第23話 昭和二十八年十二月十九日

 写命館の業務を終えて篝家へ。



 居間には末広さんの仏壇が置かれていた。



 通夜と告別式は本家を含めた身内で粛々と執り行われたようだ。まだ野菊さんを初め篝家の人達から悲しみを拭えずにいるのに、僕達を迎えた時はそれを表には出さずに明るく振る舞っていた。手を合わせてから、「まだ忙しい時に突然の訪問すみませんでした」空気に同調するような声を沈ませた善太郎さんが腰を折った。



「いいのよ。末広さんもこうして手を合わせて貰えて喜んでいますわ。それで、何かお聞きになりたくていらしたのよね?」



 要件は伝えていない。本当に飛び込みで来たのだから。何かを察していたのか此方の雰囲気を読んだのか、梶木さんにお茶を用意するように伝えてから大広間のテーブルにくつろいだ。



「事件に関することかしら?」

「ある話を聞きに山梨まで足を伸ばしていました。松葉先生を同行させてくれたことにまずは感謝します。彼女が居なければ賀楽さんは危ない状態でしたから」



 野菊さんは首肯するだけで続きを促す。



「山梨の山奥にある村で篝家がある事業を起こしていたそうですが、それを野菊さんはご存じでしたか?」

「いいえ。末広さんのこれまでの仕事は聞いていますが、わたくしも存じ上げないということは本家の事業ではありませんか?」

「その通りです。詳しい話を本家の義龍氏に伺いたいのですが住所がわからず、野菊さんであれば知っているかと思いまして」

「でしたら、佐々木さんに車を出させますわ」

「いえいえ。そこまでして頂かなくても」

「ふふ、良いのよ別に。佐々木さんが送迎に使っていた外国製の車は国産のものより速いのよ。もし事件に本家が関与しているのでしたら存分にお話をお聞きになって下さい。此方から本家には連絡を入れておきますわ」



 梶木さんが冷たいお茶を持ってきた時、「佐々木さんは何時頃に帰られるかしら?」野菊さんが問い、「そろそろ帰ってくる頃かと」買い物に出てもらっているだからそんなに遅くはならないと付け加えた。



「出発はいつにします?」

「できれば早めに……、そうですね、明日の早朝にでも」

「また長旅になるでしょうから、松葉さんにも同行してもらうといいわね。後で頼んでおくわ」

「篝家は狙われているのに、二人も人手を裂いてしまって」

「男手なら梶木さんと持田さんがいますし、警官も居てくれます。何か起こることもないでしょう。むしろ、東京から離れていた方が安全でなくて?」

「仰るとおりです。お言葉に甘えさせて頂きます」



 帰宅した菫さんと鼎先生に事情を説明して了承を得られた。早速と菫さんは車の調子を調べに屋敷を飛び出し、鼎先生も診療所の明日以降の打ち合わせを医師達としてくると言って、また出て行ってしまった。



「代わりにお願いがあるのですけど、よろしいですか落合さん」

「ええ、どんな願いでしょう」

「今日一日、賀楽さんを此方に泊めても? 落合さんも都合が悪くなければご一緒に」

「そうですね。篝家に少しでも多くの人が居れば防犯の意味でも安全でしょう。ではもう一人、五十嵐刑事の紹介で、いま写命館で警護をしてもらっている若い警察官がいるのですが、彼も宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。警官が増えるのは喜ばしいわ」



 写命館に戻って事情を羽鳥さんに話した。



「賀楽さん。ちょっといいですか?」



 善太郎さんに呼ばれて一階の作業場に下りると、「俺達がしていることは明らかに犯人を刺激する行為です。この間の山梨の件もそうですが、今回は核心に迫るものと予想しています。何かあった際は羽鳥君も俺も賀楽さんの命を最優先で動くつもりですので、くれぐれも軽率な行動は取らないように。いいですね?」強い口調で言われ、僕もそれに強く頷く。



「本心を言えば、きっと賀楽さんはそれに怒りを覚えるでしょうが、これは貴女に釘を刺す意味でもありますからよく聞いてほしい」



 壁に背を預けた善太郎さんは表情を消して地面に視線を落とした。



「他人の命なんてどうでもいいんです。仮に今回犯人の襲撃を受けた時は、俺は躊躇わずに佐々木さん、松葉先生、羽鳥君を見捨てます。俺と賀楽さんが生きてさえいればいいんですから。その後については嘘をついてでも都合良く俺は世間に話して面倒の回避に努める。それだけは忘れないで下さい」

「善太郎さんの覚悟しっかりと僕は受け取りました。何事も無いに限りますね」

「そうだね」



 ようやく柔らかく笑んだ善太郎さんは何事も無かったように、「羽鳥君。まだですかぁ?」なんて羽鳥さんの口ぶりを真似て飄々とした調子で声を掛けた。



 車で再び篝家に到着すると真っ黒の大きな車が門前に停車していた。運転席からは菫さんが此方に手を振って、指先で直進して右折するよう指示を出した。言われたとおり進むと石垣で囲われた砂利敷きの広い敷地。どうやら篝家の駐車場のようだ。菫さんの車から少し距離を空けた場所にダットサンを停車させた。



「篝家は一体何台の車を所有しているんですか?」



 少し高揚した口ぶりで善太郎さんが車の話を投げかけ、「違うよ、此処は来客用。この車も普段はもっと安全な場所に停めてあるんだ。明日は早朝の出発のようだから、こっちに運んできたってわけ」盛り上がる二人の後ろについて僕と羽鳥さんはチラチラと高級車へと目を向けていた。



 確かにこんな場所に停めていたら盗難や悪戯をされる可能性もある。しかしあの高価そうな車を普段はどこに停めているのか気になるところで、羽鳥さんは、「警視正でも乗れませんよ、あんな車ぁ」明日はあの車に乗れるとこっちもこっちで気分が高揚しているようだった。



 屋敷には全員が揃っている。滞在している警察官もそれぞれの配置に立って不審者に対して目を光らせていた。同じ制服を身に纏う羽鳥さんが労いの言葉を掛けて回るが、「お前より勤続年数は長いんだ。敬えよ新人」顔見知りのような柔らかな口調で笑った。



 善太郎さんは部屋に籠もってしまい、僕は野菊さんに呼ばれて夕食が出来るまでの間、彼女の寝室でお喋りしてしている。ここ最近の僕の話といえば、カメラの手ほどきを善太郎さんから受けていることや、両親がわざわざ鎌倉から会いに来てくれたことくらいで、そんな話にも彼女は両手を合わせて、「まあ、素晴らしいこと」と親しみの情で聞いてくれた。



 野菊さんはやはり末広さんを亡くしてから悲しむ暇も先延ばしにしていたそうだ。葬儀の日には本家から末広さんの父、義龍さんと奥方の佐枝子さんは涙一つ見せなかったと憤りながら話した。二人は葬儀の後すぐに帰宅されたそうで、今後のこの屋敷や野菊さんについて話しさえしなかったという。



「そう。まるで逃げ帰るように……、そんな様子にもわたくしには見えましたわ」

「何から逃げていると思いますか?」

「そう見えただけで、何も無くただ忙しいだけかもしれませんわよ。でも、我が子の冥福を祈る時間さえ切り上げて帰られるなんて……、個人的な事を言わせて頂くと、呆れました、の一言に尽きます」



 我が子がハンバーグとなってしまった姿を見て耐えられなくなったのかもしれない。僕が死んだらお父様とお母様はどんな顔をするのか、少しだけ想像してみて直ぐに止めた。そのことについても直接話を聞けばいいだけのこと。



 食事の席に制服姿の警察官達も着席していた。食事は誰一人欠けてはならない、という篝家の流儀に則ってのこと。これはまた可笑しな光景で、羽鳥さんを除いた警察の方々は談笑しながら食事をする形式に不慣れな様子。話題を振られれば愛想笑いを浮かべて曖昧に頷くを繰り返している。自らも積極的に会話に参加して美味しそうに料理を食べ進めていく羽鳥さんが正しいのか、彼等が正しいのかわからなくもなる。



 足を伸ばせる浴槽に肩まで浸かりホッと一息ついた。



 思考の一切を拒絶するくらいの心地良い湯加減。後もつっかえているのでこの至福時間を惜しみつつも寝間着に着替えて野菊さんの寝室へ。鼎先生、千紗ちゃん、菫さんの篝家の女性陣が勢揃い。なんでもこれから貴婦人のお茶会というものを開くそうだ。



 紅茶に合わせた洋菓子の数々。これを啄みながら色恋から怪奇な話で盛り上がる集まりを篝家では度々行われているそうだ。各々で仕入れた話を披露しながらお茶を頂く催しは中々に楽しそうだ。末広さんを亡くして傷心する野菊さんを励まそうと、菫さん達が唐突に今日開催することを野菊さんに進言したそうだ。



 しかしよく考えたら一点だけ困った。怪奇話であれば幾つかは話せるけど色恋となれば全くその話についていけない。巡って行く話し手はようやく僕へと渡り、恋愛経験も皆無な僕が話せることといえば理想像くらいのもの。



 ひっそりと話すと彼女たちは目元を細めて頷く様は、まるで蛙を睨む蛇のように獰猛で執拗深い一種の幻術奇術の類いの効力を僕に発揮した。



「僕は誰かに恋心を抱くつもりはありません」



 キッパリとそこだけは明確にしておかねばならない。万が一にも無いとは思いたいけど、人の口には戸は立てられない、あの襖の向かい側に誰かが盗み聞きしている可能性もある。大衆の耳にこんな情報が入った翌日を考えるだけで末恐ろしい。



 そして、それ以上に僕は怖い。



 他人に想いを伝えられるのが。内心では嬉しいけどそれに応えてあげられない。僕の性別云々もその一因ではあるけれど、なによりその人を置いて僕は先に逝くから。



 寂しい思いはしたくないし、させたくない。



 これが僕の答えだ。



 僕の心の内を悟った鼎先生は一瞬だけ寂しいような、哀れむような表情を浮かべるが、直ぐに微笑んで、「恋の形は一つじゃあないのよ」助言なのかはその真意も判断つかず曖昧に頷いた。



「さてさて、私は長距離運転になるので奥様、そろそろ失礼させてもらうよ」

「そうね。もうこんな時間になっていたなんて、ほんと……、楽しい時間はあっという間よね」

「でしたら私が後片付けをしておきますから、皆様はお休み下さい」



 千紗ちゃんがお茶の片付けを申し出て、彼女の好意に甘えて野菊さん以外は席を立った。菫さんと鼎先生に部屋まで付き添われて、「じゃあ、また明日だね」二人が小さく手を振ってそれぞれの部屋へと引き返して行った。



 僕はまだ眠くないのだけど、善太郎さんの様子が気になって襖から明かりが漏れているのを確認して、「善太郎さん。僕です、入りますね」襖を開けると胡座をかいて畳に並べた写真を眺めていた。しかし彼の一瞬の、何かを懐に隠した挙動を見逃さなかった。



「ああ、賀楽さん。お茶会とやらは終わったの? 随分と長く楽しんだようだ」

「はい。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。何をされているんです?」

「賀楽さんが撮影した写真を眺めていたんだ。疑問に思ったんだけど聞いても良い?」



 二枚の写真を僕に差し出して、「どうしてこんなものを撮ったのか」それは阿式家の箪笥の上にあった孤児達の写真だった。



「なんとなく撮っておいた方が良いような気がしました。直感です」

「直感……、ね。何かに役立つようには見えませんし、賀楽さんの言う、人々の笑顔とは無縁でしょう」

「澄香さんが言っていました。この写真にはあの工場から逃げ出した子供も居ると」

「なるほど。それは確かに撮っておいて良かったかもしれないね。義龍氏に話を聞いてみよう」



 僕はその懐に隠した物が気になり、「僕の目に触れてはいけない物ですか?」ジッとその部分を見ながら聞いた。



「見ない方がいい」

「見てみたいです」



 どうしても見せてはいけないというわけではないようで、観念した善太郎さんは懐に隠したソレを畳に横たえた。



「軍に居た頃に使っていた拳銃です」

「人を撃つのですか?」

「それは最悪の場合だな。此方から撃ち殺すつもりはない」



 くすみや欠けている箇所が目立つ南部十四年式拳銃。「よく手に馴染む。俺は臆病でしたから。常に戦地では握っていた。お守りのようなもの、だね」グリップを握りながら言った。



「明日は早い。賀楽さんはもう眠りなさい」

「そうします。おやすみなさい」

「おやすみ」

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