第21話 王都での日々②-3



 あの買い物から数日が経ち、私は今日ノアの指導の下初めての料理に挑戦する。

 事前にノアが初心者でも失敗しにくい料理を教えてくれると言っていたので、私は今日という日を今か今かと心待ちにしていた。

 昨日は楽しみすぎて上手く寝付けず、それでいて朝はいつもより早く起きてしまう始末だった。


 あの日ノアに買ってもらったブルーのエプロンを持ち、私は早足でキッチンへと向かった。

 キッチンに着くとそこには既にノアがいて、食材を分かりやすいように調理台の上に並べてくれている所だった。


「ノア、今日は何を作るの?」

「今日は初心者のリアにも比較的簡単に出来る卵料理とサラダにしようと思ってる」

「卵料理とサラダ……とっても楽しみだわ!ノア、今日はよろしくお願いします」

「俺も一緒に作るから、そんなに気張らないでいいぞ」


 今まで食事と言えば、席に着いたら自然と出てくるものだった。

 この家に来て、私は生まれて初めて目の前で料理を作る人の姿を見た。

 一つ一つがまるで魔法にかけられたかの様に、ノアの手で姿形を変えていく食材たちを目の当たりにした私は、初めて見るその光景に幼い頃お気に入りだった魔法使いの絵本を読んだ時のような胸の高鳴りを感じた。


 その憧れとも言える料理をやっと教えてもう事が出来る!!

 先日買ってもらったエプロンを身につけ、最近では以前よりもスムーズに結べるようになったリボンを綺麗に結ぶ。


「やっぱりそのエプロンはリアによく似合ってる」

「そう言ってもらえてとても嬉しいわ。ノアに買ってもらったものだもの、ずっと大切にするわ」


 似合ってると言われ、嬉しくて顔が緩みそうになったが、これ以上恥ずかしい姿を見せたくなくて必死で取り繕う。


「じゃ、まずは手を洗ってサラダから作ろう」

「分かったわ」


 ノアに言われた通り、流しで石鹸を使って丁寧に手を洗う。


「ノア、洗ってきたわ」

「よし、じゃあまずは俺が手本を見せる。このボウルにあるミニトマトをこうやって水で洗う。ここでの注意点はミニトマトは潰れやすいからそんなに力を入れて洗わない事。別に土とか付いてないし、そこまでガシガシ洗う事はないからな」

「強く洗ってはダメなのね」

「そうだ。で、洗えたら横にあるカゴで水気を切るからミニトマトを入れる。ここまでは大丈夫か?」

「ええ、大丈夫だと思うわ」

「よし。じゃあ、ゆっくりでいいからやってみてくれ」

「分かったわ」


 ノアが今やって見せてくれていたように、ボウルに水を流しながらミニトマトに付いた汚れを落としていく。

 潰さないように慎重に洗っていき、洗い終わったミニトマトを横の台にあるカゴに移していく。


 (楽しい……‼︎)


 まだ“ミニトマトを洗う”という事しか出来ていないけれど、それでも初めて自分でする料理は輝いて見えた。

 ゆっくりだったけれど、全てのミニトマトを洗い終えた私は笑顔で横にいるノアに声を掛けた。


「見て、私ちゃんと洗えたわ!潰さずに洗えたのよ‼︎」

「ああ、ちゃんと出来てた。その調子でやってこう」


 興奮気味に話かけた私に、ノアも嬉しそうに応えてくれた。

 その事が嬉しくて、私はノアに次は何をしたらいいのかを聞いた。


「次はナイフを使うから、まずはナイフの持ち方からだな。ここにナイフを二本用意してるから一緒に持ち方を覚えよう」

「分かったわ」

「じゃあまず最初にナイフの下は絶対触ったらダメだ。触ったら確実に怪我するからこれは覚えてくれ。」

「必ず守るわ」

「よし、じゃまずはナイフの刃を下向きにして持つ。その時人差し指はナイフの峰に置く事。その時親指は刃元に添える、そうそう、そんな感じで持ってくれ。で、残りの三本の指と手の平全体で包み込むように柄をしっかりと握る。リア、初めてなのに上手に持ててるぞ」

「本当?良かった。それにしてもナイフを持ったのも初めてだわ」

「リアはナイフの怖さを知らないから、本当に怪我しないように気をつけてくれよ」

「約束するわ」


 ナイフに持ち方があるだなんて、今まで知らなかった。

 ただナイフを持てば食材が切れると取っていた自分が酷く無知で恥ずかしかった。


「じゃあここからは、リアが好きなアボカドをカットする。流石にアボカドを切るのはリアには無理だから俺がやるけど、リアは一旦ナイフを置いて調理台から少し離れて見ててくれ。ナイフを使うからあまり近くに来ると危ないから」

「ええ、分かったわ」

「まず、食材をカットする時、ナイフとは逆の手は丸めて食材に添える。この時指の第一関節がナイフの腹に当たるようにする。この時親指も一緒にきちんと曲げる事。じゃないと怪我するからな」

「ナイフの持ち方だけじゃなくて、手の添え方もきちんとあるのね」

「そりゃただ食材を持つだけだと指切るからな」


 私は今までどれだけ無知なまま生きてきたんだろう。

 貴族にとっては必要のない知識だったのかもしれない。けれど食材が何もせず料理として出てくる筈がないと少し考えれば分かる事だったのに。


「いいかリア。アボカドは真ん中に大きい種があるからナイフで完全に真っ二つにはしない。アボカドを片手で持って、こうやって種があるから縦半分までナイフを入れてグルっと一周させる。で、ナイフは一旦置いていいから、アボカドを両手で持って互い違いに軽くねじりながら二つに分ける。ここまでは大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ」

「で、分けた実の片方を持ってナイフのあごの部分を種に刺す。で、ねじるように種を取り外す。あとは皮を剥いて終わりだ。この後は適当にカットすればいいだけだから、ここからはリアでもできるだろ」

「やってみるわ」


ノアが種を取り出してくれたアボカドを受け取り私は先程おしえてもらったようにナイフを持ち、恐る恐るアボカドをカットしていく。

 柔らかくナイフが入れやすかったのもあり、すんなりカットする事が出来た。


「ノア……私ナイフが使えたわ」

「初めてにしてはよく切れてる。上手だぞリア」


 (どうしよう……凄く嬉しい)


 今までたくさんの事を学び実践してきたけれど、こんなに真っ直ぐに褒めてもらった事はなかったし、褒めてもらう事がこんなに幸せな気持ちになるなんて知らなかった。

 私は嬉しくて、このままミニトマトもカットしてみたい事をノアに伝え、二人で一つずつ半分にカットしていった。


「リア、あとはこっちにあるクリームチーズを手でちぎって適量を皿に乗せるだけだ」

「これでもう完成なの?」

「あとはドレッシングを作ったらサラダは完成だ」


 そして、ノアに計り方を教えてもらいながらドレッシングも作った。

 レモン汁とオリーブオイル、塩とブラックペッパーだけの見た目はシンプルだけれど、決して素材の味を邪魔しないドレッシングが完成した。


 先程カットしたミニトマトとアボカド、そしてクリームチーズをそれぞれの皿に盛り付け、サラダは無事完成した。

 後は食べる際ドレッシングをかければいいだけだ。


「次はメインの卵料理“チーズ入りオムレツ”を作る。もうナイフは使わないけど、今度は火を使うから火傷しないように気をつけろよ」

「ええ、気をつけるわ」

「じゃ、まずは卵を割るんだがこれも俺が先に手本を見せる。最初は難しいかもしれないが、慣れれば簡単に出来る様になるから大丈夫だ」

「ちゃんと見て覚えるわ」


 実を言うと私はチーズオムレツが大好物だった。

 その大好物の料理を自分の手で作れると聞き、今とても心が弾んでいる。


「まずボウルを用意する。で、卵を割る時は平らな場所に卵の中央を軽く打ち付けてヒビを入れる事。この時強く打ちつけすぎると完全に卵が割れるから力加減は気をつける。とりあえずここまでは大丈夫か?」

「ええ、力加減に気をつけるのね。分かったわ」

「この次は殻割れ目に両手の親指を入れる。で、ボウルの上でそのままゆっくり左右に開く。そうすると中身がボウルの中に入る。どうだ、出来そうか?」

「一回挑戦してみたいわ」

「よし、じゃあ俺も横で一緒にやるから挑戦してみよう」


 ノアが横でもう一度卵を割るのを確認しながら私も先程教えられた様に卵を割る。

 でもノアはさっき簡単に割っていたのに、私は“力加減”が分からず全然ヒビが入らなかったり、かと思えば力の入れすぎで卵を潰してしまったりした。


「力加減が難しいわ……どうしたらノアみたいに綺麗に割れるのかしら?」

「こればっかりは何回も練習するしかないな。でも焦る必要はないからな。例え殻が混ざったとしても取り除けばいいんだから」

「分かったわ。私もう一度挑戦してみる」


 結局私か割ったのは三つだったけれど、全て綺麗に割る事は出来なかった。

 でも私にはまだ機会がある、また挑戦しようと思い、落ち込むよりもこれから先の料理に希望を抱いた。


「後はこの卵に塩、コショウ、マヨネーズを入れて混ぜる。あ、調味料は好みの量でいいからな」

「ええっと、このくらいでいいの?」

「ああ、大丈夫だ。あとはこんな感じで中身が混ざるように混ぜてくれ」

「こんな感じでいいのかしら?」

「お、上手じゃないか。じゃ卵は一旦置いておいて、次はフライパンの準備だ」


 私たちの後ろにある火口に向き直り、ノアはスキレットに油を注ぎ、そのまま火口にセットした。


「火が弱いと卵が張り付くからスキレットはしっかり温めるのがコツだ。で、温まったら卵液を流し込む。全部流し入れたらこうやってスキレットを奥、手前に揺する。で、外側の固まってきた卵をスパチュラで内側に入れる様に動かして半熟のスクランブルエッグ状になるまで火を通すんだ」


 ノアの説明はとても分かりやすいのだけれど、今の私はノアが焼いているオムレツに釘付けだった。


 (液体だった卵が形を作っているわ)

 (本当に料理って魔法みたい)


「ある程度火が通ったらチーズを卵の中央より少し上にずらしてセットする。さぁリア、あと少しで完成だ」

「凄いわ……」


 ノアは手際良くスパチュラでスキレットの側面を一周なぞって綺麗に卵をはがした。

 そしてスキレットを手前から奥に傾け手前側の卵をスキレット奥にたたみ、反対側の卵も同じように綺麗にたたんだ。


「ほら、チーズオムレツの完成だ」


 ノアが作ったチーズオムレツは今みで見たどの料理よりも輝いていた。

 私は全然活躍出来なかったけれど、それでも自分で初めて最初から作ったという事実がとても嬉しかった。


「さ、冷めないうちに食べようぜ」

「ええ、早く食べましょう!」


 食器をセットして、二人で向き合って食べる。

 こんな些細な事が、どうして私は涙が出る程嬉しいんだろう。


「リア、初めての料理はどうだった?」

「とっても楽しかった!私、また何度でも挑戦したいわ!」

「ははっ、楽しいと思えるのはいい事だよな。またいっしよに作ろう。俺が何度でも教えてやるから」

「約束よ?」

「ああ、約束だ」


 ……約束。ノアにとっては些細な事かもしれない。

 でも私には心が震える程嬉しかった。


 


 ノア、私本当は――、

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