第4話
思わぬ長話になってしまい、前会長を帰らせると、すでに午後も遅く、クラブ活動の生徒たちもぼちぼち帰り支度を始めるころだった。
校内での原因不明の自殺。
しかも生徒会活動が絡んでいるかもしれないということで、私にはかなり広い裁量が与えられていた。
一般の教師たちや校長、教頭を尻目に、自由に調査を進めるところなど、まるでFBI捜査官にでもなった気分だが、今日の仕事はもう切り上げようかと、私も荷物をまとめ始めたところだったが、不意に気が付いた。
「…そうだわ。肝心の音楽室を、私はまだ見ていない…」
たまたま通りかかったのであろう。校長室から廊下へ出てすぐ、偶然にも私は、女生徒を一人見つけることができた。
制服をすきなく来て、2本のお下げ髪をたらし、親切そうな顔をしているので、音楽室への道案内を乞うたが、すぐに応じてくれた。
ここがしつけの厳しい学校だというのは本当のようだ。
音楽室は別棟にあり、そこへ行くには、長い廊下とドアを2カ所通り抜けなくてはならないのだが、そのドアを2回とも、この女生徒は私のために開き、かつ閉めてくれたのだ。
開けてくれたドアを私が通り抜けると、そっと作法通りにドアを閉め、彼女は小走りになる。
遠慮深く顔をうつ向かせたまま、私を追い越してゆくのだ。
私が次のドアの前に到着する頃には、すでに彼女はそれを半ば開きかけており、再びうやうやしく私を通してくれる。
まるで王侯か、貴族にでもなった気分ではないか。
音楽室は4階にあるから、少し階段を登らなくてはならない。
その時に私は話しかけた。
「ねえあなた、かわいらしい制服だけど、ワンピースというのは珍しいわね」
歩きながらチラリと振り返り、女生徒は答えた。
「ええ、素敵な制服だと思います。近隣の学校にも、あまりこういうのはありません」
「だけど洗濯が大変そうだわ。特にそのエリとそで口…。全体は紺色の制服なのに、そこだけが白いレースになっているのね。そこが汚れたら、制服全体をクリーニングに出すのかしら?」
クスリと笑い、女生徒はそでの部分を少し裏返した。
「ここのところは、スナップボタンで取り外しできるようになっているんです。エリも同じです。だから、ここだけ外して洗濯すれば済むんですよ」
「そうなの。よく考えてあるわね」
そうこうするうちに、私たちは音楽室に着いた。
女生徒には礼と別れを言い、私は一人になった。
音楽室の中へ足を踏み入れると、想像していた通りの風景が広がっていた。
机とイスが並び、教室の前方には、でんとグランドピアノがすえつけてある。
黒板には五線譜が書かれ、その上にはベートーベンとか、モーツアルトなどの有名人の肖像画がかかげられている。
思うのだが、あそこに日本人作曲家の絵を飾っている学校は少ないようだ。
なぜだろうと思う。
滝廉太郎とか、伊福部昭とか、日本人でも有名な作曲家は存在するだろうに。
この音楽室の中で、明子がどの場所に座っていたのか、私はすでに知っていた。
黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の机だ。
この音楽室では、生徒には出席番号順に席が割り当てられていた。
私はその席に座ってみた。
あの日の状況に少しでも近づけるため、1枚か2枚だけだが、窓も開けてみた。
それだけでも、春の夕暮れの気持ちの良い風が室内を満たしてくれる。
その席に座り、私は明子の気持ちになってみようとしたが、簡単なことではなかった。
何よりも、私はもはや16歳ではないのだ。
先ほど私をここまで案内してくれた女生徒は何歳だったのだろう、とふと思った。
2年生ぐらいに見えたから、17歳かもしれない。
自分の通う学校内で自殺があったのだ。あの女生徒も動揺していなかったはずはないが、そんなそぶりは見せなかった。
もっとも私も、この音楽室の前まで案内させたわけではない。
「この先の突き当りです…」
というところで彼女を解放した。
明子の自殺以来、音楽室の周囲は、生徒は立入禁止となっている。
「どんな顔をした女生徒だったかしら…」
だがもはや、私は覚えてもいなかった。
しかし、彼女と話した制服のことはよく覚えていた。
「そう、彼女も言っていた通り、ワンピースの学校制服というのは珍しいわ…。明子はなぜ、その制服を脱ごうとしたのだろう?」
最初から疑問に思ってはいたが、実はまだ一度もきちんと考えたことのない点であった。
「なぜ?… そうか」
私は気が付いた。
上下に分かれていない一続きのワンピースなのだ。
もしも普通のセーラー服であれば、明子の行動は違っていただろう。
この学校の制服では、スカートだけを脱ぎ捨てたくても無理だ。ワンピースごと全て脱ぐしかない。
だから明子は、別に胸や背中を級友たちの前であらわにしたかったわけではないのだ。
ただ明子は、スカートを脱ぎ捨てたかっただけ。
「ならば、どうしてスカートを脱ぎ捨てたいと?…」
スカートさんなる妖怪は実在しない。それは私も確信していた。
しかしそれは、私が大人だからであって、ここの生徒たちのような若さであれば、違っているかもしれない。
いや事実、生徒たちの心は半信半疑であろう。
「この音楽室の中で、自分のスカートの中に妖怪が入ってくるのを、明子は突然感じたのだ。それ以前には、半信半疑どころか、明子は90パーセント以上、すでに妖怪の存在を疑っていただろう。しかし、残りの10パーセントをまだ無視できないでいる。そこへ…」
音楽室の中には私ひとりしかいなかったが、もしも見ている人がいたら、
「あの人は何をしているのだろう?」
と、いぶかしんだに違いない。
私は立ち上がり、自分が座っていたイスを通路へと引き出したのだ。
それだけではない。
イスを上下逆さまにし、机の上に乗せて調べ始めたのだ。
目を皿のようにして探し求めたが、目的のものを私はすぐに発見することができた。
大きなものではない。
玉のように丸く、直径はせいぜい数センチ。色は薄茶色で、木材に似た色で、まったく目立たない。
「…そうか、4月か…」
陽気のなせるわざである。明子が飛び降りたのも、春の日差しの明るい日であった。
私は見つめ、それをイスの脚から引きはがすことにした。
こんなものでも、証拠品といえば証拠品であろう。
私が書き、提出するはずの報告書は、空前絶後の内容となろう。しかし事実とは、えてしてそうなのだ。
カマキリの卵を、読者はご存知であろうか。
カマキリとは、もちろんあの昆虫である。
去年の秋の終わりごろ、何かの都合で開け放たれていた窓から風に乗って、カマキリのメスが一匹、この音楽室へと迷い込んだのだろう。
このメスは卵を持ち、大きな腹をかかえていた。そしてその卵を、イスの足に産み付けたのだ。
それが偶然、黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の席だったわけだ。
想像してみてほしい。
あなたはまだ世間のことがよく分かっていない16歳で、高等学校という新しい環境へ放り込まれ、しかも、思いがけなく生徒会長という大役を任されている。
それどころか、その大役が、スカートさんとかいう得体のしれない妖怪と関わっているなどと、大真面目な顔で前会長から告げられたのだ。
しかし数日がたち、生徒会長としての仕事が軌道に乗り始める。
聡明なあなたは、
『妖怪なんて実在しない。ただ生徒会活動をうまく進めるための方便にすぎないのだわ』
と結論を出すのだ。
ところがそんなときに、突然の侵入者だ。
音楽の授業中、スカートの中へ音もなく忍び込んでくる者がいる。
本当のところ、侵入者とはカマキリの幼虫にすぎなかった。
陽気に誘われ、卵からかえり、現れ出たのだろう。
1匹1匹は、数ミリほどしかない小さなものだ。
しかしそれが、一度に何百匹もスカートの中へはい上ってくるのを感じたとしたら?
もし自分が明子と同じ立場だとすれば、私だって叫びだし、スカートを脱ぎ捨てて逃走するだろう。
事実、明子はそうした。
ワンピース制服を脱ぎ捨て、この場から逃げ去ろうとはかった。
運の悪いことに、明子の席は教室の入口から最も遠いところにあった。
しかし他にも出口はある。窓だ。
この陽気で、窓はすべて大きく開かれていた。
「あそこから飛び出せばいい…」
ただ不幸なのは、いつもの教室とは違って、ここが4階だったことで…。
(終)
女子高生のスカートの中に住むスケベな妖怪について 雨宮雨彦 @rain
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