第19話 昭和二十八年十二月十六日

 十七型のダットサンに四人が乗り込んだ。後部座席に並んで座る僕と鼎先生の足下には撮影機材や医療器具等が詰めてある。足の踏み場も無い状態。それにしても不思議な感覚でした。いつもは助手席に座っていたので後部座席から眺める景色は全く違って見える。



 何かあった際に直ぐ処置できるようにとこの配置になった。長い道のりを楽しむ道中では歌などを歌いながら車内は賑やかな雰囲気で満ちていて、それは楽しい時間を過ごしていました。それにしても鼎先生はオランダに滞在していたこともあり、向こうの歌のほうが歌いやすいようです。



 あまり耳にしない外国の歌に聴き惚れていた。羽鳥さんなんて歌い終わる度に拍手喝采。



 適度に休憩を挟みつつ、篝家で用意してもらったお弁当を食べてようやく山梨県の大月まで来ると日が暮れそうだった。宿場町を運良く見つけて今日は一泊することになり、部屋割りは僕と鼎先生、善太郎さんと羽鳥さんの二部屋。



 がらんとした貸し切りに喜ぶべきか不安を抱くべきか。しかしその一抹の不安は料理の味に霧散し、誰も居ない絶好の好機に温泉にも浸かれた。いつもは井戸水を頭から浴びるか、近所にお風呂を貸してもらうかしていたので、こうして足を伸ばせるお風呂なんて久しぶりだ。



 小さく膨らむ乳房。男性器と女性器が混在する忌む身体を僕は今まで呪って生きてきた。どうしてこんな身体に。気持ちが悪い。自己の嫌悪。人に知られてしまったらという恐怖と警戒。しかし鼎先生は言っていた。珍しい身体だけど世界中には僕と同じ身体を持つ人が存在している。彼等がいまどのように過ごしているのか思い馳せてみた。外国の神様や天使という神聖な存在がそう描かれている、というのなら彼等はそこまで悩んでいないのかもしれない。僕が考え過ぎだったのか。しかしそんな神話も伝説も存在しない日本ではやはり墓の中まで隠し続ける必要がある。



 だけど、「少し生きやすくなったかな」僕は僕を抱きしめた。



 翌日も朝食を頂いたら直ぐに出発して、昼過ぎくらいには甲府市に辿り着いた。



「甲府大空襲なんてあったもんですけど、復興してますねぇ」

「日本人は強いからね。多くの犠牲を出したけど空襲程度じゃへこたれない」



 車を降りて辺りを探すとそれらしき家屋があり、阿式、の表札も確認して此処で間違いは無さそうだった。



「すいませーん。警察の者ですけど、阿式政美さんはご在宅でしょうかぁ」



 警察官の羽鳥さんが警帽を整えながら扉を叩く。



「ばあちゃんならこの間死んだけど、警察が何のようだ?」



 庭から回ってきた僕より少し歳上くらいの女性が此方を訝しむように睨む。



「私達は写命館という写真屋です。阿式政美さんのやんちゃ仲間だった浦辺さんの紹介で、篝家について話を聞かせていただこうと東京から来ました」

「東京から……、その警察官も? つか、どうして写真屋が?」

「自分はお供なんで」



 ふぅん、とあまり歓迎されていないようだが家には上げてくれるらしい。居間に通されると、「あんたは知ってる。あれだろ、死んだ人間を演じて……なんてったっけな。死体在る場所に坂下賀楽在りみたいな文句。有名人だ」僕の評判は山梨にも行き届いているようだ。



「まあいいけど。ばあちゃんは先週亡くなったから、私が話してやるよ」

「キミが?」

「何か不満? そう言った話は途絶えさせちゃいけないってばあちゃんがいつも、汚職事件や名家の悪事について寝物語に聞かせてくれたから」

「お孫さんとのことだけど、ご両親は?」

「両親なんて知らないよ。そもそもばあちゃんって言っても血縁関係は無いんだ。孤児だった私を拾ってくれたから」



 戦争で両親を亡くして行き場を無くした子がまだいっぱいいるのだ。篝家もそういった人達が家族として過ごしている。



「名乗ってなかった、悪い。私は阿式あじき澄香すみかだ」



 彼女に倣ってこちらも自己紹介を済ませると澄香さんは思い出すように、眼をグルリと回して語り始めた。



 山梨の山間にあった小さな村は貧困に飢えて口減らしなんて日常だったようだ。篝家はそんな村の実情をどこで知ったのか、大金や食料を積んで子供達を買い取り、村付近に建てた施設に連れ込んだそうだ。誰一人としてその後の子供達を見た者はなく、中で何が行われているのかも詳細はわからない。不審に思った阿式政美さんを含めた数名の大人達が施設に忍び込んで見てしまったようだ。



 子供達の肉を大ぶりの刃物でそぎ落とし、臓腑までもが異様なほどに大きい機械に押し込まれ、ペースト状になって出てきた肉はまた別の機械で同じようにペースト状になった牛や豚の肉とこねくり合わされている作業を。



 しかし子供を売った手前警察には届けられない。これまでは仕方なかった。我が子も幸せになって欲しいと願っていた政美さんはその時になって、親として大罪を犯したことを自覚し、逃げるように村から去ったという。



「んで、戦争で孤児院も焼失して彷徨っていた私をばあちゃんが拾ってくれたわけ」



 人知れず吐き気を催すような行為がされていたことに鳥肌が立った。想像してしまう。子供達の絶叫や痛みや苦しみ。親に捨てられた事実は子供心を深く抉ったことだろう。助けを求めても誰も助けてくれない。恨み辛みを抱いて息絶えた多くの子供達が、この場に吸い寄せられて、いまでも助けを求めるように僕の身体に纏わり付いているように思えた。



 逃げるように視線を逸らすと箪笥の上に一枚の写真を見つけた。



 凝視していると、「あれは私が孤児院にいた頃にみんなで撮ったものだ。世界は狭いものでね。いま話した村の出の子も何人かいたんだ」その写真を手にした澄香さんは私に見せてくれた。二十人くらいの子供達が数名の大人と一緒に映って笑っている。



「話は聞かせた。少し男共には手伝ってもらいたいことがある」



 断ることも出来ない羽鳥さんと善太郎さんは彼女について裏庭へと向かった。



 僕は写真をしばらく眺めた。



 鼎先生はお茶を啜っている。



「この写真……」



 写真立てから外した写真の裏側を覗き込むと複数人の名前が書かれている。写真に写る人の配置に沿って書かれていて、直ぐに澄香さんの名前を見つけてまた裏返すと、今のような淡々とした印象はなく年相応の女の子のように笑っていた。



 少し気が引けたけど、僕はカメラでこの写真の表裏を撮影した。

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