最終話 古い記憶

 


 アリアの葬儀から一ヶ月が経った頃、ようやくあの二人に娘の残した手紙を渡す事が出来た。

 ここまで来るのに何度も悩んだが私は逃げ出しそうな己の足を無理矢理前へ動かした。

 そう、私は今妻の眠る墓前に足を運んでいる。

 静かに墓下に眠る妻に、今回の事を包み隠さず報告していると、ふと弱った妻が最後の力を振り絞って私に託した願いが頭をよぎった。



「——旦那様。どうかこの子を、私の分まで守ってあげてください」



 (すまない、私は君との約束すら守れなかった)


 今の私には命を懸けアリアを産んでくれた妻の墓前で、私自身が死に追いやったと言う事実を、包み隠さず話し、誠心誠意謝罪する事しか出来なかった。



 あの日、アリアを失ってから全てが変わってしまった……。

 元凶でもあるアイザックとエミリーの顔を見るまでは、苦しめてやりたいと何度も考えた。だが娘を苦しめたのは私も同じ。

 同罪である私に果たしてその権利はあるのだろうか……と、何度も自問自答を繰り返した。だがその度に明確な答えが出る事はなかった。


 娘が残した私への手紙には二人を責めないでほしいと書かれていた。あの二人が幸せになれるように力を貸してほしい、それが私の唯一の願いだから、と。


 あの時婚約解消を言い出した娘の願いを私は一蹴した。

 私がもっとあの子の話を聞いてあげていたら……あれから幾度も悔やみ、過去に戻ってあの日の自分の発言を取り消したいと願った。でもどれだけ願っても、もう二度と過去は変えられない。その事実に直面する度に私は絶望し打ちのめされた。


 もう二度とあの子の願いを聞いてあげる事は出来ない。

 なら、せめて……親として娘が最後に望んだ事を叶えてやりたい。

 だから私はあの二人に対し、引き裂く事も罰を与える事もしなかった。

 ……それでも本音は、胸ぐらを掴んで気が済むまで罵倒してやりたい。



 どうして、アリアを裏切った‼︎

 お前だったら娘を幸せに出来ると信じて託したのにっ。



 そう腹の底から強く思うのに、アリアの残した最後の願いがギリギリの所で押し止める。

 子を亡くした親として一切手出し出来ないこの状況が、何よりも辛い。

 だがそれと同時に私があの子にしてしまった罪の大きさなのだと思うと言葉も出なかった。

 そんな風に無理矢理自分を納得させてみても、決して心が追いつく事はなかった。


 レスター侯爵家については、アリアとの婚約を白紙に戻す手続きの際に全てを話し、今後二度と関わらない旨を侯爵本人に伝えた。

 エミリーの生家であるケインズ男爵家に関しても、アイザックと同様で直接手を下したりはしなかった。

 ただ親戚という事もありレスター侯爵家よりも近しい関係だった為、今後一切の支援を打ち切る事を通達した。

 だが私が手を出さずとも今回の一件を重くみた男爵家の当主が我が侯爵家とレスター侯爵家へ賠償金を払った後爵位を返上、同時にエミリーをもっとも規律の厳しい修道院へ入院させる事で責任を果たす形を取った。


 アイザックに関しては精神に異常をきたし、正常な生活を送る事が出来なくなっているという。

 なんでも亡くなった娘が傍にいると周囲に話、常に彼の部屋からは楽しそうな話し声が聞こえてくるという。

 

 正直な話、そんな話を聞いても私の最愛の娘が帰ってくる事はない。

 全ての元凶である二人に対しては特に、はらわたが煮えくり返える思いだったが憎悪で心が黒くなる度に、アリアの残した言葉が思い浮かんだ。


 私は今まで、一度たりともお父様の手を煩わせた事はなかったでしょう?

 だから一度だけでいいのです。どうか私の我儘を叶えて下さいませんか。

 最後までお父様にとって使えない娘だったと思います。不出来な娘で申し訳ありませんでした。

 そしてお父様もどうか、いつまでもお元気で。


「っ……っお前をそんな風に思った事など一度もない……っ……」


 娘にそんな風に思わせていただなんて……。

 アリアの思いに気付こうとしなかった私は、親として二度と名乗る資格のない人間だ。

 今更気付いて慌てても、もう全てが遅いのに。




 ああ、いっそ気を失い全てを夢に出来たなら…………何度そう願っただろう。

 娘を失った現実を、私はなかなか受け入れる事ができずにいた。

 受け入れる事も出来ず、かと言って手を下す事も出来ない。こうしてただ息をしているだけの生活を一年続けたある日。



 

 少し前から日課になっている、庭であの子が好きだった花を摘み、娘の部屋で心が落ち着けるまで過ごすという一連の動作は、最近では私の生きる気力にもなっていた。

 あの子が亡くなってしばらくは近寄る事さえ出来なかった娘の自室。こうしてアリアの思い出に囲まれ、確かに娘は存在していたのだと決して忘れぬ様に五感に記憶させていく。もうそうしていないと、呼吸の仕方さえ分からなかった。

 

 今日はあまりにも気分の良くない報告が続き、気が滅入っていたのもあり、仕事である執務を片づけ娘の部屋を訪れると、いつもと変わらない目の前にはあの子がいた時そのままの景色が広がっていた。

 私を見つけると「お父様」と照れたように微笑むあの子が、もしかしたらふいに帰ってくるのではないかと幻想すら抱いてしまう。


 そんな夢みたいな話はあり得ない。

 あの日娘の亡骸を、私は確かにこの目で見たのだから。


 あの日の朝の光景を思い出し、自然と目頭が熱くなる。

 娘ともっときちんと向き合うべきだった。何を差し置いてもあの子の苦しみを理解してあげるべきだったのに……。


 今日侍従から受けた報告では、エミリーを乗せた馬車が修道院へ向かう途中の道で何者かの襲撃を受け護衛として就いていた騎士や御者が亡くなったという。


 肝心のエミリーの遺体はまだ見つかっていない。

 運の悪い事に川沿いを走っていた最中の襲撃だったそうで、例え襲われていなくても流れの早い川では生存は絶望的だとも書かれていた。


 (まるで目の前の責任から死んで逃げたようだな)

 (それでも私の娘が帰ってくる事はないのに)


 そんな風に物思いにふけっていると、近くの本棚からカタンッと音が鳴った。

 不思議に思い近づいてみると、娘の部屋には似つかわしくない漆黒の背表紙に金色の文字が書かれた一冊の本が床に落ちていた。


 (これは……?)


 何故か触れてはいけないような気がしたが、それでも恐る恐る手に取り中を開いてみると、何も書かれていなかった。

 どうしてだか先ほどから嫌な汗が止まらない。遠い記憶の中に、私はこの本の事を聞いた覚えがあったからだ。


 そうだ、あれは確か。

 まだ爵位を継承する前父上がご存命だったある日、私を呼び出しある不思議な話をしてくれた。


「ステファン、今からする話はこの国の代々当主になる者に必ず受け継がれる内容だ。その本がなぜ家にあるのかは誰も分からない。そして、実物を見たものもいない。だが確かにその本はそこにある」

「……父上、いきなり呼び出して何かと思えば、一体何が言いたいんです?私にはさっぱりわかりません」

 

 いきなり呼び出したかと思えば意図のわからない話をされ、愛する妻との時間を邪魔された私は苛立ちから、考えるより先に口を開いていた。


「まぁそんなに怒らないでくれ。私も直接見た訳ではないんだ。ただ、漆黒の背表紙に金色の文字が書かれていると言う事しか分からない。ただその本は、いつだってそこにある」

「何かの怪談話ですか?父上、いい歳をして息子を怖がらせようとするなんて……悪趣味ですよ」

「怖がらせてなどいないよ。ただ、その本は。人が選ぶんじゃない。んだ。いいかい、覚えておきなさい。例えその本を見つけても、決して中に書かれている事を実行してはいけないよ。それに魅入られたら最後、」

 

 父上の話にいつの間にか聞き入っていた私は、思わずゴクリと喉を鳴らす。

 

「…………最後なんですか」

「二度と戻れない所まで堕ちる」

「堕ちる?一体さっきから何の話をしているのですか!」

「ははっ、そんなに怒るなステファン。ただな、」

 

 今度は何を言うつもりなのかと身構えていると、

 

「魅入られたら戻れないんだ」

 

 そう言った父上の痛みを抑えるような表情に、私は言いたい事も忘れ気付いたら別の問いかけをしていた。

 

「一体さっきから何なのです!?私に分かるように説明して下さい!……それに一体誰が何に魅入られると言うのですか‼」

 

 だが私のその問いに、変わらず微笑む父上が答えてくださる事は最後までなかった。




 そうだ。

 どうしてそんな大事な話を今までずっと忘れていたんだろう。



 どう見てもこの本は、あの日父上から聞いたそのままの見た目をしている。

 でも中身は何も書かれていない。

 何故。どうして、娘の部屋に……?

 もし仮に、アリアには見えていたとしたら……。



 では、あの子は——、



 バタンッ‼︎


 咄嗟に浮かんだ考えを無理矢理振り切るように強めに本を閉じる。


 違う。

 アリアはそんな事はしない、きっと似ている本なだけだ。

 そう思いたいのに、どうして先ほどから冷や汗が止まらないのだろう。

 もう一度視線を手元に移し、漆黒の本を見る。


「アリア……」


 あの子はこの本の何かに魅入られたのか……?

 父上の言葉が浮かぶ。


 『魅入られたら最後、二度と戻れない所まで堕ちる』


 あの時は分からなかったその得体のしれない恐怖に、私は一つだけ心当たりがあった。



 (悪魔に……魅入られたのか?)



 これは私の憶測でしかないし、本当の事は誰にも分からない。

 ただ、この部屋に父から聞いた本があったのは紛れもない事実だ。そして、この国の貴族は時々不自然に自死する者が出ている。

 更に、その自死の方法も皆酷似しているときたら答えは自ずと見えてくるのではないか。



 (では、あの子の最後はどうだった……?)



 父が最後まで口にしなかったその存在。

 私だって恐ろしくてとても口になど出来ない。

 新たな事実にもう立っている事すら出来ない私は、床にへなへなと座り込んだ。



 (私は……大切な娘を堕としてしまったのか)



 あの日父上が切なそうな表情をしたのは、自らも経験があったから……?

 次々と発覚する事実に、もう頭がついていけなかった。ただもう二度と娘に会う事は叶わないのだと悟った私は、今度こそその場で意識を手放した。














―*―*―*―*―









 昔々あるところに、悪戯好きの二人の兄弟悪魔がおりました。

 兄の方は悪戯に加え残忍な性格だった為、ふらりと人間界に降りては見目の良い人を攫って頭からバリバリ食べてしまうのは日常茶飯事。


 悪戯好きなのは兄と同じでも、弟の方は人間と仲良くなりたいと願う、優しい一面を持った悪魔でした。


 日々兄の残忍さが増すのを目の当たりにしていった弟は、ある日隠れて一冊の本を作りました。

 その本は兄に目を付けられた可哀想な人間を救う為のものだったのです。


「例えこの先、私自身が兄に食われる事があっても、この本があれば私の子孫を呼ぶ事が出来る」


 だから人間を守る事が出来るんだよ。そう言って弟は、ある人間の国の貴族の屋敷に本を隠しました。


「どうか、困っている人間を助けてやってくれ。なに、助ける相手はお前が決めればいいさ」


 そう言い残し、弟は二度と本の前に姿を表す事はありませんでした。

 弟の魔法によって意思を持ったその本は、生みの親である弟の頼みを必死で叶えようとしました。


 ある時は年端もいかない少年を。またある時はその国のお姫様を。そのまたある時は一人の青年を。


 そうやって弟との約束を何度も叶えていくうちに、いつしか兄の脅威は消え去りました。

 しかしその時既に、本には知性がついていました。


 誰を助けたいのか。本当に困っているのか。相手が何を望んでいるのか……。

 例え兄の脅威が消えても、弟との“困っている人間を助ける”という約束は、形を変えて永遠に続いていくのです。




 その不思議な本は、本自身の意思で人を選びます。

 もしあなたが選ばれたならば、きっと今とは違った人生を歩める事でしょう。






 ん?対価はどうするのかって?そうですね。対価は——、








 きっと呼び出しに応じた相手が、あなたにピッタリの素敵な対価を決めてくれるはずですよ。























 最後まで読み終わった私は、バタンと勢い良く本を閉じ心のままに呟いた。


「――この本さえあればっ」















 end.

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