第18話 王都での日々①
それからはもう、怒涛の日々だった。
教えてもらったように服を着る、湯浴みをする。一見簡単とも思えるその動作に、私は何度もつまずいた。そしてその度にノアが慰めてくれ、どこで毎回ミスをしているのかを指摘してくれた。
慰められる度にこんな些細な事すら出来ない自分が酷く恥ずかしく、同時に今までどれだけ甘えた生活をしてきたのかを痛感した。
私はここへ来てから随分泣き虫になったし、弱くなってしまった気がする。
思うように出来ない事が悔しくて、その度に挑戦しても結局いつもと同じところでミスをする。
この良くない状況に落ち込み泣いていると決まってノアが現れ、纏まらない弱音を吐く私の話を聞き、根気強く支えてくれた。
「アリアは早く一人前になろうと気を張りすぎなんだ。時間がないのは分かるけど、気だけ焦っていても良い結果には絶対繋がらない」
「私はこんなに何も出来なかったのね……。どれだけ恵まれた環境にいたのか、今ならきちんと理解出来るわ」
「確かに以前のアリアは恵まれていただろうな、そこは否定しない。普通平民は傅かれて生活なんてしないからな。だからこそ今のアリアは何も知らない赤ん坊と同じだ。あいつらだって何も初めから完璧に歩ける訳じゃないだろ?何度もつまずいて転んで、泣きながらも立ち上がる。アリアも今はそれと同じなんじゃないか?」
そう言いながら私の背中を撫でながらハンカチを差し出してくれる、ノアは私が弱音を吐いても嫌な顔一つしない。
今までの人生で、ここまで自分の弱音を人に晒してきた事はほとんどなかった。
それは家族である父にも、婚約者だったアイザック様に出しても同じだった。
(どうしてノアにはこんなに弱い自分を見せる事が出来るのかしら)
そう疑問に思っても今の私ではその僅かに引っかかる疑問に、正確に答えられるだけの言葉を持ち合わせていなかった。
ノアに言われてから、失敗してもすぐに落ち込むのではなくて、どこで毎回つまずくのか自分の行動を振り返るようになった。
そうする事で毎回間違える部分を自分自身で把握する事ができ、その内自然とミスをする回数が減っていくのが自分でも分かった。
ミスが一つずつ減る度に嬉しくてノアに報告してしまう。
この毎度恒例になった行動にも、ノアは決して嫌な顔一つせずまるで自分の事の様に喜んでくれた。
「ノア!!見て、今日はブラウスのリボンを綺麗に結ぶ事が出来たわ!」
「本当だ、綺麗に結べてるな」
そう言いながら頭を撫でてくれる優しい動作も毎度恒例の事になっていた。
そうやって出来る様になった事を報告してノアに頭を撫でられていると、自分が雛鳥になったかの様に感じる事がある。
ノアという親鳥を必死で追いかける雛鳥。
ここへ来た当初よりもノアへの信頼が増していっているのが自分でも実感出来た。
そんな今日は、この家に引っ越してきてあらためて、家の中の探索をする約束をノアとしている。
着いた初日に随分豪華絢爛だと驚いたのだけれど、あれからすぐに自分の身の回りの事を覚えるのに必死で、自分の部屋とノアの部屋、そして食堂しか行き来していなかったから、こんなに立派なお家なのに自分が知っている部屋以外何も知らない事に最近気付いた。そしてノアにその事を相談すると案内を買って出てくれた。
「俺は見慣れてるけど、アリアは初めてだもんな。よし、今日は見れる所まで探索しようか。広さがあるから見れなかった分はまた日を改めて二人で回ろう?」
そう言いながら自然とノアに手を繋がれて、私は内心飛び上がってしまった。
彼に頭を撫でられるのは最近では慣れてきた動作だったけれど、手を繋いだ事は婚約者もいた貴族令嬢だった頃ですら一度もなかった。
「ん?どうした?」
「あ、て、手が」
「手?あぁ、アリアは迷子になりそうだと思って。……嫌だったか?」
そう言うノアに、私は壊れた人形の様に首を横に振る事しか出来なかった。
(きっと今まで、男性と触れ合った経験がないからこんなに緊張しているのよ)
(決してノアにだけ緊張している訳ではないわ)
一体誰に向かっての言い訳なのか自分でも分からないけど、私は落ち着くまでひたすら自分にそう言い聞かせた。
ノアと家の中を探索してみて思った事が一つある。
それはこの家はやはり広すぎるのではないかという事。この家に来た当初ノアから私の知識が間違っている事を指摘されたけれど、改めて見てみても王族の私的な空間と言っても差し支えないくらいの広さと豪華さだった。
クレイン侯爵邸しか知らない私でもこの数え切れない程の部屋数と三階建でもワンフロアの隅から隅まで目視で確認出来ない程の広さが異常な事くらいは分かる。
全ての部屋を見る事は時間的に難しいのは理解しているので、その中でも重要な部屋だけ案内してもらった。中でも一般的な家に王家主催の夜会で使用される程の大広間は必要なのだろうか?、
更に調度品一つとっても、とてもではないがクレイン侯爵家ですら手が出ない物ばかりだった。
茶会で公爵家に招待された事も何度かあったが、王族の次に位置する我が国の公爵家でさえもここまで立派な調度品は置いていなかった。
私は王族の私的な空間に入った事はなかったけれど、少なくとも高位貴族の屋敷ですらここまで立派な造りはしていない。
明らかにおかしいと思った私は再びノアにこの疑問を投げかけてみる事にした。
「ねぇ、ノア。私やっぱりこの家が王都の方達が暮らす家だとは思えないわ」
「みんなこんな感じの家に住んでるけどな。他の家が気になるのか?」
「ノアを疑っているわけではないのよ。ただこんなに立派な造りなのに、外観はもっと小さい佇まいの家だったでしょう?それにこの部屋数では小さな家には入りきらないのではないかしら?」
「そりゃ見かけが立派だったら、犯罪に巻き込まれる事もあるからだろ。アリア、そんなに気になるなら他の家も見に行ってみるか?」
「見る事が出来るの?」
「あぁ、簡単だ。人が住んでない空き家とかを覗けばいい」
「……でも勝手に人様の家を覗いたりしていいのかしら?」
「そこは俺がどうにかするから心配しなくていい。だからアリアはただやりたい事を素直に教えてくれ。アリアの望む事は俺が全部叶えてやるから」
「っ!?」
「アリアは俺の主人だろ?その主人の望みを叶えるのが召喚された俺の仕事だ」
そう言って口角を上げ笑ったノアが、何故だか私にはとても幸せそうに映った。
……人間である私の言う事を聞くなんて悪魔にとっては屈辱ではないの?
どうして、いつもいつも私の本当に欲しいものを与えてくれるのがノアなんだろう。
そして、どうしてノアの幸せそうな顔を見て私はこんなにも胸がときめくんだろう。
きっとその答えはもう、本当にすぐそこまで出かかっている気がする。
でもいつかこの気持ちに合う名前を知ったら私は後戻り出来るのだろうか?
でも認めてしまった先にある私の未来は絶望しかない。
だから今はまだこの気持ちに厳重に鍵をかけて蓋をする。
これ以上を望むなんてきっとバチが当たる気がするから。
そしてノアに連れられ王都にある数軒の空き家を見て回ると、どの家も私が住んでいる家と遜色がない程の豪華さだった。
確かにノアが言っていた様に家の外観は質素だったが、一歩足を踏み入れるとそこには全く違う景色が広がっていた。
どの家も調度品から間取りまで息を呑む程の煌びやかな光景だった。
これだけ華やかだったら、確かに家の外観まで同じ様に煌びやかな造りにしていたら、悪い人間に目を付けられてもおかしくはない。
私はようやく納得し、ノアにお礼を言った。
「確かにノアの言う通りだったわ。私、自分の勉強不足が恥ずかしいわ」
「別に恥じる事はないだろ。アリアは何も知らなかったわけだし、現にこうやって自分の目で確かめて一つ学んだんだ。偉いなアリア」
そう言って優しく頭を撫でてくれるノアに、私は自分の心に着実に芽吹き始めているこの名前も分からない想いに目を背け、目を瞑りその場を素直に身を任せた。
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