アイネと巨魔と大人達①




 魑魅魍魎とは。


 創世記で語られた神代。

 三大種族の影から産まれたとされる<魔物>のことを指し、そう呼称した。現在は、第四の種族<神>の粛清を逃れた<魔物>の一部が世界に散らばり細々と繁殖したものを指す。

 と、史学の徒は主張し王都フロンの生物学者達と論戦を繰り広げる。反証を試みる生物学者たちは、例えば竜は蜥蜴の亜種であり、小鬼は人間が悪烈な環境で育った結果の突然変異だと云うのだ。長きに渡る不毛な論戦の果ても、これには決着が付いていない。つまり、城壁の無い小さな村落は毎晩毎晩、その脅威に怯え夜通しの歩哨を持ち回るわけだ。

 尤もその論戦の決着がどんな結果となっても村民達の生活には何の変わりもない。出どころが分かるだけ、まだ現実味をもって対処できるというくらいだ。塚人やら幽霊の類ではないのだから、取り憑かれる心配はない。その分、まだマシだ。

 魑魅魍魎からの被害が甚大なのであれば、大金を準備し<外環の狩人>に討伐を頼むしかない。金が用意できなければ滅ぶしかない。


 それがこの世界の秩序であり法則だ。


 フリンフロン王国クレイトン。「大災厄」が記憶に新しい都市。

 交易都市セントバから目利きが買い付けてくる数々の工芸品や衣服、食物など様々なものが市場を賑わせる華やかな都市だ。しかし以前のクレイトンといえば、農業が盛んな都市であった。その収益の大部分は北の城砦都市フリンティーズに依存していたため「フリンティーズの食糧庫」と揶揄もされた。


 その頃の名残は都市郊外に多く見られる。

 いまではクレイトンの農業の大部分を一手に引き受けるルエガー大農園がそれだ。国から借り受けた広大な土地を幾つもの区画で管理し、その近隣にはそのうち小さな集落ができるようにもなった。街道の脇に永遠と続く畑の数々。あれはルエガーの穀物所、あれはルエガーの果実園、あれもルエガー、これもルエガーだ。と、どこを見回してもそんな感じだ。つまり、とにかく広大ということだ。


 とある夕暮れ時。

 ようやく西日が落ち着き空が赤々と染まるなか、農夫はルエガーの棚田で稲の状態を見て回っていた。こんなに晴れ渡っているというのに、村落の翁達が「今夜は雨風がひどくなるぞ」と予言めいたことを云っていたから、念には念をいれているというわけだ。

 そろそろ暗くなるから歩哨の交代に行かなければならない。

 だから農夫は棚田を降りようと踵を返した。

 西に落ちゆく夕日が夜の帷に手をかけ引き下げる。

 朱と藍色が混ざる境界が、あやふやな線を宙に描く。


 農夫は眼下にポツポツと見える屋根から立ち昇る煙を目掛け、あやふやとした宙の中を歩き出す。その時だ。背後からガサガサと何かが葉を擦るような音が聞こえた。ここらでは珍しい野兎が三羽、棚田の上の方に姿を現したのだ。


「なんだ珍しいな」


 農夫は兎に稲を喰われては困ると、追い払いに棚田を昇った。

 二歩三歩と昇っていくと、兎は可愛らしい鼻をヒクヒクとさせた。

 空気の匂いを嗅ぐと農夫に気が付き元いた草むらに飛び込もうとした。


 ガサガサガサガサガサガサ。


 また違った何かが擦れる音がする。農夫はそれに怪訝な面持ちで耳を傾けた。何か大きな物が棚田の向こうに広がる木々から迫って来る。次の瞬間。農夫は目を丸く見開き、顔を蒼白とした。草むらに飛び込もうとした野兎は、跳躍したその時に木々の合間から飛び出してきた巨躯の何かに掴まれていた。


 農夫の前に姿を現したのは——巨魔トロルだった。


 世界から姿を消した古の種族ドワーフ。

 その影から産まれたと伝わる巨人族の亜種。

 普段は山奥に身を隠し鹿や野生の馬を喰らい人里には降りてこないといわれるが、繁殖期を迎えると巨魔トロルは人里に降り人間の女をさらい、犯し、子を孕ませるのだそうだ。

 その姿は名前にふさわしく山のような巨躯の人型、岩のような皮膚をあらわに申し訳程度の布を腰に巻きつけ局部を隠している。巨木のような四肢は強靭で力強く、必要であれば木を薙ぎ倒し、それを振り回すことさえもする。


 農夫の前に姿を現した巨魔トロルは野兎を捕まえると、そのまま白い身体に歯を突き立て喰らい始めた。農夫はそれに驚き「うわあああ!」と叫んで尻餅をついてしまう。腰を抜かしてしまったのだ。

 それに気がついた巨魔は野兎の血に汚れた口を腕で擦ると、橙色に鈍く輝く双眸を農夫に向け「がああああ」と小さく唸り目を細めた。


「こ、殺さないでくれ」農夫は座り込んだまま後退りをし声を震わせた。それに巨魔トロルは「あががが」と、やはり小さく唸り農夫に近づこうとした。

「ああああ!」とそれに農夫が叫ぶと左腕振り上げ頭を抱え込んだ。殺すなら一思いにやってくれと言わんばかりに目をきつくつむった。


 ガサガサガサガサガサガサ。

 農夫はしばらく、そのまま身体を硬くしていたが一向に苦痛激痛がやってくることはなかったのだ。ゆっくりと左腕を解き目を開く。そこにはもうすっかりと夜の帷が降りた藍色の夜空と棚田、そして捨てられた野兎の残骸しか見えなかった。


 巨魔トロルはなにもせずにその場から姿を消したのだった。









「皆さん、ご無沙汰しています。と、初めましての方々もいらっしゃいますね。初めまして、アドルフ・リンディです。ここの農夫です」


 アドルフ・リンディは見ないうちに伸び放題となった癖っ毛を軽く掻き回しながら大広間にいる面々へ声をかけた。

 数年ぶりに戻ってきたアドルフは、別命で世界中を飛び回るトルステンと、大木様を通じ念話で帰還の報告をした。その後にリリーと共に大広間にあつまった面々と顔を合わせたのだ。


「アドルフ!」と黄色い叫びをあげ、こちらも見ないうちに大きくなったアイネがアドルフに飛びつく。「大きくなったねアイネ! ロックフォールはもう食べられるようになった?」と胸の下にあるアイネの頭に声をかけた。

「なにを云ってるのアドルフ? 私、最初からあのチーズ食べられるもん」と、澄ました顔で答えた。アドルフは満面の笑みで「そかそか、それは失礼」とアイネの柔らかい金髪を撫で回した。


「さてさて、アドルフ。今後の方針は決まったの?」

 リリーは冷えた果実水が注がれた杯をアドルフに渡した。アドルフは「ありがとうございます」とそれを受け取ると「はい。先生とは王都で落ち合う約束になっています」と続けた。

 アイネが難しい話が始まる前にと、カミル、セレシアと子供達のことをアドルフに紹介をすると、リリーは「それじゃちょっとお話をするから邪魔をしないでね」と云い、アッシュとエステル、アドルフに席へ着くように勧めた。


 アドルフはそれに怪訝な表情をすると「ブリタさんは?」とリリーに訊ねた。

「ええ、ブリタはここ数日、薬草を採取に行ってくると出たきりね。アッシュの容態も良くなってきているから薬を変えるそうよ」とリリーか答えた。


「そうですか」アドルフは短く答え席についた。

「もしかしてブリタも居た方がよかった?」と、リリー。

「あ、いや大丈夫ですよ。長旅に出ることとなるから同行をお願いできるかなと頼みたかったので、帰ってきたら話しますよ」

「そう、それなら良いのだけれど」

 リリーはそう答えると目を細め、どこか視線を合わせようとしないアドルフが気になったのかしばらく目で追った。と、席に着いたアドルフはそれに気が付き「あ、本当にだいじょうぶですよ」と、軽く笑い頸を掻いた。







 アドルフがもたらした知らせは、こうだ。


 まず、一連の大災厄の処理についてだ。

 フリンフロンとしてはダフロイトについては沈黙を続けるとのこと。その傍ら失踪をした解放戦線ネリウス将軍の捕縛を当面の目標とし、今回で明らかとなった「始祖」の正体を突き止める。そしてこれを撃破する、とのことだ。これは大崩壊後に決まった方針と大きく乖離することはなかった。

 少しばかりの軌道修正としては、それにアッシュを参加させるという方針の転換があったということだ。当初は保護をし、遠ざけようとしたが——<世界の卵>の顕現を避けるため——クレイトンの大災厄の際に顕現がなかったことを鑑み、それであれば積極的に関わらせ、始祖を誘き出す切っ掛けにしようというのだ。


「世界会議にはなんて報告するの?」とリリー。

「はい、そこも変わりなくアークレイリの主張の行先は、フォーセット、ブレイナットが決めろという方針でした。今回においてフリンフロン王国は被災国である訳だから、解放戦線を野放しにしたアークレイリの狂言から助けてくれといった態度は崩さないそうです。あくまでも始祖に関わることは水面下で動きます」


 アドルフは果実水を一気に呑み干すと、そう答えた。そして、ガラスの大瓶に入った果実水を杯に注ぎながら話を続ける。


「でも、表向きを切り取って話してしまうと、これを機に——」

 アドルフはちらりとエステルに視線をやると「アークレイリをこれ以上ダフロイトに関わらせないよう黙らせたいようです」と、申し訳なさそうにした。エステルはそれに気がつくと「大丈夫ですよアドルフ。気にしないでください。だって私は世間では死んだことになっているのでしょ?」と笑ってみせた。


「恐縮です」と、アドルフはこわばった表情をゆるめた。

「それでトルステン達は世界中にホラを吹いて回っているわけね」とリリーが大笑いをした。

「はい。言い方があれですが、そういうことです」

「それはジーウとアオイドスが発案したの?」

「アッシュさんを積極的にというのはそうですが、全体的な話でいうと全て国王の勅令です」

「なるほどね。それで?」とリリーが話を促した。


 アドルフは話を続けた。


 フリンフロンの方針としては世界会議での反発を回避しながら、アークレイリ、北の脅威を無力化をしたい。そのためにはアークレイリへは少しばかり暴挙を振るってもらい、ある程度のところでそれを収束、世界会議で「ダフロイト所有権の主張」を破棄させたいと考えている。あくまでもそこまでで十分だというのがフリンフロンの意向だった。


 全面戦争となってしまえば圧倒的に不利になるのはフリンフロンであるからだ。

 そうなってしまえば、アークレイリ、フォーセット、ブレイナット、フォルダールの視野にはフリンフロン国土の分割統治という未来が見えてくる。それはリードラン全土で考えれば理想的に均衡を保つことができるのであるから、後から後から宣戦布告されるのは火を見るよりも明らだ。

 そこでアークレイリ軍元帥であるアルベリクに汚名を被ってもらおうと画策をした。あからさまな餌にアルベリクがどう考えたかは分からないが、今のところは予想通りにフォーセット、ブレイナットに密使を送り包囲網を固め始めてくれた。


「そこに死んだ筈の私が、ひょっこり国に帰れば大義名分は消えてなくなり、三国は引っ込まなければならなくなる訳ですね」と、エステルは神妙な面持ちでアドルフに確認をした。

「申し訳ないのですが、その通りです」アドルフは軽くかぶりを下げた。

「でもその頃合いを間違えると——」とアッシュが申し訳なさそうに云った。

「はい、アークレイリがダフロイトを越えようと挙兵した後か、他の二国の動向を見計らってエステルさんには大使館へ出向いて頂きます」

「なるほど、宣戦布告まではさせるけれども実質上武力衝突まではさせないってことね。でも向こうがどう考えているから分からないけれども、王族の遠縁とはいえ、エステルはいってみれば一貴族。そこまでやるかしら?」とリリー。


「はい、そこは大丈夫だと思います。詳しくはわかりませんが、仕込んでいるようでした」 

「そう。それなら良いのだけれど。それでいつ出発するの?」と怪訝な表情をしたリリーはアッシュとエステルにチラリと視線をやった。


 それにアドルフは困り顔をすると「今日、ないしは明日の夜までには」と大広間の一同を驚かせた。







 その日の夕方。

 昼間の会合の様子をなんとなく横耳で聞いていたアイネだったが、それを理解したのは夕食の時だった。遅くとも明日の夜には、アッシュ、エステル、ブリタ、アドルフの四人が王都に向かって旅立ってしまう。アイネはこれに猛反発をしたのだ。

 何故このまま、この生活を送ってはならないのか? と泣き叫んだのだ。これに呼応したのはセレシア達で、もし自分達が邪魔なのならば出て行くからアイネを悲しませないで欲しいと懇願した。

 アドルフはこれに困惑し狼狽した。

 アッシュはこれに「必ず戻ってくるから。だからそれまでリリーさんと大木様を護ってほしい」と伝え、カミルにも「この任務を皆んなで遂行して欲しい」と、子供達のまとめ役を暗に願った。

 カミルはこれに「わかりました」と快諾の様子をみせ、泣き喚くアイネとセレシア達を落ち着かせた。大人達はまだまだ話が続くようで、船を漕ぎ始めたポーリンを抱きかかえたカミルは、子供達とともに大広間を後にした。





 自室のベッドに身体を預け考え事をしていたカミルは、世界を左右するような話をするアッシュ達の姿を思い浮かべていた。兄であれば、あのテーブルにレッドウッド家当主として席について居ただろうか? きっと、雄弁に意見を述べていたに違いない。

 自分はなぜあの席に座れなかったのだろう。

 そんなことを先程から考えていたのだ。

 

 夜空を足速に駆けてゆく雲を窓の向こうに眺めていると、何故だろう、いつの間にかここにいる皆が自分を置いてどこかに行ってしまうのではないかと心を不安にさせた。

 子供は必要ない。

 そう云われるのではないかと。

 そんな風に思えば思うほどにだんだんと視界が狭まっていくのを感じ、そして胸が苦しくなってきた。だからなのか、自室の扉が静かに開けられ、何かが入ってきたことには気が付けなかった。


「ねぇカミルン」

「うわ!」


 侵入者の正体はアイネだった。

 突然にアイネの顔が視界を覆い隠し、彼女の柔らかい金髪がパサっと顔に落ちてきた。

 カミルはこれに驚き思わず悲鳴に近い声をあげてしまった。アイネはそれに目を丸くすると、急いでカミルの口を掌で押さえ「バカ! 叫ばないで! みんな起きちゃうでしょ!」と頬を膨らましたのだった。理不尽な叱咤に憮然としたカミルは「バカは無いでしょうアイネ」と小さな声で反論をする。


「それでこんな時間にレディーが男の部屋になんの用ですか? またリリーさんに怒られますよ?」とカミルは続けて嗜めた。

「そんなことはどうでもいいの。カミルは強いのでしょ? ? というのとも戦ったのでしょ?」

「え? ああ、いいえ、一方的に撃ちのめされただけですよ」カミルは苦い顔をした。

「でも生きているじゃない」

「そりゃそうですが。それが、どうしたのですか? 何回云われても魔術は教えませんよ」

「ケチ。でもいいの大丈夫」

「だから何がですか。いい加減目的を教えてください。できれば僕のベッドから降りて、そこの椅子に腰をかけてもらえませんか?」


 カミルは上半身を覆い被せているアイネの顔を直視できず、顔を背けながら云った。きっと顔も赤くしているはずだったが、幸か不幸か今は雲が月明かりを覆い隠している。


 アイネは「そうね」と短く云うと、ひょいとベッドから降り指さされた椅子に飛び乗るように腰をかけた。そして足をパタパタと揺らしカミルの目をじっと見つめる。こんな時のアイネはきっとを立てている。少し前に近くの森に迷い込んだダイアウルフの群れを狩るのだといって二人で森にはいったところをネリスにとっつかまり、しこたま怒られたばかりだった。

 今のアイネの所作は、カミルをそそのかし、その計画につきあわせた時とまるっきり同じなのだ。何かないわけがない。


「私もカミルも、もう子供じゃないわよね? 大人でも無いけれども子供じゃない。そうよね? いいカミル。だったら私達はそれを証明しなければならないわ」

「なんでですか?」すごく神妙な顔でおかしなことを口走るアイネが滑稽にみえたのかカミルは笑いながらアイネその理由を訊ねる。

「置いていかれちゃうから」


 その言葉は、カミルの目の前に火花を散らせた。そう感じたのだ。

 そして、恐る恐る「ついて行こうと思っているのですか?」とアイネに訊ねる。


「勿論よ」

「セレシア達は、どうするつもりですか? 僕は彼女たちを置いてはいけませんよ」

「ん? なら私は一人で行っちゃっても良いというの?」

「そうじゃなくて無茶ですと云っているのです」

「そんなこと無いわ。だからそれを証明しなくちゃ——だって皆んなアッシュとエステルのこと好きでしょ? もう好きな人に置いてかれるのはイヤよ」


 じゃあ、大人だったら連れて行ってくれたのか?

 カミルには分からないが、きっとそれは無理なのだ。あの場で話されていたことは、そんな甘い話ではない筈だ。ひょっとすれば世界が戦火の海に呑み込まれる。


 でも——。


「どうやって?」

「え?」

「どうやって証明するのですか? 僕達がアッシュの足を引っ張らないと、どう証明するのですか? 僕たち全員でついていくなんて、どう納得させるのです?」


 カミルは胸を締め付けた気持ちの正体がわかったのだ。

 アイネの真っ直ぐな気持ちに、それを見出したのだ。

 もう大切な人、敬愛する人を失くしたくないと。


「カミルンいいの?」

「その計画次第ですけれども……ところでそのカミルンと呼ぶのはやめて頂けますか? なんか、こそばゆくて」

「そう? いいと思うけれどね」とアイネは椅子から飛び降りると両手を腰にあて胸をはった。

「それでね——この作戦はついさっき思いついたの」

「な! えぇ?」


 アイネのことは以前から勢いだけの娘だとは思っていたし、実際にそうだったから、これまで別段驚くことはなかったのだけれども、流石についさっき思いついたというものが、どれほどのものか怪しいものだったし、それを自信満々に告げようとする彼女に驚いた。


 だからカミルは目を丸くし絶句した。


「聞いて。大丈夫。さっきねネリスが慌てて館に帰ってきたの。なんでかわかる?私たちが夕飯を食べている頃に、西の棚田の上の森に巨魔トロルが出て人が襲われかけたそうよ。それでね、その巨魔トロルは絶賛逃走中。もしかしたら、どこかに棲家コロニーをこさえているかもって。だから大騒ぎみたい。どう?」


 口をあんぐり開けたカミルは突然の問いかけに何度か瞬きをすると「え?」と答えた。


「だから、どう? これは絶好の機会だとは思わない?」


 理解の範疇を超えている。

 巨魔トロルが出た所まではわかった。それが何故、なのかがわからない。まさかとは思うが——カミルはそのまさかを、恐る恐る訊ねてみることにした。


「まさか僕たちの手で巨魔トロルを見つけるのですか?」


「もう、カミルは本当に、ね! そんなだから、セレシアが——あ! ごめん! なんでもない」


 アイネはそう云うと両手で口を塞いだ。

「にぶちんって……」カミルは目を細めアイネを責めるように見つめた。それにアイネは「なによ変な顔しないでよ」と自分のことを棚に上げた。


 それに「見つけるのではなくて、どうすると云うのですか?」とカミルが話の続きを促す。

 パチパチパチ。いつの間にか暗雲が垂れ込んだ空から月は姿を消し、替わりに大粒の雨を降らせ始めた。大きな雨粒は窓を小さく叩き音をたてた。

 ゴゴゴゴゴゴー。垂れ込んだ暗雲が白むと、どこか遠くから雷鳴も聞こえてくる。

 これならアッシュ達が出発するのは明日になるだろう。

 だから機会は今しかない。アイネは満を辞して作戦の目標を告げた。


「今から巨魔トロルを倒すのよ。カミルンは強いでしょ? 私も一緒に行くから大丈夫」

「いやいやいやいや——えええ! ……」


 カミルは、この破天荒な娘の言葉にいつでも驚かされてばかりだった。

 しかし、これはカミル史上初の絶句だったといってよい。

 まさか巨魔トロルを倒すとは。

 カミルは別のベッドで寝息をたてるトマにクレモンを一瞥すると「さっさと寝とけば良かった」と、アイネに聞こえないように愚痴をこぼした。



 

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