第9話 優しい婚約者②
クレイン侯爵邸から帰宅する馬車の中で先程のアリアの様子を思い浮かべる。
「私、初めてお会いした時からずっとアイザック様を愛しています」
彼女からあんな風に真っ直ぐ愛してると言ってもらえるなんて……。
アリアには申し訳ないが今日会う事が出来て本当に良かった。
私は誰よりもアリアを愛してる。
同時にこの歪んだ想いは決して彼女には知られてはいけない——。
幼い頃、茶会でアリアを見かけた時一瞬で釘付けになった。一目惚れだった。
彼女の事が頭から離れない私は父に頼み調べてもらうと、彼女はクレイン侯爵家のたった一人の娘だという事が分かった。
アリアも私も時期侯爵となる為、本来なら彼女を妻に望む事は出来ない。
それでも私はアリアを諦める事が出来なかった。
だから必死で父に頼み込み、表向きはクレイン侯爵家との事業提携と言う名目まで用意してもらった。
父の協力もあり私は無事にアリアを婚約者にしてもらう事が出来た。あの時の全身を歓喜が巡り満たされた感覚は今でも忘れる事は出来ない。
歳を取るごとにますます私のアリアへの愛は、大きく膨れ上がっていった。
癖のない真っ直ぐに伸びた輝く銀髪も、私を見つめる時に潤むアメジストの瞳も、アリアを構成する全てが愛おしく何度も触れたくて堪らなかった。
でも私みたいな邪な欲を持つ人間が触れたら、汚れを知らないアリアを汚してしまうのではないかとずっと不安で、結局エスコート以外触れ合う事すら出来ていない。
もしこんな想いを抱く私が、アリアに触れ拒否されたら?
最愛のアリアに拒否などされたら、私は間違いなく生きていけない。アリアに拒否されて生きていける程、私は強い人間じゃない。
婚姻まであと少し……。
そう、そうだ。婚姻したら少しづつ触れ合っていけばいい。だって私達は夫婦になるのだから。
それに婚姻したら、永遠に閉じ込めてしまおう。二度と誰かの瞳にアリアが映る事がないように。アリアの瞳に私以外の他人が映る事がないように……。
大切なものは誰にも取られないように隠してしまえばいい。
そう思い、アリアといる時は常に嫌われないように必死で紳士的に努めた。
そんな時だろうか。アリアの従姉妹であるエミリー嬢がやたらと接触してくるようになったのは。
アリアと私のところにまるで寄生虫みたく付き纏い、正直迷惑以外の何者でもなかった。
それでも誠実に対応していたのは、アリアの従姉妹だったからだ。
従姉妹に対して、『気持ちが悪いから、私達の邪魔をしないでほしい』と私が思ってるなんて、万が一アリアに知られて嫌われたら……?
私達の邪魔をしてくる人間の事よりも、アリアに嫌われる事の方が何倍も恐ろしかった私は、常に仮面のような笑顔を貼り付けてエミリー嬢に接していった。
それをどう捉えたのか、ある夜会でアリアがいないのを承知の上、エミリー嬢がやってきた。
そしてあろう事か、私を好きだと言ってきた。
自分の従姉妹の婚約者に好きだと言える神経が分からず、ただただ気持ちの悪いエミリー嬢から1秒でも早く離れたくて、引き攣る顔を抑える事すら出来ず聞こえないフリをしてその場を後にした。
しかしそれ以来、夜会やアリアと一緒にいる時に偶然遭遇する頻度が上がった。そして何故かその度に何度も目配せしてくるようになった。
何を伝えたいのかは分からなかったが、未知の生物に全身を犯されているような感覚に陥り、恐怖で何度も叫び出しそうになった。
だけどアリアには言えなかった。
まさか私がエミリー嬢に対して、『未知の生物を見た時と同じ恐怖心』を抱いているから、彼女と仲良くしないでくれなんて言えるわけなかった。
エミリー嬢に酷い態度を取って彼女との仲が悪くなったらと想像し、とてもじゃないがそちらの方が私には耐えられなかった。
どうせ一時の気の迷いだ、すぐに落ち着くだろうと思っていたあの頃を悔やんでも悔やみきれない。
あの日、以前から約束していたアリアとの茶会は、突然現れたエミリー嬢によって妨害された。
何故か先触れもなく突然押しかけてきたエミリー嬢に、我が家の使用人も皆不思議そうにしていた。
こんな所を万が一アリアに見られて勘違いされたら困ると思い、すぐに人目につかない場所へ移動した。
そしてそのまま裏口から、速やかに帰ってもらうつもりだった。
移動中どうして突然我が家に来たのか問いただせば、不安だったからだと言ってきた。
一体何が不安なのかよく分からず、まるで言葉も通じない別の生き物のように思え、早く帰ってほしい旨を伝えると突然、『抱きしめて愛していると言ってほしい』と泣かれ、アリアとの約束の時間が迫っていた私は焦り、一秒でも早く帰ってほしくて乱暴な言い方と雑な抱擁で愛してると希望通りにした。
こんな事をしている間も、アリアとの大切な時間が削られていくのかと思うと、邪魔ばかりするこの女が心底憎かった。
だから私は、その現場を予定時刻より早く到着した、何よりも大切なアリアに見られていた事も、 その光景をアリアがどんな気持ちで見ていたかなんて、何一つ気づいていなかった。
先程の会話でエミリー嬢とのやり取りを見られたのかと肝を冷やしたが、アリアの様子はいつもと変わらなかった。
確かに少し顔色は悪かったがそれは応接室に入ってきた時からずっとだった。
アリアとのやり取りで多少の不安はあったが、婚姻まであと少し。
婚姻したら時間の許す限り共に過ごしたらいい。
私たちはこれから共に長い時間を過ごして行くのだから。
この時の私はアリアに愛してると言われ、酷く浮かれていた。
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