第26話 昭和二十八年十二月二十一日(2)

 篝家本家での食事は誰もが口を開かなかった。黙々と料理を口に運ぶ作業をこなしていく。中野の篝家とは正反対の在り方だが、良家の食事風景で考えれば此方が本来の正しい在り方なのだろう。



 菫さんと羽鳥さんはとても息苦しそうな顔をしている。



 食事を終えてからはどうするのか、食後の茶を啜る善太郎さんを一瞥すると彼と視線が一瞬だけ合った。



「義龍さん。貴方がこの先をどう生きるかはお任せします。さてと、では、長居をしては迷惑だから帰りましょう」

「ちょっと待っていてくれ。その前に厠に行ってくる!」



 菫さんが脱兎の如く部屋を飛び出した。



「菫さんはあんなに近いのですか?」

「緊張するとお腹が痛くなるものよ。きっとそれだと思うな。昨日もそうだったでしょ?」

「自分もしょっちゅうありますからわかりますよぉ。いやぁ、あれは本当にキツいんですよねぇ」



 しかし同じく緊張していた羽鳥さんはお茶のおかわりをしている。



「待たせた。片に勘ぐらないでくれよ。乙女に対して失言禁止だからな」



 十五分の長い時間を僕達はお茶を何杯おかわりしたか。こちらが厠に行きたくなるくらいに。



「では、今度こそ帰りましょうか」



 善太郎さんに続いてぞろぞろと列をなしてまるで軍隊行進みたい歩く。玄関先まで見送りに出た義龍さんと佐和子さんに、お世話になったお礼を述べて車に乗り込んだ。



町中を走っていると、車のフロント硝子に蜘蛛の巣のようなヒビが入り、その中心に小さな穴が穿たれ、僕の腹部に熱い衝撃が走ったのは同時のこと。



「佐々木さん! そこを曲がって車を隠して!」



 善太郎さんが瞬時に叫び、何が起きたのかまだ把握できていない菫さんは珍しく表情をギョッとさせながらも民家を曲がって停車させた。



「ああ! 旦那様の車がぁ。何かぶつかったのかよぉ!」



 顔面蒼白にして叫んだ菫さん。僕は苦悶の声を上げながら腹部から溢れる血を押さえ付け。「羽鳥君は周囲を警戒だ。急げ、早くしろッ!」羽鳥さんも僕の様子を一瞬だけ見て、これが緊急事態だと把握して車を飛び出した。



「松葉さんはそのまま賀楽さんの処置を。私は近くの病院を探します。佐々木さんはいつでも走れる準備だけをお願いします」



 善太郎さんも車から飛び出して何処かへと走っていった。



「は……、処置って?」



 菫さんもようやく僕を振り返って事態を把握したように、「ちょっと、大丈夫か!?」慌て立てるが鼎先生が睨んで黙らせた。



「大丈夫。大丈夫だから、意識をしっかり持つんだよ、賀楽ちゃん」

「鼎先生……」



 ゆっくりと後部座席に横たえられ、まさかこんな襲撃や怪我なんて想定していない。手持ちの医療機器や薬ではどうにもならないそうで、舌打ちをしていた。なんとか止血だけでも、と銃弾が貫通していない最悪の状態のなか布きれで傷口を圧迫する。



「このままじゃ……。佐々木さん、この近くに病院か診療所は?」

「ええと、どうだったかな……。あった気がするけど、詳しくは」

「記憶を頼りに車を出して! 落合さんを待っていられる時間も無いんだ」

「は、はい!」

「羽鳥さんは助手席に乗って! 早く!」



 おののいた羽鳥さんも乗り込んで車が走り出す。



「狙撃手はもういないと思うから、大通りを遠慮いらないから走って」

「え、えぇ」



 まだ早朝の時間だ。人通りなんてまだほとんど無い。羽鳥さんは周囲警戒を続ける。菫さんも、「どこだったかな。ええと」なんて弱気になって自信なくハンドルを回している。



 ぼんやりとする意識の中、顔を覗き込んで何度も僕の名前を呼び続ける鼎先生を、僕は見ているのか映しているのか、判然としない夢現の境界を彷徨っていた。全ての映像がまるで夢のように現実味が無い。



「あった! 小さな診療所だ。まだ開いてないけど、どうすんの」

「羽鳥さん、緊急事態だから窓を叩き割って鍵を開けたら急いで戻ってきて。賀楽ちゃんを運ぶよ」

「は、はいぃ!」



 路肩に停めた先にある診療所のガラス戸を警棒で叩き割った。手を差し入れて解錠すると急いで戻ってきて後部座席を開けた。



「ど、どうやって運べばいいんすかぁ」

「私が指示するからその通りに。菫さんは先に診療所に行ってお湯を沸かして」



 そこから僕の意識はいよいよ何が起きているのかわからなくなり、処置の流れから、なにやら外が煩く賑わっていたような気もしたが、それも夢か現実か定かではない。



 目の前に僕が居た。



 どこか寂しい場所に僕は墓石に背中を預けて、足を投げ出した状態で座っていた。草原に墓石が規則正しく並んで、僕と同じような状態でそこらには人が墓石を背にして座っている。彼等も自分とそっくりの自分を見下ろしている。無感情に。無表情に。ここはどこなのだろうか。しかし、隣りの墓石の人の視線を受けた。



 彼女は誰だろう。



 顔は複数の色を混ぜ合わせたような個人を特定できない顔をしていたが、服装からして女性だとなんとなく判った。彼女は一枚の写真を僕に見せた。それは僕の死写体の写真。たしかあの写真は大田区の集団殺人事件の現場で撮ったものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る