第19話 王都での日々②-1

 


 身の回りの事が人並みとはいかないまでも、ある程度困らないくらいには出来る様になった頃、私は次のステップへ進む事にした。

 

「ノア、私そろそろ街に出て一人で買い物をしてみたいわ」

「……そうだな、確かに最近のアリアは随分身の回りの事が出来る様になってきたし、そろそろ次の段階に進んでもいい頃だな。でも心配だから一応姿を隠して俺も着いて行くから、何か困った事があれば遠慮なく声をかけてくれ」

「ええ、分かったわ。その時はよろしくね」


 正直一人で外へ出て買い物に行くのには、自分から提案しておいて何だけど少し不安があったから、ノアが着いてきてくれると言ってくれたのは正直とても嬉しかった。

 少しずつ慣れてきた身支度を済ませ、ノアの待つ玄関へ足早で向かう。

 普段必要なものは全てノアが揃えてくれているから、この家に来てから自分で外に出た事は一度もなかった。

 それに貴族令嬢だった頃も、基本的に移動は馬車だったし、歩くと言っても長距離移動はなかった。

 

 初めて自分の足で歩いて買い物に行ける。

 それもノアと一緒に。


 その事に自分でも驚くくらい心が浮き足立っていた。

 ゆっくり階段を降りながら玄関ロビーで待つノアの姿が確認出来る。

 ノアの姿を確認しただけなのに自然と口元が緩んできた。

 それと同時にノアの服装が目に留まった私は、思わずその場で固まってしまった。

 

 普段のノアは黒色で少し光沢のある標準的なシャツに、彼の瞳の色である赤い石が使われているループタイを組み合わせている。そして同色ではあるが、こちらは光沢のないタイプのジャケットとスラックスを着ている事が多い。

 時折シャツの生地やループタイに使われている石の色が違う事があるが、纏う色はいつも同じ黒色だった。

 

 それなのに今日のノアは白色の襟腰のないシャツに濃いめの茶色のパンツと、同じく茶色のサスペンダーを合わせていた。

 その普段とは全く違う服装に私の心臓は激しく鼓動していた。


「……ノア?」


 私が思わず小さく呟くと、まるでその声が届いたかのようにこちらを振り返った。そして私と目が合うと、ノアはふわりと微笑んだ。


「支度、出来たみたいだな。そのワンピースも良く似合ってる」


 (どうして私はこんなにも胸が締め付けられるように苦しいのかしら)


 目の前で優しく微笑むノアに、思わずどこにも行かないでと縋ってしまいそうな自分がいる。


 (……縋る?)


 無意識に浮かんだその言葉に思考が追い付かない。

 思わず泣きそうになった私の顔をノアは不思議そうに覗き込む。


「どうした?体調が悪いのか?」

「ち、違うわ。一人で上手く出来るのか不安になっただけよ。心配してくれてありがとう」


 そう言って私はノアに出来るだけ自然な笑顔を向ける。

 でも私の返答に納得のいっていないノアは何か言いたそうにしていたけれど、私はこれ以上聞かれたくなくて彼の背中を両手で押しながら声をかけた。


「ねぇ、ノア。それよりも私今日は雑貨屋さんに行きたいの。前に料理を教えてくれるって言ってたでしょう?だからエプロンが欲しくて」

「……それじゃあ今日は、雑貨屋に行こう。それにアリアはこれ以上聞かれたくないみたいだし。ひとまず話はこれくらいにしてもう出掛けよう。でも、アリア。今思ってる事も今すぐには無理でも、いつかアリア自身から話してほしい」


 そう言って少し寂しそうに笑ったノアに、私は何も言葉を返す事が出来なかった。


 

 もしノアに、こんな私の邪な思いを伝えて嫌われでもしたら?

 答えは決まってる。

 私は今度こそ間違いなく生きていけない。

 ノアの存在が日に日に大きくなっているのは自分自身嫌でも実感する。


「行こう、アリア」


 そう言って何もなかったかのように振る舞ってくれるノアに、決して私の邪な思いを悟られないよう、精一杯の笑顔で応える。


「ええ、行きましょう」


 こうして一人で外を歩くのは初めてだったから、家を出る前は不安だった。だけどノアが魔法で姿を隠して隣を歩いてくれている事もあり、今は不安よりも楽しみという気持ちの方が大きい。


「ねぇ、ノアは以前にも王都に来た事があるの?」


 小声でそっと隣を歩くノアに声を掛ける。

 

「いや、人間界をこうやって周るのは初めてだが、それがどうかしたのか?」

「だってノア、王都にとても詳しそうだもの。ほら今日だって雑貨屋に行きたいって言った私の道案内までしているでしょう?」

「まぁ強いて言うなら、俺はアリアの行きたい所に詳しいってだけだ」

「私の?」

「ああ。アリアは平民になってから外出るの、今日が初めてだろ?だから初めての外出がいい思い出になればと思ったんだ」


 どうして……どうして貴方は、こんなにも私が喜ぶ言葉ばかりくれるの?

 こんな風に言われて、嬉しくないわけがない。


「あ、ありがとうノア」


 きっと今の私は、絶対に人前に出てはいけないような表情になってると思う。

 顔がやけに熱くなってしまっている事が自分でも分かるから、きっと隣にいるノアにはもっと分かりやすく伝わっていると思う。


 照れ臭くなって咄嗟に少し俯き、貴族令嬢だった頃を思い出す。

 まだそれ程時間は経過していないけれど、あの頃王都で人気の店やその当時お気に入りだった店には何度も足を運んだ。

 でもいくら足を運んでいても、こんなにも幸せを実感した事はなかったように思う。


 事務的な会話や動作。自分の言動、行動がいつ他人に揚げ足を取られ没落するか分からない、そんな恐ろしい世界がいつも息苦しく、いつしか本音を言う気すら無くしてしまった事を思い出す。


 私はあの異様な緊張感の中で行う買い物が、本当に楽しかったのだろうか?

 自問自答して思うのは、今こうして何にも縛られない自由を手に入れたからこそ分かる事実がある。


 それは今、私は日々の生活を心から楽しいと感じてるという事。

 決して自分一人で掴んだ自由ではないけれど、それでも私には幸せだった。


 その後はノアと他愛のない会話をしているうちに、気付けばあっという間に目当ての雑貨屋に着いてしまった。


 (寂しい)


 まるで心にぽっかり穴が開いたような感覚を覚え、私は咄嗟にその感情から目を逸らし、私は他の人には見えていないノアと共に店内に入っていく。

 初めて来る店だったけれど、入口からして既に私好みの自然溢れる、可愛らしい雰囲気の店だった。


 店の入口には様々な植物が植えられ、入口の少し離れた場所には木の立て看板にこの店の名前、【ジャルダン・フェーリック】と彫られていた。その看板は矢印のような形で入口を指している。そして入口の両端にはランプが垂れ下がっており、淡い色合いの光に自然と心が暖かくなる感覚がした。


 (懐かしいわ……)


 私はその光景を見て幼い頃読んだ一冊の絵本を思い出した。

 まるでその絵本に出て来る、森の奥深くに住んでいる魔女の隠れ家を思い出させる佇まいだった。

 思わず絵本の中に迷い込んだ錯覚を起こした私は、店内が気になりそのままゆっくりと足を踏み入れた。

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