいこと無さそうだ」
「北倉って。ボクらの担任の?」
あ。朦朧としていた記憶がハッキリと戻ってきた。
「そうだ北倉ァ! あの根暗ァ!」
俺は、昨夜この身に起こったことを洗いざらい、魂を込めて嵐山へ説明した。嵐山の視線はいつも以上に、宙を彷徨っていた。聞けよ。
「ホントかなあ」
俺が語りに語った後、嵐山はからっぽの丼を置いて言った。
「あの顔はぜってーそうだ! そういや北倉は学校来たのかよ、バチバチのボコボコにしてやったぞ」
「いつも通り出勤してた。カイジンは体の一部でも残っていれば、復活してしまう。心臓を消滅させるか、オリジナルの死体を燃やさない限りは、無限湧きだよ」
「じゃあ、さっさとアイツを逮捕でも家宅捜索でもなんでもしようぜ。ベスパなら簡単だろ?」
俺が言い切るも、嵐山はめずらしく歯切れ悪く答える。
「うーん。ヒヨリさんには報告するけどね。ホントに北倉先生がカイジンだったとしても、ベスパには逮捕権がない。逮捕と家宅捜索は警察の専権だ。ボクたちベスパはあくまで、宇宙侵略専門の特殊部隊だからね」
「けど北倉を野放しにしてて良いのか、またアイツは襲ってくる」
「それは問題ないよ。今度は跡形もなく、ボクが心臓を消し飛ばしてやるから」
「頼もしいこと……お前も金ヶ崎も、カイジンやカイブツに追っかけ回されてるのか?」
「うん。ボクは子供のころからずっと。両親が殺されて、最初は逃げて隠れて、カイジンが僕を見失うまで隠れてた。父さんに拾われて自分の能力に気付いてからは、クギやネジを弾代わりにして、カイジンやカイブツを返り討ちにして生き抜いてきた。ヒヨリさんと出会って、中学校へ上がるころには襲撃をうけなくなった。狩られる側から狩る側に成長したからね」
物心ついたばかりの子供にとって、それがどれだけ恐ろしい事だろか。左腕が鈍く痛んだ。
「父さんってのは、実の親じゃないのか」
「育ての親さ。人種も年齢もよく分からなかったけれど、色んな外人部隊を渡り歩いた、根っからの戦争バカでね。けど、親をカイブツに殺されてしまったボクを救ってくれて、戦闘技術を叩き込んでくれた恩人だった。ヒヨリさんと会えたのも、父さんの伝手があったからだし」
嵐山がその戦闘力をどうやって身に着けたのか気になっていたけど、どうもそういうことらしい。垂れ目でマッチョなハリウッド俳優がバンダナを額に巻き、銃を乱射している『怒りの映画』を、ぼんやり思い出した。
「その口ぶりだと……その人はもうこの世にはいないのか」
「うん。カイジンと闘うのが楽しくなりすぎて、深追いしすぎて死んじゃったよ」
「その、悼んでいいのか分からないんだが」
「誰だっていつかは死ぬ。その死に方が戦死だろうと、老衰だろうと変わらないよ」
達観したような顔で、嵐山は言った。
「にしてもお前も、能力やカイジンのせいで酷い目に遭ってたんだな」
「いや? ボクはそれほど酷いとは思ってないな」
「え。話の流れブちぎるなよ、同情してんだぞ俺は」
「だって、普段の生活で邪魔な存在を、ボクは絶対にブッ飛ばさない。いつもぶっ壊したい、張り倒したいと思ってるけど、必死に我慢してる。でも、あのパラレル世界では、宇宙人の手下共を思う存分いたぶって、グチャグチャにして破壊できる。こんな狩りは、最高に楽しい遊びじゃないか」
嵐山はニィと笑う。整った顔が狂暴な衝動で歪んだ。その顔を、俺はどこか冷めた目で見つめた。それは、育ての親の影響なのか、それとも本性なのか。
共通の悩み事から歩み寄ろうと思っていた俺が、バカみたいだな。
「楽しいのはいいけどさ、楽しいだけじゃ鰐渕は助けられない気がするぜ。相棒さんよ」
嵐山にとって、俺の口応えは不意打ちだったらしい。ビックリしたように瞬きをしてから、真剣な顔付きで黙り込んでしまう。反応が戻ってこない事でバツが悪くなった。
俺は、ドアをおもむろに開いた。ドアの向こうで盗み聞きしていた南田さんが、驚きのあまり硬直している。
「それで南田さん。話は聞いてたろ。俺がここに住んじゃダメかい?」
「へ? 私はその、大歓迎だけど」
「歓迎すんのかよ何でだよ」
「た、たしかに。これからひどいことされるかも、密室、男女二人きり、何も起きないわけはなく……」
「嵐山居るじゃんか。それに変な気なんてない。俺は他人の手を握っただけでも、その死期が見える男なんだ。人の死に様を見せつけられながら興奮できるほど、ぶっ壊れてない。やる気なんて元から枯れてる」
「酷いのベクトルが違う……!」
南田さんは壁にもたれかかって、天井を仰いで固まった。ショックを受けたらしい。
意味わかんねえ大人だな。大人はだいたい意味わかんねえけど。北倉とか、補助金目的で里親業やってた里親とか、俺をそんなクズの里親へ捨てた両親とか。
「俺の枯れ具合を知って、金ヶ崎も同居の命令を出したんだろ。奴は人の思考が読めるんだ」
「あ。でも、初めてカイブツに襲われた時、ボクのスカートの中身を見ようとしたね」
嵐山が顔を上げて、会話に復帰してきた。
「あれは事故だ。中身は見えなかったし、あんな緊急事態でパンツを見ようと思う奴が、この世にいるわけが無いだろいい加減にしろ」
そこまで早口で言って、ふと気づいた。嵐山は俺の予知能力を打ち消せる例外だ。
けど、コイツにセクハラを働けば最後、俺は『風に成る』だろう。
南田さんがぼそっと言う。
「……それで、さっき叫んでた根暗って、わたしのこと?」
「勝手に拡大解釈して自爆すんのやめてもらっていいすか」
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