アイネと巨魔と大人達②
自分の背丈ほどの稲が茂る棚田を駆け抜ける二つの影。
それは、仄かな青い輝きに包まれていた。
音もなく棚田に青い一本線を引くそれは、西に軌跡を描いていく。
その勢いは、稲を強く打ちつける雨を薙ぎ払い流れ去る背景に飛沫を渦巻かせる、青い疾風のようだった。
二つの影はアイネとカミルであった。
二人は簡単な防寒を済ませ闇夜に紛れるほど暗い色の外套を着込み、フードを目深に被ると館を後にしたのだ。
誰にも何も云わずにこっそりとだ。
「カミルン、凄いね!」
カミルの術式で周囲の音を掻き消し、魔導程の効果は無いが身体が暖かい。そして何よりも身体が軽い。アイネはコレに感嘆の声を上げたのだ。
「な、何がですか?」
だが、当のカミルは、胃が口から飛び出してしまいそうなほど緊張し、素直にそれを喜ぶ余裕は無かった。だからなのか兎に角、無理はしないでとアイネにいい続けている。それにアイネは「ハイハイ」と空返事をするのだからカミルの不安と緊張は首を下げることはない。稲の海原の仄かな青の一本線は末端に青い残滓を散らし、突き進んでいく。きっと終着点は
※
始祖。
世界に放たれた七つの獣。吸血鬼の王。<外環の狩人>と同じ業を操る人外。
果たして自分達は、いや、人類はそれを駆逐できるのだろうか? 大崩壊を経験したエステルの話、クレイトンでのアレクシスとの闘い。そのどれもが人智をはるかに超えたものであったし、結局のところ、命を奪えないにしても、どのような形でも、我々は始祖の背中に土を付けたことがない。
そしてアレクシスを付き従えたメリッサと呼ばれた不気味な女。
彼女が最後に使った業。あれは魔術でも魔導でもなかった。もっと根源的に世界の理を歪めるような、そう、
「そんなのをどうやって斃す?」
雨脚が強くなり窓を強く打ち付ける音に目が醒めたアッシュは、そんなことを考えながらベッドに寝転がっていた。
昼間の会合でアドルフが伝えてきたのは、アッシュを暫くのあいだ軍に所属させフリンフロン国軍の総力を挙げ始祖を駆逐するといった内容だった。アッシュは最初それに拒否をしたがエステルに説得される形で、かぶりを縦に振った。
だが、やはり一抹の不安が心に残り寝床へ着く前までも、同じようなことに思いを巡らせ、結局は結論を得られなかった。
「それに——バーナーズは……」
これはエステルにも伝えていないことだった。
<憤怒>のバーナーズはアッシュの身体の中にいる。それは恐らく封印されているような状態なのだろうとアッシュは考えていた。
ハーゼを薙ぎ倒したあの時のことは、今でもよく憶えている。あれはきっと封印がとかれる寸前だったのか、バーナーズが自ら意識を沈め封印したのかは分からない。でも、心を内側に向けてみると今でも自分の身体のどこかに薄暗い領域を感じ、そこに
であればバーナーズは、どうするのだ? 斃す? どうやって?
もっとも簡単な方法は自らの命を——。
遠くで落雷の音が鳴り響いた。
それに合わせ、いっそうに雨脚が強くなり窓を激しく打ち付けた。
その時だった。
部屋の扉が勢いよく開け放たれ「アッシュ起きている!?」と血相を変えたエステルが飛び込んで来たのだ。
※
「アイネ、止まってください」カミルは前を走るアイネに静止の声をかけた。
「どうしたの?」と訝しげな表情でアイネが訊ねる。
「聞こえますか? 唸り声がします」カミルはそう云って耳に掌をあてた。
二人はネリスが云っていた現場の近くまでやってくると、少しだけ北に進路を変え棚田の上に広がる森の中を進んでいた。カミルは木々を打ち付ける雨音とフードの中に残響する雨音が邪魔になり、素顔を露わにしていたから、その音に気がつけた——それは、地の底から響く鈍い鐘の音のようだった。
と、辺りを見回したカミルは進路を少し東に戻った先の岩棚に穿たれた洞窟のようなものを見つける。
目を細め洞窟の周囲にもくまなく視線を泳がせてみた。
強くなった雨脚に誘われたのか、空が一瞬白み、少し遅れ遠くで雷鳴が轟いた。そして再び一度空が白む。
カミルが泳がせた視線の先がパッと明るく映し出された。木々が視線を遮るなか岩棚の洞窟の前に何か大きなものが蹲る姿が見えた。
「アイネは、ここで待っていてください」
「え?」
「居ました」
「何が?」
「
カミルは身体が震えるのを覚え、そして声を振るわせそう云った。二人の間に、得も言われぬ緊張が走った。
※
「落ち着いてくださいエステル」
アッシュは飛び込んできたエステルを迎えると、脇棚に置かれた杯へ水を注ぎ息を切らせた彼女に手渡した。エステルはそれを受け取り一気にあおると、ベッドに腰をかけ慌てた調子で口を開く。
「ごめんなさいアッシュ——アイネとカミルが、どこにも居ないの。セレシアとポーリンが私を呼びに来たのだけれど、トマが泣いてしまって——」
エステルは顔を蒼白にし、しどろもどろにアッシュにアイネとカミルが姿を消してしまったことを伝えた。混乱をしたエステルが口にする話は酷く断片的で、その混乱ぶりを感じさせた。
「エステル、大丈夫ですから落ち着いてください。大丈夫。アイネとカミルが姿を消したのですね? 何か心当たりは?」
アッシュはエステルの横に腰をかけると、背中を優しく摩り——自分もその一報に動揺をしたが、できるだけ優しく彼女をなだめるように努めた。それに、エステルは瞳を濡らし「心当たりは無いのだけれど、ネリスがさっき戻ってきて西の棚田に
「子供たちは?」アッシュはエステルを優しく包み込み、背中を一定の調子で優しく叩いた。
「大丈夫、皆んな私の部屋に居るわ」
「わかりました。エステルはリリーさん達と一緒に館のなかをもう少し探してみてください」
「アッシュはどうするの?」
「僕は外を回ってみます」
「でも——」
「大丈夫です、安心してください。大丈夫です」
※
「洞窟の中に何かいるかも」
急いで皆を呼んで来て欲しいと、カミルに頼まれたアイネは「やだ」の一点張りで、遂には洞窟に何か居るのだと云い始めたのだ。
額面通りに取ればそれは留まる理由でしかなく中身は無い。そう。嘘という見立てだ。しかし、カミルはアイネの預言者めいた言動をこれまでに何度か目の当たりにしている。だから「人……ですか?」とアイネの顔を覗き込み訊ねた。
「多分。でもあれは……狩人かも……」
「まさか、そんな……」
「助けなきゃ」と、アイネは両掌を軽く音を立て合わせた。
「え? アイネ?」
カミルは目を大きく丸く見開いた。
雨脚は白糸のようだったのだが、アイネの手元を打つ頃には仄かな青に染まって流れ落ちる——。
「ん? 私ね、お父さんの短剣しか持ったことがなくて——」
「いや、そこじゃなく——」
アイネはゆっくりと丁寧に、何かを練り上げるように合わせた掌を離していく。纏わりつく青い粒子が手の軌道あわせ形をなす。
「でも、薪を括った縄を一回斬っただけだから、うまくできてないかも。何回も練習したんだけどね」
口をあんぐり開いたカミル。
それもそのはずだ。アイネが手にした二振りの黒鋼の短剣は——。
「お父さんは、コレを『野伏の短剣』って呼んでた」
それは知っている。
「じゃなくて、その業は狩人のものでは?」
「そうなの? お父さんもやってたよ」
カミルは「そんな出鱈目な——」と、絶句した。
※
身体中の体液が沸き立ち膨張する。
節々が軋み音を立て内側から外に向け破裂してしまいそうだ。いずれ脳でさえも沸き立つだろう。そして見事に破裂をする。
あそこから逃げ出した俺たちは痛みと屈辱を抱え兎に角、東に向かった。どこまで駆けても日出る故郷に俺達の脚は届かなかった。当たり前だ。ここはリードランだ。俺たちの故郷はない。
恐らく相棒はまだ助かる。
身体を蝕む蟲は、恐らくアレは蟲の類だ、あれは相棒を蝕んでいない。あの女は俺にだけ蟲を植え付けやがった。しかし相棒は酷く熱にうなされている。医者に行かせないと。これは金に目の眩んだ俺への罰だ。それに相棒を巻き込んでしまった。コイツだけでも助けて元に戻さないと。
※
「あおおあぐうぅががが!」
それを訝しげに眺めるアイネは父親譲りの短剣を二振、逆手に構えジリジリと間合いを詰めた。
一向に反撃に出ない
カミルの周囲に浮かんだ無数の魔力の球はフワフワと身体の周りを漂い、周囲を青く照らし出している。カミルは「は、はい」と答えると手にした小さな節くれた杖を指揮棒にそのうちの一つを
分厚く、みるからに固い藍鉄色の皮膚に覆われた巨躯は、大小の
「ねぇカミルン。この子もしかして、ほら、洞窟の中をみて。あの人のことを護っているんじゃない?」
「え? どういう——あ! 本当に人が!」
アイネの虚言かもしれない。
そんなふうに思っていたカミルは今日何度目かの絶句をすると「それじゃ……」とアイネの顔を見下ろした。近くに立ったカミルの周囲に漂う魔力の球が、アイネに触れそうになると「ちょっと、カミルン危ないって」と、アイネはカミルの尻を思いっ切り引っ叩いた。
パチン! と、カミルの尻が良い音を鳴らすと、
雨脚は弱まる気配を見せない。
また、遠くで雷鳴が轟いた。
「ねぇえ、キミ。人の言葉はわかる?」
怯えているのか、苦しんでいるのか。
「ほら、そうだよ。奥の人を護っているの?」
その問い掛けに
すると、
太い指を擦り付け書いたそれは『言葉』だった。
——こいつを外環に帰してやってくれ——。
先ほどから遠くで鳴り響いていた雷鳴。それは、だんだんとこちらに近寄ってきているのか、空が白んでから鳴り響くまでの間隔が短くなってきている。雨脚は更に強く地面を打ちつけ、近くに居る者同士でも会話が困難になるほどに乱暴な音を掻き立てた。
その音の隙間を掻い潜るように、なにやら別の音が遠くから聞こえてきたような気がした。カミルは目を細め、音のする方へ視線を投げる。確かに何か雷でも雨でもない音が、微かに遠くに聞こえる。それはきっと人の声だ。
針の穴に糸を通すような繊細さで、雨音でも雷鳴でも、雨に身を揺らす葉の音でもない人の声が確かに、自分達の名前を呼んでいる。
「アッシュさん」
カミルは複雑な気持ち——アッシュにこのことを報告できる誇らしさ、でも、黙って出てきてしまった罪悪感、そんなものに板挟みにされながらも思わず、敬愛する男の名前を口にしていた。そして顔を綻ばせ、少し奥にいるアイネへ声をかけようとする。
しかしだ、綻んだ顔はすぐに真顔に戻った。
このままこの光景を目にしてしまったら、アッシュはきっと遠方からでも正確に
周囲の音が邪魔をして、カミルの細い声ではアッシュを制止できないだろう。
咄嗟に振り返り、奇妙な
カミルは慌ててその場を駆け出した。
※
どういう訳か今夜は大農園周辺の空気が重苦しく感じる。
それは大雨が原因というだけではない。そこはかとなく大気そのものが揺らいでいるように感じるのだ。
相変わらず棚田の稲の頭を打つ大粒の雨は次第に強さを増し、白んだ空は雷鳴を伴う間隔が近くなってきているように思える。その騒々しさの中に
それは大崩壊の時にも感じていた揺らぎだ。
アドルフの背筋に汗がつたった。
アッシュたち三人はネリスを船頭に馬を駆け棚田を西に向かっていた。
アッシュがカミルの魔力の残滓を嗅ぎわけネリスへ、その行方を終始伝えると、ネリスは現場までの土地勘と摺り合わせ大凡の場所を特定する。野伏とは今も昔も優秀な追跡者なのだ。
ネリスは疾駆する馬の腹を両膝で固く挟み込み身体を固定した。そして器用に身体をもたげ雨除けのフードを取り払い北に顔を向けた。目を細め棚田の上の方に視線をやると、静かに後ろを走るアッシュとアドルフに合図を送った。
右手の人差し指と中指で双眸を指し、すぐに前に突き出す。
『北を見ろ』ネリスはそう云ったのだ。
棚田を登り切った先に広がる森林の東に横たわる岩棚が見えた。
そしてそこには、少しでも
「カミル! アイネ!」
声を挙げたのはフードを取り払ったアッシュだった。手綱を引き、馬の腹を軽く叩くと速度を上げ、一目散にそこへ向かった。
「アッシュさん!」アドルフとネリスはそれに慌てるようにその後を追いかけた。
※
「うわ!」
声を挙げたのはカミルだった。
慌てて駆け出したカミルが洞窟の入り口を出た所へ、ちょうど棚田を駆け上がり岩棚にやってきたアッシュと鉢合わせになったのだ。
「カミル!」
アッシュは馬から飛び降りると「無事ですか?」と小さな両肩に手をかけ抱き寄せた。カミルはそれに身を任せアッシュの胸に身体を預け「すみませんでした」と声を振るわせる。
「何故こんな夜更けに外へ出たりしたのですか? アイネは? アイネはどこに?」
アッシュはカミルを抱き寄せ一拍を置くと、そう訊ね顔を覗き込んだ。すると、小さな魔術師はそれに「大丈夫です無事です。でも——」と含みを持たせた。
カミルに駆け寄り抱き寄せたアッシュの後ろ姿を見守ったアドルフは、安堵の表情を漏らし微かに微笑んだ。しかし、その表情は、そこはかとなく曇っているようにも思える。この大雨が、そのように映し出しているのだろうか。ネリスは、そんなアドルフの横顔を眺め訝しげな気持ちになったが、別段それを口にすることなく、馬を降りた。
そしてネリスは、ずんぐりむっくりの身体を揺らして周囲を見て回る。
アドルフは、それに気がつきネリスの後を追った。
「でも?」
カミルが濁らせた言葉尻。
それをアッシュは優しく訊ねると、跪き視線を真っ直ぐに合わせた。
「はい、説明が難しいのですが僕たちは
「え!?」アッシュは目を大きく見開き驚愕の声を漏らした。
「本当に大丈夫です、その
カミルはそう云うと岩棚にぽっかりと口を開けた洞窟のほうに目をやった。そしてアドルフ達が、その洞窟の前に差し掛かるのを目にすると「あ!」と声を漏らした。
「アイネ! そこから離れて!」叫んだのはアドルフだった。
「待ってください!」
アドルフの絶叫にカミルは間髪を入れず、そう叫ぶとアッシュの手を振り解き慌ててそちらに駆けていった。アッシュは「カミル!?」とその後を追いかけた。
絶叫したアドルフの目に飛び込んできたのは、蹲るように座った
アドルフの
アイネはアドルフの声に驚き、身体を小さく跳ね上げたが、気の良い野伏に気が付くと「違うのアドルフ! この子は違うの!」と
「アイネ、こっちに来て!」
「アドルフ何が——アイネ!?」
野伏はアイネにこちらへ来るように云うと、両手を強く合わせ二振りの黒鋼の短剣を握りしめた。そして
カミルはその二人を掻き分けアイネの横に並び「待ってください。本当に大丈夫なのです」と両腕を広げた。
アッシュ、アドルフ、ネリスは思い思いに得物を手に構えた。
アッシュは、ゆっくりと一歩前に踏み出すと「カミル、説明——できますか?」と、焦る気持ちをできるだけ抑え訊ねた。カミルはそれに「もちろんです。ですから武器をしまって貰えませんか?」と、静かに答えた。
茫然とその光景を眺めたアイネはカミルの言葉に、ハッとすると小走りにカミルの傍に来ると「私が説明するよ」と、事の経緯を話し始めた。
得物を構えた三人は、それへ静かにかぶりを縦に振った。
アドルフは、怯えるように蹲った
すると横たわった狩人の身体が仄かな緑色の光に包まれた。
アイネが語ったのは、
アイネ曰く、この
話す途中、ぬらりとした洞窟の壁や、
『こいつを外環に帰してやってくれ
白仮面の女に騙された
金に目を眩ませてしまった
そしてアイツを巻き込んでしまった
あの狐女は狂っている
あいつは蟲を俺に流し込んだ
相棒はまだ助かるかもしれない
いや、喰いつかれていたからわからない
でも
こいつを外環に帰してやってくれ
違う、白仮面と狐女は別々だ
俺はこんな姿になっちまった
自業自得だ
危険だとわかっていたのだが
ここに来てしまった
居ない
俺には家族はいない
だがコイツにはいる
だから
こいつを外環に帰してやってくれ
違う、マニトバのシラク村の近くだ
捨てられた館がある
そこが狐女の実験場だ
わからない
でも沢山の男が囚われていた
すまない、俺はもうダメかもしれない
逃げてくれ
迎えが来たのか?
いや、駄目だもう抑えられなくなってしまう
小さいの。ありがとうな』
そこまで息をつく間もなく読んだアッシュは静かに
逃避行の間、友人を背負っていたのだろう。しかし、姿が急変しままならなくなった。どう、声をかけてやれば良いのか分からなかった。
「アッシュさん——こちらはもう駄目です。どうやっても生命力の流出が止まりません」
アドルフはアッシュを見上げ淡々と云った。
「もう、どうにもならないのですか?」とアッシュ。
「ええ、残念ながら。でも——」
それでもアドルフは最後の悪あがきを始めた。
その様子に気がついた
「アドルフ、<外環の狩人>というのは本当に死んだりするのですか?」
「と、云うと?」
「狩人の秘術には、死者を蘇生する術があると聞いたことがあります」
「ええ、それはあります。が、それは——魂と云えば分かりやすいでしょうが、それがあればの話です。この方は、それすらも犯され今はリードランの地に縛られている。このままだと恐らく存在そのものが消失してしまい、永遠に失われます。そこの
限りはある。しかし、アドルフは懸命に全ての
あああああああ。
次にはアッシュを見据え、口角をひきつらせ、黄土色に変色した牙を剥き出した。笑ったのか、それとも怒ったのか、威嚇したのか。それはわからない。
ネリスはカミルとアイネを後ろに下がらせると、腰の黒鋼の短剣を弄った。アッシュはそれに一歩距離をとるとアドルフの方へ位置をとった。
「アドルフ——」
「ええ、わかっています。すみません、力及ばずでした」
淡々と云ったアドルフにアッシュは、そこはかとなく冷ややかな視線を送り「そうですか」と小さく答え短剣を構えた。そして、アッシュは
まるで、みみずの這うような文字が書かれていく。
アッシュはそれを、じっと見守った。
こ
ろ
右腕の痙攣が酷くなり始めると左手でそれを抑え、なんとか次の文字を刻む。
し
「おい、アッシュ」とネリスが、その変貌ぶりに狼狽し短剣を構え
て
「なんとか、なんとかできないのですか?」
横たわった狩人の身体が強く青い輝きに包まれ粒子を撒き散らした。そしてそれは、狩人の身体を巻き込み宙に霧散していった。それを、苦虫を潰したような顔で見届けるとアッシュに「なんともできないです……残念ながら」と答えた。
く
そこまで文字を刻んだ
あぐぅぅ。
頭を抱え込んだ
最後の力を振り絞り、右手を突き出し、そして最後の一文字を刻んだ。
れ
ころしてくれ——
「アッシュさん! もう駄目です! 諦めてください!」
アドルフは二振の短剣を構えた。ネリスもそれに倣い構えるが、カミルとアイネを背中にし少しづつそこから距離をとった。そして「カミル、カミル」と茫然としたカミルに呼びかける。
「す、すみません」
カミルが返すとネリスは「殻を張ってくれないか」と手短に答えた。
「は、はい!」と上擦った声で答えたカミルは慌てて術式を展開をする。すぐさまにアッシュ、アドルフ、ネリスの三人の身体が青い輝きに包まれた。
カミルはアイネの手を引き、その場から更に離れた。
「ちょっとカミル!」
「駄目です、もう僕達の出番じゃありません」
次の瞬間だった。
耳を
アイネはそれに堪らず耳を抑え、その場に座り込んでしまった。
更に咆哮が轟くと
「アドルフ、なんで!」
最初に斬りかかったアドルフへ声を挙げたアッシュは「クソ!」と声を荒げると、狩猟短剣を握りしめた。
「やらなきゃ、やられます! 当たり前でしょ!?」
アドルフは苛立つようにやはり声を荒げていた。
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