第三話


 授業をやり過ごすのでさえ必死なのに、その上鰐渕と仲良くしろと言われても、方法がぜんぜん思いつかない。

 俺は家賃を滞納している安アパートに帰ってから、うんうん唸った。早々行き詰まり感がある。金はないし、腹は減った。フリマサイトに出品中の拾い集めたゴミたちは、一個も売れてない。どうにかもがいて、高校までたどりついた。なのに、もっと藻掻かなきゃ、俺は波風立てず死ねないのか? 

 暗い部屋の中、俺は半ば無意識に喉へ指を押し付けて、自分自身の脈を測っていた。息苦しさと体温と脈拍が、焦りを紛らわせてくれる。苦しいとき脈を測るのは、自分でも変な癖だと思う。けど俺が触れられる肉体は、自分自身だけだ。

 だからその日、俺は提出課題をやり忘れた。不可抗力だ。

 そんな釈明を教師相手に使えないので、怠慢でやらなかったことにされる。英語の菅宮先生は許してくれたけど、数学の北倉からはバチボコにキレられた。

 

 教室の窓から見える今日の天気は、昨日と変わらない秋晴れだった。雲一つない、穏やかな日のはず。

 なのに。風だけはびゅうびゅうと吹き荒れていて、跳ね返った風がガタガタと教室の窓を揺する。

 隙間風で、俺の机に置いてあった漢文の教科書がバラバラと捲れた。開いたページにはこう書いてある。

 過ぎたるは猶及ばざるがごとし。ンッンー、名言だなこれは。考えた奴はきっと頭がいい。

 と、徒然なるままに考えていた時、いきなりターゲットが俺へ話しかけてきた。

「どうしてこんなに風が強いのでしょう」

 首を傾げながら、鰐渕はつぶやいた。その言葉は独り言か? それとも俺への呼びかけか? 俺の灰色の脳細胞は高速駆動して、場当たりな答えを導き出した。

「さあ。風でも焦ることがあるんだろ。俺だって、焦ってねえわけじゃねえんだちくしょう」

 会話がすげなく終わりかけたところで、鰐渕は俺の言葉尻を掴んできた。

「焦っているのですか? どうして?」

 俺はキョドった。そりゃあ予知したアンタの自殺を食い止めるためだ、とは口が裂けても言えない。なぜなら、嫌われるから。俺は自分のエスパー能力について、親へ話したことが一度だけある。その結果、気味悪がられて育児放棄された。そんな失敗を繰り返す気にはなれない。

「あー、えーと! 中間テストだ! 今度のテストで赤点だったら、退学なんだから焦る!」

「確かに、見るからに浅畑さんは成績が振るわないようですね」

「そーだよ、俺の成績はクッソ悪いよ。特に英語がな」

「なるほど。では今日の放課後、予定は開いておりますか? よろしければ私が勉強をお教えしますけれど」

 鰐渕は、ささやくような声でそう提案してきた。表情はいつも通りの、涼し気な微笑みのままだった。

 は?

「頼む」

 考えるより先に声が出た。流されるまま俺は、鰐渕と勉強の約束をとりつけた。


 図書室は廊下の突き当りにあって、放課後でも追い出されたりやしない。

 とりたてて変わった所はない図書室だ。やけに広いこと以外は。入り口側に机と椅子がたくさんあり、その反対側に書架がずらっと並んでいる。その書架の向こう側にも机があって、そこでならば、ヒソヒソ会話したくらいでは怒られやしない。

 手前側の席には自習する見知らぬ同級生や、眠りこけている先輩がいた。俺達は、書架の向こう側の机を使うことにした。

 そこに、嵐山がすでに待ち構えたように座っていた。知ってた。俺の見張り兼護衛のつもりだろか。やつは、赤縁メガネを夕日でびっかびかに光らせて、都会のキノコとかいう本を開いて座っていた。

 なあ、絶対眩しいだろ。なんで動かねえんだよ。

 俺は席に座る前にカーテンを引っ張り、刺すような夕日から、嵐山の顔を遮ってやった。

 鰐渕は嵐山に気付き、小さい囁き声で挨拶をした。嵐山は、無言で会釈を返してきただけだった。無口な読書少女の仮面をかぶり続けている。

 席について俺はさっそく、鰐渕の用意してくれた英語の問題に取り掛かる。その間ずっと、鰐渕は見た事のない数学の問題集、青チャートとやらを解いていた。

 二十分経って、俺の答案は鰐渕の採点を受ける。息が詰まりそうだ。最近、生きた心地のしない事ばっかで嫌になってくる。 

「浅畑さんは文法について、ちゃんと理解できてますね」

 鰐渕のウィスパーボイスが、俺の頭の上から降ってくる。

「え、褒められるとは思わなかったぞ」

「ですけれど、単語が全然覚えられてないです。途中からあてずっぽで答えてますね?」

 返された答案の点数は、25点中……8点だった。

「ぐぇ」

「まずは暗記から、ですね。単語帳の中身を暗記カードに書き写していきましょう」

 と鰐渕が白紙の暗記カードと、単語帳を差し出してくる。単語帳は誰もが一度は見た事のある、犬のイラストが描かれたあの表紙だった。

 いつもなら二秒で止める苦痛な作業だろうが、鰐渕の監視もあって、やめる事は叶わない。とりあえず五十語書き写したあたりで、レフェリーストップがかかった。

「バカだなぁ俺。このまま消えてなくなりてえ」

「消えたくなることが、あるのですか?」

「俺は生まれつき、マヌケかつ人に好かれない性質でね。バカをやって恥をかく。そのたびに、消えてなくなりたくなるね」

「けれど、貴方はまだここにいますね」

「往生際が悪いんだよ。さっさと消えればいいのにな」

「いいえ、そんなことありません。死ぬ間際まで、人は希望を抱き続けるものです」

 鰐渕は微笑んで言う。強烈な違和感が脳の裏で爆発した。なら、なぜアンタは自殺するんだ。

「死ぬ間際まで、ね」

「この単語帳をお貸ししましょう。私はもう使い終えましたから」

 といって、鰐渕は俺へ単語帳を差し出してきて、ふふっと笑う。

 とたんに風がガタガタと、窓のヒンジを揺すりはじめた。嵐山のせいに違いない。このタイミングで、手に触れろって指図のつもりらしい。

 覚悟を決める。人の死なんて見たくなかったのに、今はそれを知りたい。

 やさしくしてくれるこの人が、なんで自殺してしまうんだ。その理由に近づきたかった。

 鰐渕の指に触れた瞬間、俺はまぶたの裏にハッキリとした幻を捉えた。



 真夜中。薄紫色でライトアップされた橋の上を、彼女は裸足で走っていた。

 Zの形をした骨組みの橋に、人通りも車の往来もない。ただ。

 その橋を見下ろすように、毛むくじゃらの女の巨人が立っていた。顔には無数の目玉が埋め込まれていて、そのすべてが彼女を見つめる。体毛は胸と腹を除いて全身を覆っていて、いくつもある乳房が露わになっている。

「嫌。もう嫌です、私は、役目を果たしたくない」

 彼女は手すりへ縋るように寄りかかり、巨人を見上げる。

 巨人の両手が、彼女をめざしてゆっくり落ちてくる。

「嫌!」

 彼女は手すりを飛び越えた。

 全ての苦痛から逃げるかのように。



 現実では0.1秒も経っていない幻から目覚めた時、そこは何もかもが変わっていた。机の向こうに居た嵐山は、あの変形銃FDCを構えていた。鰐渕の姿は消えている。なにより一番違うのは、差し込む夕日の色が蛍光グリーンに替わっていた。

 書架をなぎ倒す音が、右から聞こえた。真っ白なマネキンのような人型が、何体もこちらに向かって走り寄ってきていた。

「コンタクト! 情況開始!」 

 嵐山は机に肘をついて、FDC‐9を短く連射した。発射された銃弾は、マネキンたちの身体を貫ぬいた。

 けれど、倒れたマネキンの死骸を踏みつぶし、新たなマネキンは次々図書室へと突っ込んでくる。

「グレネード!」

 嵐山は、スカートの中から手りゅう弾を取り出した。八重歯で安全ピンを抜いて、上手投げでそれをトスする。

 手りゅう弾は床で小さくはねた後、大きく爆発して、カイブツどもを一体残らず吹き飛ばした。

 嵐山の戦慣れしたモーションを、俺はただ、しりもちを着いたまま眺めていた。

 俺はなぜか戦場に居るらしい。おかしいな。さっきまで、鰐渕と勉強していたはずなんだけど。

「タンゴーダウン。これからカイブツの発生地点まで行こう。風の声がそう言っている。あさばたけも手伝ってくれ、コレあげるから。M10という短機関銃だ。精度はイマイチだが弾がバラまける、制圧射撃にはなるはずさ」

 嵐山はスカートの中からマシンガンを取り出して、俺へ投げて寄越してきた。反射的に受け取ったけど、把手を握ってから、ひたすら困った。

「あのよ。俺にも、撃てってのか?」

「一人より二人の方が、なんでも楽だろう? このパラレル空間を生み出しているカイジン個体がどこかにいる。それを破壊するか、それでなくとも空間形成を妨害できれば、ボクらは現実に戻れるさ。ボクは嫌な敵にやられっぱなしなのは、大嫌いだ。あさばたけはどうする」

 嵐山は手元を見ることなく正確な手つきで、スカートから弾倉を取り出して、交換しながら言う。すげえなお前のスカート。それに何言ってるか何一つ分からねえ。なにカイジンって。怪人……ってコト?

 俺は、渡されたサブマシンガンを眺めた。鉄の箱から銃身と把手が生えてるだけの、オモチャのようなマシンガンだった。荒っぽい溶接の跡が、至る所に残っている。

 これを使って戦えだって? 嫌だ、ここで潔く死ぬ方がいいに決まっている……。つい先週までの俺なら、そう考えたはずだった。

 今は俺の中で、鰐渕の言葉が反響している。人は死ぬ間際まで、希望を見る。

 銃の扱いなんて、エアガンくらいしかない。見よう見まねで、安全装置のレバーをオンへ回してみる。照準の間に出っ張っている装填レバーも引く。箱はガシャリと鳴って、排莢口が開く。これで、もう撃てる状態なんだろか。

 希望か。俺は嵐山を見据えて言う。

「しょうがねえ。さっさと元の夕日を迎えに行こうぜ」

「オールイン。今ある手札で、勝負しよう。まず戦術の基本のさしすせそを教えよう、さ=索敵。し=射線の確保。す、す。……ファイア・アンド・ムーブだ」

「さしすせそ作るの途中から諦めてんじゃねえよ」

 俺は嵐山のメガネをデコピンで跳ね上げて、ツッコミ代わりにした。

「先導するぞ! ゴーゴー! 我に続け!」

 嵐山の指図に従って、図書室から脱出して廊下に出た。

「うわぁ」

 廊下から見下ろした絶景に、俺は思わずうめき声を漏らした。グラウンドにある、動くものすべてがカイブツだった。ジタバタ暴れる六本腕の人形や、一本足で屈伸する馬、軽トラックほどの大きさのカニは逆立ちしている。

 地獄の風景から目をそらし、廊下を渡り終えると玄関がある。両腕が触手になった紫色のゴリラを撃ち倒しながら、嵐山は玄関を走り抜けて、どうにか校門前まで来れた。

 嵐山の背中を追って駆け足で走っていた時、ぞわっとした不安感が背中に這いまわった。昨日、銀色のオタマジャクシに殺されかけた時と一緒。俺は反射的に足を止めて、左手でほとんど首を絞めるように、自分の脈を読んだ。 瞼の裏に幻が一瞬だけ見えた。コオロギの顔をした人型カイブツが、俺らの頭上から何体も降ってくる。どこから? 降ってくる場所は、真上。

「校舎の屋上だ! 上から来るぞッ!」

 狙い方も知らないけど、そんな場合じゃない! 覗き穴のような照準器越しに屋上を見上げて、ボトボトと降ってくるコオロギ人間目掛けて引き金を絞る。

 俺は初めて銃を撃った。その銃身は暴れ、俺の弾は明後日の方向、緑空の彼方へ撃ちだされていく。

 それでも、俺の呼びかけを、嵐山は正確に受け取ってくれた。

 正確無比な射撃が、宙から降ってくるコオロギ人間を次々と貫く。その死体は空中で次々と爆ぜた。

「あさばたけ、弾切れだ。リロードしないと」

 嵐山が俺のM10交換レバーを押すと、空の弾倉が滑り落ちた。

「おっと、俺の手に触るなよ。自分の死に目に会いたくなけりゃあな」

 俺は慎重に、嵐山の手から予備弾倉を受け取った。

「カイブツの予知もできるなんて、えらいね! そんな便利機能あったなんて、ヒヨリさんは言ってなかったなぁ」

 目を輝かせて、嵐山は嬉しそうに言う。暴力的な美貌が、俺目掛けて笑いかけてくれる。

 やぶさかでないけど、怪物の予報を褒められるのは嬉しくない。

「俺だって知らなかった。そもそも自分にどんな才能があるかなんて、分かるもんか……ってまた来る! ウサギの着ぐるみが目の前の壁を砕いて乱入してくるぞ!」

「着ぐるみってなに? ふざけてる?」

 叫ぶ俺に対して、ポカンとした表情で嵐山は言う。

「俺に言うなッ! 予知結果がそうなんだから仕方ないだろッ!」

 実際に壁を蹴り飛ばして、予知通りにウサギの着ぐるみがやってきた。自分の予知能力の無駄な高精度を、喜んでいいのか悪いのか。

 そいつは、妙にくたびれた着ぐるみを着ていた。その両手には、さび付いて使い物になるかわからなさそうなナタがあった。

「裏切り者め」

 ナタを振り上げた赤茶色のウサギが、そう小さく呟いたのが確かに聞こえた。

「格闘はボクの趣味じゃないな」

 とっさに嵐山は俺を小脇に抱え、ひらりと飛び上がり、敵の大ぶりな斬撃をかわした。電柱の上へ飛び乗った嵐山は、電柱をつぎつぎに飛び跳ねて、敵から距離を取ろうとする。

 ウサギは逃げる俺達を、地面から見上げていた。ところが嵐山の飛び乗ろうとした電柱の先に、ウサギは音もたてず、突然に姿を現した。まるで、瞬間移動のように……

 違うな。『ように』じゃない。敵の着ぐるみは間違いなく、瞬間移動してきやがる。

 嵐山は空中でもう一度ジャンプして、無理やり方向転換した。二段ジャンプ。

 風を自在に操れるのだから、出来て当たり前なんだろけど、現実でその技を繰り出す人間は初めて見た。

 地面に降り立つ前に、嵐山はグレネードを四方八方にバラまいた。グレネードは爆発する代わりに、もうもうと赤い煙を吹き出しはじめた。瞬く間に、何もかも見えなくなる。

「煙幕を展開した。姿が見えなくても、あさばたけの予知があれば怖くないからな」

 俺を地面へポイ捨てしてから、嵐山はヒソヒソ声で言う。

「あの甲冑喋ってたけど、人間かよ? あれは」

 そこらへんに転がっているカイブツには、マトモな意思を感じなかった。けれど、あのキグルミからは、確固とした殺意を感じた。俺達を殺すために敵は突っ込んできている。あれがカイジンってことだな。なんのために、誰の差し金でそうなっているのかは、てんで分からないけど。

「昔は人間だった物かなぁ。カイブツの『創造者』に肉体をケイ素化され、人間じゃなくなったモノを、我々ベスパはカイジンと呼んでいる。カイジンに対してはコレが一番効くんだ」

 嵐山はスカートの中から、金メッキされたリボルバー拳銃を取り出した。やたらと小さく、風変わりなピストル。

「コレが分かる前提で話すのやめろ。そのピストルがソレなのか?」

「そう、コレがソレ。ボクの風圧を全力で撃ちだせる特別銃、レモン・スクイーザー(レモン絞り器)だ。オシャレな名前だろう? 引き金の形がソックリだっていうので、付けられたあだ名だそうだ」

 真っ赤な煙幕のおかげで、周囲の視界は全くない。いまの戦況のように見通しはゼロ。いつあのカイジンが、目の前にくるかも分からない。

 こんな狂った戦場に居て、とっても楽しそうに語りだす嵐山へ、俺は思い抱いていた疑問をぶつけた。

「お前さ、あのカイブツ連中と闘うのが楽しいのか1

「ふむ。言われてみればそうだね。やつらをぶちのめしてる間だけは、ボクは生きてる実感を得られるんだ。さて、あのウサギさんはどこから襲ってくる? 予知してくれよ」

 嵐山は凶悪な笑みを浮かべて、俺を急かす。えぐくて血なまぐさい生き甲斐だ。けれど、波風立てず消えて死にたいという俺の生き甲斐も、別ベクトルで殺伐としているから、言い返すのはやめにした。

 俺は右手でサブマシンガンを構えたまま、左親指を頸動脈へ押し付けた。

 きっともう一度、あのウサギは瞬間移動を仕掛けてくるだろうな。

 にしてもなんで俺は、こんな真っ赤な煙の中で、脈を測っているんだろうか。

 ボヤキをかき消すかのように、未来のビジョンは唐突に脳裏で瞬いた。

 敵はこの煙をかき分けて、俺の背後から現れるはずだ。

「そこだろっ!  狙いは予知済みだッ!」

 振り返りながらM10の引き金を絞る。すると、発射された銃弾の雨へ突っ込むかのように、ウサギが瞬間移動してきた。

 敵の胸にいくつもの穴が開き、火花が散った。だけど、ウサギは被弾してもなお、ナタを振り回す。嵐山の言っていたことを、身をもって多少理解した。こいつは人間どころか、生物ですらないらしい。

 俺は予知するままに、敵の攻撃をかわす。再チャレンジなんて存在しない、一発即死の回避ゲーの始まりだった。

 右フックを屈んで回避。突きを腰を捻って躱す。蹴りからの回転切りは、必死にバックステップして逃げてやる。

 その間、嵐山からの援護は飛んでこなかった。いつのまにか嵐山は、俺の傍から居なくなっていた。

 辺りに舞う赤い煙は、俺の死を見守るかのように重苦しく漂っている。

 予知はどんどん冴えてくる。次の予知はこうだ。俺は、地面に落ちた空薬きょうを踏んでこける。なぜなら、予知が冴えても、俺の肉体は反応しきれないからだ。

 そして最後の予知。ウサギの振り回す剣が、俺の首を一瞬で切断し、頭がボールのように校門を転がってゆく。

 え。死ぬのか俺。

 薬莢を踏んで傾きながら、自分自身の予知に驚いた。

 死ぬのは正直嫌じゃない。嬉しさすらある。やっと消えて無くなることが出来る。こんな変で役に立たない俺が長生きしたって、良い事はないんだから。

 けど、ここで死んだら、分からない事が一つだけ残ってしまう。

 希望を抱き続けるといった鰐渕は、なんで希望を自ら捨てる?

 それを知りたいなら。生きる必要がある。

 そして願わくば、彼女を救い出したい。俺なんかにも優しくしてくれる人が、死んでいいはずないんだ。

 ……ああもう! 

「嵐山! 俺は死ぬぞ、それで良いのか!」

 文字通り必死の俺は、叫ぶ。答えはようやく返って来た。

「FOX4! 吹っ飛びやがれッ!」

 ハスキーボイスと共に、煙の中から、青く輝く光線が飛んできた。

 光線は、俺を殺そうとしたウサギの両腕を、一瞬で消し飛ばした。

「遅えよ」

「コレを撃つには時間がかかるんだ」

 ウサギは倒れる寸前に、消えてしまった。きっと瞬間移動で逃げたに違いない。 けどもあの敵に、パラレルワールドを維持できないほどのダメージを与えたようだった。

 周囲のバグった景色は徐々に元の色へと戻ってゆく。バケツの澱んだ水に落ちた黒い絵の具が、水の色を真っ黒に塗り替えていくように。

 俺と嵐山は、元世界の校門前へと戻ってきていた。夕焼けはほとんど落ちて、暗闇に近かった。街灯の青い光が二人を照らす。俺達がパラレル空間に閉じ込められている間、元の世界の時間は同じくらい過ぎていたなら、鰐渕から見て俺たちは、急に消えたように見えたのかもしれない。

 それとも、先ほどの戦闘は全部狂った幻覚だったんだろか。一瞬そう思い込もうとしたものの、右手にはM10マシンガンの硬いグリップが握られている。

 制服ジャケットの右ポケットには、鰐渕と一緒に作った暗記カードが収まっていた。

 幻覚だったなら、どちらも持っていないはずだった。

 嵐山が、折りたたまれたFDC‐9を掲げて見せてくる。なにかを期待するかのように。俺はその期待にしぶしぶノってやった。お互いの銃をグラスに見立てて、ガシャンとハイタッチした。

「援護がギリギリ間に合って、死にぞこなったぜ。来世はお金持ちな伯爵令嬢に、転生できてたかもしれないのに」

 地べたに座り込んだ俺は、嵐山へ悪態をついた。

「ボクはじっと幸せな来世を願うより、今のひどい現実を幸せにする方が好きだよ」

 爽やかスマイルで、嵐山は笑い飛ばしてみせた。その笑顔がすこしだけ、無理しているようにも見えた。

「夢くらい見させてくれ。世の中、お前みたいにタフな人間ばっかじゃねえんだよ」

 言い返しながら、生き延びた事への違和感にようやく気付いた。俺の予知はこれまで外れた事がなかったんだ。初めて死期を見たひい爺さんも、次に見た幼稚園の先生も、その次に見たいじめっ子も、皆予知した通りに死んでいった。

 けれど、俺自身が死ぬ予知を確かに見たのに、俺はまだ生きている。どうしてだ?

 答えの出ない疑問に首を傾げていると、見た事のない真ッ黒な装甲車が、赤色灯を瞬かせながらこちらに走り寄ってきた。それへ手を振り、嵐山は歓声をあげた。

「おお! ヒヨリさんのブッシュマスターだ!」

 装甲車は、俺たちの目の前で急停車した。

 ガコンと、ルーフハッチが開く。ニヤニヤ笑う地雷系ギャル・ヒヨリが顔を出した。

 が、ヒヨリの首から下は、この前着ていた改造制服とは全然違った。ボディラインに沿わせたような流線型のボディーアーマーを着込んでいる。

「ヒヨリ先輩! 全周防護スクランブルアーマーは完成していたのか!」

 嵐山は嬉しそうに言うが、俺はポカンとしていた。ぜんしゅう……なんだって? もう三度くらい言え。

「ったりまえじゃーん。あんたらの分も調達できてる。とりあえず乗りな、セーフハウスまで帰るよ」

 あんたら? 考えを巡らせる前に、嵐山は俺の首根っこを掴み、装甲車のハッチへと飛び込んだ。

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