第4話 願いは叶わない①
屋敷に戻った私は足早に父の書斎へ向かった。
書斎へ向かうまでの道のりでノーラが心配そうにこちらを気遣わしげに口を開いた。
「お嬢様、今から旦那様に先程の事を報告なさるのですか?」
「ええ。今後の方針を決めるのはお父様だけれど今日見た事はきちんと報告はしないといけないでしょう?」
ノーラに対し適当な言い訳を言い連ねてみるが、結局自分がこのままお飾りの妻になるのが私は嫌なのだ。
「旦那様はお嬢様を大切になさっていますから、きっとこのままお嬢様の味方になってくれますよ‼︎」
「……そうだといいのだけど」
そう言って私は父の姿を思い浮かべる。
私と同じ癖のない真っ直ぐな銀髪に紫の瞳である父は、普段からどんな事があっても冷静沈着で表情が動く事がほとんどないその冷たい美貌も相まって、周りの人間からは『氷の侯爵』と呼ばれている。
そしてその名に相応しいように、私達親子の関係も冷え切っている。
確かに私は父の子なのに、その関係は親子と言うよりも上司と部下という関係に近く、本で見た事がある普通の親子がするような会話を私達がした記憶は一度もない。
例え話すとしても私の家庭教師から受けている報告を再度私にも確認の為に聞く程度の会話しかした記憶がない。
そんな親子とも言えないような関係だからか、物心がついてから父に何かを頼んだ事はなく、ただひたすら父が望むままの人生を歩んできた。
だから初めて娘として願う私の我儘を、もしかしたら叶えてくれるのではと少し期待もしていた。
父の執務室の前に着きノックをして扉を開くと、そこには普段見慣れた殺風景で、そして執務机の上だけ異常に書類の山が出来ている光景が広がっていた。
執務机で黙々と書類を捌く父はいつだって私の自慢だった。
ただ今は一切表情が変わる事のない厳格な父に対して、何かをお願いした事のない私にとってはなかなか話し掛けにくい状況だった。
いつまでも黙っている私に痺れを切らしたのか父の方から声がかかった。
「アリア、この時間はレスター侯爵邸にいる筈だろう。どうしてまだ屋敷にいるんだ」
そう父に言われ、私は素直に先程見た光景を報告した。そして婚約を解消したい事も……。
しかし父から返ってきた言葉は、酷く残酷なものだった。
「婚約解消は認めない。アリア、婚姻前の火遊びくらい容認してやれ。もうすぐ夫婦になるのだからそれでいいではないか」
執務の手を止める事も、こちらを見る事もしない父は、ただ淡々と言葉を紡いだ。
「で、ですがアイザック様のお相手は「アリア」」
そして最後まで言い終わらないうちに,父は被せるように私に言う。
「火遊びくらいで婚約解消など私は許可しない。アイザックとて愚かではない。この婚約を蹴ってまで遊び相手を選びはしないだろう」
私だってそう思いたい。でも愛する人がいるのに何とも思っていない私と婚姻して、愛する人を日陰の身に……なんてアイザック様はなさるのかしら。
それに今の私は、愛し合う二人を引き裂く邪魔者でしかない。例え嫁いだとしても、一生肩身の狭い思いをするのは容易に想像出来る事だった。
(それなのに、お父様は私が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをしても平気だと仰るのね……)
愚かな私は、ほんの少しだけ期待していた。
もしかして婚約者の不実を報告したら、アイザック様との婚約を解消してくれるのではないかと……。
“政略の駒”としてではなく、“父の娘”として今まで交わる事のなかった視線をようやく合わせてくれるのではないかと……。
でも現実はどうだろう。父は私を見る事もなく、領主としてのやらなければならない手元の書類を淡々と捌いている。
娘の婚約者が……よりにもよって従姉妹と愛し合っていると報告しようとしても、父にとっては領主としての執務の方が優先すべき事柄であって娘の話なんて些細な事だったのだろう。
「っ……」
——私は父にすら愛されていない。
唐突に現実を突きつけられた私は、もう何も言葉にする事が出来なかった。
呆然とその場に立ちすくむ娘に対し父は、更に追い討ちをかける。
「話はこれで終わりだ。いいかアリア、婚約解消は認めない」
それだけ言い終わると、こちらに向かって手を振り退出を促した。
そっと扉を閉め廊下に出た私は控えていたノーラを連れフラフラとした足取りで自室へと戻った。
「お嬢様、先程よりも顔色が良くありません。何があったのですか」
「……ええ」
ノーラが何やら横から声をかけてくれていたけれど、執務室での出来事で呆然としていた私は曖昧に相槌を打った。
そしてその後どうやって自室に戻ったのかの記憶もなく、気付いたら私はソファに腰掛けていた。
婚約者だけでなく、父にすら愛されていなかったという事実に、もう心がついていけなかった。
心配してくれているノーラには悪いと思ったが、一人になりたかった私は人払いをし先程のアイザック様とエミリーの逢瀬と父との会話を思い出し、我慢していた涙が堰を切ったように溢れ出した。
「っ……、っう……っ……」
行き場のないこの思いを解消する事すら許されないのだと絶望し、私はそのまま泣き続けた。
「っ……、どうして……っう……」
「私はただ……私だけを愛してくれる人と幸せになりたいだけなのにっ……」
自分でも無意識に飛び出た言葉は私の心からの願望だった。しかし誰に届く事もなく、そのまま静けさと共に消えていった。
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