第3話 婚約者の本心を知る②



 応接室に到着し、アイザック様が来られるのを待っていると何やら扉の向こうが騒がしくなっていた。

 視線をそちらへ向けると、勢い良く扉が開かれた先に息を切らしたアイザック様が立っていた。


「アリア!遅れてすまない。急な仕事で対応に追われていたんだ」

「そうだったのですね。私も先程到着したばかりでしたのでタイミングが良かったのかもしれませんね」

「そう言ってくれて助かるよ。アリア、ようこそ我が家へ」


 そう言って私の手を取りキスを落とす。

 誰から見ても完璧なそのアイザック様の姿は普段見ている私が大好きな彼そのもの。

 そう、先程見た光景の方が夢なのではないかと思うくらいに。


 二人でソファに向き合うように座ったのを合図に、先程まで飲んでいたお茶が取り替えられ色とりどりのお菓子がテーブルに並んだ。

 アイザック様の話に相槌を打ちながらも先程見た光景が目に浮かび、何故?どうして?と自問自答を繰り返してしまう。


「——っ、アリア?」

「っ!?申し訳ありません、考え事をしていて……」


 物思いに耽っていた私はアイザック様の話を話半分で聞いていて声をかけられるまでまるで気が付かなかった。

 

「アリア、何だか顔色が悪い。もしかして体調が悪いのではないかい?」

「……いえ、そのような事は、」

「だけど、本当に顔色が悪い。医者を呼ぼう、このままでは私が心配だ」

「本当に大丈夫なのです……実は昨晩、茶会が楽しみで上手く寝付けなかったせいかもしれません」

「私もアリアと会えるのを楽しみにしていたよ。だけど久しぶりに会えた嬉しさで体調が悪い事に気がつかなくてすまなかった。今日はもうお開きにしよう」

「申し訳ありません。では、お言葉に甘えて本日はこのまま帰らせていただきますね」


 結局アイザック様にエスコートされ馬車まで戻り、体調が良くなったら手紙を書く旨を約束した。

 馬車に乗り込んだ途端、それまで大人しかったノーラが口を開いた。

 

「お嬢様、体調はいかがですか?」

「ええ、先程よりは少し良い気がするわ」

「良かった。それを聞いてノーラは安心しました。ですが、途中で具合が悪くなったらいつでも仰って下さいね」

「ええ、そうするわ。ありがとうノーラ」

「お嬢様の体調は心配されていましたが、結局最後までアイザック様からの説明はありませんでしたね……」

「……そうね」


 元々我が家とアイザック様の生家であるレスター侯爵家の婚約は、政略的な意味合いがあった。

 私が6歳、彼が8歳の時にこの婚約は結ばれ初めてお会いしたあの日から、彼はずっと誠実だった。

 常に私を気遣い、贈り物もエスコートも一度だって欠かした事などなかった。


 「アリア」


 彼が優しく微笑み私の名前を呼ぶ。そっと手を差し伸べてくれた事がどれ程嬉しかった事だろう。

 私は優しくて誠実なアイザック様を心から愛していた。

 そしてアイザック様も同じ気持ちでいてくれるのだとずっと信じてきた。


 「アリア、愛してる」


 そう言って頬を赤らめる彼を見て勝手に一人で舞い上がっていた私は、相思相愛なのだと勘違いをしていたのだろうか。

 私はアイザック様の婚約者なのに、あんな風に情熱的に抱きしめられ愛を伝えられた事は一度もない。

 彼は奥手なのかもしれないと考えた事もあるけれど、先程の光景からその考えは間違いだと分かる。

 だって先程見たアイザック様は、私のエミリーを抱きしめ愛を伝えていたんだもの。

 だからきっと、あの光景が彼の本心なのだろう。


 未だ前の席で先ほどの光景に怒りを露わにしてるノーラを横目に、表面上の私はいつもと何も変わらない態度を貫いた。

 でもそんな風に平然を装っていても、先ほどの光景が目に焼き付いて離れず心の中はまるで暴風が吹き荒れているようだった。

 だって庭園の影で抱き合う二人は、どこからどう見ても似合いの恋人同士だったもの。


 (アイザック様とこのまま婚姻したら、私はどうなるのかしら……)


 これから歩むであろう自分の未来を想像し、自然と涙が溢れ咄嗟に少し俯いた。

 貴族として婚姻と後継を産む事は義務であると幼い頃から叩き込まれてきた。中には貴族の義務として生活している夫婦もあるだろう。

 それでも私は嫁いだからには夫となる人と仲良くしていきたいと願ってきた。

 嫁いでもお飾りの妻として夫に愛される事のない己の未来が頭をよぎる。


 (アイザック様がエミリーと愛し合うのを見せられるなんて、そんな事耐えられない‼︎)


 心が悲鳴を上げ、そう叫び出したくなる衝動を必死に抑え込む。

 それでも先ほど見た二人は、私から見てもお似合いだった。

 金髪碧眼で王子様のような容姿のアイザック様と、ふわふわの金髪と新緑のような緑の瞳の従姉妹が並び合うと本当にお似合いで、まるで絵本から飛び出してきた王子様とお姫様そのものだった。

 きっと最初からあの二人が婚約者同士だと言われても、納得してしまうような雰囲気がそこにはあった。


 対する私はどうだろう。癖のない真っ直ぐ伸びた銀髪は、見る人によっては灰のようにくすんだ色だと言われた事がある。そしてこの紫の瞳も相まって、冷たい印象を人に与えているのは自分が一番よく分かっていた。


 (私のような容姿では、アイザック様の横に並ぶのは相応しくないものね)


 頭で理解しようとしても、先ほどの光景が私の心にドロドロとしたドス黒い感情を生み出し、目の前が真っ暗になりそうになる。

 慌てて深呼吸をし、顔を上げながら出来るだけいつもと同じ私を作る努力をする。

 でもそんな事をしても、暗い心が晴れる事はなかった。


 (お父様に先程の事を報告して、婚約解消を願い出てみようかしら……)


 貴族の世界は甘くない——。

 そんな事、幼い頃から言い聞かせられているから十分理解している。

 それでも先ほどの衝撃があまりにも大きく、この時の私は正常は判断が出来なくなっていた。

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