第47話 最愛の人3/4

「ほっんと最低だよね。今まで隠しててごめん。こんな私がさ、樹里の隣にいていいわけがない。ましてや、アカ姉たちと同じグループにいていいわけないじゃない」

 あの子たちを見捨てた私が。

 歪に微笑んだ咲羅に、

「そんなことない。たしかに最低なことをした過去は変えられないよ。でもさ、今からやり直していけばいいんだよ」

 本当の咲羅はこんなにも臆病者なんだ。

 私ができることは、そんな貴女を前向きにさせること。


「私は幼馴染としてさくちゃんと一緒に生きて来られて、それだけじゃなくて恋人になれて幸せだった」

「……だった?」

 不安げに瞳を揺らす彼女に、私は言葉を間違えたことを悟った。

「ごめん、過去形じゃない。現在進行形で幸せなの。アイドルだって同じ。さくちゃんがいたから、私はなにを言われてもステージに立てた。さくちゃんのおかげで、強くなれたんだよ」

 突然、彼女の美しい瞳から涙が一粒零れ、ポタっと机の上に落ちた。


 きっと私も、咲羅と同じ顔をしている。彼女みたいに美しくはないし、酷い表情をしているんだろうけど、今はどうだっていい。

「見捨てたなら、これからは守ってあげればいいじゃん。手を離さず、一緒に頑張っていけばいいんだよ」

 お願いだから、私の想いが全部伝わりますように。チクチクと痛み続ける心で祈る。


 頬を伝った涙をぐいっと袖で拭う彼女に、

「私はさくちゃんがいないとダメなんだよ。心の底から愛しているんだよ。だから、私は貴女とアイドルをやりたい」

 真っすぐ瞳を見つめて言った。


 咲羅は一瞬唇を噛み、

「樹里はさ……私がいなくてもやっていけるよ」

 告げられた言葉は残酷だった。

 刃物を突き立てられたみたいに、心が痛くって血が流れているような感覚。

「いつもさ、『私がさくちゃんの足を引っ張ってる』って言うけどさ、それは私の方なんだよ。陽だまりみたいにあったかくて周りを照らす樹里が広い世界に羽ばたこうとするのを邪魔しているのは、私の方」

 寂しそうに笑って立ち上がった彼女に手を伸ばす。


「待って」

「ごめんね、樹里」

 咲羅はポケットから合鍵を取り出して、

「もう終わりにしよう」

 その手も、言葉も、気持ちもなにもかも、彼女に届かなかった。

「応援してるから」

 机の上に置いて、ガチャリとドアを開けてリビングを出ていく。


 追いかけなきゃ。

 行かないで。

 カラダも口も動いてくれない。震えて、なにもできない。

 あまりにも突然すぎる別れに、心が追いつかない。

 どうしてこうなったの。こんなはずじゃなかったのに。

 ガチャ。

 開け放たれたリビングのドアの向こうから玄関の扉が開く音が聞こえて、漸くカラダが動き出す。


「待って!」

 絡まって転びそうになる脚を必死に動かしたけれど、既に彼女の姿はなかった。

 私の言葉は、むなしく玄関に響いただけだった。

 今から追いかければ間に合う。

 そう頭の中で声が聞こえるのに、カラダ中から力が抜けて、私は廊下にへたり込んでしまった。


 どんなに疲れていても笑顔で「ただいま」を言ってくれた咲羅。

 美味しそうに手料理を食べてくれた咲羅。

 この世の言葉では言い表せないほど大切で、愛おしい咲羅はもう、戻ってこない。

 抑えきれなくなった悲しみが、涙となって頬を伝っていく。

「あぁぁぁぁぁぁぁっ」

 私の慟哭どうこくは誰に聞かれることもなく、自分の鼓膜を揺らし続けた。


 深夜、事務所は公式ホームページで『岩本咲羅 無期限の活動休止』を発表した。

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