第八話


 セーフハウスに引っ越すことになったその日、俺は玄関廊下にペラペラの布団を敷いて、一夜を過ごした。


 もちろん、眠れやしなかった。襲撃の恐怖と左肩の痛みが、眠気を吹き飛ばす。死や痛みに比べたら、女の子と暮らす不安なんざ、些細な問題だった。……いや、全然気にならない訳じゃないけどさ。


 だから、俺は眠たくなるまで、英語の暗記カードをひたすらブツブツ音読した。鰐渕と明日会った時に、暗記したか聞かれそうだから。結局何時に寝たかは解らないまま、次の日は来た。


 南田さんにたたき起こされてからパンだけをかじり、乗り慣れない路線バスに揺られて、嵐山と一緒に登校した。人体はつくづく不思議だ。すこしばかり夜更かししただけで、もう眠い。


 教室の引き戸を開けても、クラスメイト達の視線は俺達へは向いてこない。存在が空気だからな。気楽でいいけれど。


 ただ。例外は居る。鰐渕だ。俺が席に近づくと、心配気に話しかけてきた。


「おはようございます。嵐山さんから体調不良とお聞きしましたけど、大丈夫ですか?」


「悪い奴から重い一発を喰らったけどな、どうにかなった」


 言葉を濁して俺は着席した。鰐渕には嘘をつきたくない。けど、話せない事は多い。いつか洗いざらい白状できる日がくればいいけど。


「それで今日の放課後……どうされます? 英単語の小テストを解いてもらおうかとおもっているのですが、体調が悪いなら見送りましょうか」


「もちろん受けるよ。そのためにいろいろと課題を片付けてきたんだから」


 教壇に現れた悪い奴を見据えて、俺は言った。北倉はいつも通りの生気の無い顔で、まるでなにもなかったように起立を命じる。


「ではまた、図書室で」


「あ、そうだ。心配してくれて、ありがとな」


 俺がそういうと、鰐渕はきょとんとしてから、照れくさそうに笑った。




 昼間の授業はもちろんちゃんと寝た。そのおかげか放課後、鰐淵が持ってきた英語の小テストは、まあまあいい点数が取れた。30点中24点。

 それを見て、鰐渕は小声でほめてくれる。


「もう英単語は十分ですね。すごいです」


「お褒めに与るなんて光栄だ」


「ボクは満点だったぞ」


 嵐山が口を尖らせて水を差してくる。当たり前かのように、こいつは俺の隣にいる。……別に気になるもんでもないけど。カイブツやカイジンが出てきた時、助かるし。


「嵐山さんも、えらいですよ。次は国語でしょうか。不思議です。浅畑さんは英語と国語が壊滅的なのに、数学や物理は得意なんですね」


 鰐渕は、俺の期末テストの結果表を見ながら、首を傾げた。


「な。 俺もわかんないけど、すごいだろ」


「特に漢文がバカだから、そこから手を付けよう」


 と、嵐山は茶々を入れてくる。


「バカとは人聞きの悪い。発展途上と言えよ」


「じゃあ、ボクから簡単な問題を出そう。有備無憂(備え有れば憂い無し)。どういう意味だい?」


「お供え物で……うれしい?」


「よくそんな語彙力で生きてこれたね」


「言葉で殴りつけるのもやめたほうがいい、俺は泣くぜ本気で」


「泣くくらい嫌なら勉強しろ」


「うるせえ! わかった!」


 そこまで応酬を繰り返したところで、鰐渕があきれて言う。


「毎秒そういう賑やかしやってないと生きてけないんですか、あなたたち」



 それから、ひたすらに漢文の返り点について鰐渕の講義を受けた。レ点とか一、ニとかの解説は面倒だったけど、どうにか耐えた。


「訓読文は難しく思えて、ルールは単純ですよ。レ点、一、上の点があれば巻き戻るんです」


「なるほどな。こうやってテストの時も教えてもらえれば、簡単なのによ」


「テストの意味がないじゃないか。自分でどうにかしてこそだぞ」


 嵐山の減らず口へ、また応戦してやろうと思った時だった。突然、図書室の引き戸が開いた。


「誰もいないとはいえ、図書室で騒いでいい理由にはならないぞ」


 ノートパソコンを脇に抱えた北倉が現れた。パソコンのフタには、ウサギちゃんの小さなステッカー。俺の予知は働かなかった。なぜだ、北倉は敵のはずなのに。


「き、北倉先生。何用で?」


 動揺しすぎて上ずった声を出す俺へ、据えた目つきの北倉はぶっきらぼうに答えた。


「鰐渕への用だ、お前らは関係ない」


 生気のともってない北倉の視線は、ずっと鰐渕を見据えていた。何を考えているかわからないが、状況は不味い。ここで鰐渕を攫うつもりなのか? 嵐山の能力で未来が変わってしまっているなら、その可能性だってありえる。


 嵐山はさりげなく、スカートの中へ手を這わせた。スカートと白い太ももの間から、折りたたまれた超小型ピストルが出てくる。小さい取っ手から、四角い銃身が二本飛び出ているだけの構造は、ぱっと見ると文房具のようだった。嵐山は撃鉄を射撃位置へ起こし、机の下で構える。どんだけ銃を持ってんだ。


「わたしに、ですね。北倉先生」


「ああ。その口ぶりなら解っているな」


 俺は急いで鰐渕と北倉の間に割って入ってみた。


「その用事なら、俺も関係あるかもしれませんよ。先生」


「まあお前も辞める側だから関係あるか。 鰐渕の中途退学について、私は話に来たんだ。退学届に不備はないと、先ほどの臨時会議で承認された。事務手続きが済めば、来月にでも退学は可能だと伝えに来た」


 退学。……鰐渕が退学? 奨学金を打ち切られそうな俺じゃなくて? なんでだ?


 鰐渕の顔をじっと見る。その美貌は、感情が抜け落ちたような無表情のまま、動かない。その歪な表情から、胸の奥から湧き上がるようなざらっとした恐怖を感じた。いったい彼女は、何を抱えているんだ?


「どうして、賢い鰐渕が辞めるんだ。アホな俺じゃなくて」


「学費を払う見込みが、立たなくて。母が来年度の学費も……使い込んでしまったので。お恥ずかしい限りですね」


 鰐渕の言葉に、誰も反応を返せない。嵐山でさえ渋い表情で口を閉ざしたままだ。北倉は一仕事終えたと言いたげに、ため息をついてから言う。


「人それぞれ、事情はある。私とて話したい事ではないが、世の中思い通りにはならないのだ」


「そっすね。北倉先生がウサギちゃんになれなかったりとか」


 俺は北倉へ、小声で毒づいてみた。けしかければ、なんらかの反応があるかもしれない。


 すると、俺へ振り返った北倉の顔は、瞬く間に真っ赤になる。


「な、なにを、何故それを知って……」


 そりゃあアンタがこの前、俺を殺そうとして叫んでいたからだ。けど、その反応は、期待していたものとは違った。てっきり逆上して、またカイジンになって殺しに来るかと思ったのに。

 まるで、誰にも話していない秘密を暴かれた時のような、狼狽を見せる北倉『先生』。そこにカイジン北倉としての、敵意や狂気は見えない。もしかして、カイジンになった時の記憶はないのか?


「どしたんすか? 先生がウサギちゃんのグッズよく持ってるから、そう思っただけですけど」


 俺は、すっとぼけて椅子にどっしり座った。そんな俺を忌々しく睨みつけてから、北倉は早く帰れよ、と捨て台詞を残して足早に去って行った。先生の隠していた趣味が露になる。それが普通の学生に訪れた出来事なら、いい思い出になるだろう。けれど、俺たちは普通の学生じゃない。鰐渕もそうらしい。


 三人の間に、長い沈黙が訪れた。鰐淵が虚しく自嘲した。


「しょうもない事、聞かれちゃいましたね。ごめんなさい」


「しょうもなくない。大事だよ。まだどうにか出来ると思う。ボクの先輩に、色々伝手を持ってる人がいるんだ。その人の協力があればきっと大丈夫だよ」


 身を乗り出して、嵐山が訴える。それなのに、彼女は俺達を突き放すような微笑みを見せた。俺たちの心配が、面倒で不必要なものだと言いたげに。その瞳の色も、底の見えないほど濁っていた。


「いいえ。もう退学で良いのです。ここで救われても、また似たような目に遭うのだから」


「でも!」


「いいの。お二人は、消えて無くなりたいと思ったことは、ありますか? 私は生まれてから、ずっと、消えて無くなりたいと思っています」


「あるさ」


 黙り込んだ嵐山の代わりに、俺はぶっきらぼうに答えた。


「それはどうして? 理由は?」


「それは……」


 けど、続いた鰐渕の問いに言いよどむ。人の死に様を見るからだとは、言えない。言いたくない。エスパー能力を知らない人からは、狂人扱いされるだけだ。


「そう。私も理由は言いたくないの。私が真実を話しても、拒絶されるだけだから。さようなら。勉強は続けるけれど、この事には触れないで」


 小さく言い残し、鰐渕は席を立ってしまう。

 薄暗い図書室で、俺と嵐山は二人きりになった。

 ベスパ隊員二人の顔は沈み切っていた。楽しかった時間は北倉の訪問を起点に、突然に刺々しく辛い時間へと変わってしまった。そのあまりの変化の激しさに、俺は腹が立った。


「北倉のヤローは、カイジンになった時の記憶がないみたいだぜ」


 俺は小声で言う。


「自分がカイジンに改造されたことに気づいてないのか、タチが悪い。ヒヨリさんの読心術でも、正体がわからなかったわけだ」


 宇宙人どもは、読心にも手を打ってきているらしい。なら北倉も被害者と言える。ゲスみたいなやり口だ。嵐山はというと、さっき撃ちそびれた折り畳み式ピストルを、手のひらでもてあそんでいる。


「なんていうんだ、その銃」


 俺は聞いた。


「ハニーB。22口径のニ連発護身ピストルだ。豆鉄砲だけれど無いよりかはいいと、この国へ渡る時に父さんがくれた」


「ふーん。……父さんと元々海外で暮らしてたのか」


「ああ。ボクがカイジンに襲われて、本当の両親に殺されたのは中東での事だった。たぶん、両親の赴任先だったんだろう。その時に父さんに助けられて、ユーラシア大陸を何年もかけて横断して、日本へ戻ることにしたんだ」


 その何年ものヘビーな旅で、戦闘術を鍛え抜いたという事らしい。


「タフだな。……お前は、消えて無くなりたいと思わなそうだ」


「ああ。ボクが、消えて無くなりたいとは思ってはいけない。消えて無くなれば、本当の両親と父さんの犠牲も無駄になるからね」


 険しい表情の嵐山はピストルをそっと、スカートの中へと納めた。

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