第13話 昭和二十八年十二月七日

 今日からまた篝家でお世話になることとなり、朝一でしばらくの衣服や生活のあれこれを御屋敷に運び入れてから僕と善太郎さんは太田区へと向かった。



 死写体の撮影は二件。一件目は四肢を切断された女性の事件。車の後部座席には撮影で使う精巧に作られた人形の手足。撮影の為に僕の手足を切断するわけにはいかず、こういった小道具を使った撮影もたまにある。二件目は五十嵐刑事から仕入れた集団殺人事件。現場や遺体の概要はもう頭に入っているけど、思い出すだけで気分が悪くなる事件だった。



 最初の事件は三ヶ月前のもので、その時の遺体写真を眺めながら僕は被害者の死ぬ間際の気持ちを考えながら集中作業に入っていた。



 撮影当日の朝は食事を抜くと決めていて、そうすることで身体に栄養を行き渡らせないことで、より死体としての完成度を上げるのが目的だ。お陰で先程からお腹が元気よく鳴る。ある程度の気持ちを整えたところで車窓から周囲を眺める。



 喜多見に流れる野川を並走してしばらく、住宅街の閑散とした中に建つ木造家屋の平屋。三ヶ月前に起きた解体殺人事件後に買い手も付かない状態で放置されていたせいで、雑草が茂りあちこちにゴミが投げ込まれて廃墟然としていた。屋内は打って変わって綺麗なもので、埃や蜘蛛の巣は目立つが荒れた形跡もなく、本当に殺人事件が起きたのかさえ疑わしく思える。



 遺体写真を照らし合わせて殺害現場は台所で間違いは無さそうだ。冷蔵庫に背を預けて四肢を無くした遺体から溢れた血痕が床にシミとなって残っている。



 軽くお化粧を施して、赤い紅を引いて準備は整う。



 着物の袖の中に腕を引っ込め、脚部は折りたたんで外股にくっつける。少し着物の裾が開けてしまうがそんなものは気にもならない。善太郎さんが抱えた人形の腕や足を写真通りに配置して、細かい指示を僕に出していく。彼の言うとおりに微調整を終えるとだいぶ辛い体勢である。



 僕は頭の中をボーッとさせる。何も考えない。僕は抜け殻だ。そうすることで自然と身体から最後の力も抜け落ちてより自然な死写体を演じられる。



 何度も目映い閃光と共にシャッターを切っていく。様々な角度で撮影して現像後に吟味して最高の一枚を選定して商品とする。



「よし。もういいよ、賀楽さん」

「首と脇腹が痛くなる体勢でした。次は首だけなので身体に負担が掛からないのが幸いです」



 足を伸ばしながら立ち上がって人形の手足を回収してさっさと次の撮影現場へと急行する。この後の撮影が終わったら一度写命館に戻って現像とお昼を食べる。午後は数時間だけ店を開けて夕方にはまた篝家へと向かう。



 解体殺人の現場から車で十五分ほどの場所にある先程とほとんど同じ間取りの平屋。こんな閑静な住宅街で集団殺人が起きたというのに、その当時は遺体が発見されるまでに一週間の時間が経ったという。腐臭が家屋から漏れ出た近隣の住民が通報して押し入った警察官達の数名がその場で吐き戻したそうで、流石にその臭いはもうしないが、玄関を上がった瞬間からここが異様な空気で満ちているのを肌で感じた。昼間でも薄暗い室内であるというのにベットリと血痕ばかりが浮いて見えるのは、当時のまま誰も手を付けずにいたからだろう。



「どこで……、というより、誰の死を撮影しますか?」



 まさか二十名全員分の死写体を演じるわけもない。善太郎さんは手帳を開いてまるで選り取り見取りだというように指を這わせて、「よし。一番若い二十代後半の女性の死写体にするとしようか。となると、廊下突き当たりの壁だね」指さした先には確かに壁に影絵のように人の形に沿って血が飛び散っていた。



 僕はその人の跡に合わせるように壁にもたれて座る。またしても善太郎さんの細かい指示で微妙な位置調整や表情を変え、死を再現していく。



 ランプの明かりに照らされる死写体の僕を多角から撮影し始める善太郎さん。その間は息をすることも忘れて死者に徹する。



「こんなものでいいでしょう。お疲れ様です。埃は払い落としてから車に乗ってほしい」



 言われたとおり着物を叩くとランプの明かりに浮かぶ埃が舞った。善太郎さんは満足そうな笑顔で僕を一瞥してから、「賀楽さんの死体としての色香が際立って私を惑わせる」毎度の褒め言葉に、「早く僕が死ぬように祈っていてください」彼の反応が気になって返すと、「別に直ぐに死んで欲しいわけではないよ。勘違いしないでいただきたい。僕は生きている賀楽さんと接することで、自分の中にある曖昧な死の形を確立させたいんです。つまり、賀楽さん。貴女に早く死なれてしまうと私の中で死が定まらなくなる」つまり自分都合で少しだけ長生きして欲しいということだ。



 まったくもって人間の情が希薄であり、希薄であるから僕を知ってもどうでもいい他人事で済ませてしまえる器を形成しているのでしょう。



「それはそうと、朝から何も食べずの撮影でしたからね。お昼は賀楽さんに任せますが、どうでしょう、案が無ければたまには寿司でも?」

「では寿司にいたしましょう」



 善太郎さんが先に荷物を車に積み込み、僕も通路を歩こうとした視界の端に何かが光った。これは何だろうと半開きの襖を開けて四畳空間に落ちて窓から差す明かりに反射する鍵を手に持つ。珍しい模様が施された綺麗な鍵だった。周囲を簡単に見渡してみても鍵穴が付いた物はない。興味本位で持って帰るわけにはいかないので元在った場所に戻して、表で待つ善太郎さんの下へと急いだ。



「善太郎さん。写真は楽しいですか?」



 運転中にした唐突な質問を可笑しそうに、「写真に興味でも?」自分の分野の質問をされて気を悪くする人もいないだろう。もちろん善太郎さんもその一人で、僕としては彼の職業に興味があったのは事実で、一度は話を聞いてみたいと思っていた。



「写真とはその場の人生で一度きりの瞬間を永遠に留めておけるんだ。無くしてしまった思い出をいつでも見返して、ああ、あの時はあんなことがあったなって、実に感慨深い時間に浸ることもできる。実に楽しいよ」

「僕も写真を撮ってみたいのですが、撮影の仕方をご教授願えませんか?」

「へぇ。賀楽さんが何かに興味を抱くなんて珍しい。いいでしょう。帰ったら使っていないカメラがあるのでそれを譲るとしましょうか。それで、どういった写真が撮りたいかはもう考えているの?」

「人々の笑顔を」

「笑顔……?」



 なんとも歯切れの悪い言葉を打ち消すように、「良いと思うな。せっかくの機会でもあるし、篝家の人達で練習させて頂くとしましょう」陽気な調子で続けた。



 この後の予定としては特になく、昼食を終えれば写命館へと一度戻り、現像作業を夕方まで進める。その後に篝家に向かい夕飯を頂き眠るだけ。きっとその間に野菊さんや千紗ちゃんたちと賑わう談笑をしてからになると思うので、少し遅い就寝になるかもしれない。



 ぼんやりとあの篝家について考えていると車が急停止した。ベルトが鎖骨と胸骨に食い込む勢いで僕の身体は前方へと突き出される。



「どうかされましたか?」



 急停止の正体は前方を塞ぐ人々だった。辺りを見れば新宿区だとわかる。各々の手には敗戦日本を認めぬ活動家たちの抗議だった。彼等をどうにかしようと警察官たちが説得を試みるも全くといって聞く耳を持たない姿勢で罵詈雑言を声高らかに叫んでいる。



 警察も抗議に人員を裂いている余裕もないはずなのに、この状況を面白く思わない者達の一声によって駆り出されて時間を浪費させられているのだ。



 そんな抗議鎮圧に励む警察官の中に五十嵐刑事の姿もあった。窓を開けた善太郎さんが彼を呼びつけて道を開けて欲しいと伝えるも、「この状況をよく見て物を言って欲しいものだよ!」悪態と溜息をつきながら怒鳴り合う両勢力の猛々しい勇ましさを睥睨して言った。



「ほらほら! 交通の邪魔になっているだろ」



 警官達が態度を強めて何かしらの罪状を理由にこの場の全員を逮捕せんという勢いになると、抗議の声は次第に弱くなっていき、一人また一人と徒党の群れから抜けて行く。



 ようやく僕等も動き出すことができた。



 新宿区の抗議鎮圧に五十嵐さんがどうして交じっていたのかはわからないけど、近くで捜査をしていたところを救援に出向かされたのでしょう。



 猫の手も借りたい警察の方々には悪いと思いつつも僕等は寿司を食べます。大ぶりの赤身が贅沢な光沢を纏い、僕の語彙力ではその味を誰かに説明することも出来ないのが悔やまれる。



「帰ったら私を撮影してみましょう。客観的に私を見て、自分がどのような人間なのかを見てみたいのですよ」

「素人の写真でそんなもの見えるのですか?」

「さあ、それはどうかな。見てみなければ判断も付かないね」



 勘定を済ませて中野の写命館へと帰ってきた。



 売り場と衝立で遮られている作業場に人形やらの撮影道具を運び、熱いお茶で一服していると、善太郎さんが戸棚の中から真新しいカメラを大事そうに抱えながら僕に差し出した。



「これが今日から賀楽さんのカメラだよ」



 好奇心に駆られて手の中で重みのあるカメラ。色んな角度から眺めてみたりファインダーを覗き込んで胸を高鳴らせながら室内を見渡した。



 カメラの扱い方を簡単に教わり、フィルムをカメラに装填してから、記念すべき一枚を撮るべく善太郎さんにレンズを向けた。



「撮りますね」

「いつでもどうぞ」



 ソファーに座って此方に微笑みを向ける善太郎さんにシャッターを切った。現像作業を一緒にしてくれるという善太郎さんにカメラを渡して、僕は呼び込みの仕事をするべく店の外に立つ。



 最近店を閉めていたから閉店してしまったのかと勘違いをしていた常連さんは胸をなで下ろし、僕と握手を求める子供から老人までに対応しながら死写体の新作写真発売日を伝えていく。



 みんなのこの笑顔を僕は撮影してみたい。僕は初めて自分の死から目をそらして、ありえない未来の自分を思い描いてみていた。



 もし生きていけるなら写命館の二号店を開店して、人々の生活に密着した写真を取り扱って、色んな地域に出向いてはその人達との一期一会をファインダーに収めていく。そんな生活が出来たのなら……、どれだけ人生が楽しいことだろうと急に現実へと意識が引き戻された。



 扉を開けた善太郎さんがノブに掛かる札を翻して開店を報せる。



 老若男女次々と押し寄せた。そこまで広くない店内はあっという間に溢れかえっていて、入りきらないお客さんは店の外からグルリと中野駅南口へと列を作っていく。いまさら店内に戻ったところで人混みに揉まれて目を回してしまうのは目に見えているので、このまま呼び子として外に立つことにした。



 先頭のお客さん達と話ながら店内との入れ替えを行っていき、彼等との雑談から面白い話が幾つか聞くことが出来た。



 人間ハンバーグをその目で見たと語った若い男性からは、遺体を間近で見た時に異様な臭いがしたという。人間の臓腑や糞尿の悪臭とも違う……、何処か本当にハンバーグを連想させるような香ばしいような甘みのあるような、そんな臭いだと言っていた。



 本日の営業を終えた写命館二階の居間で善太郎さんに話した。ハンバーグをより忠実に作りたかったのか、という推論に善太郎さんは否定した。



「誰に対してそんな事をする必要があるというのか。ただの自己満足にしては作品を粗雑な扱いからは考えづらいね。現実的な考えをしてしまえば、骨格や臓器を纏めて粉砕して形成した肉塊を留めておくに必要な薬品の副産物かな」

「これは鼎先生から話を聞けるかもしれませんね」

「賀楽さん。事件を解決でもしたいの?」

「はい。解決はできなくても何かしらのお役に立てれば、と思っております」

「余計なことはしない方が身のためだね。賀楽さんのような有名人が事件を嗅ぎ回れば犯人の耳にも入る可能性があることを考慮するべきだ。貴女にもしもの事があった場合、それもよりによってハンバーグに成形されでもしたら、私は一生、貴女と犯人を恨みますので」

「可笑しな事を仰いますね。善太郎さんが僕を守ってくだされば宜しいだけではありませんか?」

「自分の死に焦っているだけですよ、賀楽さんは。写真だってそう。事件解決や写真は自分が生きていた痕跡を残したいだけに私は思えてならない」



 言われてそうかもしれないと自分を見つめ直した。僕は一人の人間として、産まれた意味を求めたのかもしれない。何か残せないか。自分の意志で残せる何か。死写体の写真も一生残る僕の軌跡ではあるものの、それは演じている僕であって本当の僕ではない。僕が残したいのはありのままの僕そのもの。



 だから写真を撮りたい。事件解決すれば風化はしても活躍が歴史に残る。



「それはいけないことなのですか。僕が生きていた確かな証を残すことに。人は子供を成します。それは自分が生きた証を次代へと繋げる行為に他なりません。僕は生きているんです。何かを残すために」



 訴えに口を挟まずに聞いていた善太郎さんは電球を見上げて、「私としては醜い死に興味なんて抱けない。ですが……、まあ、そうですね。ここは一つ、賀楽さんの未練を一つ崩してみるのも此方としても都合が良い、か」言い訳を口にしてから僕を見て微笑んだ。

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