第六話

 放課後の時間は鰐渕との自主勉と、ベスパ射撃訓練に時間が溶けていった。

 そのどちらにも嵐山が付いてくる。……まあいいけども。

 おかげで一週間ほどで、俺は英単語を百個と、射撃の基本姿勢四つを覚えた。代わりに、しぬほどしんどい。

 だからその日も、縄文荘に戻ってから、すぐに着替えることなく爆睡していた。その日ばかりは、銭湯に行く気力も無かった。だから油断してたんだ。……注意してても防げたとは思わないけれど。


 鰐渕が橋から落ちていくのを、俺は布団に包まってぼんやりと眺めていた。毛むくじゃらの女の巨人が、いくつもの目玉を見開いて叫ぶ。これは夢だな。不思議と分かった。たまにあるだろう? そういう夢。

 寝返りを打つと、場面が変わった。次に見たのは、110歳のひいひいじいさんが死ぬ時の場面だった。俺が初めて死に様を予知してしまった人だ。死因は介護士の弁当を盗み食いして、おにぎりをのどに詰めて窒息。

 流動食に飽きて、たぶんおにぎりが食べたかったんだろう、文字通りに死ぬほど。

 もう一度寝返りを打つ。里親二人の死に様が見えた。台風の最中、自分たちのヨットの様子を港まで見に行って、二人仲良く高波で吹き飛ばされて溺れ死ぬんだ。死ぬまでつくづくバカな人たちだ。その死に様が分かっていたから、俺は奴らの色んなイヤガラセに耐えられた。

 さらにもっかい寝返り。爆睡している俺目掛けて、枕もとに立つ錆びた着ぐるみウサギが、分厚いナタを振り上げている景色が見えた。

 振り下ろされたら、腰は真っ二つになるだろな。そういう処刑法が、中国にあった気がする。

 けど、おかしくないだろうか。今見ているのが死に様だったなら、俺は間もなく死ぬ。

 気付いた。着ぐるみウサギは夢じゃない、未来予知だ。

 俺は殺される寸前なんだ。


 跳ね起きた俺の背中を、大ナタが掠めた。

 真夜中のはずなのに、部屋じゅう紫色の光で満たされていた。

 俺の部屋に、紫色の着ぐるみウサギは立っていた。死ぬほど嬉しくないサプライズ。

 俺の危険を察知して、アーマーが自動で起動した。ゲル状の液体が俺の身体に吹き付けられ、トレンチコートが装着される。

 ウサギは狭い部屋で、むりやりナタをぶん回し始めた。俺は予知を頼りに、ナタ筋を二つ、三つと避けた。

「全宇宙の生命は、我がの主の進化のために存在する。ウサギちゃんの主は、時空を支配することを望まれている」

 四つ目の斬撃を避けた時、ウサギはナタを構え直して、この前よりも長い文章をしゃべった。

 声はくぐもってハッキリ聞こえない。その低い女の声はどこかで聞いたことがある。誰だ。それより剣を避けるので忙しくて、答えは出てこない。

「お前らの宇宙人が時空を牛耳ることと、お前が俺を殺す事って関係ある? 無いだろ。張り倒すぞ」

「お前は我が主のプランに必要ないからだ。男は我が主の子どもを宿さぬ」

 このまま避け続けても、いつか殺されちまう。だから七つ目の斬撃を、俺は敢えて避けなかった。左腕のシールドで、刃先をもろに受け止めてやる。

 攻撃を受けたら爆砕するという厄介な装備は、ナタの一撃を喰らった途端に、爆風をまき散らして木っ端みじんになった。

 すさまじい爆風は、縄文荘の壁や塀までぶち破ってしまう。

「ここの壁、アルミホイルより薄いからな」

 案の定、ウサギは瞬間移動して、爆風を避けたようだった。

 ヤツを倒さないと。

 玄関前に転がっている学生鞄へ手を伸ばす。パラレル空間でも、オモチャみたいなサブマシンガンはそこにあった。M10の折りたたまれたストックを引き延ばし、安全装置を解除する。

 ぶち抜かれた壁から外を覗く。壁も塀も無くなって、庭越しに細い十字路がすぐ見えた。その交差点の中心で甲冑が、剣をアスファルトへ叩きつけて地面を砕いていた。その割れ目から黒い泡がボコボコと噴き出し、身をよじって何匹ものコオロギ顔の人形が生まれ出てくる。

 ウサギは、攻撃をカイブツに肩代わりさせるつもりらしい。……それ、俺にとって不利だな?

 攻撃予知は、攻撃されないと発動しない。俺は甲冑の瞬間移動先が、永遠に分からないってわけ。俺自身でもよく知らないのに、ウサギは俺の弱点に気付いていた。

「生きた理由も分からぬまま、時空の狭間で死になさい!」

 ウサギは肩を揺すらせて、楽しそうに叫ぶ。

 どうすればいいんだ? 俺はこのままだと、弾切れで死ぬ他無い。予備の弾は30発しかない。

 詰んでる。

 吐き気がこみ上げて、めまいが襲ってくる。ここで俺が死ねば、たぶん鰐渕も死ぬし、嵐山だって……鰐渕を助けるという希望を抱いたから、心に恐怖が生まれていた。

 けど。今は俺だけでどうにかするしかないじゃないか。

 M10の装填レバーを引いたとき、ちょっとばかり気分が落ち着いてきた。俺には一応、武器がある。素手でバケモンに立ち向かうわけじゃない。仮にそんな命知らずがいたら、会って話をしたいものだね。

 嵐山から習った通りの射撃体勢を取った。右足を半歩下げて、腹に力を入れながら前かがみに銃を構え、銃床を肩と頬でホールドする。最後に安全装置を撃発モードに跳ね上げた。

 こちらへ突進してくるコオロギマネキンに向かって、照準線を合わせる。タップ撃ちで短く弾を連射する。M10は連射しか出来ないサブマシンガンだ、融通なんて効きやしない。

 マネキンを撃ち倒している間にも、新手はぞくぞく生まれてくる。考えろ。考えないと死ぬだけだ。こういう時、嵐山はどうするか考えてみろ。アイツが言ってた言葉は、さしすせそが何だっけ。

 違った。ファイアアンドムーブだ。銃撃戦では常に優位に立つように、敵の弱点を突くように行動しないとならない。クソウサギに弱点はあるのか? 胸に銃弾を撃ち込んでも死なない奴だ。俺は嵐山のような、敵の腕を丸ごと吹き飛ばせる必殺技は持ってない。

 ウサギはどうやって俺の位置を把握してるか考えろ。初めて対決した時、嵐山の飛び跳ねるような動きを、ウサギはじっと見つめてきた。スモークグレネードの煙幕が目くらましになった。さっきも奴は首を動かして、俺の動きを追っていた。

「眼か」

 カイジンが視界を頼りに行動しているのなら、弱点はそれかもだ。一か八かに掛けてやる。部屋の中に貯めている粗大ごみの中から消火器を引っ張り出して、俺は十字路へ飛び出した。反撃だ。 やることが決まったら、クソウサギとその親玉に腹が立ってきた。

「これまでさんざん、見たくもない他人の死に様見せられて生きてきたんだ。こんくらいの鉄火場なんて、火傷にもならないな」

 コオロギ男を二人撃ち倒してから、十字路に立つ甲冑目掛けて、消火器を投げつけた。

 甲冑は、瞬間移動を掛けて十字路の奥へと逃げて、消火器を回避する。死角になる右でも、左でもない。

 やっぱり見えない距離まで、奴は移動しようとしない。俺を視界に捉え続けていたいからだ。

 転がり続ける消火器へ、俺は銃弾を叩き込んだ。爆装弾が破裂して、白い煙が十字路にブチまかれた。

「即席のスモーク喰らえ! 宇宙人の奴隷がよぉ!」

 まき散らした消火剤に紛れて、俺は前へと突き進んだ。

 必死に考えてたどり着いた答えはこれだ。ウサギの攻撃を受けに行けば、敵の次の位置を予知できる。バグ技みたいな、たった一つの攻略法。

 煙の切れ目の先で、ウサギはナタを地面に叩きつけようと、大きく振り上げている。地面と剣との間に、俺は駆け込んでいた。

 振り下ろされたナタは地面ではなく、ベスパ制服の左肩にメリ込むように食い込んだ。流体装甲のおかげで切断されなかったものの、肩に激痛が走る。なんか折れた。

 その痛みと引き換えに、ウサギの逃げる位置がハッキリ視えた。縄文荘の屋上。照準を合わせて、引き金を絞る。

 撃ちだされた弾へ突っ込むように、ウサギがテレポートしてきて、そのまま被弾した。

 命中した水銀弾が、ウサギの脳内でボンボンと破裂する。ウサギは顔を覆って崩れ落ち、叫び声をあげる。そのまま彼女は縄文荘の屋上から滑り落ちた。

「痛い、痛い! 痛いぃ! どうして浅畑すら殺せないの! 主へ肉体を捧げて、私は世界を思い通りにできるウサギちゃんになれたのに!」

 ウサギに駆け寄ってみると、青い血まみれの顔が露になっていた。その顔を見止めて、俺は拍子抜けした。担任教師の北倉じゃねえか。

「みんな思い通りになるなら、世の中全員、金持ちで王様でプロ野球選手だな。卸し立ての水銀弾の味はどうだ? 弾けるほど美味いだろう? 北倉ァ!」

 俺は躊躇せずに引き金を引いた。残弾を全て、地面でのたうつクラス担任へ叩き込んだ。嵐山曰く、油断したら死ぬらしいからな。ウサギちゃん改め北倉は、青い血みどろになって動かなくなった。

 とたんに紫色の空が、卵の殻のように砕けはじめて、破片が落ちてくる。直視できないほど眩しい日光が、俺の眼に飛び込んできて、目の前が真っ白になった。

 

 視界が戻ってすぐ、俺は銃を構え直した。けれど、のたうち回る北倉の姿は、そこにはなかった。

 人通りのない阿佐ヶ谷の路地裏へ、俺は戻ってきていた。ベスパのブッシュマスターが、狭い路地ギチギチに詰まるかのように停まっている。

 ブッシュマスターの回るパトランプをぼーっと眺めていると、背中から誰かが抱き付いてきた。

 柔らかい枕のようなものが後頭部に押し付けられる。

「あさばたけ。一人でカイジン倒したんだ。すごいよ」

 声が頭の上から降ってくる。

「来るのが遅い」

 俺は枕から顔を上げた。嵐山の美貌が、俺を見下ろしていた。

 射貫くような鋭い双眸がさかさまになって、俺をじっと見つめている。

 やっと自分の態勢が分かった。俺は嵐山に抱きしめられていた。枕と思っていたのは、あいつの胸。

 状況に気付いた瞬間、全身の血流が爆発した。

 俺は液体のごとく、嵐山のハグからするりと抜け出した。

「わ、すごいな。もっかいやって」

 いとも簡単に嵐山は俺を再捕獲して、脇に抱え直す。

「手足が浮いたら逃げれねえわ。今何時だよ」

 観念した俺は、抱きかかえられながら聞いた。

「今? 十七時過ぎの放課後だよ」

「遅刻どころじゃねえな。……なあ寝ていいか、死ぬほど疲れてる」

 疲労と睡眠不足、それに安心感からか、強烈な眠気が襲ってくる。

「いいよ、おつかれさま。帰ってきて嬉しいよ。ボク以外に独力でカイジン倒せたエスパーは、たぶんあさばたけが初めてだ」

 そのまま嵐山に抱きかかえられてブッシュマスターに乗った。座席に就いてすぐ、俺は一瞬で眠りに落ちた。

 エンジンの唸り声も南田の運転も、全く気にならなかった。

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