第2話 婚約者の本心を知る①
「——君を愛してる」
「アイザック様、私も……私も愛していますっ」
悲鳴にも似た心からの叫びをあげているのは私の婚約者であるアイザック様。
そしてその彼に強く抱きしめられているのは、婚約者である私ではない。
私の従姉妹だった——。
私は今、月に一度の婚約者との交流で相手の侯爵家の茶会にお邪魔している。
随分前から決められていた今日というこの日を、私はずっと心待ちにしていた。
あまりにも心待ちにしすぎて前日の昨日はなかなか寝付けなかった程だった。
レスター侯爵邸に着き見知った顔の執事に出迎えられた私は、いつもの応接室へ向かう廊下を連れてきていた侍女と共に歩いていく。
「お嬢様、先程からお顔が緩みっぱなしでいらっしゃいますよ」
「ノーラ、仕方がないわ。だってずっと楽しみにしていたんだもの」
侍女のノーラにそう指摘され、恥ずかしくなった私は両手を頬にそっと添えた。
だって仕方がないじゃない。私の婚約者であるアイザック様は、誰が見ても誠実な優しい方なのだから。
それに彼はこちらが驚く程紳士的で、いつだって私を優先し案じてくれる。
彼と婚約関係になって十年。幼い頃からずっと一番近くで彼を見てきた。
いつだって誠実な彼に恋心を抱くのも自然な流れだったように思う。
来年の今頃は結婚式を挙げ私は晴れてアイザック様の妻になる予定だ。
そんな事を想像していると自然と笑顔になってしまう。
「アイザック様も、きっとお嬢様が到着されるのを心待ちにしていらっしゃると思いますよ。お嬢様を見つめるあの瞳。あれは誰が見ても恋をしていると一目瞭然ですから」
「ノーラったら一体いつそんなところまで観察していたの?」
「当たり前です!大事なお嬢様をお任せするに値する相手か、きちんと見極める事が私の役目ですので!」
「ふふっ。いつもは侍女の鑑だと言われるノーラが、どうして私の事に対してだけ可愛らしくなってしまうのかしら」
「それは私が、お嬢様に一生涯の忠誠を誓っているからです!」
「もう。でも私もそんなノーラが大好きよ」
そんな風に話しながら廊下を進んで行くと、ふと窓から輝くような金髪がふわりと庭園の茂みの奥へ消えていくのを見た。
「ねぇ、ノーラ。今あそこの茂みの向こうに金色の髪の方が消えていったように見えたのだけど、あの方はアイザック様かしら?」
「え、ですがアイザック様はいつものように応接室にいらっしゃるのでは?」
「でもあんなに綺麗な金色の髪はレスター侯爵家の人間だけでしょう?それに、今日はアイザック様のご両親も弟のジョシュア様も用事で不在にしていると事前にいただいたお手紙で仰っていたわ」
「例えそうだとしても、どうしてあんな人気のない場所へアイザック様は向かわれたのでしょうか?」
「私にも分からないけれど……ねぇ、ノーラ。こっそり着いて行ってみない?」
「……お嬢様って意外と行動力がありますよね?」
「そうかしら?でもこっそり着いて行って、驚かせてみない?」
「私のお嬢様は茶目っ気も持っていらっしゃる」
「お願いよノーラ」
「んん。私の大切なお嬢様の願いです、行ってみましょう!」
「ありがとうノーラ!」
嬉しくてついノーラに抱き着いてしまった私は、慌てて人が消えて行った場所へ向かった。
私はただいつも紳士的なアイザック様の、普段見る事のない驚いた顔が見たかっただけ——。
「——っ」
「——」
近くまで行くと、何やら人の話し声が聞こえてきた。
(誰か他にもいるのかしら?)
見つからないように相手の姿が見えるギリギリの所に隠れた私は、そっと声のする方を覗き見た。
でもきっと、私がそんな普段と違う行動を取った罰なのだろう。
「——君を愛してる」
「アイザック様、私も……私も愛していますっ」
秘密の恋人達の逢瀬にはうってつけのようなこの場所で、お互いを強く抱きしめあっているのは婚約者であるアイザック様と私の従姉妹のエミリーだった。
(どういう事なの……?)
この時の私は目の前に広がる光景……自分の婚約者と従姉妹の逢瀬を、ただ茫然と眺める事しか出来なかった。
「——っ様、お嬢様!!」
「っ!?」
ノーラに声をかけられ、はっとした私は現実へと一気に引き戻される。
「お嬢様、」
「大丈夫よ。ひとまず……応接室に向かいましょう」
ノーラにそう伝え、私は目の前の光景に背を向け踵を返す。
今しがた目にした光景を何度も思い返しながら、歩き慣れた廊下を黙々と進みながら私は何度も思い返した。
庭園の片隅で抱き合っていたアイザック様とエミリー。
強く抱きしめ合っていた二人はまるで恋人同士のようだった。
(どうして……)
(一体何が……)
何度、考えても明確な答えは出てくれない。
そんな時、横に控えていたノーラが声を荒げ先程の光景に憤慨していた。
「お嬢様!さっきのあれは一体何なんですか!?それにどうしてここにエミリー様がいらっしゃるんです!?」
「……私にも分からないわ」
「どうして抱き合ったりなんか……アイザック様はお嬢様の婚約者ではないですか!!」
ノーラの悲痛な叫びを聞き、私は歩みを止めまっすぐ彼女の目を見た。
「ノーラ」
「も、申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」
「私を思って言ってくれたのよね。でもね、ノーラ。ここはレスター侯爵邸であって我が家ではないの。他家で無闇に感情を面に出してはダメよ」
「申し訳ございません」
「それからアイザック様にお会いしても、決して態度に出してもダメよ」
「……アイザック様にお聞きなさらないのですか?」
「きっと何か事情があったのよ。アイザック様から話してくださるまで待つ事にするわ」
「……かしこまりました」
「——だって、私は貴族の娘だもの」
「お嬢様?」
「いいえ、何でもないわ。さぁ行きましょう」
今日のこの交流は何日も前から決められていた事なのに……。
(どうしてエミリーがここにいるの?)
(どうして、あの二人が抱き合っているの?)
結局応接室に辿り着くまでの間、納得の出来る理由は見当たらなかった。
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