第5話 貴女のためにできること1/4

 警察署で涙が止まらなかった咲羅だけど、別のスタッフが迎えに来てからは無言。家に帰って来てからも無言のまま部屋に入り、1度も出てきていない。


 翌日になっても出てこない。

 なんの物音もしないから一度心配になってノックをしてみたけど返事なし。仕方なくこっそりとドアを開けて隙間から様子を覗くと、布団にくるまって眠っていた。

 良かった。疲れ果ててかもしれないけれど、眠れていて。

 静かにベッドに近寄って咲羅の顔を見る。

 ああ、クマができちゃってる。やっぱり眠れてなかったんだね。

 どうすれば、この子が背負っている苦しみを取り除いてあげられるだろう。いつも希望をもらってばかりなのに、なにも返してあげられない。

 もどかしさが募っていくけれど、このままずっと傍にいるわけにもいかない。

学校に行かなくちゃ。咲羅も出席日数中々やばいけど、彼女に付き合って休んでいる私もヤバめだ。


 私がいない間にちょっとでも食べてくれるといいな。そう願いを込めて、おにぎりとか卵焼きとか、簡単な料理を作って部屋の前に置いておく。

「行ってきます!」

 返事は聞こえないけれど、咲羅にも聞こえるように馬鹿デカボイスで叫んで家を出る。


 帰って来て台所のシンクを見ると、お皿とお箸が置いてあった。

 良かったぁ……食べてくれてる。洗い物とかそんなのはどうでもいい。食べて、生きようとしてくれているだけでいい。

 その日の夕方、駿ちゃんがなにがあったのか教えてくれた。

 私たちが車から降りた後、駿ちゃんは仕事の連絡でその場に留まっていて、ふと歩く私たちに目を向けたら、チラっと不審なヤツが近づいていくのが見えて叫んでくれたそう。

「髪の毛は切られちゃったけど、ほんとハサミで良かった」

「……そうですね、もし包丁だったら」

 考えるだけでもゾッとする。髪の毛を切られるだけでは済まなかっただろうし、もしかしたら命にかかわる大けがをしていたかもしれない。

「咲羅にも連絡したんだけど既読も連絡もつかなくて……」

「あっ」

 急いで鞄を漁る……あった!

「ごめんなさい、私が咲羅のスマホ持ったままでした」

「なるへそ」

 少し笑って言って、

「でもその方が今は有難いかも。世間はあの子が休養を発表したことと、通り魔事件のことで大騒ぎだから」

 トーンを落として真剣な声で言った。

 たしかに、今日学校に言っても咲羅について質問攻めだった。ただの野次馬には「大丈夫だよー」としか答えてない。

ちゃんとした咲羅担には「生きてるよ!」と伝えてあげたら号泣してました。気持ちはわかる。

 だけど今は、彼女はそんなこと知らなくていい。ゆっくりと休んでほしい……もしかしたら私が学校に行っている間にスマホ部屋から出てスマホを見てるかもしれないけど。


 今回のことが彼女の心に深い傷を残さなければいいんだけど。

 咲羅は昔、ストーカー被害にあったことがある。そのときは変な手紙が送られてきたり、後をつけられたりした。それだけで、ってあれだけど、今回みたいな包丁沙汰はなかったし、彼女も特に気にしている様子はなかった。

 だからこそ、今回はちゃんと「怖かった」と言えて泣いてくれたことが私には嬉しかった。


 Roseに加入してから過剰に『大人らしさ』を求められ、感情を抑えていた彼女の久しぶりの涙だったから。この日から、喜怒哀楽を表に出すようになった。

 私の前だけじゃなくて、メンバーの前でも泣いていいんだよ。辛いときは「辛い」って言っていいんだよ。

 そう伝えたこともあるけれど、

「みんなの前では『アイドルの岩本咲羅』でいたいから」

 本当に彼女のプロ意識には頭が下がるし、それって私の前では素の『岩本咲羅』でいてくれてるってことだよね。

 なんかもう……勘違いしちゃうよ、さくちゃん。でも、このまま勘違いしていてもいいのかな。

 咲羅の一番は私だって。

「樹里ちゃん?」

 無言になった私を不信に思ったのか、駿ちゃんが心配そうに聞いてくる。

「あ……すみません、ちょっと考え事してました」

「いや、それならいいんだけど」

 電話の向こうで「にゃは」っと笑った声が聞こえたと思ったら、

「あ、そうそう。犯人なんだけどさ」

 少し声のトーンを落として

「どうやら翔ちゃんのファンらしいんだよね」

「だから昨日『お前のせいで』って」

「そういうことらしいわ」

 お前のせいでって、咲羅はなにもしてないのに。そもそも翔ちゃんが自殺を図った理由なんてわかってないのに。

 そう伝えると、

「うーん、ネット記事やらSNSでは咲羅が悪者にされてっからね。それ見て影響されたんかな」

「最悪ですね」

「最悪だよ」

 二人してため息をつく。

「こんなことしても翔ちゃんの評判が下がるだけなのにね。動機はどうせ報道されるでしょうし」

「ほんとにそれよ」

 駿ちゃんはまたため息をつきながら、

「ファンなら、アカ姉のこれからをちゃんと支えてあげてほしかった」

 それから二言、三言、言葉を交わして電話を切る。


 スマホを見つめてぼーっとしていると、駿ちゃんからメッセージが届いた。

《2月28日のライブ、咲羅のメンタルを考えて参加するかどうかは当日判断と予告することになった。もし伝えられそうだったら、本人に伝えてあげてほしい》

 勿論伝えますとも。彼女と話せるタイミングが来たら。

 約1カ月後のライブはフィオとRoseの初めての合同武道館ライブで、楽しみにしているファンは沢山いるし、既にチケットは販売されている。即完でしたわよ。

チケットを購入していたファンには申し訳ないけれど、こればっかりは仕方がない。

 咲羅は未だに部屋から出てこない。


 だけど私は信じてる。彼女なら絶対復活できるって。またステージに立てるって。

 だって彼女はアイドルになるために生まれたような子だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る