第2話

【プロローグ】


 漆黒の天球に巨大なメテオが尾を引き、ガラス粒のような星々を従えて輝いている。

 その微細な光は、苔むす古城と、その中で対峙する二人の男を照らしていた。

 廃墟と化した城の中では、いくつもの松明の明かりが揺らめき、赤茶色の絨毯に複雑な影を落とす。

 目前には、内側から盛り上がった体躯を覆うプレートアーマーを身にまとう剣士、閃剣王と呼ばれる魔王が一人。

 くすんだ鉄色の面頬(バイザー)の内は黒い闇に包まれ見ることはできない。

 俺は、心の内からあふれ出そうになる怒りの炎を押さえて、超硬合金製の対軽装甲刀を握り締めた。

「ククク。良き殺気だ……あの時、コソコソと俺を殺そうとした時とは大違いヨォ」

 バチリ、バチリと、天空に浮かぶ自律型中型宙域帆船『メテオ』から超指向性電磁波に乗せた巨大な電力が、俺と魔王の身体の内にある肉体強化用マイクロマシンに電力を供給し、あぶれた電圧が体表面にスパークを飛ばす。

「……返してもらうぜ。ミーシャの記憶片」

「クク。バトルドロイドの記憶片の外装は固すぎて、この世のテクノロジーじゃ傷ひとつ付けられねぇ。その辺にほっといても、てめぇらが回収しちまうからな。屑籠にぶち込んであるぜ……」

「……」

 俺は、無言で対軽装甲刀、質素な形の片刃の剣を中段に構え、腰を落とした。

「どっかの王は、コレクションしてるらしいがな、俺にはそういう趣味はねぇ。コレだけだよ」

 閃剣王は、己の剣を持ち上げ同じように腰を落として上段に構えた。

「剣技、死命を決する剣の閃きだけが……全てだ」

 メキリと剣を握る手に力がかかると、閃剣王から猛烈な殺気が噴き出すように感じた。

「褒めてやるよ、この前みてぇにコソコソ、後ろから殺そうとせずに正面から来たコト」

 この男の剣技は、想像を絶している。どこから襲おうと同じだ。あの時に悟った。

 だが、あの時の一撃が奴の不意を突くことができた。

 そう、一撃だ。奴を上回る一撃ならば。

 俺は更に腰を落とし、地面を踏みしめる脚に力を込める。

 過剰となった電圧が溢れ出してバチリバチリと音を立てる。

「だがな、てめえに勝機はねぇよ。輪切りにして、屑籠にぶち込んでやるぜ」

「……いや、死ぬはお前だ。五百年の命、ここで終わらせてやる」

 俺は、渾身の力を込めて地面を蹴り出し跳躍した。

 感覚加速が始まり、全ての動きがスローモーションに変化する。

 松明の明かりを照り返す、空気中のチリも、動作によってひらめいた衣服のはためきも、全てが空中で停止したかのようだ。

 跳躍の圧力で床面の石材がバキリと凹み、スローモーションで石片を散らす。

「ケッ!」

 閃剣王が同じく、地面を蹴り出す。猛烈な殺気と共に。

――ミーシャ、待っててくれ。

 俺は、小さく心の中でつぶやいた。


【第一章】

 

 うだるような暑さの中、俺は赤坂に所在する、とある企業のオフィスを訪れていた。

 室内は外と違って、透き通るような冷気が充満していて、ほてった体にはちょうどいい。

 同じように治験を受ける数人と共に、無機質な待合スペースで暇を持て余していると、看護師の女性の声が響いた。

「門倉さん……門倉、良一さん」

「あ、はい」

 社会人経験がなく、女性経験もほとんどない、いや、すいません。

ほとんどどころか、全くない俺は、看護師のさえするような声にどぎまぎしてしまった。

「こちらですよ」

「はい……」

 うーん。何かこう、気の利いた一言でもいえれば、恰好もつくのだが。

 チェックのシャツに、よれたジーンズ。ぼさぼさの髪で、ボソボソ声じゃぁ、ねぇ……。 

 俺は案内された部屋に足を運ぶと、見慣れた機械が目に飛び込んだ。

 歯医者によくあるような安楽椅子形式のマシーンに、頭部を覆う巨大なヘッドセット、おびただしいコード類が背後にあるスパコンに接続されている。

 幾人もの医者がモニターを注視し、背後では作業員らしき人達が動き回っていた。

「じゃぁ、こちらに座って、リラックスしてくださいね」

 安楽椅子に座ると、看護師の細い腕が俺の腕を柔らかく掴んだ。

 少し冷たい手先が余計に俺の心臓をドキドキさせる。

「……」

「じゃぁ、ちょっとだけ痛みますよ」

 いうか言い終わらないか、チクリと注射器の針先が俺の腕に刺さり、冷たい感覚が広がっていく。

「一時間ほどで、目が覚めますから、ゆっくりしてくださいね」

「……はい」

 辛うじて言葉を返すと、バリバリとマジックテープによって体が固定されていく。

 最後に巨大なヘッドギアが頭部を覆い、視界が闇に包まれた。

 ブルーの閃光が視野の中を走るのは、目で見ているのではなく、直接、脳に信号が走っているのだという。

 大学2年の夏。

 高校のころから参加している治験の、いつも通りの風景。

 年一回、ここに座ってこうしているだけで結構な金額がもらえるのだ。

 貧乏学生にはいい小遣だ。

――何買おうかな。夕飯、いいモノ食べちゃおうか。いや、まだお金もらってないしな……。

 そんなことを想いながら、俺は麻酔がもたらす沼の中に沈んでいった。


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 目が覚めた。

 天上は……石?

 身体の上には白いシーツが掛かっている。

――ベッドか?

 今までにこんなことはなかった。いや、何か事故でも起きたのだろうか。まぁ、治験だし、そういう事もあるよな……。

「あら、お目覚めでしょうか?」

 優しい、小鳥のさえずりのような声が響く。

 あの、女看護師の声とは全く違う、上品な声だ。

 身体を捻って横を見ると、純白のドレスを身にまとった金髪の女性が豪華な背もたれの椅子に腰かけていた。

 華奢ではないが、ふくよかでもない、丁度良いとしか言いようのない美しい肩口がドレスから見えてドキリとしてしまう。

 両手は純白の手袋が二の腕を覆っていた。

 顔は……。

「長旅、お疲れでしょう。さぁ、これを……」

 優しさを湛えた、優雅で切れ長の目、色白の細い顎先にふっくらした唇が、誘惑的な言葉を耳に届けてきた。

 女性の両手を見れば、いつの間にか小さな茶碗のようなカップを持っていた。

 俺は、ゆっくりと上半身を起こすと、確かにどこかけだるさを感じた。

 それから、猛烈な空腹と喉の渇き。

 一体どれくらい寝てたんだろうか。

「さぁ、どうぞ、グイッといってください」

「? グイっと、ですか?」

 俺は女性からカップを手渡された。中には銀色の液体で満たされている。

 見たこともない飲み物だ。

「ええ。ぐいっと、一滴もこぼさずにどうぞ」

「……」

 銀色の液体というのは、どこか、いや、確実に怪しい。

 だが、とろみのありそうなそれは、どこか美味しそうでもある。腹がぐぅっとなると、身体がそれを欲しているようにも思えてくる。

――喉も乾いてるしなぁ……まぁいっか!

 医療機関の治験でもあるんだし、怪しいものなんか出さないよな。

 俺はそう思うと、その液体をぐいっと、一気飲みした。

「ぐッ!」

 そのとたん、喉元に激痛が走る。喉から胃にかけて、灼熱の痛みが走り、俺はたまらずにカップを取り落とした。

 カップには、液体なら当たり前にあるはずの水滴は、銀色の液体が入っていたにも関わらず一滴も付着していない。

――異常だ。なんだ……コレ……

 激痛に意識が遠のく。だ、騙された? いや、医者だろ? ぐぅ……。

「ふふふ。ごめんなさいね。でも、直ぐに収まりますわ」

 俺は、女に両肩を押されてベットに押し倒された。金色の髪がさらりと流れて、石鹸の香りがふわりと鼻先をくすぐる。

 俺は、再び闇の沼に転落した。


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 目が覚めた。

 天井は……石?

 身体の上にはシーツが掛かっている。

「お目覚めですね」

「俺は謎の液体は飲まんぞッ!」

 俺は、ガバリと起きて叫んだ。二度もあんなものを飲まされるなんて御免だ。

「?」

「大体、何なんだよアレは! 医者があんなもん飲ませるか、フツーッ!」

「どうされました?」

 目の前にいるのは、キョトンとした顔の少女。

 栗色のショートカットヘアに、不安気にこちらを見つめる二つの真ん丸の瞳。

――? さっきと……違う?

 そうだ。服もドレスじゃなく、なんか、こう田舎のメイド服みたいな感じだ。

 しかも花柄の上着に小さなエプロン。

「私の名前はミーシャ。あなたのお世話係を命じられましたの。よろしです」

 にこりと笑う少女。否、ミーシャ。

 俺は途端に顔が赤くなるのを感じた。

 なんてったって、こんな美少女にとびっきりの笑顔を向けられるのは人生で初めてかもしれない。

「あ、ええと……」

 そう、あちらが挨拶してきたなら、こちらも挨拶だ。

「……」

 名前……。ええと……。

「貴方の名前は、ディア・ソルフォージュ」

 後ろから響く、凛とした声。それは先ほどの白いドレスの女だった。

「ディア……」

 そうだっけ?

「って、そういう事じゃないよ! アンタ、さっきとんでもない物飲ませただろ! 殺す気か!」

「ふふふ。面白いこと仰いますのね。あなたは今、元気にピンピンしてなさいますわよ?」

「……ぐ」

 確かに。それにさっき起きた時よか、身体が軽く感じる。

「貴方の名は、ディア・ソルフォージュ。異世界からの転生者」

 ゆっくり歩み寄るドレスの女。ミーシャはスっと立ち上がり、道を開けるように後ろに下がると、ペコリと頭を下げた。

 そして、その後ろには、鼻っ面から額までを金属の仮面で覆う男。正装のようなシャツを着ているが、腰にぶら下がっているのは刀剣だろうか。

「異世界って、そんな話……あるかいな」

 そう言いつつ、室内を見回せば、壁は石積みで、窓もアーチを描く石積みの窓。当然ガラスは嵌っていない。

 俺がいたのは、確か……。

「いいえ。そういう事です。転生したのですよ、この世界に」

 目の前に歩みでるドレスの女。全身から気品があふれ、尊い存在だということが判る。

「私の名は、アインホルン・フォン・エルシア五世。この国の女王をしておりますわ」

「じょ、女王?」

 にこりと笑うドレスの女。笑顔が眩しい。

「ふふ。偉いのですよ」

「え、偉いですか」

 状況を整理すると、俺はどっかの世界から、こちらの世界に転生してきて、そして目前に超絶美人の女王様を前にしている、と。

 この次に、俺が言う言葉は、やはり、アレだろうか。

「……わ、私めは、何かをするために呼ばれたりしちゃったりするのでしょうか?」

「あら。『いつもの通り』、話が早くて助かりますわ」

 満面の微笑みでドレスの女、否、エルシア女王はつるりとした生地の手袋をはめた両手を胸元に組んだ。

「この国には、地方を荒らす魔王がおりますの。その討伐をしていただきます」

 あー。やっぱいし、そっち? スローライフとかじゃなくて、そっちか……。

「今すぐという訳ではなく、このセオが貴方をしっかりと訓練して、戦えるようにして差し上げます」

 エルシア女王が後ろの仮面の男に手を向けて微笑む。

「……アビリティと言いますか、チートスキルと言いますか、そういったものは?」

「あびり……ちーとすきる? それは何でしょうか?」

「……いや、なんでもないです」

 絶望したくなくて俺は話を切った。それからもう一つ質問。

「あの、魔王討伐、断ったりしたら、どうなるんでしょうか」

「そうですね、万一、そのようなことがあれば、あなたには死んでもらいます」

 ちらっと見た仮面の男、セオが左手で腰の剣の鯉口を切ろうと親指を当てている。

「……」

「ただ、討伐が成功しましたら、この国で好きなことをして過ごして頂けますわ。働くもよし、働かざるもよし。すべては我が王国が保証致します。スローライフを過ごしていただいて構いませんよ」

「そ、そうっすか。でも、討伐で死ぬ可能性もあるんですよね」

「ええ。もちろん」

 エルシア女王の笑顔が逆に怖い。そして、セオが鯉口を切るのが見えた。

「(ちょいちょい)……」

 服の裾が引っ張られるのを感じる。よく見れば頭を下げた状態のミーシャが上目遣いにこちらを覗いている。

「……ご主人様、大丈夫ですよ、私がついています!」

 小さな声で、といっても恐らくエルシア女王に聞こえてはいるだろう声でミーシャが呟いた。

 アンタがいて、一体、何がどうなるってんだよ。

「ご承知、頂けますね?」

 相変わらずの笑顔でエルシア女王が呟く。セオの剣は鯉口が切られたままだ。

「……ご主人様、ミーシャが付いておりますっ!」

 ミーシャの呟き声。

「わかりました。討伐させてください」

 俺はそういうしかなかった。

「では、よろしくお願い致します。訓練は明日から行うそうですよ」

 ようやく、セオの剣の鯉口が元に戻る。エルシア女王はそう言い残すと、優雅に部屋を出て行った。

 俺は、ため息を吐くしかなかった。


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 ミーシャから聞いたところによると、六百年ほど前に、七難と言われる事件が起きてこの世界の住人の大半が殺され、それまで栄えていた技術が全て失われてしまったらしい。そこで、この国の王が十三人の勇者を集め、これを討伐したそうな。

 十数年かかって討伐したらしいが、その後、勇者たちはこともあろうに、没夜と呼ばれる反乱を起こし、十二人が魔王と化してしまったそうな。

 没夜しなかった一人の勇者が辛うじて二人を討伐したが、そのまま死んだらしい。

 以来、魔王が暴れ始める度に勇者を異世界から招き、討伐を仕掛けているらしい。

 その後、三人の魔王が討たれて、残りは七人。

 何が、大丈夫なんだか。ここまで聞くと、百パーセント生き残れない気がする。

 俺は眩いばかりの朝の光が飛び込む自室にて、粗末なチュニックに袖を通すとため息をついた。

 因みに、自室の木でできた窓を開けたのは、俺をご主人様と呼ぶミーシャ。チュニックを持ってきたのもミーシャ。

 ミーシャは常に俺の周りにいて、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。

 美味しいシチュエーションといえばそうなのかもしれないが、落ちこぼれ大学生の半オタクの俺にとっては少々刺激が強く、恥ずかしい気持ちのほうが大きい。

「さぁ、ご主人様、朝食の後、訓練が始まりますよ」

 訓練の相手は、昨日、女王様の傍にいたセオという騎士だ。

 白髪に、ほうれい線のある口元を見るに初老の男。

 ミーシャ曰く、初代勇者以外で初めて魔王を二人倒した元勇者だそうだ。

「あ……ご主人様、待って」

 ミーシャが俺を呼び留めた。なんだろうか。ごそごそと腰元のポーチを探ると、一本の二股型の古風な、小さなはさみを出した。

 糸切はさみと同じ構造のものだが、この時代のテクノロジーのものでどこか古めかしい。

「糸、出てますよ」

 ズイっとミーシャが俺の前に出てくると、胸元に手を当て、飛び出ていた糸をぱちりと切った。

 俺より身長の低いミーシャが少しだけかがむと、シャツの胸元から中身がチラチラと目に飛び込む。頭頂部の小さなつむじに、淡い石鹸の匂い。

――半オタクの俺にはきつい状況だぜッ。

「はい……」「あ、ありがとう」

 俺は照れを隠すように踵を返した。

「あ、待っ……痛っ……」

「え? あ……」

 まだ糸切りが終わっていない内に俺が振り返ってしまったようで、手元が狂って尖ったはさみの先が指に刺さったようだ。

 胸元で重ねたミーシャの手から見えた小さな血の粒が、だんだんと大きくなっていく。

「ご、ご、ご、ごめん!」

 俺は慌ててその辺に落ちていたハンカチをミーシャの手に当てた。

「ご主人様……」

「だだだだだ、大丈夫? ごごご、ごめんね!」

 ひぃぃぃぃぃ。美少女の手を傷つけたばかりか、ハンカチ越しに握っちまった。

「ご主人様、大丈夫ですよ」

 ミーシャが直近で、俺の顔を見上げて微笑む。

 なんて優しい子なんだ。

「大丈夫ですよ。ご主人様、ミーシャはロボットなんですよ」

「いや、だって、血が出てるし、大丈夫ってことは……え? ロボ……」

相変わらず、野菜く微笑むミーシャの栗色の髪が風に揺れてなびく。

 ハンカチ越しの手はほんの僅かに暖かく、そして柔らかい。

「正確には支援型バトルドロイドと呼ばれているそうです。人間そっくりで、各種の臓器に酸素を送り込む必要があるので疑似血液を使っていますから、血の色はご主人様と同じ赤色ですけどね」

「……マジ?」

「まじって、どういう意味ですか?」

「いや、ああ、その……それはどうでもいいんだけど」

「ふふふ。おかしなご主人様。ほら、もう止まっていますよ」

 俺はそう言われて、恐る恐る手をどかすと、ほとんど血が止まっていた。元から大きな傷じゃないだろうからすぐに血は止まるんだろうけど。

「いや、でもさ、ロボットでもさ、なんでもさ、傷は傷だから……」

 俺はクッソ照れるのを隠すために、ハンカチを伸ばしてミーシャの右手を包んで結んだ。

「……ご主人様、これでは仕事がやりにくいのですが……」

 うつむきがちにミーシャが呟く。

 そりゃそうだ。ハンカチはそれなりの長さがあって、巻き巻きすれば分厚くなる。

 左手であったとしても、そんな分厚い巻物があったら仕事しにくいだろ。

 しかも、ご主人様と俺を慕ってくれるからには、外すのもやりにくかろう。

 これは、マジで、陰で『あのクソ野郎が、余計なことしやがって仕事しにくいったらありゃしない』とか叩かれるパターンだ。

「あーいや、その」

「ふふふ」

「これは、その、今だけで……あって、その、その」

 半オタクで女性経験が皆無の俺には、気のきいたセリフなど出るはずもない。無様にしどろもどろに声を出すだけで精いっぱい。だが、何とかしなくては。

「嬉しい」

「その、いつ、外しても……って、え?」

「ご主人様、私、嬉しいです。ロボットなのにこうして、合成人間のようにハンカチを巻いて手当してくれるなんて」

 よく見るとミーシャのうつむいた顔の頬辺りが、心なしか赤い気がする。

 って、ええええ!?

「ご主人様、ありがとう。嬉しいです」

 にこりと、テレを隠して微笑むミーシャはとても眩しかった。

 何か重要な言葉が出たような気もするが、そんなことはどうでも良くなるほどの、純真無垢の可愛い笑顔だった。


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「あのさ」

 食堂に向かう通路、そっけない石作りの壁面が続き、所々に採光用のアーチ状の窓が開いているところを、俺達二人はてこてことあるいていた。

 場所がわからないので、先導は当然ミーシャ。華奢な後ろ姿も可愛い。

「なんですか? ご主人様」

 ミーシャはハンカチを左手に巻いたまま、チラリと此方を振り返る。

「ご主人様っての、やめないか?」

 正直、ご主人様とか呼ばれるような身分じゃない。そういう店なら、別に気にも留めないし、どちらかというと悦に入れるのだが、尊さを感じるような存在のミーシャから言われると、自分が、まるで彼女を苦しめる悪徳な人間に思えてしまう。

「……ご主人さまが、ご所望でしたら、やめますけれども……」

 少し寂しそうなミーシャ。いやいや。

「どのようにお呼びいたしましょう?」

「……そうだなぁ」

 おいとか、お前とかいう言葉がミーシャから出るとは思えない。君。そなた。そち。いやいや。

「……」

 いつまでもミーシャに振り返ってチラ見させるわけにはいかない。男を決めねば。

「で、ディア、でどうかな」

 昨日、俺の名前だと言っていた言葉だ。本当に俺の名前なのかはよくわからないが、一応、この世界ではこれで通じるはず。

「……ふふ。ディアさん、ですね。承知しました」

 ミーシャがどこか、嬉し気に微笑んだ。

 ふぅ。訓練の前から一日分、疲れた気がする。

 俺達はソーセージを煮込んだスープの香りがする食堂へとたどりついた。


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「ああああああああーーーーーーーっ」

 俺は叫びながら自室のベッドに倒れ込んだ。地面に打ち上げられたタコ、いや液体がどういう気持ちなのかがわかった。

 セオの訓練は地獄だ。それも、朝から晩まで続く無限地獄。

「ディアさん、お疲れ様です」

 続いて室内に入って来たミーシャが呟く。

 君の眩しい笑顔で心は癒されるが、本当に疲れたよ。

「それでは、沐浴の準備をしておきますね」

 まず、朝一、謎の樽転がしという運動が始まった。


『俺の名前は知っているな。早速訓練だ。死ににくくなるように、基礎固めから始める』

 セオはそういうと俺の両腕を後ろできっちりと縛り上げ、横倒しにされた身長ほどの高さのある巨大な樽を指さした。

『この樽をあの木の位置まで転がせ。転がしたら帰って来い』

『……木って、どれですか?』

『この方向へずっと行けば、見えてくる木だ』

『……』

 両腕は使えない。仕方がないから胸で押すしかないのだが、これが足腰にダイレクトにヒットする。しかも少し移動すると腹筋にも来始めた。そして、目標と言われた木はいつまでたっても見えない。延々と足丈ほどの草が生えているだけだ。

 そうこうして、ひいひい言いながら休憩しているとセオが馬に乗って現れて一言。

『休むな。休むならこの草原に火を放つぞ』


「ディアさん。私、着替え取ってきますね」

 ミーシャが何か言ったようだがもう耳にも入らない。辛すぎて意識が飛びそうだ。

 そう、身体が休むための睡眠を欲しているのだろう。

 ちなみに樽の稽古は遂に目標の木を見ることなく、午前中で終了した。

 

 午後は、魔物かなんかに対する座学とか、精神を集中して魔法を使う稽古かなんかだと嬉しかったが、やはり地獄だった。

『いいか、この弓矢は特製で、金属製の重量があるものだ。だから、お前には刺さらないし、大したスピードも出ない』

『へえ。で、そいつを使う練習ですか?』

『概ねこのくらいの距離でよかろう』

 セオが十メートルほど下がるとおもむろに弓を構えた。

『まずは敵を見て、その攻撃軸をかわす。それが近接戦闘の極意だ。だから、この弓矢を避けろ』

『へ?』

 その瞬間、ビュンと例の矢が放たれた。

『ベごっ!』

 その弓矢は一瞬で俺の腹部に命中して、誰かに殴られたような衝撃が体を襲った。

『避けねば痛いぞ』

『げ、げ、げげ。い、痛いのは判ります……でも避けられる距離ではないのでは?』

 そう、セオが近すぎだ。もう少し遠ければ避けられるのだろうが、近すぎて反射できない。

『うむ。その通りだ。避けられるか避けられないか、ギリギリ避けられない位置で射っているからな』

『……』

 全力で避けようとするが、午前中の稽古で脚がパンパンでうまく動けない。余りに速く動いてもセオは弓を射るのを止めてしまい、無駄足になる。

 そして、無数の弓が俺に打撲痕を作っていく。

『ディアさん、ファイトです!』

 ミーシャの可愛い声が救いと言いたいが、そんな余裕は欠片ほどもない。


「ディアさん、お湯につかれば疲れが取れますよ。もう準備ができたようです。行きましょう」

 むにゃむにゃ。ほっといてくれ。もう起き上がる力もないよう。


 そのあと、午後の後段は剣で木を切れという。

『この横倒しになった生木を、この剣で切れば午後は終了だ』

『あのー、この木、大分太いんですが? それに木を切るんだったら、のこぎりとかを使うのでは?』

 俺は恐る恐る尋ねたが、セオが鯉口を切るのを見て諦めた。

 剣を振るい、生木に打ち付けると、木の一部がはじけ飛んだ。鉈で木を切る要領ではある。だが、斧や鉈と違って、剣にそれほどの重さはないので、大した深さにならない。

 もう一度剣を振るうが、同じところに当たらないので同じ深さの傷が別の場所にできるだけだ。

 がんばって同じ場所に当てようとするが上手くいかない。力を緩めれば何とか近くに当たるが、木は殆ど削れない。

『ディアさん、ファイトです!』

『……』


「さぁ、行きますよ。ディアさん」

 俺はズルズルとミーシャに引きずられて、自室に付随する浴室に連れて行かれた。

 ちなみに自室は、城の外れにある客人をもてなす公館のような場所で、浴室付きの1Kだ。この世界の住居としては良い方なのだろう。


『夜間は楽な訓練だぞ』

 セオはそういうと、森の奥に消えた。

『俺を探し、俺に見つからないように、俺の背中を触れ。それで訓練終了だ』

『鬼ごっこ?』

 そうつぶやいた瞬間、午前中に散々食らった矢が飛んできた。

『ぐふっ!』

 昼ですらかわすことができず、近くの木すらも見えるか見えないかの状況で躱せるはずもない。

『言い忘れていたが、俺から見つかったら弓矢で射る』

 俺は心の中で、はやく言えよとつぶやきながら、しゃがみ込んで、隣のミーシャを見た。

『ディアさん。私のことは気にしないでください。ロボットだから暗くても、セオさんが見えるんです』

 嬉しそうに呟くミーシャ。

『あのさ、どこにいるか教えてくんない?』

『……』

 初めてミーシャの表情が曇った。


「あーーーーーもう。無理ですぅ」

 俺は服を脱がされながらそうつぶやく。

「体を洗いましょう。湯船につかって疲労回復です」

 既に大きな樽には湯が溜められていて、沐浴を行う部屋には湯気が充満していた。

「ぐぅぅぅ。体が痛いっすよぉ」

 俺は痣だらけの身体の背中を押されて浴室に入っていった。

「ふふふ。でしたら、優しく流しますね」

「はい……おねが……」

――え?

 俺は振り向きかけて体が硬直した。

 なぜかって? 浴室に素っ裸で俺がいて、その後ろにミーシャがいるからだ。

「か、か、か、か……」

「さぁ、座ってください。お湯、掛けますね」

 俺はミーシャの恰好を想像してカチコチに固まってしまった。

 あっちの方は、緊張のあまりだらりとしたままだが。

 ザブンとお湯が俺の身体にかかる。

「目が覚めましたか? 今日はお疲れさまでした」

「あ、いや、はい、その、えーーーーーと……」

「背中、洗いますね」

 石鹸を泡立てたミーシャの手が俺の背中をさする。

 ヒェェェェェェェェェっ!

「ああああ、あ、あの、じじじじじじじじ」

「どうしましたか?」

 スッと、ミーシャが俺の脇から顔を出す。

「だ、ダメだってばよ! 幾らロボットだからってさ、そのあのその!」

 俺はまるで若い女の子のように両手で顔を覆ってしまった。

 だってさ、お風呂入るって言ったらさ、胴体とかにバスタオル巻いちゃうわけでしょ?

 そして、そして、その内側は何も着ていない訳で……。

「?」

 俺は欲望に負けて、指の隙間からミーシャの御尊体を見てしまった。

「あれ?」

 いつものメイド服のスカートをたくし上げ、裾をたくし上げたミーシャの姿。

「ディアさん、なにか、エッチな事、考えていませんか☆」

 ふふふと笑うミーシャ。

「か、考えてないしッ!」

「ふふふ。おかしなディアさん、さ、後はご自分で洗って、湯船につかってください」

 そうこうして、異世界転生二日目が過ぎていった。


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 あっと間に三か月ほどが過ぎた。

 二か月目からは一か月目の訓練が午前中に圧縮され、午後は剣技の型稽古。

 三か月目からは宙に浮かべた柔らかい特殊な草を切る訓練と、宙に浮かべた板切れに刺突する訓練が午前中、午後はパターン化された攻撃に型で対処する訓練が主だって行われた。

 いずれも、自分でも驚くほどの速度で習得できたし、最も不思議だったのは肉体の疲労が次の日にはほとんど消えている事だった。

 因みに、樽の稽古で言っていた『あの木』というのは実は存在しないとのことだった。

 セオらしいといえばセオらしいが、次々に地獄を作り出すことにかけては、きっとこの国一番だろう。唯一の救いはミーシャの優しさと笑顔だけだった。

 時にはフルーツバスケットを持って来て、果物の差し入れや頑張って作ったというクッキーの差し入れ、疲れがたまった時などはマッサージなんかもやってくれた。

 本当に、俺には過ぎたほどの娘、いやロボットだ。

――そう、彼女はロボットだ。

 俺は少し寂しさを覚えながらそう思うと、目の前で正装を整えてくれる、同じく着飾ったミーシャを見つめた。

「ディアさん、とても似合っていますよ。男らしいです」

「そういうミーシャこそ、奇麗な服だね」

 そんな切り返しができるまでになった自分にびっくりする。

「えへへ☆ ディアさんにそう言われると嬉しいです」

 相変わらずの尊さ。

 今日はどういう日かというと、なんでも街の有力者を招いた夕食会で俺の事をエルシア女王が紹介するのだという。

 ただの腐った大学生が、たった三ヶ月で偉いことになったもんだ。 

 扉の向こうでは、エルシア女王が大きな声で何かを語りかけている。

 手筈では、扉が開いたら傍らのメイドさんの合図で中に入り、エルシア女王の隣に行って挨拶することになっている。

 スピーチなどはせず、単にいてくれるだけでよいという。その後は、王族が立っているスペースから出ることなく食事をして退出の流れということだ。

 町中の有力者が数百人集まっているというだけで緊張する。

「ディアさん、そろそろですね」

 エルシア女王の演説を、ロボットの超感覚で聞いていたミーシャが声をかけてくれる。

 三か月前とはちがって、いっぱしの訓練を受けた人間だ。これくらい、平気さ。

 目前のドアが開き、メイドさんが合図してくれる。

 俺は、ゆっくりと、つまずいてスっ転んだりしてエルシア女王の顔に泥を塗らないようゆっくりと歩いて行った。

「……」「……」「……」「……」「……・」

――あれ?

 勇者が入場してくるともなれば、少しは拍手とか喝采とかあるのかなと思っていたが、会場内は静まり帰っていて、そしてどこか、視線が痛々しい。

「彼が、此度、転生してきてくれた勇者です。皆、拍手を」

 エルシア女王が美しくも力強い声で叫ぶと、ようやくパラパラと拍手が上がった。

「女王、一つ質問が」

 会場内から挙手する者が現れた。おやおや。何か不穏気な。

「なにか?」

「その者、魔王を討伐して頂けるのでしょうね? 確実に」

 静まり返った会場内にガヤガヤと声の輪が広がっていく。

「知っての通り、対先月、私目の領地では魔王が暴れまわり、数百人の死傷者と放牧していた家畜が全滅させられたのですよ」

「私の領地も同じです。蛮族を警戒しておった衛兵部隊が襲われて半分が殺され、治安が大きく悪化した」

「国を治めるならば、確実に魔王を始末して頂きたいのだ、此度は可能なのか」

 次々に質問が湧き出てくる。

 しばらくして、女王がガヤガヤを制するように声を絞り出した。

「皆さんの不安はよく判りました。しかし、不安に窮する日々はこれで終わりです。この勇者が、必ずや魔王を始末致しましょう。それでは、会食の続きを」

 女王の強引とも思えるスピーチで、優雅な管楽器の演奏が始まり、会食の続きとやらが始まった。

 エルシア女王がこちらを向いてニコリとほほ笑む。

「心配をかけましたか? 大丈夫ですよ。彼らは彼らで心配なのです」

「そ、そうでしょうか。というか、俺にこんな大任が務まるのか……」

 魔王が相当にヤバい奴らだということが判る。それに対する住民の苦しみも判る。

「大丈夫です。彼らは短命なのですから」

「え?」

「簡単に言えば、ここにいる顔ぶれは二十年か三十年すれば全てが一新されてしまう。そういう人種なのですよ」

「……それって、どういうことですか?」

 目前にいるのは、老若男女、普通の人間だ。肌の色が緑ということもない、ごく普通の人間のはず。

「彼らは合成人間という人種です。寿命は三十年ほど。非常に賢く、身体も強靭ですが短命なのです」

「……そう、なんですか」

――でもそれが、なぜ『大丈夫』ということに繋がるのだろうか。

「さあ、中々お目にかかれない珍しい料理などもあります。会食を楽しんでください」

 そういうとエルシア女王は踵を返した。

「……あの」

 俺の眼のまえに正装のセオが立ち塞がる。

「すまない。ディア。女王は有力者たちとの接待がある。話はここまでだ」

 急な断絶。何かがおかしいと思うも、その正体は判らない。

「……ディアさん、お食事、美味しそうですよ」

 美しいドレス姿のミーシャが後ろから声をかけてくれた。そう、ミーシャはいつでも俺に優しい。まぁ、仕方ないか。

 夜の訓練がない一日なんてめったにないし。

 俺は一抹の不安を懐にしまい込むと、ミーシャとバイキング形式で豪華な食事が並ぶテーブルへと向かった。


$$$


「セオ、あのもの、どれほど使えるようになりましたか?」

 後ろを歩くセオに、エルシアは振り返ることなく声を掛けた。

「精神年齢の若さ故か、見どころはありますが、逆に本質が見えておりません。中の下程かと」

「……民衆の不満が高まっています。まだ、出せませんか?」

 エルシアの声は小さく、会場の雑音に消えかかっているが、セオの耳には問題なく届いているようだった。

「……あと三か月。最低でもかかります」

「魔王たちが一日千人殺したとして、二千万の国民を殺すには十年かかる。さらに言えば殺せば殺すほど人口密度が低下し、四、五十年かかっても全員を殺すことなど不可能……それに……」

 何かを言い淀んだエルシアだったが、その顔には相変わらずの美しい微笑みを浮かべ、背の低いお立ち台の近くに接見に訪れる有力者たちに手を振っている。

 話の内容とは全く異なる、温かな微笑みだった。

「しかし民衆が王家に仇名せば、我らとて対抗することはできない。分かりますか、セオ」

「は。心得ております」

「速やかに勇者を派遣し、魔王討伐に向かわせるのです。それで彼らは満足するでしょう」

「……心得て……おります」

 セオは何かを噛み締めるようにつぶやいた。

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