第2話 青春爆弾




あはは、と笑い声が響く。




 小さな公園の中で、同い年の子供達がボール遊びをしていた。


 活発な印象を受ける一人の少年を中心に、和気藹々と楽しそうだ。


 その中の一人……今日初めて遊ぶ、気弱そうな男の子も笑顔を浮かべている。




 僕はそれを、ベンチに座って見ていた。


 ドッジボールをすることになって、五人だと二つに割り切れないから余ったのだ。


 まあ、自分から抜けて、あの彼を参加させたのだけれど。


 そのおかげで、彼はあの輪に馴染むことができそうだった。


「……よかった」

「何がよかったの?」


 突然横から声をかけられて、びっくりする。


 振り向くと、いつの間にか一人の女の子が隣に座っていた。


 同い年くらいの子だった。艶のある長い髪で、その隙間から覗く瞳はじっと僕を見ている。


 吸い込まれてしまいそうな輝きを持つ二つの瞳から、目が離せない。

 





「ねえ。何がよかったの?」

「え……あ、うん。あの子、仲良くできてそうだなって」


 飛んできたボールを受け止め、おどおどしている彼を指差す。


 ふぅん、と興味なさげに相槌を打った女の子は、また僕の方を見た。


「それで、あなたは何をしているの?」

「……大事なこと、かな」


 僕がしたのは、いつもやっているのと同じこと。


 困っている人がいて、だったから、切れないようにしただけ。


 ボール遊びをできないのは、ちょっと寂しいけど……その代わりに、あの子の糸は繋がった。


「だから、これでいいんだよ」


 だってそうしなきゃ、


「………ふぅん」


 やっぱり、女の子は興味がなさそうに返事をした。






 どうして僕に話しかけてきたんだろう。誰かと遊びたいなら、あっちに入ればいいのに。


 あっ、でもそうするとまた数が合わなくなって変なことになっちゃうかな……


「ねえ」


 また、話しかけられる。


 つられて女の子を見ると──彼女は、じっと僕の目を覗き込んでいた。

 

 やっぱりその瞳はとても綺麗で、見続けているうちに胸が高鳴ってくる。


 うまく言えない、変な気持ちになっていると、彼女は口を開いて──











◆◇◆











 六花さんに告白された翌朝。


 僕の所属する二年B組の教室は、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。

 

 進級してから一週間。前の学年で仲が良かった者同士、あるいは新たに交流を始めた者同士でのコミュニティが形成されつつある。


 僕はといえば、特に誰と会話するわけでもなく、窓際の後ろから三番目の机で静かに読書に耽っていた。


「ふむ……」

「何読んでるんだよ、介人」


 羅列された文字を目で追っていると、頭上から声がかかった。


 目線を向ければ、そこにいたのは溌剌な印象を受ける青年。


 逆三角形に引き締まった長身。オレンジに近い茶髪が、整った目鼻立ちを際立たせる。


 その他にも生徒指導に引っかかる寸前を狙った小物で着飾った、お洒落な風体。


「おはようございます、晴己くん」


 いかにもクラスの人気者といった彼に、僕は柔和な笑みで挨拶をした。


 大門晴巳だいもんはるみ君。僕が最も親しいクラスメイトであり、もう一人の幼馴染でもある。


「はよっす。いやー、朝練疲れたわ」

「精力的ですね」

「新入生も入ってきて部長のやる気がすげえのなんのって。もう腹減った」

「まだ一限目も受けていませんよ」


 そうだな、と笑いながら隣の席にバスケットボールのストラップがついたバッグを置く彼。


 そうすると椅子を引き出し、背もたれをこちらに向けて座り込んだ。


「で。介人の今日の一冊は?」

「僕は書店のポップか何かですか?」


 ヘヘっと悪びれず笑う彼に、僕は一度本を閉じて表紙を見せる。


「『笑顔が与える心理的効果とその種類』について、ねぇ。相変わらず小難しそうだな」

「案外面白いですよ。例えば、初対面時の言葉選びと表情の親和性についてとか」

「なんじゃそりゃ」

「要するに、適切な言葉と不自然にならない笑顔で接すれば、人はあまり警戒しないってことですね」

「あー、あれな。第一印象が大事ってやつ」

「それです」


 納得がいったように指差してくる彼に、僕も人差し指を出して返事する。


 彼はノリがいい。だからこそ、クラスの中心人物たりうるのだろう。






 そう考えた矢先に、教壇のあたりに陣取っていたグループが近づいてくる。


「おーっす、晴巳。朝練終わったんか」

「はよ。それがさぁ、朝からシュート練習めっちゃさせられて」

「マジかよ。あっ、昨日のテレビ見た?」

「見た見た。ラーメン特集のやつな」

「あれ美味そうだったよなー。御柱は?」

「見ましたよ。うちの高校から近い店もありましたね」

「なー。今度行こうかな」


 晴巳君を中心に、瞬く間に会話の輪が形成される。


 その歯車の一つのように、僕は相槌を打って彼らの会話に加わった。


 クラスの中での僕の立ち位置は、可もなく不可もなくといったところ。晴巳君と一緒にいる時はよくクラスメイトと話す程度だ。


 しばらくそうしていると、朝のHR開始十分前になったところで前の扉が勢いよく開かれた。


「セーッフ!」

「あ、六花来た〜」

「遅いよ〜。今日も遅刻寸前じゃーん」

「マジごめん! 起きれなくてさ〜!」


 入ってきたのは、六花さん。

 

 教室前方の席で雑談していた、華やかな見た目の女子二人が呆れたように笑った。


 彼女達へ申し訳なさげに手を合わせた彼女に、何人かの目線が集まる。


「今日も間に合ったな、春野さん。これでギリセーフ何回目だっけ」

「あんだけ可愛いと、朝の準備とか大変なんじゃね?」

「それありっしょ」


 僕達の周りにいた男子達も、そんなことを言いながら好色な目線を六花さんへと送った。


 浮かべる笑顔は向日葵のように眩く、誰にでも分け隔てなく優しく接し、極め付けに類い稀な美少女。


 当然の如く晴巳君と双璧を成すようにトップカーストに君臨する彼女は、そこにいるだけで注目を集める。


「晴巳、御柱、お前ら春野さんと幼馴染なんだろ? 羨ましいわ〜」

「マジそれな」

「はは、まあそうだな」

「昔から友人として、仲良くさせてはいただいていますね」


 そして、昔からお決まりのコメントを周囲のクラスメイトから受ける。


 反射的に定型文を口にする僕の横で、晴巳君は何か眩しいものを眺めるように立花さんを見た時。


「あっ、介人くん!」


 突然、六花さんがこちらに振り向いた。


 よく通るこの声は教室中に響き、一瞬しんと空気が停滞する。


 僕の周囲にいた彼らもきょとんとする中で、彼女は小走りにこちらへやって来た。


 ……まさか。


「ごめんね、昨日ああ言ったのに寝坊しちゃって。朝弱いの、ほんと勘弁だよ」


 計算された笑顔で小首を傾げる彼女に、僕は少なからず驚く。


 あんなこと?と疑問の目を向けてくる学友達に、僕は我を取り戻して笑顔を取り繕った。


「……いえ、気にしていませんよ。今日も健康そうな顔色で何よりです」

「ありがとっ。明日の朝こそ迎えに行くから、約束ね?」


 その一言に、また空気が凍った。





 あまりに意味深すぎる会話によって、瞬く間に教室中の視線が集中する。


 遠巻きにヒソヒソと囁き声が聞こえ、六花さんの友人二人は特に驚いた様子。


 それでも大きく騒がれなかったのは、幼馴染という関係性が知れ渡っている故か。


「無理しなくていいですよ」

「ううん、行くよ。だって……」


 そこで、六花さんは不意に晴巳君を一瞬だけ見て。




「私は、介人くんの彼女なんだから」




 次の瞬間、満面の笑顔で爆弾を落とした。


 三度目の沈黙。


 これまでの二回より長く続いたそれは、僕には膨れ上がった風船のように思えた。


 そして、限界以上に達した風船は──




『ええぇえええぇええっ!!?』




 いとも容易く、破裂した。


 声を揃えて驚愕をあらわにしたクラスメイト達は、すぐさま騒ぎ始める。


 ある者は好奇心を目に宿し隣の友人と囁き合い、ある者は愕然とした顔をする。


 またある者は、言葉の意味を理解するのと同時に僕へ怨嗟の目線を送ってきた。今にも呪い殺されそうだ。


「介人……お前……」


 そして、晴巳君はこの場の誰よりも唖然とした表情で僕と六花さんを交互に見る。

 

 青天の霹靂。そう呼ぶ他にない、降って沸いた特大の暴露に全員が混乱の渦に巻き込まれていた。


 それは勿論、僕自身でさえも。


 




 一体どうやって収集をつけようか。


 そう思った途端、狙いすましたようにチャイムが鳴った。予想外の不意打ちに一瞬喧騒が消える。


 続けてガラリと再び前方の扉が開けられ、担任の二床にしょう先生が入室してくる。


「おっはよーう、少年少女諸君。ホームルーム始めるぞー、席につけー」


 間延びした声で行われた指示に、皆はしばらく顔を見合わせた後に自分の席へ戻っていった。


 何か言いたげにしていた男子達も、僕に視線を向けながらも渋々といった様子で離れていく。


「じゃ、そういう事だから。あっ、放課後ちょっと付き合ってくれる?」

「ええ、分かりました」

「ありがとう」

「あ、おい!」


 騒動の原因たる六花さんも、軽く手を振って離脱する。


 後には、声をかけたはずみで立ち上がった晴巳君だけが残された。

  

「こら、大門。そんなとこで突っ立っててもパスは来ないぞ?」

「……うす」


 やや遅れて返事をした晴己君が座り、全員が着席を完了する。


 それを確認した二床先生は「よろしい」と満足げに頷くと、教壇を出席簿で軽く叩いた。


「よし、そんじゃあ点呼始めるぞー。井川」

「はい」


 いつもの朝と同じく、出席確認が始まった。


 しかし残念なことに、教室に渦巻く空気は好奇心と困惑、そして男子達の殺気と嫉妬に満ちている。


 後半は10割が僕に向けられたものであるが、男女問わず全員の気持ちが浮き足立っているのは明白だった。


 特に隣の晴巳君からの、探りを入れるような視線がグサグサと突き刺さってくる。


「………ふぅ」


 これは、質問責めにあいそうだ。

 



 ホームルームが終わった後のことを考えて、僕はそっとため息を吐いた。


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