第29話 俺には運命であり、必然だった②

 


 それからは更に注意深く二人を観察する事にした俺は、ある日彼女の従姉妹だと言う女があの男に対して明確な好意がある事が分かった。


 (これは使えるかもしれない)


 俺達悪魔は上の奴らとの約定があるから、基本的に人間界に対する干渉は出来ない。

 もし違反したと知られたら少々面倒な事になる。それに最悪の場合、数百年は苦痛な罰を受ける事になるだろう。

 だから、基本的に彼女の従姉妹や婚約者に対して過激な精神干渉は出来ない。


 俺はどうしたらスムーズに事が進むのかを何度も繰り返し考えた。

 そしてある日一つの名案が思い浮かび、それに沿って行動を開始する事にした。

 俺が着実に準備を進めている内に従姉妹の方は元々の性格もあったのか、大いに俺の計画に貢献する動きを見せてくれた。

 だが婚約者の方は従姉妹に靡く素振りを見せない事に、俺の苛立ちは更に募っていった。


 (仕方ない。後で違反だとうるさく言われるかもしれないけど、ここは少し力を使うか)


 だから俺は彼女以外の人間に対し、少しだけ酩酊状態になるような弱い魔法を使った。

 この魔法は決して正常な判断が出来なくなる魔法ではない、強い精神力さえあれば人間でも簡単に跳ね返せる程度の魔法なのだ。

 そんな弱い魔法だからこそ、敢えて俺は使う事にした。こいつらの彼女への想いを図る為に……。

 そして魔法を使った結果は、下手な喜劇よりも何倍も面白い内容だった。


 魔法で姿を隠し男の屋敷で様子を見ていた俺の目に入ってきたのは、彼女の婚約者であるはずのあの男が、彼女が見ている事も知らず従姉妹を抱きしめ、愛してると口にしていた光景だった。

 俺はあまりの可笑しさに、その場で腹を抱えて笑ってしまった。


「あーあ。本当に可哀想な奴だな、心底同情するぜ」


 目尻に溜まった涙を手で払い、先程から言葉が出ない彼女の隣にそっと並び立ち様子を見る。


 婚約者と従姉妹の役割はひとまずここで一旦終了だ。

 横にいた彼女は侍女に声を掛けられ、ハッとした様子で踵を返し屋敷の中に入っていく。


「——近いうちにまた会おう、アリア」


 彼女の後ろ姿に向かってそう声を掛けるが、魔法で姿を隠してる俺の声は当然届かない。

 長く生きてきてこんなに心が弾む毎日は、今まで一度だって経験した事がなかった。

 今の俺は間違いなく日々を楽しんでいる、そう強く感じた。


 それから彼女は自分の屋敷に戻り、父親に先程見た光景を報告しようとしていたが、全く相手にされず放心状態で自室へと戻っていった。

 その姿があまりにも儚くて、つい姿を表し手を貸したくなったが、今はまだ出ていく場面ではないと必死に自分を抑え込んだ。

 悪魔でも女神でも、人間界に干渉さえしなければ基本的に行き来は自由だ。だけど俺は召喚された時に初めてアリアの瞳に映りたいと思っている。

 だから今はまだその時ではない。

 そして俺がするべき最終準備の為、彼女の屋敷の図書室へ一人足取り軽く向かい適当な本棚にそっと立て掛けた。


 どうか、この本がアリアを導いてくれるように——。


 悪魔である俺は、原則人間界への干渉は出来ない。

 ただ、今回のような本当に弱い魔法は別だ。

 別に危害を加えているわけではないし、少し酩酊状態にするくらい特別規則に反するわけじゃない。

 

 だが人間を本人の意思なく無理矢理連れ去るのはご法度だ。

 そんな事をしたら上との統率が乱れ最悪な事態を招く。

 流石の俺もそこまで馬鹿じゃない。

 だからこそ、この本を頼るしかない。

 この本自身がアリアを選んでさえくれたなら……。


 そして俺の初めての願いは、確かに叶った。

 結果はまさに想像通りで笑いを噛み殺すのに必死だった。

 アリアは俺が描いたシナリオ通り、あの本と無事に巡り合ってくれた。

 そして彼女が確実にあの本に興味をそそられ、何としても実行に移したくなる……そんな焦燥感が増した気分になるようにちょっとした魔法もかけておいた。

 これでアリアは自分が普段隠している心の底から望んでいる事を欲するようになるに違いない。

 さぁ、準備は整った。


「あー、早くアリアに呼び出されたい」


 ようやくここまで来たんだ。

 彼女に呼び出されるまであと少し。そう思うと楽しみで自然と口元が緩んでしまう。


「いい子だなアリア。そうやって確実に俺の元へ堕ちてこい」


 水盆に映る彼女は、今も必死であの本を読んでいる。

 俺が呼ばれるのも時間の問題だろう。



 そして運命のあの日。

 アリアが一生懸命魔法陣を描いている姿も本当に可愛らしくて愛おしかった。

 彼女が腕を傷付ける瞬間、俺は柄にもなく緊張したが、血が流れ魔法陣に染み渡っていくと、こちらの世界にもアリアの血に混じる微量の魔力を感じ取る事が出来た。

 そして魔力は確かに弱いが、それでもかなり上質なものだった。

 その事に酷く興奮した俺は自分の溢れ出る魔力を抑える事もせず、アリアが展開した魔法陣に飛び込んだ。

 初めて俺と視線があったアリアは本当に綺麗だった。それと同時に自分が彼女のその瞳にようやく映る事が出来たという事実に歓喜した。


 彼女の瞳は不思議だ。

 吸い込まれそうな、全てを見透かすような不思議な瞳をしている。

 そしてあの婚約者の男を見つめていた不思議な色合いの瞳も、俺には喉から手が出る程欲しいと、希っていたものだった。


 そのアリアの瞳に自分が映っている。

 暴れないで努めて冷静にしている自分を自分で褒めてやりたいくらいだった。


 哀れで、愚かで、可愛いアリア。

 悪魔なんかに縋ってしまうなんて。

 そもそも今回の一件、その全てが俺が原因だとも知らずに、元凶そのものに助けを求めてしまう彼女が酷く愚かで、それでいて狂おしい程愛おしかった。


 彼女は対価を支払うのは二年だけ待ってほしいと条件を提示してきた。

 もし二年経って運命の相手を見つける事が出来なかったら、潔く俺のものになると。


 その言葉を聞き、カッと身体中が熱くなるのが自分でも分かった。

 心臓の音がやけに大きく耳に響き、うるさいくらい音を立てている。


 あぁ、早くこの女が欲しい。

 アリアが自らの口で俺のものになると宣言プロポーズしてきたのだ。俺は決して無理強いはしてない。

 彼女の口から二年後、俺のものになると言ってきたのだ。ならば遠慮する必要はない。必ず俺のものにするだけだ。


 ああ、今から二年後が待ち遠しい。こんなに早く時が過ぎて欲しいと思い、未来を待ち望んだ事はない。

 確かに悪魔にとっては人間の二年なんて一瞬だ。ただ、愛おしい女と過ごす二年は特別なものになりそうだと、久しく動かなかった心が弾む感覚がし、気付けば俺は自然と笑みをこぼしていた。


「いいだろう。お前の願い、この俺が必ず叶えてやる」


 悪魔に目を付けられた可哀想な少女は、必ずこの世界の誰よりも幸せになれるだろう。

 まぁ、そんなの当たり前だ。だってこの俺自身が幸せにすると決めたのだから——。

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