天国の扉_staging




 黒鋼の刃は爆ぜる炎の紅を受けながら水平に流れ鉄塊の腹を打ち付ける。刹那の命を芽吹かせた火花は、アッシュと大男の眼前で踊り狂い、拮抗した二人の競り合いは駆け引きではなくお互いの力をぶつけ合う力比べであることを物語った。


 力と力のぶつかり合い。

 もはや駆け引きでどうにかなる戦いではなくただただひたすらに己が意志の強さのみで畳むしかないと直感しているからこそのそれだ。互いに申し合わせたように、撃ち込みの緩急は変わり、剣戟が雄大な川の流れのように進むことも、演劇終焉、幕引きの喝采にも劣らない忙しさになることだってある。


 そうやって二人は互いの命を火花に変え、踊らせその強さだけで会話をしているようだった。


 刃の嵐に巻き込まれた瓦礫や骸などというものは、もはや二人にとっては一陣の風ほどにも気に留めるようなものではなく、嵐に巻き込まれると形をかえ周囲に飛び散った。そう、だから気がつけば二人の周囲は剥き出しになった大地だけで、そこは二人の足跡だけが絵を描く画布だった。


「この血肉湧き躍る撃ち合い! これぞ死合いと思わぬかアッシュ・グラント! 儂はお前の因子<憤怒>として世界に放たれ好きにしろと云われたが、困ったものなのだ。このネリウスという男は確かに怒りに狂っておったが、それは云ってみればただの嫉妬。それは退屈であった。でもな、アッシュ。だからこそこの刻を迎えられたのかも知れん。嫉妬心に憤り怒る。それが故にこの撃ち合いを愉しめる」


 大男は赤黒い瞳を爛々と興奮し鉄塊を何度も大地に打ち付けながら叫んだ。

 アッシュはそれを極々冷ややかに受け止めた。そして違和感を感じた。アレクシスは明確な目的を持っていたようだが、目の前の男は違う。ただひたすらに闘い血肉を貪る。それだけが存在理由であるようだった。

 

 アッシュは口の中に溜まった唾を吐き捨てた。

 

「そうか、お前はお前のやりたいことを見つけたというのか?」

「然り、今まさにその刻よ」

「なるほどな。それでこの先に何がある?」

「なんだと?」

「この撃ち合いの先に何があるのかと訊いている。もしお前が俺を打ち砕き肉塊にしたとしよう。その先の話だよ」

「ふむ。難しいことを訊ねるなアッシュ・グラント」

「そうか?」

「その先か。考えたこともなかったな。儂はただただ憤り、怒り、そしてお前を捕らえろと云われただけだ。もっとも、最後の一つはとうの昔に忘れておったが」


 大男はそう云うと、それを大声で笑い飛ばし、もう一度鉄塊を肩に担いだ。


「さて、その先と云われれば、一つあるな」


 片手で顎をさする大男はそう云うとトントンと鉄塊の大剣を弾ませ、ギロリとアッシュを見下ろした。赤黒い瞳の瞳孔は縦にキュッと絞り込まれ、次第にその輝きがめらめらとするのがわかった。

「ほう」アッシュも黒鋼の大剣を担ぎ、鱗籠手を前に構える。そしていくばくか腰を落とすと下半身に力を溜め込んだ。


「つい先刻のことだ。儂は野伏を喰らった。野伏は儂に取り込まれるのを拒みおったわ。その間際に垣間見た景色。あれはきっと<外環>なのだろ? 色欲がお前を眷属にしようとした際にも同じ景色を見たようだがな。あの先を見てみたい。<傲慢>もそれを欲して屍喰らいを生み出し何やら企てているのだろうよ。そうなると、どいつもこいつもお前の因子という輩はどこかイカれているようだな」

「まるで俺がイカれているみたいな言い草だな」

「なんだ、イカれていないとでも思っているのか?」

「どうだろうな。そんなのは他人が決めればいいさ。俺は俺の好きにさせてもらう。それだけだ」

「おうおう勇ましいことよ」

「それでお前は狩人を喰ったのか」

「どうだろうな、あれは狩人ではなかったがな。しかし他の人間とも違った」

「何がだ」

「記憶だ。流れ込んでくる記憶が曖昧でな。その隙間から垣間見えたあの景色が色欲の見たそれに似ていた。それだけだ」

「そうか」

「おう。それでは終幕といこうかアッシュ・グラント」





 ダフロイトの街は大きく九つの区画に分類される。

 中央には評議会議事堂や市政に関わる都市機能が集約され、中央北は北からの旅行者の玄関口となっており宿場街や歓楽街が広がる。中央南もおなじ様相だが、一つ特徴的なのが<外環の狩人>が血盟を結成しその拠点を構える区画を擁している部分だ。


 ダフロイトは各国の大商人や貴族達が別荘を保有する保養地にかけられる税が税収の柱としているところもあるが、この狩人達の拠点からも同じく地代を徴収するとともに血盟単位で報酬税を徴収している。これはダフロイトの大きな収入源の一つとして広く認識されるところである。

 評議会議事堂では多くの血盟が招集され北の脅威に当たるための部隊が編成された。血盟に所属しない狩人が単独で北に向かった形跡があったようだが、彼らがどのような末路を辿ったのかはわからない。


 狩人の多くは、このダフロイトを襲った未曾有の危機を憂いて結集したのではなく、事態の収集にかけられた報酬金が目当てで結集をしている。

 エステルは、今まさに出撃をしようとしている結成された部隊を横目に、そんなことを思いながら馬を走らせた。結局彼らは私達のことはどうでもよくて、報酬額で動くのだ。


 

 狩人というのは一体なんなのだろう。


(あなた達<外環の狩人>は私達をそう呼ぶわね)

(ええ、そうね。それがどうしたの?)

 あのアオイドスという狩人や他の狩人の多くは私達のことを<ネイティブ>と呼んでいる。それが意味するところは皆目見当がつかない。そもそもその語感でさえピンと来ないのだから想像しようがない。でも、あの人にとってはそれが普通。


 それは蔑みの言葉なの? それとも何か他に意味することがあるのかしら?


 でもアッシュは違った。どんなに口悪く云っても狩人以外の人間を、ネイティブと呼ぶことはなかった。


(そうね、それがあの人の信念ですもの)


 そう、それがアッシュの信念なのだとアオイドスは云っていた。だとしたら——私達は本当は<ネイティブ>と呼ばれるべき何かなの? わからない——やっぱり、アッシュにそれも訊いてみたい。



「皆を困らせて飛び出したのだから最後までやり遂げないと」


 エステルはフードを目深に被ることなく、可憐に赤髪をたなびかせ馬を走らせた。今はエステル・アムネリス・フォン・ベーンではなく、ただのエステルなのだから、何も隠す必要はない。

 きっぱりと天国と地獄のように塗り分けられた惨状との境目が見えてきた。エステルはその先で繰り広げられる人智を超えた斬撃と斬撃の撃ち合いを見つけ、固唾を飲むと「あれは一体なんなの」と絶句した。

 そして、馬の脇を軽く蹴りもう一つ速く駆けるよう促した。





 鋼の薄刃で空を斬ったような高く凍りついた残響と共に流れた炎の雫は、一筋の軌跡を描き振り抜かれたかに思われた。しかし刃の残響はすぐに鋼と鋼、刃と刃が激しく重なる音に変わった。

 一方的なアッシュの斬撃は全て大男の鉄塊に阻まれ一向に身体へ刃を埋めることができなかった。

 その鉄塊の大剣といえば、黒鋼をいなすたび剛腕に操られ荒々しくアッシュへ襲いかかる。そろそろ鱗籠手でそれを受け流すのにも限界がやってきていた。どれだけ術で身体を強化しようとも、目前の修羅にはそんなことは関係なく、どこまでも力任せに押し返してくるのだ。


 チッ——厄介な奴だな。

 アッシュは舌打ちをし唾を吐くと、大男に毒づいてみせた。


「まだ足りぬぞアッシュ・グラント! 血反吐を吐くまで撃ち合え!」

 縦に絞られていた大男の瞳孔は、悦に浸っているせいなのか、もはや赤黒く燃え盛る炎の玉のようでしかなかった。激しく打ち下ろされる鉄塊が黒鋼の大剣を捉えると、大男の上腕二頭筋がグッと隆起し血管を浮立たせる。

 その斬撃は神の鉄槌といってよかった。

 受け流すこともままならず、まともに受けるその衝撃は、一度でアッシュの腕をさげさせ、二度で黒鋼もろとも肩に食い込ませる。遂に三度でアッシュの膝を折らせた。


 大男は更に力を籠め鉄塊を押し込む。

 押されたアッシュの大剣は外套を破り、その下の軽鎧も砕いた。鉄塊が押し込まれるほどにアッシュの刃は冷たく、そして熱く緩やかに自らの肩を食い破ろうとする。

 堪らず、呻き声をあげたアッシュは片目を瞑り必死の抵抗を試みるが、このまま身体を引けば、地につけた片膝をそのまま持っていかれてしまう。であれば、もう押し返すことしか選択肢はなかった。

 しかし、それは満身創痍のアッシュには難しい選択肢だった。


「のう、アッシュ・グラントよ」

 アッシュは大男の声に答える余裕はなかった。

 それを知ってか大男はそのまま言葉を続けた。

「儂らは一体なんなのだ。欲するものを得ようが、得まいが結局渇く。ついぞ満たされる様子がないのだ」


 大男の腕が膨れ、僧帽筋が盛り上がる。

 遂にアッシュは両膝を折ってしまう。


「血を啜るだけの与えられた身、魔女の半身、お前の半身、では今の儂はなんなのだ。〈傲慢〉のやつは何か薄々真理に辿り着いたようだがな。イカれた魔導師の考えることはよくわからん。さあ、これで終いか?」


 大男はそう静かに憂いた声で囁き、そして鉄塊の大剣を振りかぶった。アッシュは静かに目を瞑りそれを受け入れるようだった。

 しかしその時だった。

 大男が左三戦ひだりさんちんで構えた足元が緑に輝き、わずかだが勢いよく競り上がる。


「また魔導か小賢しい!」


 大男が絶叫する。

 アッシュは目を見開き後ろを振り返る。自分を呼ぶ声が聞こえる。


「アーッシュ! アッシュ・グラント! 借りを返す前に逝くなんて真似はさせないわよ!」


 それはエステルだった。赤髪を振り乱しながら馬を駆り、ふしくれた杖を薄く緑に輝かせていた。


「この小娘が介錯の刻をけがすか!」


 大男はかぶりをあげエステルに吠えた。

 大気がビリビリと震え、頭がじんじんとする。


 

 

「来るな、エステル!」



 

 初めてだった。

 <宵闇>がエステルの名を呼んだのはこれが初めてだったのだ。盲目的だった想いに一条の光がさしたようだった。エステルの望んでいたものの一つはこれだったのだ。

 彼に名を呼んでもらいたい。

 記号としてのそれではなく。少し気恥ずかしいくらいの淡い想いが溶けた気持ちで。少しでも照れあえるなら最高だ。もっともそれはついぞ叶わないだろうが。


「勝手に諦めてるんじゃないわよ! そんな木偶の坊さっさと倒して帰るわよ!」


 帰る? どこにだ? 俺はここに逃げ込んだんだ。アイツの一撃で逝ったら恐らく俺は魔女に囚われて終わりだ。あの魔女が何を考えているかわからないが、でも、もう良いんだ。


「帰ったらあなたの好きな料理を教えなさい! 私はそれを作ってみたいわ! ルカはスープを作る天才よ、彼女に色々と教わるわ!」


 料理? スープ? 何を云ってるんだ? 気でも触れたか?


「だから!」

「小娘!」

「諦めないで!」


 エステルは杖を投げ捨て手綱を握り片手をアッシュに向け疾駆した。

 大男は踏み留まり、そして駆ける赤髪のかぶりを狙い鉄塊を水平に構え、それを振り抜く。大男の剛腕が振り抜いた鉄塊は、最初は緩慢に次には神速へ豹変しエステルのかぶりに撃ち込まれようとした。


 ただ黙っていれば事は済んだのだ。

 その後のことは、どうだって良い筈だった。

 しかし、魔導師は命を投げ打って自分を救おうとしてくれている。

 アッシュにとっては何でも良かった。

 ただただ自分の為に掛け値なしで手を差し伸べてくれている。


 

 なぜかそれだけが尊かった。



「駄目だ!」

 アッシュは掌を大地に打ち付け、術式を呼び出した。

 瞬く間に自分の身体を弾かせたアッシュは、神速の鉄塊が届く前に馬のかぶりに激突した。エステルは宙を舞うと後方に投げ飛ばされ、馬は前脚を大きく振り上げるとそのまま横転する。

 その全ての動きが今や引き伸ばされた時の中での出来事のようで、緩やかに流れているように思えた。エステルは宙を舞うと、身体を反転し着地をする。今まさに自分がいた朧げな空間をゆっくりと切り裂く鉄塊が、ゴオオオオオオと唸る姿をゆっくりと目で追った。


 <宵闇>は片膝をつき、黒鋼の大剣を両手で高らかに構え切っ先を下に向けた。しかし、軌跡の残滓を残し空を斬る鉄塊は<宵闇>の頭上を通り抜けると、そのまま大男の二本の剛腕が乱暴に軌道を変え、頭上高くで止まった。


「あっけない幕引きだったなアッシュ・グラント。お前は何を護ったのだ」

「お前にはわからんものだよ」そして——鉄塊は打ち下ろされた。


 「いやあああああああああ!」


 エステルの絶叫が戦場に轟いた。

 そして唐突に時が戻り、鉄塊を打ち下ろした大男の足元にアッシュが力なく倒れ込む。それを取り囲む炎に照らされ、その光景はまるで影絵のようで、どこか現実離れをした。

 斬り落とされたアッシュのかぶりはエステルの元に帰るように転げたが、力なく途中でとまり背を見せた。


 エステルは「あ、あ、あ、あ——」と言葉にならない言葉を口から漏らした。這いつくばりながら、背を向けたかぶりを求め四肢を動かすが、力は抜けてしまい腰が抜けて立つこともできない。そしてようやく、アッシュのかぶりに手をかけ、今では鬼灯ほおずきのように赤く染まった顔を見ると天を仰ぎ泣き叫んだ。

 大男は泣き叫ぶエステルに一瞥をくれると、<宵闇>の骸を掴み静かにそちらへ歩き出した。


「女、そのかぶりは貰い受けるぞ」

「やめて!」と、かぶりを抱きかかえたエステルを大男は足蹴にすると「お前らには無用の長物だろうに」と吐き捨て、それを奪った。


 深い赤い瞳へ最後に映ったのは——大男が獣のような大口を開き、そして、アッシュの頭部を喰らう、そんな光景だった。



 

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