その姿に重ねるものは




 赤の始祖はこう訊ねた。

 それは、偽善なのか? それとも自己満足なのかと。

 僕には、こうすることが、そうなのかもどうなのかも分からない。でも、これだけは分かる。助けられるものを助けなければきっと後悔するのだと。

 その上でそれが偽善だと云うのであれば、自己満足なのだと断じられるのであれば、それはそれでいい。きっとそれは価値観の違いなのだ。


 でも、本当にそうなのか?


 少なからず僕は今、エステルをカミルを護るという言葉を理由に始祖との戦いに興じようとした。いや、そうしたのだ。だから、邪魔をするなと始祖をこちらに向けて対峙した——いや、それもどうかは分からないけれども、でも、カミルの援護に少なからず嫌悪を抱いたのかもしれない。


 だから出遅れたのだ。

 いや、これは言い訳か。

 目の前に仁王立ちする双刀の戦士ショーン・モロウの圧倒的な力量と度量を前に、僕は何か焦燥感や嫉妬、そんなどうしょうもない感情を抱いている。

 エステルに抱きかかえられたカミル、それに寄り添ったレジーヌ。三人はショーンの少し後ろに立ち「ありがとうございます」と声をかけた。

 僕はなぜだろう、その光景を素直に喜べなかった。

 理由はない。

 ただそうだったのだ。喜べないのだ。

 ショーンが立つ場所は僕の居場所ではなかったのか? それが理由なのかも知れない。でもやはり分からない。もし、それがこの気持ちの根源であるならば、「助けなければ後悔する」のではなく——。



 アッシュ・グラントは、カミルの危機が過ぎ去ったと安堵したのか、どこかぼんやりと突然姿を現したショーンの勇姿を眺めた。


「アッシュ!」


 カミルを抱きかかえたエステルに声をかけられたアッシュは我に帰り「エステル。カミル無事でよかった」と、どこかぎこちない笑顔でそう云って迎えた。それを追うように、アレクシスへ警戒の視線を送りながらレジーヌも駆けつけ「離れていてくれって。助けは要らない。ですってよ」と肩を竦めて見せる。


「あの方は?」と、アッシュ。

「ショーン・モロウ、<外環の狩人>よ。数年前に始祖の一人を南から追っ払った双刀の戦士って彼のことのようね」レジーヌは黒髪を掻き上げながらそう答えた。


「ショーン——モロウ……さんですか」

「どうしたのアッシュ?」

 何か思わせぶりな口調だったアッシュの顔を覗き込みエステルはそう訊ねたが、アッシュは「あ、いえ、なんでもありません」と微笑み、そしてとって返すように真剣な眼差しをショーンへ戻した。


(アレを一人で? でも僕も以前はそうだった?)

 そう考えると、アッシュの胸の奥に何かふつふつと蠢くような感触を感じ、それは自分のものではない何かのように感じ、気持ち悪さを感じ、そして顔を歪めた。





「吸血鬼、お前は七つのうちのどれなんだ?」

「それを訊いてどうするの?」

「なあに、興味本意だよ。俺が一度相手したのは<暴食>だろ?」

「そうよ、クルシャは<暴食>。それで、私は<色欲>、与えられた名はアレクシス。アレクシス・フォンテーンよ。ところでショーン・モロウ。私はあなたに用はないわ。あるのは、向こうに居る、かつての<宵闇の鴉>アッシュ・グラントに、女魔術師がくすねた<楔>。だから悪いのだけれども、全くあなたに興味がないのよ。夜のお誘いならまた後でにして貰えるかしら?」

「おいおい、そりゃないだろ色女。人の店をめちゃくちゃにしやがって、タダで帰ろうなんてムシが良すぎるぜ。少しは俺の趣味に付き合ってもらうぞ」

「色女だなんて、なんなのあなた。全くを持って粗暴で野暮。それでいて礼儀を知らない野蛮人ね」


 アレクシスの言葉を最後に沈黙が訪れる。


 緊迫する対峙とはこういうものなのだ。

 ピンと張られた緊張の糸が互いを結び合わせ、それが弛まないように動き回る。弛ませるように——隙を垣間見るように動き回る、つまり間合いを測るとも言い換えられる。互いに決して足の裏を地から離さず擦り合わせ、右に左にと動き回りながら、言葉で牽制しながら、そうする。


 世人がその中に飛び込むことは不可能だ。

 いや、飛び込んだとしてもきっと何も起こらない。そこにあるのは対峙した二人だけの空間であり、そこだけは神聖な戦いの空間。他の干渉は一切受け付けない。だから、取り巻きはただただ固唾を飲むだけで、見守ることしかできない。それは金縛りにも似たような硬直なのだ。無関心ではいられない場の空気にあてられ、そうならざるおえない。

 相手はただその存在だけで災害、災厄だといわれた吸血鬼の始祖、災厄の獣。それにたった一人で対峙をするのだと云って憚らない戦士。アッシュはその姿を見れば見るほど、わなわなとし短剣を握る手に力が入る。


「僕はかつて、あれに、あの人のように、一人で立ち向かったのですか?」

 アッシュはそれから目を離すことができないまま、誰にとでもなく言葉を零す。

「ええ、そうよアッシュ。あなたはアレクシスと無数の眷属の群れを相手に立ち回って、そして屈服させる寸前まで追い詰めたの。私はその場を——見てはいないのだけれど、彼女自身がそうだと云ったのだから、真実よ」

 エステルも同じく目を離さずにそう答える。

「そうですか」アッシュは心そこにあらずの様子で、エステルにそう相槌をうった。







 そして緊張の糸は、思わぬところで緩んだ。


 避難をしていたはずの警備隊が十数騎の騎馬で小隊を組み、通りの向こうから鬨の声をあげたのだ。「総員抜刀!」隊長らしき男が白刃を抜き放ち軍馬の脇を蹴ると、見る見るうちにこちらへ迫ってきた。


「馬鹿野郎! 来るんじゃねぇ!」


 緩めたのはショーン・モロウだった。

 小隊にその声は届かず、鬨の声とともにアレクシスの背後にぐんぐんと迫ると「赤髪の魔導師と間違えるなよ!」と目前の赤髪に白刃を撃ち降ろそうと構える。


「本当、男という生き物は無粋な輩ばかりね」

 アレクシスは背後に迫る騎馬達へ目を向けることなくショーンを見据え、不敵な笑みを向ける。

「お前らじゃ無理だ!」

 ショーンの声はやはり警備隊には届かなかった。

 アレクシスがひらりと身体を横に踊らせ優雅に一回転すると、向かってきた数頭の騎馬の前脚が斬り飛ばされ前のめりに崩れ去っていく。それに巻き込まれた後続の数騎は突然の出来事に、勢いよく前脚を天高く振り上げ、騎乗の隊員を振り落としてしまった。


 赤の始祖は回転させた身体の勢いをそのままに、振り落とされた警備隊員の元へ飛び掛かり羽交い締めにすると、そのまま首筋に喰らいつく。


「あうぅぅぅあああ!」

 首筋に喰らいつかれた警備隊員は、苦痛なのか快楽なのか想像もできない、聞くに耐えかねる呻き声を大きく漏らし白目を剥く。

 叫んだと同時に大地を蹴っていたショーン。しかし素早さには始祖の方に利があり隊員の首に喰らいつくまでの電光石火の動きを止めることができなかったのだ。


「やりやがったな!」


 ショーンは首筋に喰らいついたアレクシスへ水平の一閃を飛ばすが、それも難なくかわされる。直撃のすんでで切っ先をかわしたアレクシスは乱暴に隊員を横に投げつけると、大きく踏み込みショーンへ強烈な突きを放った。

 空を斬った左の一刀で身体を開いてしまっていたショーンだったが、アレクシスの突きは読んでおり、身体を沈め後から追わせた右の一刀を斬り上げ、これを弾いたのだ。

 アレクシスはこの衝撃に争うことはなく、流れに身を任せ背面へひらりと後退をする。

 それを追いかけたショーンの二刀の下段突きに、身軽に腰の高さ程まで跳ぶと器用に刀身にを踏みつけ、右手をショーンの顔面に向けた。そして半拍のうちに指を鳴らすと閃光が迸り、ショーンの視界を白一色に塗りつぶした。しかし、瞼を閉じたショーンは気配を追い、右に旋回をしていたアレクシスの首に向かって白刃を置きに行っていたのだ。


「なんなのあなた!」


 これには堪らず叫びをあげたアレクシスは、エストックを縦に構え、まともに二刀の斬撃を受ける。その勢いは凄まじく、アレクシスの身体は宙に浮かび後方へと吹き飛ばされた。


 そこからの剣戟は互いの命を賭した、形も何もない死闘だった。

 互いの隙を誘い合い、それを見つければ剣を叩き込み、受け流す。ショーンは蹴りを見舞い、間合いを詰める始祖を押し退け首を狙う。かたや始祖は首を狙った突きを交わされれば、双刀の戦士の外套を掴み建物へ凄まじい勢いで投げ飛ばし、間合いをとり再び鋭い強烈な一撃を見舞う。







 もはや剣戟とは程遠い死闘を繰り広げる二人を傍観したアッシュは両手を握りしめ、いつの間にか奥歯を食いしばっていた。


 黒瞳に映る二人の攻防は凄まじいものだった。

 剣と剣がぶつかり合い、命を芽吹いた火花は曇った灰色の虚な空間に幾つもの軌跡を描くのだ。ショーンの緩急をつけた攻めの形が描くそれは、円状に飛散させながら次の円を描いていく。

 アレクシスが放つ電光石火の突きは、長剣に受け流され、それを引く間際に火花を纏いに直線的な軌跡を露にする。その合間合間に放たれた牽制の魔術は、青い炎を噴き上げながらショーンの円の軌跡に合流し、切っ先を追いかけた。


 どの軌跡も決定打とはならず、その死闘は永遠に続くのではないかとさえ思えた。


(凄い……)


 アッシュは、その光景に心を奪われていた。


「——ッシュ! アッシュ! 構えて!」

 どこか死闘の合奏だけが鼓膜を捉えていたアッシュの耳にエステルの切羽詰まった声が届いた。ハッと我に帰ったアッシュは「え!?」と、声を挙げ、周囲を見回した。するとどうだろう、先ほどアレクシスに喰らいつかれた警備隊員が、凄まじい勢いで他の隊員に襲いかかる光景が目に飛び込んできたのだ。


「あ、あれは!?」

 アッシュは思わず狼狽すると、短剣を構えエステルに訊ねた。

「アレクシスに噛みつかれた兵士が——眷属化しているわ。このままだとクレイトンに——リリーさん達が——」


 エステルはそう答えると懐から小瓶を取り出し<ルトの液>でアッシュ、レジーヌ、カミル、そして自分自身に言の音を書き殴ると、二言三言呟いた。


「あの性悪吸血鬼、これが狙いだったのね———」


 レジーヌはそう云いながら杖を振るい四人の足元に術式を展開すると、起動式を口ずさむ。

 仄かな青い輝きが<魔力の殻>をそれぞれに展開された。これは<大木様の館>でアオイドスがアドルフとアッシュに施した術と同じものだ。

 エステルの術もそれと同時に顕現すると四人は緑色の薄らとした煙に包まれた。すると四人は身体の芯から暖かさを感じ、そして、身体の奥から何か得体の知れない力が沸々と湧き上がってくるのを感じた。

 

 その間にも増殖をした眷属達は方々に散らばった。そこら中の建物から悲鳴が聞こえてくると、それまで外の騒動が過ぎ去るのを身を潜め待っていた人々が、あちこちで扉を開け放ち逃げ出してきたのだ。

 そうなるまで、瞬く間だった。

 人の手にはどうしようもない病魔が瞬く間に身体を蝕むように、それは凄まじい早さで広がると、あっという間にあたり一帯を死の坩堝と化したのだ。


 チリチリと音がしたかと思うと、どこかからか炎の爆ぜる音が聞こえ、湿った生木が燃える鼻を突く臭いがあたり一面に広がった。すると、一軒また一軒と次第に火の手が上がり始め、空に黒煙を敷き詰めて行ったのだ。炎の影の中。襲いくる無数の眷属達に無力な人々が必死の抵抗を試みる。しかしそれは無駄な抵抗であった。人々は血を啜られ、肉を千切られ、臓物を喰われた。


「こ、これは……」

「アッシュ! とにかくコイツらをなんとかしないと!」レジーヌが迫ってきた眷属を<魔力の矢>で沈めながら叫ぶ。

「で、でもどうやって!?」飛びかかってきた眷属の身体を掌底で叩き落としたアッシュは、その首を落としながら狼狽えた様子でレジーヌに答えた。


 その時だった。


「にいちゃんが!」カミルの絶叫が響いた。

 四つん這いになった眷属が数体、鼻を空に突き上げ何かを嗅ぎつけると猛烈な早さで燃え始めていたシェブロンズに向かっていったのだ。


「レオン!」アッシュは大地をあらんばかりの力で蹴り、シェブロンズに向かった。

「アッシュ待って!」

 眷属達が迫り来るのに気が付いた、レジーヌとカミルは<魔力の矢>で撃ち落としながら、アッシュの後を追ったエステルのしんがりを追いかけた。


「ちょっともう、本当に次から次に!」


 レジーヌは堪らず叫び声をあげてしまう。

 そして、向こうで眷属を巻き込みながら血風をあげ死闘を繰り広げるショーンへ念話を送った。


(ちょっとこれどうするつもり!?)

(おう! 魔術師のお嬢さんか! ちょっと不味いことになったな)

(何を悠長なことを)

(まあ、こっちは任せておいてくれ。この吸血鬼の眷族どもを任せても良いかい?)

(わかったわ、もう本当にエレガントじゃないわね)


「カミル、エステルとアッシュをお願い。私は眷族どもをまとめて縛るから、レオンを救出したら出てきてちょうだい」


 必死に眷族達を沈めるカミルにレジーヌはそう云うとカミルは目を丸く見開いて「ま、まとめるってどういうことですか!?」と、<魔力の矢>を撃ちながら叫んで返した。


「まあ、大丈夫よ。頼んだわよ!」

 レジーヌはそう短く云うと、通りに引き返しながら眷族どもをたおし、炎の向こうに姿を消していった。


「あーもう!」

 カミルはそれを見送ると、自分で自分を鼓舞すると、意を決しシェブロンズの中に飛び込んでいった。



 

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