第3話 女教師は姉御肌




 案の定というべきか、HRが終了した瞬間、クラスメイト達に詰め寄られた。




 僕の方に来たのは主に男子達で、四面楚歌とはまさにあのこと。


 晴巳君とよく連んでいるクラスの人気者から、密かに想いを寄せていた者に至るまで、質問の嵐を浴びせてきた。


 それも当然というべきか。なにせ六花さんは人柄の良さと見目麗しさで、一年の頃から非常に人気だった。


 対して僕は、上位カーストとも言い切れず、かといって孤立しているとも言えない微妙な男。


 挙げ句の果てには、噂が伝播して他のクラスの男子も押しかけてくる始末。


 事の発端である六花さんも取り囲まれていたが、僕の比ではないくらいの程度だった。


 ただ、晴巳君だけが結局一度も質問してこなかったことだけが気がかりだけれど。


 




 結局、午前中の授業が終わる度、休み時間にも追いかけ回される羽目になり。


 ようやく一息つけたのは、昼休みに入ってからだった。


「思った以上の騒ぎになりましたね……」


 ぐぅ、と疲労からの空腹を主張してくるお腹のあたりを撫でながら、廊下を歩く。


 ひとまず告白されたと簡潔に答え続けたけれど、それよりも嫉妬による愚痴を受け止める方に疲れた。


 流石に昼休みも拘束されては敵わないので、教室から出て安寧の地へ向かっていた。


「この調子だと、しばらくは注目の的にされそうだ……」

「おっ、丁度いいところに青少年はっけ〜ん」


 などと言っている間に、誰かに捕捉される。


 顔を上げると、そこにいたのは我がクラスの担任、二床由紀にしょうゆき教諭。


 今時の女性らしい、全身に気を配ったファッションセンス教育者らしい頼り甲斐を感じさせる女性だ。


 そんな彼女は、僕を見てにまりと獲物を見つけたような笑顔を浮かべた。


「丁度良かった。介人、プリント運ぶの手伝え」

「僕、これからお昼食べるところだったんだけど」

「なぁに、すぐ終わるって。姉ちゃんの言うことを素直に聞けば、な」


 きりりと猫のような吊り目を開いて強調されて、嘆息する。






 二床先生……由紀姉さんは、僕の親戚でもある。力関係は、まあ見ての通りだった。


「分かったよ」

「うむ、物分かりの良いやつは好きだぞ。じゃ、はいこれ」


 言うが早いか、彼女は自分が抱えていた白束を丸ごと僕に押し付けた。


 危うく手放すところだった弁当箱をなんとか指でキャッチし、ジトリと由紀姉さんを睨んだ。


「なっはっはっ! そんな顔すんな。ジュース奢ってやるからさ」

「はいはい」


 まったく、この傍若無人さにも困ったものだ。


 内心で呆れながらも、スタスタと歩いていく彼女の後を追いかける。


「そういや、なんか朝から騒がしかったみたいだな。クラスメイト達に囲まれてたが、なんだ。女子更衣室でも覗いたか?」

「今時そんな古典的なことしないよ。むしろやる度胸があるやつがいたら、応援するね」

「まっ、それもそうか。んじゃ、誰かの彼女にちょっかいかけたのか〜?」

「由紀姉さん、僕が絶対にやらなさそうなことから行っていくのは楽しいかい?」

「ははっ、そこそこな」


 肩を揺らして笑う由紀姉さん。どうやら今日はストレスが溜まっているらしい。

 

 おおかた、またお堅い教頭先生とでも衝突したのだろう。






 歩いている間にも、ちらちらと視線が寄せられるのがわかる。


 疑問の目線四割、殺意増し増しの凝視が六割といったところか。随分噂が出回ったようだ。


「おーおー、凄い目線。介人、よっぽどな事をやらかしたんだなぁ?」

「……ご想像にお任せするよ」


 針の筵を敷き詰めたような廊下を進み続けて、目的地まで移動する。


 各階を繋ぐ階段から程近く、プレートに『資料室』と銘打たれた一室に着くと、先に由紀姉さんが入っていった。


 開きっぱなしの出入り口をくぐれば、授業に使う様々な教科書やプリント、機材が所狭しと並んでいる。


 その奥には、小さな長方形のテーブルと三つの椅子、電気スタンドがぽつんと存在していた。


 若干埃を被っている資料もある中で、やけに真新しいそれは異質である。


「おーい、こっちだ」


 入って左側の棚で手を振っている由紀姉さんに近づく。


 ほれ、と彼女が指差す場所にプリントの束を置いて、ふうと一息ついた。


「ごくろーさん。確認するから、少し待ってて」

「まだ何かやることが?」

「言ったろ、ジュース一本奢ってやるって」


 ニッとわらった彼女は、それからプリントを弄り始めた。


 片手に持っていた出席簿と睨めっこしており、どうやら枚数の誤差確認を行なっているようだ。


 折角なので、近くの脚立に座り込んで待つことにする。


「んでー? 今日は何があったんだー?」

「別に話すことのほどでもないよ。ちょっとした《青春のいざこざ》さ」

「はっはっはっ、青春のいざこざときたか。なるほど、お前らの年頃には相応しい」


 ふむ。適当に言ったけれど案外面白かったらしい。現文の先生だけあって、そこらへん沸点高いからな。


  




 益体もなことを考えてぼんやりしていると、由紀姉さんが出席簿を片手で閉じた。


 そのまま体ごとこちらに振り返り、棚に片肘を乗せて体重を預ける。


 ……ああ、まずい。これは《バレている》。


「そんなんであたしを誤魔化したつもりか?」


 案の定、表情だけは笑顔な由紀姉さんの語気は強いものだった。


 細められた目は鋭く、笑う口元が殊更に彼女の気迫を際立たせる。


「……やっぱりバレた?」

「ったりまえだ。お前がオムツ付けてた頃から世話してんだぞこっちは。で? どうしたんだ?」


 僕の目を真っ直ぐに射抜く瞳。どうこいつを狩ってやろうかと吟味する、鷹のようだ。


 昔からこの視線にだけは、どうにも弱い。何故ならそれは僕を案じてのものだと知っているから。


 ある意味、由紀姉さんは《唯一と言っていい》理解者なのだから。


「また、《視えた》のか?」


 ほら、やっぱり。


 相手を萎縮させる凄味とは裏腹に、二言目に乗せられたのは心配げな色。


 ……こういう所があるから、多少女王様だって僕はこの人のことを信頼しているんだ。


「《視えた》。それも厄介な相手にね」

「厄介、ね。お前がそう言うってことは、相当な事情らしいな」

「ああ、かなり。何せ相手は……」


 そこで一度、躊躇する。




『こんな事、介人くんにしか言わないよ』




 昨日のことが脳裏にフラッシュバックして……ほんの少し、心が締め付けられた。


 けれども気を取り直して、返事を待っている由紀姉さんに続きを告げる。


「相手は、六花さんだ」


 由紀姉さんが息を呑んだ。






 いつも僕が《視えた》時は深刻そうだけど、普段とは一味違う。


 直後に彼女が見せた、苦虫を十匹ほど噛み潰した様な顔を見れば一目瞭然だ。


「……よりによって春野か。いや、とうとうこの時が来た、って言ったほうがいいのか?」

「かもね。……覚悟はしてた。むしろ、ようやくって感じだよ」


 笑顔を作って、そう言い切る。いつものよつに、変わらぬ様に。


 すると由紀姉さんがますます苦悶の表情を浮かべて、唸り声を漏らした。


「分かってるのか? 今回は、鼻で笑えるくらいじゃ済まないかもしれないぞ?」

「……それも、覚悟の上だ」


 足の間で組んだ手を、ぎゅっと握り込む。






 いつだって《視えた》時は、何かを失ってきた。


 それは大切な機会だったり、本来得るはずのない痛みだったりしたけれど。


 でも、そうだとしても。


「僕は見捨てないよ。見捨てられるはずがない」

「介人……」


 何もしなくて目の前の人が絶望するくらいなら、後で後悔して苦しむなら。


 たとえ何を無くしたとしても……やった方がいいに決まっているのだから。


 そう思って由紀姉さんを見ると、同じほど真剣な眼差しが返ってきた。






 五秒続いて、十秒続いて……あ、そろそろ空腹が限界かも。


「っはぁ〜…………ったく、この頑固者め」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「褒めてないわ、アホ。ああもう、分かった。そこまで決めてるならあたしは何も言わない」

「ありがとう、由紀姉さん」


 姉さんには、ちょっと悪いけれど。


 彼女がこう言って止めようとするから、僕は毎回最後の決心ができてしまうのだ。


 などと言ったら拳骨を落とされるのは目に見えているので、ニコニコと笑っておく。


「何笑ってんだ、気色悪い」

「酷いな。笑顔は相手の心を開くのに効果的って聞いたから試したのに」

「あたしの心のどこを開くってんだ。まあ、何かあったらすぐに言え。あたしに出来ることならしてやる」

「その時は是非頼りにさせてもらう」

「ん、確かに聞いたぞ」


 おっと、言質を取られたようだ。


 大きくかぶりを振って、由紀姉さんはやや荒々しい足取りで部屋を出ていこうとした。


 入口のところまで行って、ふとこちらに振り返る。


「何ぼーっとしてる。カギ閉めるぞ」

「あっ、行きます。行きますから待ってジュースさん」

「誰がジュースさんだ、ばーか」





 またくだらないことを由紀姉さんと言い合いながら、僕は資料室を後にした。


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運命を視る僕と、四人の雪花 @syuuji0802

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