第15話 昭和二十八年十二月十五日

 昨日発売だった新作写真を求めて今日も朝から中野駅まで列が出来ている。その様子を窓から覗いて、今日は忙しい一日になるのを覚悟しつつ、自分の今日の体調も万全である幸いな日に感謝をして扉の前に立ち深呼吸をする。



 店内の時計を見て十時の報せと同時に扉を開けた。



「写命館へようこそ。昨日は都合によりお店を休業させて申し訳ありませんでした」



 見知った顔が多い列からは優しい言葉が次々と投げかけられる。数人ずつお客様を店内へと誘導して、新作売り場に群がって写真を収めた封筒が次々と数を減らしていく。会計時にお詫びとして希望者には僕の……、その……、少々きわどい写真を渡していく。



 いつかは売るつもりで焼き増ししていたようで、思いもしなかった付録を手にしたお客様達は外に出てこのことを大々的に宣伝するやその場で付録写真を眺めて歓喜を共有して盛り上がっている。



 できれば恥ずかしいのでその写真は自宅でこっそりと見て欲しい、と願いながらも僕が彼等の喜びに貢献できている事実が嬉しくもあり、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。



 ようやく列を捌くと午後二時過ぎていて、休憩も無しに働いていたのでお腹が空いて目眩に似たいつもの症状と錯覚してしまうくらいに疲れていた。



 先にお昼休憩を頂くこととなったので、駅前を歩きながら馴染みの立ち食い蕎麦屋に入ると、店主の尾崎おざき正次郎しょうじろうさんが黙って芋天麩羅蕎麦を出してくれた。



「今日も繁盛しているようで羨ましいな」

「尾崎さんのお店だってお昼時は凄く混んでいるじゃありませんか」

「昼と夜だけな。それ以外は暇なもんさ。坂下ちゃんが来る前の写命館はウチとどっこいどっこいの客足だったのによー。今じゃ看板娘のお陰で繁盛している姿を寂しく眺めているよ。あっ、そうだ。うちでも看板娘を雇用すれば少しは変わるんじゃないか」



 蕎麦を啜り、流石に野菊さんと食べた蕎麦や天麩羅の味は劣るけど、僕からしたら食べ慣れた安心できる一杯だ。ラジオからは篝末広さんの事件が報じられると、尾崎さんも顔色を落として、「うちが店を開けたのは篝家の援助があってのことなんだよ。中野で美味しい蕎麦屋をやりたいという気持ちだけを汲んでくれて、返すあてもないというのに、快く金を貸してくれてよぉ」この蕎麦屋の他にも中野で店を出したいが資金がない人達に無利子で出資していた篝家がどれだけ中野区民に愛されていたかを涙ながらに語ってくれた。



 尾崎さんの話を聞いていて、やはり篝家や末広さんに殺される理由は見当たらないし、そういった噂話も耳に入ってこない。



「ご存じではないですか。末広さんが経営していた孤児院があったのを」

「ああ、知っているよ。東中野辺りだったかな、大空襲で焼失したっていう施設だよ。職員と孤児の十三名くらいが亡くなったんだったか……。彼等のお墓を作ったっていうんだから、本当に神様みたいな人だよなぁ」



 末広さんは戦時中の空襲で孤児院を失い、そこに住んでいた孤児や職員を亡くした。彼はどんな気持ちで孤児だった千紗ちゃんと祐介君を拾ったのだろう。誰もが語るような人物だからこそ、もう二度と失いたくはない、という気持ちが強かったのかもしれない。



 蕎麦屋を出て直ぐに写命館へと戻って善太郎さんと昼交代をした。もう少しゆっくりしてきて良かったのに、と言われたが流石に善太郎さんも朝から何も食べていなかったので、悠長に休憩を満喫するわけにもいかない。



 お客様の相手もそう頻度はなく、会計机に頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めていると菫さんと野菊さんの姿が見えた。二人は写命館へと向かって歩いてくるようで、お店に立ち寄って新作を手に、「家に居ても塞ぎ込んでしまって」野菊さんは新作の会計を済ませて、「もう少しだけお店に滞在していてもよろしいかしら?」僕は小さく頷いた。



 昨日から警察官四名が篝家の周辺を見回ってくれているようだが、名家ともなれば敷地が広く、警備の目がどうしても行き届かないとのことで、全員を家に招き入れてより身近な場所で警護してもらっているようだ。



 彼等を労うように篝家で食卓を警察官と囲みながら料理を振る舞っているそうで、ついつい浮かれた警察官達は捜査で判明したことを喋ってしまったようだ。



 人肉ハンバーグに埋め込まれた箱に心臓が収められていた件。本庁に届いた脅迫文の件。犯人が篝家のパンドラの箱について探している件。まだ世間に公表していない数々の情報が露呈したが、彼等の首を案じて篝家内で留めておくことにしたそうだ。僕にこうして話したのは僕等が捜査の為に篝家に赴いたことをその時に知ったからだそうだ。



 僕等は彼等を騙して勝手に篝家を捜査していたことを謝罪した。しかし野菊さんも菫さんもそんなことは気にしていないと言って、むしろ僕達と楽しい時間を過ごせたことを喜んでくれた。



「洋食屋さんなんかでは相次いでハンバーグの提供を辞めているそうよ。朝刊に書いてありましたのよ、ご存じかしら?」

「え、ハンバーグ食べられないのは嫌です。僕の大好物なんですよ」

「あら、それは良いことを聞いてしまったわ。事件が解決したら一緒に食べに行きましょう」



 この事件が長いこと続いたせいで、民衆たちはハンバーグを口にできなくなっているようだ。メニューでハンバーグという文字が書いてあるだけで、昨日は洋食屋で暴動というほどではないが、そのような騒動があったと野菊さんは語ってくれた。



 昼食から帰ってきた善太郎さんは来客二人に一瞬だけ驚いた表情を見せたが、「いいんですか、こんな所に足を運ばれて。末広さんの通夜等も進めなくてはならないでしょう」いつもと変わらぬ何を考えているかわからない笑顔。



 新作を追加で焼き増しするべくそのまま作業場に籠もってしまった。二人が帰宅したのは閉店時間の一時間前。その間に二十人の来客が新作を買い求めて来た。



 売り上げの計算と戸締まりをして本当の意味で業務終了をしたのは閉店から三十分後の十七時半過ぎ。そこから僕は夕食の支度に取りかかるのだが、冷蔵庫の中身がそろそろ尽きそうだったのを思いだし、昼休憩時にでも買っておけば良かったと後悔しながら、「御夕飯少し遅くなりますけど、大丈夫ですか?」僕が作業場へ声を掛け、「構わないよ。ああ、そうか。何もなかったね」善太郎さんも冷蔵庫事情を思い出したようだ。



「新作を出す日は売り上げが良い。相変わらず好調だ」

「お詫びで僕のきわどい写真を渡すのは控えてください」

「恥ずかしいのか?」

「恥ずかしいですよ」



 そもそも撮らせた僕にも非があるのだろうけど、それは善太郎さんがもしもの時の為にと、どうしても撮らせて欲しいというからで、まさかそのもしもの時が今日のような時に使われるなんてあの時は思ってもいなかった。



「坂下賀楽のヌードは需要があると思うんだけど」

「本気でやめてください。需要があっても供給しないと約束してくださいませんか。いくら善太郎さんの為とはいえ、僕も嫌なことはしたくないので」

「わかった。もう二度としないよ。その代わりで条件を付けさせてもらっても?」

「聞くだけはいいですよ」

「キミの生きている写真も撮ってみようと思っているんだ。死写体としてのキミは、陳腐な言葉で評価すれば完璧に尽きる。死の美しさを上手く表現する技術と容姿は天賦の才と神の恩恵です。ならば努力して生きるキミをファンの方々に伝えようか」

「売れますか? 僕の笑顔は不気味なようですし」

「引きずるね。無理に笑う必要はない。ありのままのキミが楽しいと思える瞬間を僕が撮る。ただそれだけ。もちろん売れるかどうかはまだわかりませんがね。各方面で試してみるのも面白いのでは、と思ったまでです」



 楽しいと思えることなんて僕にあっただろうか。食べるのは好きだけど楽しいとは違う。もちろん食べるのが楽しいという人もいるけど、それは僕には当てはまらないだけ。趣味もなくただ生きていた証を残すために死写体の仕事をしていた。そこでふと作業台の脇に置いてある僕のカメラが視界の端に捉えた。



「写真を撮る僕を撮ってみますか?」

「撮影者を撮影か……。これは何か、芸術的な絵画でありそうなお題だね」



 一枚。善太郎さんを撮影した時、胸が高揚していた。この構図でいいだろうか、どの瞬間でシャッターを切ればいいか、確かにあの感情は楽しいと言うのでしょう。



「末広さんの件もありますから、他の人を撮ります」

「野菊さん達なら気にしないと思いますが、まあ、賀楽さんがそうしたいならお任せしますよ」



 早速、明日から僕はカメラを手に撮影を始めることとなった。



 そのためにカメラの手入れを善太郎さんに教えを乞い、その仕組みについての抗議を交えてカメラ弄りを楽しんだ。

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