第四話

 装甲車の乗り心地は、それはもう最悪だった。エンジンの爆音、鉄板みたいなシート、ぐわんぐわん揺れる車内。俺は死にそうだった。だが嵐山は向かい合った席から、涼し気な顔で言う。


「どう? 楽しいでしょ?」


「ハッ倒すぞ。これから俺をどうするつもりだ。拷問でもかけるのか」


「いぢめないよぉ。晩飯おごってあげる。あさばたけは晩ご飯の予定あった?」


「ありません食わせてください」


 見た事のない猫背の女が、装甲車の運転席に座っていた。金ヶ崎と同じ防護服に身を包み、髪は伸び放題のボサボサだった。

 その女はハンドルにしがみつき、目を見開いて必死そのものだ。ときどき車が左右にブレると、悲鳴とクラクションが車の外から聞こえてくる。

 そんなパニックを知らぬ顔で、金ヶ崎は機銃塔から降りてきた。俺を面白そうに見下ろしてきてから、奴はおごそかに宣言する。


「浅畑宗司。今日付をもって総務省付特殊防災局『ベスパ』第二小隊二等警査を発令する。宣誓書の用意が出来次第、サインすること。いいね」


「よくねえよ。なんだベスパって」


「なにって、ベスパはカイブツ専門の特殊部隊だけど。知らないの?」


「知らねえよ。あっそ、ヤダね。俺は正義の味方になるつもりは無い、消えるように死にたい系男子だぞ」


「そんな系統滅んじまえ。戦力になりうるエスパーを、このヒヨリちゃんが逃すわけないでしょうが。あんたの予知能力で、カオルをカバーしてやんのよ。セイジンの本格侵略を食い止めるために、一人でも多くエスパーが要る。待遇だって悪かない。放課後の実働三時間でも毎月手取り23万。ま、飯食い終わってからもう一度聞いてやるよ、それまで考えときな」


 金ヶ崎は俺の言葉をスルーして、言いたい放題しやがる。ひどい乗り物酔いでダウンした俺に、言い返す気力は残ってない。


「ボクからもお願いする。あさばたけが一緒だと助かるよ。さっきの戦闘では頼りになったし、カッコよかったよ」


 うれしそうに、嵐山は笑う。その顔をみて、勧誘に乗ってしまおうかと思った。

 ……何を流されてるんだ俺は! 平穏に死ぬために、そんな組織に入ってられっか。


「ダメだ俺はっ、バエッ!」


 装甲車は急停車して、シートベルトで首が締まりかける。


「へはぅ、はあ。セーフハウスへ到着したよお! ぶっつけ本番で事故らなくてよかったあ」


 運転席の女が半泣きで言った。その肩をバンバン叩いて、金ヶ崎が大声で褒める。


「ご苦労! アンタにしては上出来じゃん!」


「やった、運転褒められたの初めてだあ」


「一旦ここで降りるわ、南田はブッシュマスターを駐車場に回しといて」


 運転手は南田というらしい。普段いったいどんな運転をしてんだ? 嵐山に引きずられるまま、俺は下車した。なあ嵐山。お前は俺を猫かなにかだと勘違いしてないか。


「セーフハウスへようこそ」


 嵐山が指さす先には、石垣に建つ城塞のようなマンションがあった。ガラスと白いタイルのパッチワークで作られた壁が、段々重ねに積み上がっていて、視界の端から端まで埋めるほどにデカい。

 石垣のふもとには、警備員の詰め所とセットの一枚板の正門……というかゲートがあって、ネズミ一匹入れないような雰囲気だ。コレは縦に高いタワーマンションじゃない。やたらと横に広くて、高さはせいぜい四階建てくらいの、ガチ高級マンションだ。真鍮の看板には『代官山』と、一等地の名が刻まれている。

 俺が棲んでる阿佐ヶ谷の、風呂無しトイレ共同の縄文荘とはわけが違う。

 南田だけのブッシュマスターは急発進し、駐車場の方向へとふらつきながら突進していく。え。あんなん乗ってたの。甲冑より怖いんだけど。


「お前ら、金持ちなんだな?」


 皮肉を込めて聞いたが、金ヶ崎は平然としていた。


「カイブツの襲撃を防ぐにはこれくらいセキュリティが堅くないといけないのさ。それに、このセーフハウスはヒヨリちゃんのボンクラ親父を……説得して分捕っただけだもんね。ノー税金」


 そこは脅したって正直に言えよ。


 俺たち一行は、警備ゲートと二つのオートロック、合計三つのセキュリティをパスして、エレベーターへたどり着いた。赤いフカフカな絨毯、変なオブジェ、ごっついシャンデリア。

 入り口でそうなんだから、辿り着いたセーフハウスの一室は、それはもう豪華だった。大理石の玄関、完璧な空調、長い廊下の床は、黒光りした謎の木材で出来ている。


「嵐山ちゃんとアタシはここで暮らしてるんですよ。えへへへえ。JKと二人暮らしってはかどるね」


 俺たちの後ろから部屋へ戻ってきた南田は、うっすらと気持ち悪い事を口にした。俺も嵐山も反応しなかった。どの部屋もバカ広く見い。中学生の時に嫌々住んでた里親の家よりも、広い気もする。

 けれど、家具の数は少なくて、引っ越してきたばかりな雰囲気だった。俺の部屋の方が、粗大ゴミまみれでにぎやかだぞ。広々としたリビングの向こうにあるバルコニーからは、煌々とした東京の灯りが一望できた。

 そんな夜景を背景にして、バルコニーのテーブル上に置いてあるのは、カセットコンロと鍋だった。


「おっ、あれが晩飯か? すき焼きか? カキ鍋か?」


 俺は鍋へと駆け寄り、中身を確かめに行く。

 が、蓋を開けて白けた。玉子、大根、ちくわ、こんにゃく、はんぺん。見慣れた具材ばかり。


「……なんで、おでんなんだよ」


「え? ボクの好物だからさ。リクエストしたの。思い出の味だからね」


 さも当然、というように嵐山は言い放って、テーブルの席に着く。

 まもなくして、南田が皿を持ってきて、わざわざおでんをよそってくれた。

 南田は車の運転とは対照的に、料理はとてもうまかった。

 温め直したおでんは、すごく複雑な旨味を持っていて、飽きが来ない。

 だけどおでんよか、肉の塊とか刺身とか食いたかったな。


「どっ、どうでしょう。お味はぁ」


 夢中で食っていると、南田が俺の顔を覗き込んで、感想を聞いてくる。


「え、っと。その、美味いです」


 大人の女性と話す機会はないから、すこし緊張する。南田は伸び放題の髪に隠れて分からなかったが、ちゃんと見るとずいぶんと美人だ。鰐渕のような研ぎ澄まされた美とも、嵐山のような完璧な絶対美とも違う。愛らしい顔というかそんな感じ。


「なんでヒヨリちゃんの美貌には言及しないのさ」


「そうやって心読んでくるからだろが」


 真後ろに立っていた金ヶ崎へ言い返す。


「で。本題だけど。鰐渕さんの未来はどうだった?」


 金ヶ崎が冷たく低い声で、俺へ聞いてくる。


「アンタには俺の心が見えてるんだろ、言う必要があるか? 俺はおでんで忙しいんだ」


「橋、巨人、飛び降り。それだけじゃわかんないっての。アンタの口から、正確かつ理路整然と説明しな。じゃないと報酬ナシだよ」


「わかったわかった。その前におでん食わせろ」


 食べ終えて一息ついてから、俺は三人へ鰐渕の死に様を説明してみた。その説明に、三人はじっと聞き入っていた。


「Z型の橋。ライトアップの色は紫で間違いないね?」


 聞き終えた後、念を押すように金ヶ崎は聞いてきた。


「たぶんな……そうだった気がする」


「よし、でかした。さっそく現場を封鎖するよう手配する。鰐渕リンダ救出作戦を始めるよ」


 金ヶ崎は、足早にバルコニーから立ち去ろうとする。嵐山が引き留めようとした。


「ヒヨリさん。おでん食べなくていいのかい?」


「食べてる暇ねえわ。米軍の公式発表も迫ってるし、これから伝手をかき集めて、段取り決めないとね。鰐渕さんの身柄がセイジンの目的なら、打てる手はまだある。あとあさばたけ。アンタはさっさと宣誓書にサインしな」


「それより前に、予知のお礼をよこせ。話はそれからだろ」


「そーねえ。とりあえず数学の答えだけは教えてあげる。一応約束だから。けど、他の七教科の答えは、今後のアンタがベスパに入って、鰐渕リンダ救出作戦に参加するかどうかにかかってる」


「俺は嫌だ。頑張りたくない」


「アンタは鰐渕さんの死の真相を、知りたいと願ったはず。なのに、彼女を助けるのは、頑張りたくないと拒む。矛盾してるね。何が引っかかってるのか言ってみな」


 俺は心中にくすぶり続けている絶望を吐き出した。


「俺の予知した未来は変えられないんだぞ。俺の予知した鰐渕の死は避けられないんだ。……無駄なあがきなんだよ。そんな虚しい努力、出来るか? 失敗するって分かってて、頑張る奴がどこにいる」


 俺の反発を見て、金ヶ崎はニヤついた。


「カオル! 浅畑の手を強く握ってやりな!」


 抵抗する間もなく、嵐山の両手が俺の両手を包んだ。恐怖で心臓が抜け落ちたような気がした。

 目の前が絶望で暗くなる。なんでそんなイヤガラセをするんだよ。俺はお前の死に様なんて見たくないのに。

 けれど、嵐山の死に様は、俺のまぶたの裏に映らなかった。

 東京の夜景を背に微笑む嵐山しか、瞳に映らない。


 なんでだ?


「カオルの能力がコントロールできるのは、気体だけじゃない。液体や電磁力、そしてエスパー能力にさえ干渉できる。つまり、アンタの予知も変えれるのさ。だから、さっきの戦闘でアンタは、カオルに予知を変えてもらって、生き延びたんだ。その力があれば、絶望の未来は変わる。カオルは我々人類の最終兵器。正義の味方。そして、ジョーカーなのさ。『人間は死ぬ間際まで希望を見る』ってのは、アタシも同感だわ。幸せになりたいという希望をね」

 

 おかげでヒヨリちゃんも、カオルの考えてることが分かんないけど。と、言い残して、金ヶ崎は去って行った。

 夜風がバルコニーを通り抜ける。

 嵐山は、白い歯を見せて笑う。


「ヒヨリさんは言ってたんだ。ボクの手は誰かを助けるためにあるんだって。ボクの力で、誰かを助けることがしたい。それがボクにとっての幸せだと思うから。あさばたけは、鰐渕さんを助けたくない?」


「そんなわけない。……助けたいさ、俺にやさしくしてくれたから。お前は本当に、鰐渕を救えるのか?」


「んーとね。わからないな」


「わかんねえのかよ」


「ボクには未来が見えないから、分からない。けど、救える自信はある。がんばろ? ボクらの力で嫌なヤツをブッ飛ばして、お姫様を救おうよ」


 赤ブチ眼鏡の奥にある、とび色の大きな瞳が眩しく輝く。

 空っぽだった両掌にずっと、熱が留まり続けている。

 我慢しても、勝手に涙がこぼれてくる。どうして泣いているのか、自分でも分からなかった。


「いつまで俺の手、握ってんだよ」


「そうだなあ。宣誓書にサイン書いてくれるまで」


「じゃあ今すぐ手、放せよ。ペン持てねえだろ」


 俺は今の景色を一生忘れないだろう。

そしてその後ろで鍋がぐつぐつ煮えていて……おでん邪魔だな片付けろよ。


「え、すごいアオハル。エモ」


 ドアからのぞき見するように立っていた南田が、小声で何事かをほざいていた。

 その後。涙を拭いてから、南田からの送迎するとの申し出を断固断って、俺は電車を乗り継いで縄文荘まで帰った。

 ボロッボロの壁と、部屋に溜まった粗大ゴミを見て、俺は一気に現実に引き戻された。とりあえず寝よう。湿気た布団に突っ込んで、俺は長い一日を終えた。


 翌日。南田から貰ったおでんを、朝飯にいただいたおかげで、俺はいつもより調子が良かった。

 朝飯自体、上京以来久しぶりに食った。上京前は離島の里親宅で、虫の湧いたカビ飯を食わされていたし、その前の孤児施設の飯は、味がやたら薄かった。美味い朝食は、ホント生まれて初めてかもしれない。

 登校して自分の席に近づくまで、俺は上機嫌のままだった。

 隣席の鰐渕からの、刺すような視線に気づくまでは。

 絶対零度の見返り美人は、無表情で俺をずっと見つめている。


「……おはよう、鰐渕」


 とりあえず俺は挨拶した。アイサツは大事。どこかで読んだ。


「手品ですか?」


 けど挨拶の代わりに、微笑んで鰐渕はそう言ってきた。

 声色には、不満がありありと漏れていた。アカン。


「えーと、なんのことだ?」


「昨日。風が吹いてガラスが割れたと思ったら、あなたの姿が図書室から消えていました」


 俺は歯ぎしりして、白目を剥きかける。だよなー。変だよなー。どうしよっか。

 いっそのこと正直に言うか? 異空間に閉じ込められて甲冑と殺し合ってました、って言って信じるわけないだろ。

 ここを切り抜ける方法は、思いつかない。

 このまますっとぼけてしまおうかと思ったが、意外な方向から、助け船が渡されてきた。


「わにぶちさん、ごめんね。それについてはボクが話すよ」


 いつの間にか、俺たちの後ろに立っていた嵐山が、会話に割って入ってきた。

 俺は驚きのあまり目を見開き、口を巾着のようにすぼめた。


「あら……嵐山さん」


 驚いたのは鰐渕も一緒だったらしい。


「あの時ガラスが割れて、ボクは怪我しちゃったの。それを見たあさばたけが、保健室まで連れてってくれたんだ。急いでたから、わにぶちさんには言えなかった。だからごめんね」


 と、嵐山は言い訳して、無駄に大きな胸を張って、包帯でグルグル巻きにした左腕を見せつけてきた。

 その言い訳は厳しすぎんだろ。

 鰐渕も全然納得してない様子で、頬に手を当てて考え込む。


「むう。浅畑さん、本当ですか」


「置いてけぼりにして悪かった。せっかく自主勉に付き合ってくれたのに、途中で抜けてすまん」


 ホントか嘘かは言わなかった。ただ、ひたすら俺は謝ってみた。

 鰐渕はなおも疑惑の目線を向ける。が、俺の謝罪を受けて、徐々にとげとげしさは無くなっていく。

 なんとか嵐山のゴリ押しで逃げおおせた。というか、見逃された。


「そういうことにします。これ、忘れ物です。次までにちゃんと覚えてきてくださいね」


 受け取りそびれていた単語帳を、鰐渕はまた差し出してくれる。今度は手を触れずに受け取った。


「また教えてもらっていいのか」


「ええ。その単語をきちんとこなしてから、ですけど。準備できたら、教えてくださいね?次は国語です」


「アッ、ハイ」


 

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