第11話 初めての感情


 


 屋敷中の人間が寝静まった頃私は自室を抜け出し屋敷の裏手にある、今は使われていない小さな物置小屋に向かった。

 自室の床は絨毯になっていて魔法陣を描く事が出来ず、適当な場所はないかと探していた時にこの物置小屋の存在を思い出した。

 

 屋敷の裏手と言っても目立つ場所ではなく、普段本当に人の出入り自体ない奥まった場所にそれはある。

 近々取り壊す予定だと少し前に使用人達が話していたのを思い出し、この場所なら人に見つかりにくいと考えた。


 誰かが来る心配はないと思うが、念のため手早く床に魔法陣を描いていく。

 道具に関しては本当はチョークが良かったのだが手に入らなかった為、庭にある白い石で代用した。

 慎重に本を見ながら一寸の狂いなく模写していく。途中緊張で何度も手が震えそうになったが、その度に深呼吸をし気持ちを落ち着かせ再開した。


 そして描き始めて半刻ほどで、魔法陣が完成した。

 先ほどからずっと心臓が痛いくらい激しく鼓動していて、身体中に血が巡り体が異常に暑い。そして、妙に視界がクリアで見慣れた光景さえも初めて見た景色に見える程だった。


 用意したハサミを持ち魔法陣の中央に立つ。近くにあった机をギリギリまで近づけ、その上に呪文が書かれたページを開き本を置いた。


 (いよいよね)


 特に指定はなかったので傷がつけやすい左腕にハサミを添え、目を瞑り一気に引いた。


「っ……‼︎」


 初めて経験する痛みに悲鳴をあげそうになるのを必死で耐え、急いで本を手に取りそのまま呪文を唱えた。

 そして間違えず唱え終わると、目の前には不思議な光景が広がっていた。

 流れ出た血液は、普通なら地面に落ちると水たまりのように溜まるはずなのに、どういう訳か魔法陣の模様に沿って広がりうっすら光を放っていた。



 目の前に広がる非現実的な光景に、私は咄嗟に後ずさったがすぐに魔法陣が強い光を放ち、一気に輝き出した。

 そのあまりの眩しさに、気付けば私はギュッと強く目を閉じていた。


 そしてすぐ光が収まったのを感じ、恐る恐る目を開けば魔法陣の中央に息を呑む程の美貌の男が佇んでいた。

 驚きのあまりその場で座り込んでしまった私は、その男から目線を逸らす事が出来ないでいた。

 漆黒という言葉がピッタリな程の黒髪に、この世界では見た事のないルビーより深く引き込まれそうな暗く赤い瞳をした男はじっとこちらの様子を伺っていた。

 

 そして人形なのかと錯覚する程の完成された見た目と、禍々しい雰囲気を纏っているこの目の前の男は私と目が合うと一瞬瞳の奥が揺れたように見えた。しかし、すぐに感情のこもらない声でたった一言言い放つ。

 

「お前は俺に何を望む」

 

 言い終わるとじっとこちらを見つめ、私の返答を待っているようだった。


 (綺麗)


 見た事のない、あまりにも神秘的なその赤い瞳に射抜くような視線を向けられ、私は全身の血が沸き立つのを感じた。

 そう気付けば私は未知の感覚に思わず身震いをしていた。本当に一瞬、この男の瞳に囚われたかのような錯覚を起こしたからだ。

 それは恐怖心からではなく、焦がれていた相手の瞳にやっと自分を移してもらえた時のような……多幸感に近い感覚だと思った。


 (どうして、そんな風に思うのかしら?私はこんな感情経験した事などないのに)

 

 自分の思考なのに全く理解が出来なかった。

 

「っ……ぃ。おい!聞いてんのかよ?」

 

 しかしいつまでも返事を返さない私に、痺れを切らしたのか男が近くまで来ていた。

 

「きゃっ!?」

 

 俯いていた私が慌てて顔を上げると、男が同じ目線にいた事に驚き思わず短い悲鳴をあげてしまった。

 現状に色々と混乱しているが、まずはこの状況をどうにかする為改めて目の前の男に視線を向けた。思わずゴクリと喉が鳴る。

 私はここで死ぬ訳にはいかない。絶対に叶えてもらわなければならないのだから。


 一度目を瞑り、ゆっくり深呼吸をしてから再度男の方を見た私は視線を逸らさずはっきりとした口調で伝えた。


「私の願いはただ一つ。自由になりたいのです」


 男は何も言わない。

 ただ少し考える仕草をしているだけだ。


 (拒否されて殺されたらどうしよう)


 不安が一気に押し寄せ、嫌な汗が背中を伝う。

 この沈黙の時間がやけに長く感じ、思わず目を閉じる。

 

「おい、その自由とは何を指して言っているんだ?」

 

 そう問われひとまず会話が続く事に安堵した私は、視線を男へ向け今回の経緯を話す。


「私には現在婚約者がいるのですが、その彼は私の従姉妹を愛しています。二人が結ばれるには婚約者である私の存在が邪魔になるのです。私は、……私はこのまま婚姻を結び、一生誰にも愛されない人生は嫌なのです。私も、私だけを愛してくれる存在が欲しいのです!」


 今まで誰にも伝えた事のない、自分の正直な気持ちを目の前の男に曝け出した。

 普段の私なら見ず知らずの人、ましてや男性に本心を話す事は絶対にない。

 でもどうしてだろう。この目の前の男には、私自身の胸の内を聞いてほしいと思った。


 そして私が話している最中、男は意外にもきちんと話を聞いてくれた。

 貴族令嬢として無責任な考えだと自覚はあるので、もっと笑われたり呆れられるかと思ったがそんな事もなく、時々相槌も打ってくれていたので、呼び出したのは私なのになんだか呆気に取られてしまった。


「あの……実はもう一つお願いがあるのです。対価を支払うにあたって、二年だけ待っていただけないでしょうか?」

 

 最後に最も大事な事を男に伝える。

 

「何で二年なんだ?」

 

 男は不思議そうな顔をして首を傾げた。

 

「先程もお伝えしたように、私も心から愛する人と出会いたいのです。ですがその為にも時間が欲しいのです。もし、二年経っても出会えなかったら私は潔く貴方のものになります」

 

 約束は守るという意思が少しでも伝わればといいと思い、真っ直ぐ男を見つめる。

 すると男は一瞬驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には楽しそうに笑った。

 

「いいだろう。お前の願い、この俺が必ず叶えてやる」

 

 そう言ってこちらに向かって手を差し出し、男は綺麗に微笑んだ。そのあまりにも綺麗すぎる笑みに呼吸すら忘れ、私はしばらく男を見つめる事しか出来なかった。




 そしてまだお互い名乗っていない事に気付き、私はアリアと名乗り、相手はノアと名乗った。

 私は貴族の娘なので、今の婚約をなかった事にしてもすぐに父が新たな婚約者を見つけてくる可能性をノアに話した。

 するとノアはいい考えがあると言い、私にそっと耳打ちしてくれた。

 

「本当にそんな事が出来るのですか?」

「あぁ、俺に不可能はないからな。取り敢えず、アリアそっくりの死体を用意して貴族令嬢としてのアリアには死んでもらう。そしたら今背負っている色んなしがらみから解放されるし、アリアの言う『愛する人』を探す事にも何の問題もないだろ?」

 

 ノアの提案には、正直驚きの連続だった。


 私そっくりの遺体を用意して、貴族令嬢から解放される…… ?

 それは凄く魅力的な提案だったが、それと同時にいくつか疑問点もあった。

 

「あの、ノア。その私そっくりの遺体というのは、まさか他の誰かを傷つけたりするのでしょうか?出来ればそういった荒事は避けたいのですが……」

「あぁ、その点は心配ない。そっくりの人形を用意するだけだ。自死したように見えるように、ほんの少し細工すればいい」

「それなら安心しました。では、あともう一つだけ。私、平民として暮らした事がないので自力での生活の仕方が分からないのです。どなたか平民としての生き方を教えて下さる方を紹介していただけないでしょうか?」

 

 本当は自分が全く無知な事を、人へ晒すのは消えたくなる程恥ずかしい。でも恥を忍んでお願いするとノアは、優しく微笑み私が安心するように膝を折り目線を合わせてくれた。

 

「なんだ、そんな事か。それも心配しなくていい。俺はアリアの願いを叶える為にここにいるんだ。ここを出てからの生活は、俺が保証する」

「ほ、本当に何から何まで……何てお礼を言ったらいいのか」

「気にするな。で、他に心配事は?あるなら今のうちに言ってくれ」

「いえ、ひとまず心配事はありません。ただ最後に、家族に手紙を書かせて欲しいのです。いいでしょうか?」

「いいんじゃないか?そういう小道具もあった方がより現実的だろ」

「ありがとうございます。では早速、自室に戻って準備を始めましょう」

 

 そして私は全てを捨てる為に、最後の仕上げをする事にした。

 手紙を送るこの人達に“愛される”という願いは最後まで叶わなかったけれど、私にとってはかけがえのない大切な家族だった。


 はじめに父へ宛てた手紙を書く。出来るだけ短い文でも伝わるように思いを込めて。


 そして次に婚約者のアイザック様とエミリーへ。これでもう2人を引き裂く邪魔者アリアはいなくなる。だから、どうか幸せになってほしい。


 最後にずっと側にいて支えてくれたノーラへ。あんなに慕ってくれていたのに裏切るようにいなくなる事への謝罪。そしてノーラの明るさに救われていた事への感謝。


「出来たか」

 

 先程までどこかへ行っていたノアが、ちょうど手紙を書き終えた頃に戻ってきた。そしてノアへ向き直り、静かに頷く。

 

「さ、こっちも準備が整った。行くぞ」

 

 そう言って差し出されたノアの手に、そっと自分の手を添える。次の瞬間ノアに思いきり手を引かれ、抱き締められる形になり慌てて離れようとすると突然目の前が真っ暗になった。そう、ノアに手で目隠しをされたのだ。

 

「ノ、ノア!?」

 

 思わず叫ぶと『パチンッ』という音と共に、何かに引っ張られるような、グルグルと視界が回るような感覚がした。

 

「?アリア、もういいぞ」

 

 そう言われ恐る恐る目を開けると、そこは今までいた侯爵邸の自室ではなく見た事もない部屋の一室だった。

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